2021年11月30日 火曜日
アレックス・カーツマン製作・監督、トム・クルーズ主演の2017年のアメリカ映画「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女(The Mummy)」
アメリカ軍の偵察兵ニック・モートンは偵察の先々で発見した骨董品等を横流しして儲けていた。
イラクでの偵察で敵からの襲撃を受けてしまい危機に陥り空爆を要請。
敵は逃げたが、空爆した地面が崩れ落ち、地下に巨大な空洞が現れた。
その穴を軍について来ていた考古学者のジェニー・ハルジーと一緒にニック・モートンが調査を行うと封印された石棺を発見する。
石棺を飛行機で輸送中に大量のカラスの群れが飛行機に追突しイギリスに墜落。
ジェニー・ハルジーはパラシュートで逃げ延びたがニック・モートンは墜落して死亡した。
しかしニック・モートンは遺体安置室で起き上がり、健康な姿のままだった。
落ちた石棺の中からは古代エジプトの王女アマネットのミイラが這い出し、人間の精気を吸ってかつての体を取り戻そうとしていた。
元々企画製作段階では、かつてユニバーサル・スタジオが作っていた吸血鬼、フランケンシュタインの怪物、狼男、ミイラ等のモンスター映画を現代に蘇らせ、同じ世界を共有したダーク・ユニバースとしてシリーズ化し、その第一作目がこの「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」だったのが、製作費1億2500万ドルに対し、全世界興行収入が4億923万ドルと振るわず、しかも内容的にも酷評が多かった為にダーク・ユニバースが中止となって頓挫してしまったといういわくつきの映画。
見てみても確かにつまらない訳ではないけれど終始おもしろくもないという映画だった。
序盤は主人公のトム・クルーズの活躍ばかりでミイラのホラー要素はほぼ無し。
トム・クルーズが銃撃に会い、空爆して建物が倒壊するとか、墜落する飛行機の中で無重量状態でのアクションとか、アクション映画としては結構良い感じではあるものの、トム・クルーズなのでほぼミッション・インポッシブルシリーズに見えてしまい、「ザ・マミー」なのに何をやっているのか訳が分からない。
そのザ・マミーであるミイラも中盤位までほとんど動きが無く、動き出したら直ぐに王女に復活して包帯だらけのミイラでもなくなってしまい、マミー感が全然無い。
そもそもミイラである必要性も無かった気がしたし。
シリーズ予定の一作目でミイラというのもシリーズを押し出して軌道に乗せる役割としては弱過ぎな気がする。
王女の呪いで不死身となったトム・クルーズだけれど、死の神セトを復活させる為に王女はトム・クルーズを殺そうとしてトム・クルーズが逃げる…の繰り返しでホラーとしては弱過ぎだし、序盤に見せたトム・クルーズのアクションを考えてもアクション映画としても弱くなってしまっている。
助けてくれた謎の組織プロディジウムのジキル博士もトム・クルーズを殺させようとして、プロディジウムも敵側なの?でプロディジウムで何がしたいのか分からず、このプロディジウムのせいで話が何のこっちゃ?になってしまっている。
プロディジウムは今後のシリーズを繋ぐ為に出したのだろうけれど、悪を滅ぼすとは言っているけれど行動が何だかよく分からず、ジキル博士が変化してハイドになるのも特に説明もないままで、今後の為に掘り込んでおけ感ばかりを感じてしまった。
そもそも王女アマネットは王位争奪の為に赤ん坊や側室を暗殺すればいいだけなのに、そこからセト神に魂を売ってセト神を復活させようとする展開が飛んでいてよく分からず、トム・クルーズを短剣で刺し殺せばセト神が復活するのもよく分からない話だし、最後トム・クルーズが自らを短剣で突き刺したら何故かセト神が憑依せずに力を制御出来たのも意味不明で、この詳しい事も説明もされぬままで今後のシリーズで見せます的な投げっぱなしも酷い。
それにトム・クルーズは配役的に間違っていて失敗。
主人公のニック・モートンは無鉄砲で馬鹿っぽい若者感がある人物で、年齢設定では二十代後半とか三十代位の感じがして、五十代半ばのトム・クルーズがやる様な役ではない様に思えて仕方なかった。
トム・クルーズは若々しいんだけれど、場面によっては凄くしわが目立って年寄りに見えてしまい、もっと若手の俳優を据えれば良かったのに…と思ってしまった。
トム・クルーズのアクションがミッション・インポッシブルシリーズを思い浮かべてしまうし、それ程色の付いていない若手俳優で新鮮味のあるシリーズにするつもりはなかったのかしらん。
