トリプルX

2021年10月24日 日曜日

ロブ・コーエン監督、ヴィン・ディーゼル製作総指揮・主演の2002年のアメリカ映画「トリプルX(xXx)」
二作目「トリプルX ネクスト・レベル」はヴィン・ディーゼル主演ではなく、アイス・キューブ主演となり、十五年後の2017年にヴィン・ディーゼル主演で「トリプルX:再起動」が製作された変わったシリーズの一作目。

アメリカ国家安全保障局はチェコの犯罪組織を追っており、スパイを潜入させたが正体がばれてしまい失敗。
正体がばれない様に犯罪者を潜入させようと考え、自動車を盗難してエクストリームスポーツを行いサイトに動画を配信しているエックスことザンダー・ケイジを捕縛し犯罪の帳消しを条件に犯罪組織に潜入させた。

この映画は「007」のジェームズ・ボンドを無法者の若者に変えてみたという内容で、アクションは派手だし、結構おもしろくはあるものの、そんなに主人公の設定が活かされている気がしなかったし、変にスパイモノに寄り過ぎた為に中盤があんまりおもしろくなかった。

発想として敵に全く気付かれずに潜入するなら本物の犯罪者というのは分かるし、エックスがチンピラ界隈で有名なのですんなり相手を信用させられるのはおもしろい。
ただ、エックスがエクストリームスポーツの専門家なのに、それを活かしたアクションが序盤と終盤位にしか出て来ず、中盤はずっと誰が信用出来る出来ないだの、実はあの人も潜入していたスパイだの、誰が裏切っただのの話で、そんな事いいからアクションを見せろよ!と思ってしまう。
何の為のエックスの人物設定なんだろうか?と思えて来てしまった。

エックスも初めの高級スポーツカーからのダイブとか、飛行機からのスノーボードとかはおもしろかったけれど、最後の船でのアクションは大しておもしろくなかったし、もっともっとエックスを活かせれるはずだと思って非常に勿体無い感じ。

役者はサミュエル・L・ジャクソンが出ているけれど、役が頬に傷があったり、かつらを付けていたりと非常に分かり易い、悪く言えば臭過ぎる、しょっぱ過ぎる役にしてしまっていて、変な役付けが邪魔、
わたしの印象では他の映画でもサミュエル・L・ジャクソンが出て来るとしょっぱさが出てしまう気がしている。

他には序盤のコロンビアの場面ではダニー・トレホが出て来てマチェーテを持っていて、おっ!と思ったら直ぐ死んでしまって、ダニー・トレホっぽい起用。

この映画、設定は中々良いし、見た目も派手でおもしろさはあるのだけれど、何かが物足りないという如何にもロブ・コーエンな映画。
ヴィン・ディーゼルも「ピッチブラック」や「ワイルド・スピード」の次の映画がこれで、段々とアクション俳優のスター街道を登っているけれど、弾ける悪ふざけのチンピラ感も無いし、アンチヒーロー感もそんなにだし、アクションで見せると言う訳でもなく、何か今一つ物足りない感じ。
それにしてもこの映画の一番の魅力だったヴィン・ディーゼルが降板したのに続編が作られたのも謎だし、十五年後に再びヴィン・ディーゼルが出て三作目が作られたのも謎。

☆☆☆★★

狼牙 -ライジング・フィスト-

2021年10月23日 土曜日

ウー・ジン監督・脚本・主演の2008年の香港映画「狼牙 -ライジング・フィスト-(Legendary Assassin)」

ボーはある島のマフィアのボスを殺して島を出ようとする。
しかし台風で船が出ずに立ち往生するボーは偶然一人の女性警官と出会う。
彼女と食事に出かけた先で偶然犯罪者と出会い襲われるが、彼らを叩きのめして女性警官を助ける。
女性警官が勤務する警察署でボーは受け入れられるが、マフィアのボスの死体が警察に見つかり、怪しさからボーは警察に追われる事となる。

