2012-09

ストレンジャー・ザン・パラダイス

2012年09月21日 金曜日

ジム・ジャームッシュが監督・脚本・編集をした、1985年の映画だけれど全編白黒映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス(Stranger Than Paradise)」。

ハンガリー出身でアメリカに住む主人公の元に従妹がやって来る。

ただ、淡々と特に何も起こらない日常を見せるだけで非常に退屈。つまらないにも程がある。どうでも良い会話の連続、何も盛り上げず、どうでも良い場面を長く見せ、展開に何かを期待してもそこには何も無い。展開や映像ではなく、人物の雰囲気をまったりと、間延びする位見せるだけの映画って本当にどうでもいい。
場面の繋ぎは、カットが変わる毎に途中に暗転する黒いコマを挟むだけの連続だし、カメラは固定の長回しか、人物が動けばそれをちょっと追うだけの動きや、途中のフィルムの端が感光していて変な光が入っているし、素人の習作を見せられている残念感、しょっぱさで一杯だと思ったら、この映画大学の卒業制作の作品だったのか。そう思うと、全編白黒なのは、単にフィルム代や現像代が安いというだけの事なんじゃないかしら?別に白黒である必然性なんて無いし。

こういう、ただどうでもいい日常を描き、「芸術的」というつまらなさの言い換えで表現出来る様な映画って、何も響かないし、見ていて退屈しかない。基本早送り、どんな映画か分かってしまうとスキップ頻繁に繰り返し、流し見もいい所。正直、学生が作る如何にもな「芸術的でしょ!青春でしょ!」と声高に叫ばない振りして、それだけを叫んでいる映画を見せれた所で、こんな退屈な出来の映画ならただ時間の無駄としか感じない。

★★★★★

潜水服は蝶の夢を見る

2012年09月22日 土曜日

ジャン=ドミニク・ボビーの小説を原作とする映画「潜水服は蝶の夢を見るLe scaphandre et le papillon)」。

脳溢血で倒れ、聞こえ、見えはするけれど、全身麻痺になってしまった男の話。

目覚めて、何も出来ないけれど、聞こえるし、見えるし、考える事しか出来ない事を知り、絶望、拒否しながらも、皮肉さや妄想を持ちながら生きて行く男性を、非感傷的に描いている。変にお涙頂戴の分かり易い感動の話にしない分重くしないし、主人公は結構スケベなおっさんで、そこの部分でも笑えてしまうし、妄想の具現化でも結構笑えてしまう。
それに家族もいて彼は愛され、友人にも気にかけてもらえるし、更には愛人もいるし、彼に付く言語療法士とも関係は上手く行き、恋愛関係的にまで行き、悲惨さが一切無い。確かに不幸ではあるのだけれど、正直、見て行くとこの主人公が大分恵まれていると感じてしまう。周りから愛され、気にかけられ、瞬きで書いた本は売れるしで、実際の出来事なのにある意味ファンタジーの様な感じも受ける。この主人公の様ではなく、孤独で、ただ時間が過ぎて行き、ただ死んで行くのを待つ方が、心にはもっと響くのだろうけれど、これだと売れる映画でもなくなるか。