この映画、シリーズ化の一作目で色んな要素を入れた為に散漫になり、トム・クルーズを主演にした為変にアクション志向にしたけれどアクションに振り切らず、モンスターモノとしてもその要素が弱過ぎで、結局何を見せたいのか?何をしたかったのか?を絞り切れない映画で、見ていてもずっとおもしろくはなかった。
流石にこれじゃあシリーズも打ち切りになってしまうか。
☆☆★★★
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2021年11月22日 月曜日
ジョン・カーペンター監督・脚本・音楽、ロディ・パイパー主演の1988年のアメリカ映画「ゼイリブ(They Live)」
職を求めて都市まで出て来たナダは建設現場での仕事が見つかり貧民キャンプで暮らす事となった。
ナダはそのキャンプの脇の教会でキャンプを運営するメンバー達が何かを相談し、段ボールに入れられた何かを運び出しているのを知る。
その夜、警官によって教会の大規模な捜査が行われ、警官達による貧民キャンプで暮らす人々への暴行が行われた。
あくる朝、ナダは教会で隠されていた段ボールを発見。
その中には幾つものサングラスが入っていた。
ナダは何気なくサングラスを付けて街を見ると街の広告や看板が「消費しろ」「考えるな」「従え」等の文字に見えた。
更に街を歩く人々の中に骸骨の様な顔をしている生き物が混ざっている事に気付いた。
この「ゼイリブ」は子供の時に何度かテレビ放送で見たはずで、サングラスをかけると人間の中に宇宙人が混じっている事に気付くというのだけは覚えていた。
その後、大分経ってから「ゼイリブ」って、エイリアンとかプレデターの様なこの映画に登場する宇宙人の名前だと思っていたら「They Live」だという事を知って驚いた事があり、更に今回改めて見て主演がプロレスラーのロディ・パイパーだった事に驚いた。
で、映画自体は今でも通じる侵略モノSFだし、普通の人間がトンデモない出来事に巻き込まれて行くサスペンスとしてもおもしろいけれど、ジョン・カーペンター的な変なまったりさがあってサスペンスとしては結構間延びしている。
世界は既に何者かに侵略され続けれており、サングラスをかけると真実の世界が見えるってSFとしては今でもおもしろい題材だし、サングラスで分かるのも映像的に非常におもしろい。
看板や雑誌の文字は普通の人間はが見えてはいないので何の意味があるんだろう?だし、この見えない文字に意味があるなら、あの人間に擬態している宇宙人も人間には何か引っかかる所があって、常に嫌悪感や不信感を感じてしまうのでは?であるけれど、サブリミナル的に潜在意識に溶け込むように洗脳し続ける怖さはあるし、この時代だからテレビによって洗脳しているという正にテレビ時代の社会批判的なSFというのも良い部分。
この時代のアメリカのテレビの影響力からの発想ではあるけれど、今だとテレビにネットが加わって複雑怪奇になってしまっているし、題材は1980年代のアメリカではあるけれど、今のアメリカでも、日本でも、大阪なんて正に「ゼイリブ」の世界と変わらずで、「ゼイリブ」って時代性を感じるけれど結構普遍的な題材を描いていると思う。
ただ、この映画を今リメイクしてもサングラスをかけて見た物が真実だと成り難いのは、サングラスがモニターになっていて拡張現実(AR)を見せていて、実は真実だと思って見ていた物が誰かが見せたい物だった…となってしまって、この映画の更に先に行ってしまう位技術が進んでいる。
サングラスをかけて見える映像も、サングラスなので白黒にしており、それが古いSF映画の様な感じになっていて映像的に抜群に良い。
空を飛んでいる宇宙人の飛行物体の形と言い、動きもストップモーション・アニメーションで、古いSF映画へのオマージュっぽくて良い。
ただ、サングラスからコンタクトレンズに変わった辺りから、この白黒映像が減ってほとんどなかったのは勿体無い気がした。
この密かな侵略でおもしろかったのは、人間側が完全に誰も知らない状態ではなく、人間にも侵略を知っている人がいて、その一部の人は買収されて生活が向上しているので貧乏人が死のうが気にしないという設定。
現実社会の凄い皮肉であり、しかし、主人公や相棒の様に楽しく生きたい、気にせず生きて行きたいと思ったら宇宙人側についた方が良い訳で、見ていても何処に進んだ方が良いのだろうか?と自問自答してもしまった。
ただ、この主人公の行動が理解出来ない部分もあり、サングラスをかけて真実を知ってしまった後、店で宇宙人に対して「知っているぞ!」と吹っ掛けるのがよく分からない。
結構な数の宇宙人が潜んでいる状態なのに、何故一人で喧嘩を売ったのか?