何となく香港のアクション映画だから見てみた。

話は本来敵対するはずの犯罪者と、彼を犯罪者とは知らない女性警官の恋愛が中心となっていて、如何にも香港映画的な哀しい感じの恋愛モノ。
だけれど、そこに派手なアクションを散りばめているというこれまた香港映画的。
これがおもしろいかと言えばそうでもなく、つまらないかと言えばそうでもなく。

恋愛部分も犯罪モノとしても偶然が多くて都合が良く、偶然二人が上手い事出会って、偶然出会った犯罪者と戦って警察の信用を得て、何故かほったらかしのままのマフィアの死体が偶然見つかったりとか、まあ話を回すのが主目的な偶然展開に、はぁ…と乗って行けず。
この見せ方だと初めの時点で主人公と女性警官が出会って、主人公は最後に死にそうだなぁと思えてしまうし。
それに突然警官が死んでしまったり、あれだけ警察署の人間の役を立てておいて、その後は全く登場しないとか、脇役の扱いが雑だし。
結局マフィアのボスの奥さんが日本人という謎設定も謎のままで何の意味があったのか…。

アクションはウー・ジンは中々良くて、足技中心で派手。
最後の主人公一人対百人とかはやり過ぎでおもしろかった。
夜の暗い中で雨が降っており、ワラワラと敵が襲って来るのって「マトリックス」とかを意識しているんだろうな。

アクションで気になったのは、この映画は膝大好きな事。
ウー・ジンの飛膝蹴りや両膝攻撃もそうだし、敵も膝をやられてガクガク状態だとほぼ死亡。
主人公も膝をやられると急に弱ってしまうとか、どんだけ膝好きなんだよと。

ウー・ジンは度々黙って棒立ちでいる場面があるのだけれど、これが何か笑ってしまった。
ウー・ジンが物凄くアンニュイで、戦う前の余裕感なのか何なのかよく分からず、ただぼっーと立ちすくんでいるだけの様に見えて、わたしには何故かおもしろく見えてしまった。

この映画、アクションに哀しい恋愛を足した香港映画で何か懐かしい感じ。
アクションは結構おもしろいし、派手なアクションを入れたVシネと思うと良く出来てはいるとは思った。

☆☆★★★

拳精

2021年10月21日 木曜日

ロー・ウェイ製作総指揮・監督、ジャッキー・チェン主演の1978年の香港映画「拳精(Spiritual Kung-Fu)」

少林寺で保管されていた七殺拳の武術書が何者かによって盗まれてしまう。
七殺拳は残酷過ぎる拳として少林寺では習得が禁止されていた。
七殺拳の武術書を手に入れたロク・チンは武林の総帥となるべく七殺拳を習得し、総帥候補の武術者達を次々と殺して行った。
七殺拳に勝てる五獣拳は存在していたが五獣拳の武術書は百年前に紛失して行方が分からなかった。
少林寺で修行をしていたイーロンは少林寺での幽霊騒ぎの中で偶然五獣拳の武術書を発見する。
幽霊だと思ったのは五獣拳の五人の拳精で、イーロンは彼らから五獣拳を学び始めた。

久々にジャッキー・チェンの映画を見た事もあり、まだ初期の若い時代なので、まず何よりもジャッキー・チェンがジャッキーちゃんに見えて仕方なく、常にニヤニヤ状態になってしまっていた。
ただ若い時のジャッキー・チェンだけあって流石に体も動きも切れ切れだし、五獣拳の龍・蛇・虎・鶴・豹の五種の拳を魅せる贅沢さに加え、棒術やトンファーを使い十八羅漢と戦ったりするのだからカンフー映画としておもしろい。