話は、主人公の皮肉な性格や、こんな状況でも意外と笑っている様子を描いていて中々良いのだけれど、ただ結構微妙と言うか、盛り上げずに流れてしまう感じの演出がどうもいまいち。動けず、見る事しか出来ず、自分の考える声しか表現出来ないと言う、主人公の一人称視点で始まり、それは効果的に使われ、それが続くにも関わらず、この主人公の第三者視点の姿が早い段階であっさりと普通に出してしまい、行き成り階段を踏み外した様な肩透かし感がある。それにずっと主人公視点で話が進んでいる時は、自分の体に閉じ込められたという閉塞感と恐怖感が、その演出によって現実感があり、見ている方も非常に見入り、入り込むので、中盤辺りで普通な第三者視点に移行すると、それ以降が急に作り物感、嘘モノ感が強くなり、段々と興味が失せて来る。この切り替えは、描く事内容や、映画として見せ続けなくてはいけないという思いもあるだろうしで、難しい所だけれど、全編主人公の一人称視点だけでも良かった気がする。
それと早い段階で潜水服で水に沈められている映像が出て来て、潜水服に閉じ込められていると言う比喩をそのまま見せてしまい、これが効果的なのか、いまいち判断の付き難い所。しかも、何回も入れるので、結構しつこさがある。
途中にクラシック音楽と共に、関係の無い想像を具現化した映像が入っているけれど、これを見ていると何だか物凄く古い映画を見ている感じ。トーキー以前の映画や、1970年代辺りのお洒落感を前に出した様な映画を感じてしまう。
ルルドで主人公が一人で夜道を歩き回り、如何にもなロックな音楽が流れるという、非常に凡庸な演出に「何じゃこりゃ?」と思ったけれど、それをぶった切る編集では見事にニタッとしてしまった。

この映画で「へ~。」と思ったのは、ルルドの町。あの「始めの発見者の女性は、女性の幻影を見たと言ったのに何時の間にか聖母マリアが現れたという事になり、その女性は医者通いだったのに、万病を治す奇跡の泉になってしまった」でお馴染みルルドの泉が、町自体がその奇跡の話で商売している観光都市だった事に関心が行った。伝説や尾ひれが付きまくった話で商売するのは、まあ何処でも同じなのか。

原題は「Le scaphandre et le papillon(潜水服と蝶)」という簡単な題名なのに、この映画の邦題と言うか、原作のエッセイの邦題が、わざわざフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」と似た様な、でも微妙にずらした「潜水服は蝶の夢を見る」という題名を付けてお洒落感を出している所が、物凄い鼻に付く。

主人公が動けず、聞く事ばかり、考える事ばかりという非常に閉塞的な設定にも関わらず、意外とその重苦しさは無く、意外とさっぱりとしている。ただ、その閉じ込められた世界を描いているのに、演出が時々至って普通な場面を入れ込み、せっかくの世界観を台無しにしている感じが強い。初めは特異な世界に入り込んでいて、おもしろく、興味深く見ていたのに、終り頃から何だか普通な映画の様な気がして来てしまい、尻つぼみな感じがした。

☆☆☆★★

キングオブコント 2012

2012年09月23日 日曜日

去年の「キングオブコント2011」が、優勝したロバートのコントが二回とも全くくすりともせず、二回目のコントも上位になる程笑いが減って行ったのに比べ、今年の「キングオブコント2012」は盛り上がりがあり、上位になるに連れて笑いも増して行ったので、おもしろい大会だった。

優勝した「バイきんぐ」は「伊集院光のばらえてぃーばんぐみ」では、小峠の方が毎週必ず出て来るので、わたし的には有名芸能人よりも見慣れた顔。「体内時計でぴったんこ」の回でしていたけれどそれ自体は全然映らなかった、自動車学校のネタが一回目のネタで、丸々見れたと思ったら行き成り高得点。そのまま二回目も高得点で優勝したので驚き。伊集院光が好きな若手って、アンタッチャブルとか、サンドウィッチマンとか、タンポポとか、オテンキとか、何だか流石。

で、今年の「キングオブコント」はあんまり知らない、ネタを見た事の無い人達が多かったので、新鮮で、誰がどうなるのか分からず、なかなかワクワク感があって楽しかった。
でも、折角の芸歴制限無しの大会なので、もっとベテラン勢、20年以上の中堅・ベテラン組の真剣勝負も見てみたい。

本編とは関係無い所でニタッとしてしまったのは、各人の紹介ビデオ内で推薦や紹介する人が、お笑いの人は実力と人気がある人なのに対し、お笑い以外の映画関係の人は、テレビドラマ時代は非常に良い作品を作り出していたのに、今やこいつ等が映画に関わるとロクな出来にならないでお馴染みの両巨頭、君塚良一と堤幸彦だった事。箔を付けるには逆効果。

