スカイライン -奪還-

2021年10月06日 水曜日

リアム・オドネル監督・脚本、フランク・グリロ主演の2017年のアメリカ映画「スカイライン -奪還-(Beyond Skyline)」
2010年の「スカイライン -征服-」の続編。

刑事のマークは喧嘩で逮捕された息子を引き取りに行き、二人で地下鉄で帰っている途中で大きな振動が起こり地下鉄が止まってしまった。
マークは乗客を引き連れて地上へと出ようとするが、地下鉄の運転士の無線からは「光を見るな」と聞こえる。
地上に上がろうとする出入り口から青い光が差し込み、その光を見た人は茫然自失となり光に向かって歩き出した。
街の上空には巨大な飛行物体が飛んでおり、光を見た人々が吸い込まれていった。
止めようとした息子も光を見て同じ様に歩き出したのでマークが助け出すが、近くには得体の知れない生物がおり攻撃をして来た。

一作目の「スカイライン -征服-」を見たはずで、このブログを調べてみたら2014年に見ていて、どんな映画だったかさっぱり覚えていなかったけれどブログの感想を見て少し思い出し、たまたま一作目から七年後に作られた続編をわたしも一作目を見てから七年後に見てみた。

一作目の「スカイライン -征服-」はアパートメント内でのグダグダした人間模様に謎の宇宙人の侵略を描いた話だったのが、二作目のこの「スカイライン -奪還-」は一作目の特殊な状況下の侵略モノSFをまるっきり無視して、謎の宇宙人の侵略の設定だけを使った別物映画にしている。
これが一作目をおもしろく発展させていたら続編の意味もあるけれど、常に何処かで見た様な在り来たりな侵略モノでしなかなくて、何故わざわざな続編なんだろうか?と疑問に思える続編。

脚本がおもしろくはないし結構ヘンテコで、始まりの地下鉄に乗っていて宇宙人の襲撃から助かるというのは在り来たりな上に特におもしろい事になる訳でもなく、結局は宇宙人に捕まってしまうし、中盤からは突然舞台がラオスになり、イコ・ウワイスのアクション映画になるという訳の分からない展開。

序盤で盲目のじいさんが出て来て、目が見えないので光を見ずに助かるけれど、その盲目設定がそれ以降活かされる事も無いのに何故か長々と生き続け、エイリアンに刺されて死んだと思ったら生きていて、その後宇宙船から脱出するとすぐに死んでしまって、何の意味の助かったからの死んだなのか、この人物を何の意図で出したのかさっぱり分からない。

終盤ではそれまでそんなに強くはなかった主人公の刑事が二度目の武器装備になると急に強くなるし、中盤からの突然の登場で話的には必要無いラオスの反政府組織?のイコ・ウワイスは普通のナイフでエイリアンをバッタバッタと簡単に倒して行き、イコ・ウワイスが急に第二の主人公になっているし、話の流れ上本当に必要も無い名も無き捕虜にしたラオスの警察の一人もやたらと強くて運転士よりも見せ場があり、この三人の無敵アクションを見せたいが為に取って付けた様な見せ場になっていて、今までの話なんて必要無くて、こういうエイリアン対無敵の東南アジアアクションをやりたかっただけに思えてしまう。

元々の一作目の「スカイライン -征服-」がそうだったとは言え、あれだけの技術力がある宇宙人が地球人の脳みそを使わないと配下を作り出せないという技術力の低さとか、脳みそが必要無い他の個体も十分あるじゃんとか、人間の脳みそを入れたので人間の精神が残っていて反撃出来るという発想からの全体の話の軸にしているからヘンテコ技術になっているんだろうなぁというツッコミが強くて、非常に安っぽいエイリアン。

主人公がたまたま辿り着いた所に生物学や生理学に詳しい科学者がたまたまいて、宇宙人の遺伝子レベルの情報や全く新しい宇宙人と地球人のハイブリッドの情報もサッと分かって、対抗策をサッと出せて、サッと宇宙人を倒せちゃうって解決方法のお手軽さったらない。