しかし、話自体はヘンテコで、てっきり七殺拳を巡る抗争や五獣拳を習得する修業等の真面目な話になるのかな?と思ったら、その後も何の説明も無い隕石?が少林寺に突然落ちて来て、それの影響で白塗りで赤髪で何も喋らず、通常は人間に見えない五人の拳精が現れ、この拳精の人間への悪戯が延々と描かれる。
これがおもしろいかと言えば別におもしろくはなくてしつこい。
その後は、何だかよく分からない少林寺の人々の暗殺が続き、それまでは結構真面目なイーロン対ロク・チンの戦いから、何だかよく分からない黒幕の発表後は五人の拳精も参加しての笑いのカンフーアクションになって終わると言う雰囲気が場面場面でチグハグで、良くも悪くも昔の香港映画。

ただ、敵との戦いの途中で師匠が「その技は?」と質問したら、ジャッキー・チェンが攻撃を止めて気を付けして説明しようとしたら敵にぶん殴られるというやりとりは、そりゃそうだろうで笑ってしまった。
それに、ジャッキー・チェンと五人の拳精の修業場面とか、一人で練習しているジャッキー・チェンを五人の拳精が寝っ転がって見ている場面とかは妙にほっこりもして好きだった。

この映画、アクションは結構おもしろいし、戦いを至近距離で撮影をしてカメラに手足が寄る映像とか、所々でおもしろい映像もあったりして結構楽しめた。
このカンフーとか設定だったら、何だかよく分からない五人の拳精出さずに武術書を読んでの修業にして真面目方向に持って行けば結構名作になったと思うのだけれど…。

☆☆★★★

ダーク・スター

2021年10月20日 水曜日

ジョン・カーペンター製作・監督・脚本・音楽、ダン・オバノン脚本・編集・主演の1974年のアメリカ映画「ダーク・スター(Dark Star)」
元々はジョン・カーペンターやダン・オバノン等が作った学生映画だったのを長編映画にした映画。

人類が恒星間航行を実現した未来。
偵察船ダーク・スター号は植民地化の障害となる将来恒星に引き寄せられてしまう様な不安定惑星を爆弾で爆破・消滅させる任務を長年行っていたが、ダーク・スター号は老朽化で故障が多くなっており船長も事故で死亡していた。
航行中のダーク・スター号は宇宙嵐に遭遇し船内の機器が故障。
爆弾に間違った指令が伝わり、何度も爆破命令が取り消されていた。
不安定惑星に到着し、実際に爆弾を発射する段階になり爆弾の切り離し装置が故障して船体から爆弾が離れないまま起爆準備に入ってしまった。
マザーコンピューターからの指令や説得も聞かなくなった爆弾に乗組員達が説得を始めた。

ジョン・カーペンターの初監督映画という事で見てみた。
序盤の空虚な宇宙での生活が、これを宇宙モノのSFでやるので今見ても新鮮味があって捕まれてしまったけれど、中盤辺りから何ともヘンテコなコメディなのか分からない映画になって頭の中がウニャウニャして、笑うでもなく、真剣に見る訳でもなく、勝手に映画が突っ走って行って結構置いてけ堀にされてしまった。

序盤は乗組員は自分達の仕事にしか興味が無く、知的生命体がいる可能性が高い星にも興味が無く、狭い宇宙船の中で同じ面子と延々と顔を合わせ続けて飽き飽きしており、他の乗組員が興味も無く誰も聞かない話を一人でし、何も起こらない移動時間の間の退屈さを紛らわせるだけの空しい時間が延々と過ぎて行く生活を見せて、わたしはこれに捕まれまくり。
SFではあるけれど描いているのは何時の時代でも繰り返される普段の生活に落ち込んだ人々が感じているだろう日常の虚しさを描いていて、これを宇宙モノのSFでやってしまう事が抜群におもしろく、この感じをずっと見てみたい!と思ってしまった。
この当時って、1968年に「2001年宇宙の旅」があって、1977年の「スター・ウォーズ」とかのSFブームに行く時代で、まだ明るい未来のSF感が大きかった時代だと思うけれど、そんな中でこんな空虚を描いたSFをやっているって凄い。
「トイレットペーパーが切れた」と言う台詞とかがとても現実的な台詞で、この当時のSFでやっちゃうのも凄い。