オデッサ・ファイル

2012年09月24日 月曜日

フレデリック・フォーサイスの小説が原作で、ジョン・ヴォイトが主演の映画「オデッサ・ファイル(The Odessa File)」。

一人の記者が偶然死んだ老人の日記を手に入れた事により、その第二次世界大戦中のナチスに関する内容に興味を持ち、過去と現在でも暗躍するナチスを調べ始め、そのナチス残党達に狙われて行く。

この原作小説はフレデリック・フォーサイスが相当情報を調べ書かれている様で、劇中の時代は1963年だけれど、原作小説が出された1972年や、映画の製作年1974年では、収容所の現実や、ナチスの残党が過去を隠し社会に溶け込んでいるという、まだ過去を引きずる恐ろしい実態は相当な衝撃や反響があったと思う。ただ、この映画では現実と創作物の中間を描いているので、現在から見ると普通な創作の物語で結構微妙な感じ。始めは収容所での実態を描き、その実態を伝えようとする社会派な話かと思いきや、記者のはずが敵に潜入とか段々とスパイモノになり始め、徐々に普通なサスペンス映画になって行く感じ。主人公も人道的に燃える記者かと思いきや、最終的に単なる復讐でしかない事が分かると、全てが矮小化し、これまでの展開が非常にしょうも無く感じられてしまうし。

展開は非常に小説的。原作をなぞって映画にした様な感じの印象を受け、映画としては非常にもっちゃりしている。丁寧と言えばそうなのかもしれないけれど、そんなゆったり見せても緊迫感が出て来ず、何だかまどろっこしさばかり感じてしまう。大した盛り上がりも無く、二時間以上引っ張られるのは辛い。

一番の違和感は、場所はドイツなのにやたらと英語が通じる事。政府関係の人なら分からなくもないけれど、街の普通の人や、おじいちゃんまで英語を理解し話すので、アメリカ映画の都合良過ぎな部分が出過ぎ。ジョン・ヴォイトがドイツ人として潜入するのに、元ナチスの将校との会話は英語なんて馬鹿げてる。その人物の経歴を憶える前にドイツ語の勉強だろうと。

何と言ってもジョン・ヴォイトが若い。1974年の映画なので39歳だけれど、歳を取ってからの印象しかないので若さをより感じる。しかし、途中に老けた人物に変装するのだけれど、その姿は痩せてはいるけれど最近の歳を取ったジョン・ヴォイト。役作りや演技はなかなか。

社会派の顔を見せる割に、段々と普通なサスペンスに落ち込み、間延びする展開と見せ方で、折角の設定やジョン・ヴォイトも台無しな感じがする。その他の関係人物も結構見せるのにその後の関わりが特に無く、それが何だったのかまとまりが無い感じで、もっと小気味良く見せれば十分おもしろくはなっただろうと思えてしまう映画。

☆☆★★★

ノーバディーズ・フール

2012年09月25日 火曜日

ポール・ニューマン主演の1994年の映画「ノーバディーズ・フール(Nobody’s Fool)」。

人間関係も、仕事も、人生もどうも上手く行かないおじいちゃんの日常を、そのポール・ニューマンを中心に、彼の周囲の人々との関係を描く。

普通な人の普通な日常を、特に感動を呼び起こす訳でもなく、流れる感じで描き続ける。この特に何か無い様子を描く事によって、多くを語らず描くというのは良いのだけれど、それから特に何か感じる事も無かった。どうにも整ってない風で、普通な、何でもない出来事を自然に流そうとするけれど、実は見せようとする必死さが見え、何だか乗り切れない。各人物との話が全然頭に入って来ず、流れて出て行く。
やっぱり違和感を感じるのはポール・ニューマン。確かに演技は普通なおじいさんで、動きや視線、表情は自然さが溢れ、抜群に上手い。なんだけれど、ポール・ニューマンが歳を取ってもカッコ良過ぎ、上品過ぎで、どうにも田舎町の付き合い辛いじいさんには見えない。田舎の労働者の普段着の格好はしているけれど、背広着れば英国紳士。