ただ、この映画で一番凄かったのは、一作目の「スカイライン -征服-」の主人公夫婦が登場してその後が描かれるけれど、その二人の説明の為、一作目の「スカイライン -征服-」のアパートメント内でのグダグダした人間模様を一切省き、一分程で映画のあらすじと結末を見せてしまう所。
全く忘れてしまっていたわたしでも、このダイジェストで一作目の「スカイライン -征服-」がどういう映画か理解出来るという素晴らしさ。
逆に言うと、一作目の「スカイライン -征服-」ってこれで済んじゃう様な、そんな映画。

この映画、見ても不思議な事ばかり。
何故七年後の続編?
何故一作目の製作・監督だったストラウス兄弟は監督じゃあなくなっての続編?
密室劇の人間ドラマと宇宙人侵略を合わせた一作目の特色部分を無くして、在り来たりな宇宙人侵略モノで続編?
前半と中盤からで舞台も話も全く違い、最終的にアクション映画になり、最後は宇宙戦争って雰囲気グチャグチャ。
まるで監督・脚本のリアム・オドネルがやりたい事を継ぎ接ぎして詰め込んだだけの映画の様。

☆☆★★★
 
 
関連:スカイライン -征服-

ANON アノン

2021年10月03日 日曜日

アンドリュー・ニコル製作・監督・脚本、クライヴ・オーウェン主演の2018年のイギリス映画「ANON アノン(Anon)」

全ての人々の個人情報がデータ化されて収集され、見た物や記憶が全て映像として記録される世界となっていた。
刑事のサル・フリーランはある殺人事件を担当する事になるが被害者の死ぬ間際の見た映像は何故か犯人からの見た映像となっており、記録が改ざんされていた。
他にも同様の殺人事件が発生しており警察は捜査を続けていたが、捜査の中でサル・フリーランは犯人らしき人物に遭遇。
犯人を追うがサル・フリーランはハッキングされてしまい、今見ている物が現実とは違う映像に置き換えられてしまった為取り逃がしてしまう。
サル・フリーランは犯人が被害者の記録を消去したり、上書きして捏造したりしている事を知り、サル・フリーラン自らが犯人の顧客として直接会う為に経歴を書き換えて接近しようとする。

全ての人間の素性が収集されてプライバシーの存在しない世界となり、見るモノ全てが記録され、犯罪も直ぐに知られて解決してしまう世界で、その一番確かな見た映像が書き換えられてしまったらどうなるのか?というSFサスペンス。

人々が情報にアクセスするのは目を凝らすだけなので、皆が常に中空を見つめているという誰もが虚ろな感じで、映像も全体的に灰色がかっているし、建物はコンクリート打ちっ放しが多くて、全体的に薄ら寒い虚無感が充満していて雰囲気は良く出て来ている。
今と変わらない街並みに白いワイヤーフレームや文字を重ねるだけで見た目に近未来SFにしてしまう発想の良さや、人物は何もせずに一点集中で静止状態でも実は頭の中、目の中で色々とやっているという演出もおもしろい。

この見た目の映像の演出はゲームの「ウォッチドッグス」にバリバリ影響を受けているんだろうなぁと思ったし、その人の見た目の映像は完全にFPSゲーム。
特に銃を構えている場面はFPSそのもの。
ただ、見た目の映像が映画のカメラで撮っているので仕方ないとは言え、人間の見た目なのに視野角が狭い気がしたし、非常に滑らかに動いているのは違和感。
多分本当に人間の見た目のままの映像だと、顔は動かすし、顔は止まっていても目だけキョロキョロ動かして視点の移動は早いので、映像化するとブレまくるし、視点があっちゃこっちゃに行ってグッチャグチャな映像で見難いだろうなぁ。

話はこの設定さえ受け入れてしまえばサスペンスとしておもしろいし、主人公の刑事がハッキングを受けて現実と見ている物が違うという怖さもおもしろく見れた。

ただ、SF部分はほとんど説明が無いので都合がいいだけになってしまっている。
この仕組みはソフトウェア部分しか登場せず、ハードウェアは一切登場しないので、ハードウェアを物理的に接続を切ればいいだけだったり、外部の記憶媒体に保存すればいいとかの話を「それは無理」にしてしまっている。
この仕組みが全員に行き渡っているし、ハードウェアが存在しないので結構な未来かと思うけれど、街並みはそんなに未来でもなくてほぼ現在なので、この仕組みの導入が疑問になって来る。
何故全員が受け入れているのか?
何故導入していない人はいないのか?
物理的に目の中、頭の中のハードウェアを除去する人がいないのか?等々、疑問ばかり。
謎の女ANONも騙したくはないと言う理由は分かるけれど、あれだけの大きな町に住んで行動しているのにエラーが出ていれば気付かれるし、気付かれない様にANONが映った映像を消しているけれど、それを気付かない警察は間抜け過ぎるし、そもそも記録を管理している所やプログラムが穴だらけ過ぎて、この世界のセキュリティーがざる過ぎ。