この掴みが抜群で、この映画はこういう鬱々とした日常のSFかと思っていたら、突如ビーチボールに足を付け足しただけのエイリアンが登場して、何じゃこりゃ?と混乱。
しかも、このビーチボールエイリアンを捕まえる為の追いかけっこが長く続き、よく分からないエレベーターでのドタバタや、エレベーターの穴に詰まってしまってからの爆発コントとか、最終的に麻酔銃を撃ったらビーチボールからガスが抜けてしぼんでしまいました…で終わってしまい更に混乱。
その後も宇宙船のマザーコンピューターが爆弾に搭載された自我のあるコンピューターを説得したり、乗組員が船外に出て行って爆弾に説得したり、最終的に宇宙サーフィンで大気圏突入したりと、もう訳が分からない。
見ていてヘラヘラ笑ってしまう面白さはあったけれど、これって何処までが笑かそうとしているコメディをやっているのか、真面目に何かを見せようとしているのかが分からず、ドンドンと頭の中がウニョウニョしてしまった。
ただ、宇宙サーフィンでの大気圏突入は見た目的には抜群に良いし、ニヤニヤ出来るんだよなぁ。
ジョン・カーペンターの映画では「エスケープ・フロム・L.A.」でも突然のサーフィンをやったりしていたけれど、これって真面目な場面からの落差で笑かそうとしているのか、アクション映画でよくある敵からの弾は主人公には一切当たらず無限弾での銃撃戦的な現実の現象無視でとにかくその場の盛り上がりやカッコ良さを優先した場面なのか、どうなんだろう?

あと、その大きな爆弾だと二十基も入らないだろうという大きさなダーク・スター号のデザインは素っ気無い感じが結構好き。

主演のダン・オバノンは脚本も書いているけれど、この映画の五年後にダン・オバノンは「エイリアン」の脚本も書いていると知ってから見ると、ダン・オバノンの五年に何があったの?と思ってしまう。
この映画と「エイリアン」では予算が違い過ぎるし、確かに急に現れて害をなす得体の知れない存在という部分では全く同じではあるけれど、このビーチボールエイリアンから「エイリアン」って、同一人物とは思えないよなぁ。

この映画、初めの宇宙船での空虚な生活でガッチリと掴まれた後に、何だか分からない事の連続で頭の中がグチャグチャになるけれど、見終わると何かサッパリとするという物凄い変な映画で、ジョン・カーペンターのヘンテコではあるけれど何とも表現し難いおもしろさって初めからだったのか。

☆☆☆★★

ネメシス

2021年10月17日 日曜日

アルバート・ピュン監督、オリヴィエ・グラナー主演の1992年のアメリカ映画「ネメシス(Nemesis)」

2027年。バイオ技術やサイボーグ技術が普及し、体の一部を機械化したサイボーグが一般的になっており、そのサイボーグを危険視した一団がテロリストとなっていた。
アレックス・レインはロサンゼルス警察の警官として犯罪者サイボーグを殺害していたがテロリストの一団と出会い銃撃戦になり重傷を負った。
体の多くをサイボーグ化したアレックス・レインは警察を辞めて裏社会で活動し始めるが、警察の上司だったファーンズワース長官に捕まってしまう。
ファーンズワース長官はアメリカ大統領と日本の総理大臣の会談の警備プランをアレックス・レインの元上司ジャードが盗み出しテロリストに売り渡そうとしているのでアレックス・レインに止めて欲しいと依頼する。
アレックス・レインは引き受ける気は無かったが、心臓に爆弾を埋め込まれてしまい渋々ながらジャードを追う為に東南アジアへと向かった。

映画が製作された1992年から35年後の未来が舞台で、バイオ技術やサイボーグ等SF要素はあるのに一切2027年には見えない1992年そのままな映像だけでも低予算映画だと分かる映画。
低予算でも発想や話がおもしろければ問題は何もないけれど、この映画は部分部分でおもしろい所はあるものの、話はよく分からないままグダグダと続いておもしろくはなかった。