この映画の不思議な所は、1994年の映画なのに画面比が1.33:1のスタンダード・サイズな事。別にTV映画という訳でも無く、さっぱり意図は見えない。

ブルース・ウィリスはまだ髪の毛がそれなりにフサフサしている前期。無駄にアクション場面があるのが彼らしい。

この映画、何処に身を置くかで評価は変わるはず。歳を取ったポール・ニューマンか、彼の息子か、ポール・ニューマンを見守る周囲の知人か。結局何処にも身を置かず、何処かの日常の風景を眺めるだけだと、「ふ~ん…。」で別に盛り上がりも、感動も起こらず、流れていってしまうだけだった。ポール・ニューマンの存在と演技、豪華な俳優陣で見せるけれど、そこがなければ全く持って持たない話。

☆☆★★★

ステップフォード・ワイフ

2012年09月26日 水曜日

ニコール・キッドマン主演の映画「ステップフォード・ワイフ(The Stepford Wives)」。

仕事を首になったニコール・キッドマンが、旦那の提案でステップフォードという高級住宅街に引っ越すが、町の人々は出来過ぎた程に人の良い人達ばかりで異様な雰囲気を見せる。

これのおもしろい所は、アメリカ人男性、特に白人層の理想と言うか、典型的な成功例を分かり易く具現化している所。広過ぎる程の庭のある郊外の住宅地内の豪邸。妻は金髪でボインの白人女性のみ。そして常に夫に従順で文句をたれない。皆が同じな理想を持っているけれど、男性は薄ら禿ていたり、どうにも冴えない人ばかりで、だからな理想。
更に、リベラル層と保守層の考え方の違いと理想も見せている。始まりのニコール・キッドマンの作った番組からしてそうなのだけれど、リベラル層の働く女性にとっては男ってしょうも無く、女性は男性に縛られる事なく自由にする事が良いと考えているのが分かるけれど、保守層は伝統的な家庭生活が理想で、女性は家庭で夫の言う事を従順に聞く飾りや召使いの様な方が良いと、極端な考えを見せる。で、暴走して他人に自分の価値観を押し付けるのは何時も保守的な人間と、リベラル側が保守側を茶化すのもお馴染みの構図。その上、この映画では極端な男女の描かれ方で、女性は仕事も出来、賢く、美しいけれど、男性は単純で、馬鹿で、どうにも冴えないなんて極端な女性賛美。

その考え方の違いを非常に分かり易く見た目で見せているのは、皆の服装。町の人々は白を基調とした淡い華やかな色の田舎風、少し古めの型の服を着ているけれど、ニコール・キッドマンは黒を基調とし、如何にも都会のイケてる働く女性なシュッとした服を着ている。他にも町の雰囲気が変だと感じているベット・ミドラーも黒い服を着、服装でステップフォードに馴染んでいるかどうかを表現している。

ただ微妙なのは、ニコール・キッドマンがバリバリのキャリアウーマンだけれども家庭的でもあるというのを表に出す為に子供がいるのに、そこの子育ての部分は全くと言っていい程描かれない事。中盤以降子供が出て来なくなり、一切話に関わって来ないし。働く女性を描きたいなら別に子供いなくても良いのに、何で入れたのか不思議。
そして一番訳が分からないのは、見た目も駄目男っぽい冴えない男性陣が、何で綺麗で仕事も成功している女性と結婚出来ていたのかが不思議。結局、この町とは逆転している、妻の言う事聞く従順な夫だったからだからという事となのだろうか?この映画では全ての男性が常に間抜けでパッとしない。

ニコール・キッドマンは確かに綺麗。だけれど、ピンクの服に着替え、頭にピンクのリボンのカチューシャ付けても可愛らしさが全然無い。物凄い厳つい。綺麗なんだけれど、都会的な強さが物凄い出ていて、それが人物設定にはまり過ぎ。
ベット・ミドラーグレン・クローズ、そしてクリストファー・ウォーケンまで出て来て面子は非常に濃い。話を喰う位の画面の濃さ。