話もこれだけの振りを入れておいて、わざわざANON目線の殺人映像を作ってまで何故ANONに罪を被せたのかが結局よく分からないし。
ストーカー化してしまって、ANONに対する嫌がらせをしていたという事?
この事件の結末は描き方もお座なりで、そっちではなく見た映像の記録の現実や非現実と匿名性の事を描きたかった感じが強くて、それだったらもっとそっち寄りで推理部分をもっと分かり易くすればいいし、変に推理モノにしなくてもよかった様な気がした。

この映画、見ている時は映像と演出の力でスッと入って来てつまづく事無く見れておもしろかったのだけれど、後から思い返すと話を進める為の都合の良さが気になってしまって急に出来が良くない様に感じてしまった。

☆☆☆★★

キングオブコント2021

2021年10月03日 日曜日

毎年の恒例なので「キングオブコント」を見たけれど、最早ワクワク感や爆笑は無くなってしまった。

何だか眠たい気がするとか、おなかがすいた気がするという、見た日のその日のわたしの体調の問題もあるけれど、最近はラジオばかりでテレビを余り見ず、お笑いネタ番組でも二時間三時間を一気に見ると集中力が続かないので録画で半分に分けて違う日に見ている状態だけれど、「キングオブコント」を分割して別日に見ると意味が無いと思って二時間半位を一気に見てしまうと中盤位からわたしの集中力が続かなくなり、最後の三組になると結構気もそぞろになってしまい、笑う為に見ると言うよりも、見終える為に見るという義務感が出てしまって楽しめていないという事もあった。

それに、以前の「キングオブコント」って、テレビで結構活躍している中堅も含めて出場していて、題名通りの「キングオブコント」感があったけれど、最近は若手の登竜門的な大会になっている感じで、しかも今回審査員を若返らせてしまったので深夜のネタ番組感が物凄く出てしまって興味が湧かなかった事もあると思う。
「キングオブコント」って見た目や宣伝を派手にし、歴史を重ねて重みのある賞になるはずが、ドンドンと若手お笑い界向けの内輪のバラエティ番組感を感じてしまって、お金かけて派手にゴールデンタイムでやる必要を感じなくなって、本当に深夜でやれば良い様な気がしてしまった。
別に各組のネタがおもしろくなかったわけじゃあないけれど、番組的にはその前の「ザ・ベストワン」の方が笑ったし、満足感は高かった。

孫文の義士団

2021年09月30日 木曜日

テディ・チャン監督、ドニー・イェン主演の2009年の香港・中国映画「孫文の義士団(十月圍城/Bodyguards and Assassins)」

1906年の香港。豪商のリー・ユータンは革命家の孫文を支持する団体に寄付をしていたが、息子が革命思想に共感して運動に加わる事は認めていなった。
そこに中国各地の指導者と蜂起の会議をする為に孫文が香港にやって来る事になった。
それを知った清王朝は孫文を殺す為に暗殺団を香港に送り込んだ。
孫文を護衛するはずだった一団は暗殺団によって殺されてしまった為、リー・ユータンは孫文を守る為の義士を集め始めるが暗殺団の注意を引く為の孫文の身代わりがリー・ユータンの息子に決まってしまった。
孫文が会議を行う一時間の間だけ暗殺団の攻撃をかわす為の作戦が開始された。

Amazon プライムビデオの配信が終わりそうで、ドニー・イェンが出ているというので見てみた。

前半中盤はたっぷりと激動の時代の岐路にいる登場人物達の背景と想いを描いてリー・ユータンを中心とした群像劇の人間ドラマが展開し、終盤で今までの登場人物達対暗殺団の対決のアクションになるというちょっと変わった構成で、重厚かつ娯楽カンフー映画が合わさった様な映画になっている。