SF技術が発展している割に予算を抑える為だろうけれど街並みとかの背景や自動車等の大型の道具のSF感は無く、ほぼ1992年そのまま。
まだ、衣装とかでSF感を出す方法もあるけれど、主人公はロングコートにサングラスと言う香港ノワールっぽい出で立ちで、他の人達の衣装も1980年代臭がプンプンする服装ばかりで、そもそも見た目の雰囲気で近未来SFにする気はなさそう。
体のほとんどが機械化したサイボーグが多く登場するけれど、機械部分が見えるのは銃撃で殺された時に金属部品やコードが見える位で、ほとんどの場面は「サイボーグだ」と言う台詞だけで、見た目は完全に普通の人間ばかりで、この部分でもSFにする気はない。
じゃあ話でSFにするかと言えば、サイボーグと人間との戦いが軸になるのに、どちらも見た目は人間なのでサイボーグ対人間感がない。

そもそも体の一部が機械化したのがサイボーグなのに、何で機械化していない生身の人間といがみ合って殺し合いをしているのかがよく分からなかった。
サイボーグ化出来る人間は裕福で、生身の人間は貧しいので機械化出来ずに怪我や病気でも生きられないみたいな話があれば納得は出来るけれど、サイボーグと人間との対立に関して説明が無いので何なのかもよく分からないまま。
わたしの感覚だとサイボーグ対人間って、全部の歯がインプラント人間対永久歯のまま人間の対立と大して変わらない位にしか感じられず、何で対立しているの?なんだけれど。

後半になって、人間を殺してその人物になり切った完全機械が登場して、そのロボットが人間を抹殺して世界を支配しようとしているという話になるけれど、このロボットも何故人間を殺すのか?とか、何故世界を支配しようとしているのか?とかを描いても、説明もしないのでよく分からず。

この映画のSF要素って、当時の他の映画やSF小説等で扱っていた「機械と人間の違い」とか「人間の手を離れたロボットの攻撃」とかの題材の上っ面だけを寄せ集めて押し込んで、それっぽいSFにはなってはいるけれど、本来主題となる部分の理由や説明を何もしておらず、それっぽいだけという仕上がり。
この映画はそんなSF部分が見せたいのではなく、銃撃戦や爆破をやりたいという派手なアクション映画を作りたいという方向性なんだと思う。
サイボーグなので撃たれても少しだけ銃弾に耐えて銃をぶっ放し続ける。
銃は弾倉に何発入っているの?な無限弾で、ショットガンでも何十発と撃ち続ける。
外に出ると急にあちこちが大爆発し、拳銃撃ったら着弾した所が大爆発。ショットガンも遠距離でも大爆発。
そして、この映画の一番の見所だったのが、敵に追い詰められた主人公が室内から逃げ出す為に床を円状に撃ち床を抜いて下階へを繰り返して一階まで降りて逃げ出す部分。
こういうハチャメチャな銃撃戦を見せたかったのか…とは分かるけれど、だったらSF要素は無くても全然いいし、まったりして何のこっちゃな話もいらなかったと思ってしまう。

あと気になったのが、登場人物達の髪型。
時間が経過したという意味があるのか、映画内で何ヶ月後とかの時間が飛ぶと主要登場人物達の髪型が違っている。
髪型がコロコロ変わるので次にその人が出て来ても前の人物と同一人物と全然気付かなかった。
長官とか主人公さえも違う場面では長髪ボサボサから短髪とかキッチリ整えていたりして見た目が全然違い、名前を呼ばれるまで誰これ?と思っていて、このわざわざの髪型変更って余計な気がした。

この映画、本当にSFはお座なりで、派手な銃撃戦を見せたかったならSF要素は邪魔だし、SF要素を入れて派手な銃撃戦をするのにサイボーグだから銃撃に耐えるとか、主人公が銃弾受けまくってボロボロになりながらも生き延びて撃ち返すとかが少な過ぎてやっぱりSF要素はいらない気がした。

☆☆★★★