正直言って、SF的アイデアストーリーとしてはそれ程でもないけれど、アメリカの男女の社会的関係性と家庭内の関係性の男女の理想だけでなく、保守的かリベラル的かをもフェミニズム的に見せる事の方がおもしろかった。そこもコメディの一要素にしているのだけれど、本来の笑わせるコメディしてはファンタジー過ぎて、あんまりおもしろいモノでもない。

☆☆☆★★

マイ・ビッグ・ファット・ウェディング

2012年09月27日 木曜日

低予算映画だったけれど、ドンドンと人気が出、上映館数も多くなり、製作費の50倍以上を稼ぐ大ヒットとなった映画「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング(My Big Fat Greek Wedding)」。

アメリカのギリシア人の娘が古風な家庭で育ち、冴えなかったけれど男性に惚れたので自分を変え、新たな人生を歩き始めようとするけれど、ギリシア人家庭という事が障害になるコメディ。

この映画のおもしろさは、アメリカに住むけれどギリシア人として生きて来た、アメリカ人なのにアメリカ人との文化の差異で戸惑い、笑わせる所。ただそこの部分は、誇張しているだろうけれどアメリカに住むギリシア人ってそうなんだと、笑いよりもむしろ関心の方が高い。「へ~。成程。」というおもしろさ。
それにこの話って、少し前までの日本の田舎の家と都会の人との付き合いや結婚の話と似ているので、そんなに目新しさも無い。家族が多く色々口出しして来たり、しきたりや伝統だのでつまずいたり、結婚相手は地元の人間じゃないといかん!とか、日本でも良く見た、聞いた話。保守的で頑固な父親と、娘を応援しながらも夫を立てようとする母親とかも、まあ王道的、何処にでもある様な設定。

恋愛映画の部分では、主役の二人はそれ程綺麗でも、カッコ良くもなく、普通な男女の結婚物語として納得できる部分。ただ、結婚相手の男性が彼女のギリシア文化を物凄くすんなり受け入れる、優しい男性過ぎるきらいはあるかな。
でも良く考えると、この主人公の女性はアメリカ人の中でのギリシア系というマイノリティーだという部分を大きく取り上げているけれど、綺麗にしたら綺麗になるし、綺麗になったら意中の相手に早くもモテるし、賢く、仕事も出来るし、親はレストラン経営しているしで、何だ結構恵まれた女性じゃん。完全駄目な所からの這い上がりでも何でも無い。

主演のニア・ヴァルダロスは、全く冴えない女性が素晴らしい程はまっている。この映画の時点で40歳で、綺麗になっても普通なおばちゃんの感じで、ぴったりの役柄。
そして彼女は実際にはギリシア系カナダ人で、その後アメリカ国籍を取ったらしく、そのギリシア系カナダ人という経験を基に、この映画の元になった一人舞台劇を書いて自分で演じたそうだ。舞台劇も書き、演じ、この映画でも脚本を書き、主演と非常に多彩な人。この人なら、この主人公も全然納得する設定。

良く思う「この邦題は間違いじゃない?」というものこれでもそうで、「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」だと「大騒ぎの結婚式」というだけだけれど、原題は「My Big Fat Greek Wedding」で「大騒ぎのギリシア人の結婚式」で、内容的も原題の方が断然あっている。

この映画は、典型的なアメリカ人で、自分と文化的に同じ様な人と付き合っているならば、この文化の差異で驚いたり、衝突し合うのは目新しくおもしろいのだろうけれど、日本だと結構この様な感じがあるので、それ程でも無い。わたしもここまでとはいかないけれど、「そんな結婚相手は駄目だ!」と言われたという話を聞いた事もあるし、親戚大勢集まってワイワイ宴会とか、親戚集まったら方言で何言っているか全く分からず、外国語じゃないのかと思える謎の言語が飛び交うとか、全く食べた事無い料理、謎の植物ばかりの料理とか、イナゴの佃煮とか、その他料理がわんさか皿に山盛りで食べきれないとかという事を経験しているので、ドタバタコメディではなく、あるあるネタに近い「こんな事あるよね。」で、共感は強いけれど笑いはそれ程無かった。