中盤まで各人の背景や思いを描いて終盤の孫文護衛作戦に至る理由や気持ちを見せて戦いを盛り上げる為の丁寧な振りをこれでもかとやるけれど、結構分かりやすく死亡フラグを立てまくりで、泣きに持って行く脚本や演出があざと過ぎて、見ていても「ああ、死んじゃうのね…」とちょっと覚めてしまった。
死亡した時に名前と出身地と年齢が出て来る演出は笑ってしまった。
最後の孫文が泣いているのも登場人物達が死んで行ったから風だけれど、孫文は登場人物達とほぼ顔も会わせていないので、終わりの演出があざとく感じてしまった。

詳しく各登場人物を描いている割に描かれずに分からない部分も結構あり、リー・ユータンは孫文派を支援している割に初めは革命に興味が無い風で、むしろ迷惑がっている様な感じで、息子の運動も大反対で、じゃあ何故支援していたの?と疑問に感じてつまづいてしまった。
ドニー・イェンも一介の警察なのにやたら強いのは何故?とか、子持の元妻が大金持ちの側室になっているのは何故?とか、鉄扇使いのリウ・ユーバイは過去に言及するけれどアヘン中毒でほぼ運動もしていないのに何故あれだけ強いのか?とか、敵の将軍もかつては西洋の教育を受けたけれど何故か清朝について、何故あれだけ強いの?とか、説明不足な部分が結構あり、思わせ振りな人物にする為に設定を後から放り込んだ感じ。

終盤の戦いでは重力無視・人間技を超えた香港カンフーアクションになり、これはこれで各人に見せ場もあっておもしろいのだけれど、それまでの真面目な人間ドラマからすると物凄く浮いてしまっていて、娯楽カンフー映画に行ってしまった事が仇になってしまっている。
娯楽カンフー映画が目的だと、そこまでが結構長過ぎだし、人間ドラマが目的だとこのカンフーアクションが邪魔に感じてしまい、上手く混ざり合っていない気がした。
ドニー・イェンはまだそこまでに身軽さや暗殺団との確執も描かれていたけれど、鉄扇使いは行き成り出て来て一人ではっちゃけた立ち回りをして、この人物もアクションも少年漫画的武侠映画的なやり過ぎ感があって、特に浮いていたし、他の登場人物との関りも薄くて、この人物だけ後からねじ込んだ感じがしてしまった。

役者陣はドニー・イェン以外はよく知らないので特に先入観も無く見れたけれど、多分もっと役者を知っていると、この人がこの役しているのか。とか思えておもしろいのだろうとは思った。
あの長身の臭豆腐役のメンケ・バータルって、バスケットボール選手だと後から知ったけれど、ずっとスリムクラブの真栄田賢に見えて仕方なかったし、リー・ユータン役のワン・シュエチーにゃんこ祭りでお馴染み桐畑トールに見えて仕方なく、ワン・シュエチーがやたらと驚く顔が多くて、ずっと桐畑トールが顔芸していると思えてしまってニヤニヤしながら見てしまった。
敵の将軍役の人って、禿げ頭の辮髪で眉毛も無くて、てっきり映画「少林寺」や「少林寺2」で悪役を演じていたチー・チュンホワ(計春華)だと思っていたら、フー・ジュン(胡軍)という人で全然別人だった。
この役はチー・チュンホワの影響ってあったのだろうか?

一つどう判断していいのか分からなかったのは、この映画が孫文を守るのが題材なので孫文が素晴らしい人として描き、多分孫文の考えをそのまま描いているのだろうけれど、それって傍から見ると今の中国共産党への皮肉にしか思えなかった事。
中国共産党は孫文の意思を引き継いでいるのだ…なのか、そこに中国共産党への批判や皮肉を上手く仕込んでいるのか、どっちなんだろう?