この映画の人気で、更にこの映画後TVドラマ化もされ、「My Big Fat Greek Life」として放送された。ただこのテレビドラマは見た事無いけれど、何だか微妙な感じ。主人公女性は同じくニア・ヴァルダロス、親族も同じ役者が演じているけれど、結婚相手は別人。しかも名前が主人公トゥーラはニアに、男性もイアンからトーマスに変更。しかもこのドラマ、視聴率がそれ程だったようで、7話で打ち切りにあっている。日本語吹き替えでもDVDが「マイ・ビッグ・ファット・ライフ !」という、やっぱり「グリーク」を省いた題名で出ているけれど、見る気は…。

☆☆★★★

摩天楼はバラ色に

2012年09月28日 金曜日

マイケル・J・フォックス主演の1987年の映画「摩天楼はバラ色に(The Secret of My Success)」。

カンザスの農場育ちの若者が成功と都会に憧れ、ニューヨークに出て来くるけれど上手くは行かず、何とかしてのし上がろうと頑張る成功譚。

これって織田裕二主演のTVドラマ「お金がない!」。と言うか、「お金がない!」の元ネタがこれか。
雑用の仕事から抜け出そうと勝手に仕事を始めるのってどっかで見たなと思ったら「ワーキング・ガール」でも似た感じの展開だった事を思い出す。「ワーキング・ガール」の方がこの映画の後だけれど、1980年代ってこんな感じの成功コメディが多い。当時は皆この感じに乗っかれたのだろうけれど、今だと80年代のイケイケの時代の雰囲気が最早ファンタジー。まあ、全くへこたれず、常に押しまくりの人柄で全てが上手く行ったり、大学は出ているけれど会社での専門の経験が無いのに彼の計画が正解で、ハーバード出で大会社の重役会議にも出ている現役の社員が間違いって、話自体がファンタジー染みているのだけれど。それに、必死に職を探し奮闘するけれど、結局は血縁を頼った縁故採用っていうのも何だかな…。
マイケル・J・フォックスが誰にも相手にされないんだけれど、どう見てもマイケル・J・フォックスはカッコ良過ぎと言うか、可愛らしく、絶対に女性、特に若い女性はほっとかない見た目なのに、そこら辺の街の女性にモテる話とかは一切無い。その代わり、社長のおじさんの奥さんとしてしまうという、マイケル・J・フォックスが純粋なのか、性欲満々なアホなのか分からない出来事が出て来る。
その恋愛部分では、マイケル・J・フォックスが好きな女性は社長のおじさんと不倫関係で、マイケル・J・フォックスは社長の奥さんと不倫関係という四角関係。で、この映画の恋愛部分でも、仕事部分でも結論でもあるのは「金持っている女性と寝れば成功出来る」という、酷い結論。

ニューヨークと言う街が流行の最先端を行く大都市で、カッコ良さの象徴なんだけれど、この映画が1987年と思いっ切り80年代半ばなので、今見てしまうと非常にダサい田舎臭い街にしか見えないという大いなる欠点が。それと、この時代のニューヨークはまだ犯罪都市としての印象も強く、そんな場面も。

それに、如何にも80年代的な音楽とその使い方が物凄くダサい。30秒ほど場面繋ぎで流れる音楽とか、「フルハウス」とかのあの感じ。テレビドラマだとCMとかが入ったり、場面転換での音楽の使い方は分かるけれど、この映画ではしょっぱ過ぎる。このどうしようもない音楽に乗せてのドタバタコメディの最悪さと言ったら…。

この話や音楽が全然なのに、それなりに見えてしまうのはマイケル・J・フォックスの力意外の何物でもない。彼のこんな役でも嫌味を感じない素直で、素敵な若さ溢れる男性像が全て。彼を楽しむ映画。

80年代の雰囲気が満載だけれど、人物設定や話の展開まで、その80年代のバブル的浮かれポンチの雰囲気しかなく、まあ嘘臭く、出来過ぎた成功譚でしかない。80年代のSFとか、アクションモノはその80年代の雰囲気が上手く作用し名作が沢山あるのに、こういった若者の都会での成り上がりの成功譚って、まあつまらない。

☆☆★★★

太陽の下の18歳

2012年09月29日 土曜日

1963年のイタリア映画「太陽の下の18歳(Diciottenni al sole)」。

若者達が保養地で女性の尻を追っかけるだけの映画。

これがまた、クソつまらない。ただ、女好きのイタリア男達が女性に声かけまくり、大して相手にされないという事の連続。しかもこの男達、見た目が老けていて、皆30歳位は行っているんじゃないだろうかと思え、ただでさえ陽気なイタリア男が解放感で更に陽気ではしゃいでいて、そんなおっさんの浮かれポンチのナンパ話の何がおもしろいのか…。
コメディ部分も常に小寒く、滑りっぱなし。
急に曲を流し、登場人物は喋る事が無い特に意味無いという場面を長く、何回も差し込んで来て、何がしたいのか意味不明。

この映画を見たのは、Long Vacationがアルバム「SUNSHINE NOTE」の中で「太陽の下の18才」として「GO-KART TWIST」をカバーしていたから。その原曲を劇中歌で初めて聞いたけれど、歌い手ジャンニ・モランディの声がしゃがれ声で全然良くなく、そこの部分でもがっかり。

どうやらこの映画、イタリアのこの当時のアイドル映画らしく、特に内容も無い。しょうもない。つまらない。見るだけ時間の無駄。

★★★★★

今期のドラマは「ウォーキング・デッド」

2012年09月30日 日曜日

今期はTVドラマをやたらと見ていた感が。

地上波では「ライ・トゥ・ミー 嘘は真実を語る シーズン2」「CSI:ニューヨーク シーズン2」「特殊能力捜査官 ペインキラー・ジェーン」。衛星放送では「LOST シーズン1」「ミッシング」「ウォーキング・デッド シーズン1」と、「ミッシング」と「ウォーキング・デッド」は入れ替わりだったけれど、週5本。衛星放送の海外ドラマチャンネルDlifeを知ってから見る物が増えた。それに加え、昨年から始まった「兎に角映画を見る」期が来たので、ハードディスクにデータが溜まる溜まる。

で、今期のドラマで一番おもしろかったのは、やっぱり「ウォーキング・デッド シーズン1」。これは別に感想を記したのでそっちを。

「ライ・トゥ・ミー」や「CSI:ニューヨーク」はきっちりと毎回見せるドラマなので、毎回楽しく見ている。

「LOST」は以前地上波で放送していた時、一向に話が進まないのでイライラして途中で見るのを止めたけれど、改めてシーズン1を見ても、1シーズン使って人物紹介と、特に何か結論を見せる訳でもない振りばかりでやっぱり話が進まないので、そんなに必死こいて真剣には見ていない。それ位気軽に見た方が見続けるには丁度良いのかも。

で、微妙なのは「ペインキラー・ジェーン」と「ミッシング」。「ペインキラー・ジェーン」は見終わったので別記

「ミッシング」はアシュレイ・ジャッド主演で、ショーン・ビーンクリフ・カーティスとテレビドラマにしては豪華な顔ぶれで、内容的にもさらわれた息子を探す元CIAの母親という、サスペンスやアクションモノとしてのおもしろさがあるのに、それが一向に活きて来ないまま進み、どうにも盛り上がらない。全十話のミニシリーズなので最後まで見てみようとは思っているけれど、ダイジョウブか?

そう言えば、「Hawaii Five-0」も見てはいたのだけれど、中盤辺りになっても大しておもしろく感じられなかったので途中で見るのを止めてしまった。