この映画、歴史の大きなうねりの中ので生きた人々を描いた人間ドラマの群像劇としては結構あざといけれどおもしろくはあり、それとは別物としてカンフーアクションもドニー・イェンのパルクールみたいな逃げる場面とかのアクションもおもしろくはあったけれど、人間ドラマとしてはアクションはやり過ぎで浮いていたし、アクションを見せるにはそれまでが長過ぎて間延びした退屈さを感じてしまうし、もっとどっちかに割り切った方がいい様に思えてしまった。
わたしはカンフーアクションが好きで、そこ目当てで見たけれど、カンフーアクションを切り捨てる位の人間ドラマに振り切ってもよかった様な気がした。

☆☆☆★★

マネーモンスター

2021年09月27日 月曜日

ジョディ・フォスター監督・出演、ジョージ・クルーニー製作・出演の2016年のアメリカ映画「マネーモンスター(Money Monster)」

テレビの金融番組の司会をしているリー・ゲイツは軽快な喋りで人気を得ていた。
ある時アイビス社の株が暴落し、8億ドルの損失が出ており、アイビスのCEOは株取引のプログラムのバグ(グリッチ)によるものだと説明していた。
何時も通りにリー・ゲイツは番組を始めたがスタジオに見知らぬ男が乱入。
男は銃を持っており、リー・ゲイツに爆弾が付いたベスト着せて人質に取った。
男はアイビスの株で損をしており、リー・ゲイツの口車に乗せられて損をした事を恨んでいた。
番組のディレクターのパティ・フェンは男の言う通りに番組を続け、リー・ゲイツに男を刺激しないように指示。
男は何故こうなったのかを解明しろと要求し、パティ・フェンが様々な人々と連絡を取ってアイビス社を調べて行くと不審な部分が出てき始めた。

ジョージ・クルーニーとジュリア・ロバーツが共演という事だけで見てみたけれど、とてもおもしろいサスペンスだった。

始めは生放送のテレビ番組を番組ジャックし、スタジオ内での人質犯と人質となった司会者の会話劇で進めて行き、ここだけでも緊張の上げ下げでスリルがあり中々おもしろい。
調子が良く喋りまくりの、最早コメディアンの司会者を延々と見せておいて、犯人が入って来て銃と爆弾と犯人の境遇の前にはその口先も役に立たずになってしまう展開や、司会者が視聴者に訴えかけてアイビスの株価を上げようとするけれど結果下がるという、株式はそんなに綺麗事でも単純でもないという展開とか、画変わりが無い密室劇でも上手い所を突く展開にして飽きさせない。

そこからどうやら株の暴落はグリッチではなく人為的な策略らしいと分かり始め、ディレクターが外の人を使って情報を集め始める展開から映画の雰囲気が変わり始めるのもワクワク感が出て来る。
スタジオから司会者と犯人が外に出て警察に囲まれながら街を移動する場面は見た目的に良く出て来ているし、そのままCEOと直接対決に持って行くというのも推理モノの真犯人を前にして探偵が解明するのをやっていて、推理モノの爽快感がある。

ただ、全ての証拠を以前知り合っていたハッカーが全てを請け負ってしまうのは展開の流れを壊さない様にとは言え都合が良過ぎ。
もっと情報を持っている人を分散させて振りで配置しとけばよかったのに…とは思った。

まあ、犯人はそうなる結末だとは思うけれど、その後が哀し怖かったのが、番組を真剣に見ていた視聴者達は怒る訳でもなく泣く訳でもなく、淡々と元の生活に戻り、犯人よりもCEOの面白動画が人気だという話題が持てはやされ、司会者とディレクターはまた変わらず番組をやるという日常が続いて行く事。
映画の視点的には司会者やディレクター視点だけれど、犯人視点だととてつもなく虚しさを感じてしまった。
犯人の行動は報われはしたけれど、この後も注目されるのはCEOや司会者で、結局多くの人はその後は何も描かれず注目もされない犯人だと思うと凄く陰陰滅滅となってしまった。

一方、テレビ局の制作側の人々の出来る感じは気持ち良かった。
皆状況を理解して自分の仕事に徹するプロフェッショナルで、多分普段は現場では大して役に立っていないだろうプロデューサーもちゃんと仕事して見せ場もあったし。

この映画、サスペンスとして飽きさせずに次から次へと見せておもしろいし、情報を集めて謎が解き明かされて行く後半の持って行き方も上手いし、司会者視点か、ディレクター視点か、犯人視点かで映画の印象が大分変るという部分も上手い映画だったなと思った。

☆☆☆☆★