その後も銃を手に入れると自分がどうなるかも考えもせずにとにかく宇宙人を撃ち殺しまくって警察から追われる立場になってしまっている。
それまでの主人公の描き方からもして、単にこの主人公が後先を考えない単細胞だったという事なのだろうか?
その性格もあって、主人公と相棒の裏路地での「サングラスをかけろ!」「嫌だ!かけない!」での延々と喧嘩する場面はおもしろ過ぎた。
このサングラスを巡っての喧嘩は映画の流れ的には分かるけれど、この場面だけを抜き出すと「サングラスをかけろ!かけない!」問答での大の大人の喧嘩って不条理で笑ってしまう。
ただ、ここは映画史に残る名場面だとわたしは思っている。
最後でよく分からなかったのはホリーが突然裏切って宇宙人側に付いていた事。
ホリーは宇宙人の成り済ましではなかったので何処かの時点で裏切っていたのだろうけれど、隠れ家にレジスタンスが集まったホリーの再登場場面で既に裏切っていたのか?最後のテレビ局の前位で向こう側に付いたのか?とか、よく分からないままだった。
最後に主人公が死ななくてはいけない展開にしたかったからホリーが裏切らなくてはいけなかったのだとは思うけれど、このホリーのせいでモヤモヤしたまま終わってしまっているので、この裏切りはどうにかして欲しかった。
この映画、間延び感があるけれど今見ても結構おもしろい。
どの時代でも、どの場所でも、一部の人間の欲望を満たす為の宣伝によって一部の人間だけが欲望を満たしている世界で、その中で知らずに見ない振りして生きて行くか、抗って満足して死んで行くか…という社会批判SFとしては非常に良く出来ているし、何と言っても裏路地での喧嘩は最高!!!
☆☆☆★★
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2021年11月18日 木曜日
マティス・ヴァン・ヘイニンゲン・ジュニア監督、メアリー・エリザベス・ウィンステッド主演の2011年のアメリカ映画「遊星からの物体X ファーストコンタクト(The Thing)」
1982年の映画「遊星からの物体X」の前日談。
1982年。南極大陸でノルウェー観測隊が氷の下に巨大な物体と地表近くに氷漬けになった生物らしき物を発見した。
古生物学者ケイト・ロイドはサンダー・ハルヴァーソン博士に要請されて南極大陸へと調査に赴く。
氷漬けの生物を氷毎切り出したが中の生物が逃げ出し基地の人々を襲い出した。
何とか生物を殺したが、生物の血液を調べると細胞が人間の細胞を吸収し人間の細胞に擬態する事が分かり、人間だと思っている人々の中に擬態した生物がいるのではないと皆が疑心暗鬼になり始める。
「遊星からの物体X」から約三十年後に製作された、何故この時期だったのか?の前日譚だけれど、やっている事は「遊星からの物体X」とほぼ同じというリメイクっぽい前日譚。
わたしは以前に「遊星からの物体X」を見て、今では大体の事はあんまり覚えていない状態ではあったけれど、この映画を見ながら「遊星からの物体X」を思い出したのは、やっている事が「遊星からの物体X」とほぼ同じだったから。
謎の生命体が人間に擬態し、皆が疑心暗鬼になり、生命体が姿を現して人々を襲って行くという部分はほぼ同じで、内容や展開が前日談というよりリメイクで、前日譚としてはこうなるだろうなぁ…だし、わざわざ前日譚を描いた意味が分からず、これなら「遊星からの物体X」の完全リメイクの方が良かったんじゃないだろうか?と思ってしまった。
オリジナルと展開の違う部分は、始まりは宇宙船らしき物体と地球外生命体らしき生き物の説明からだけれど、生物暴れる → 擬態による不信感 → 生物暴れるという展開になるので、生物が暴れた分だけ中盤の不信感のサスペンス部分が今更で弱くなり、結局は後半で生物が暴れるので不信感がいらなかった様な気になり、中盤の前半と後半で全然別の化け物が暴れるのでこの生物の設定が何だかよく分からなくなってしまい、構成としてどうなの?と感じてしまった。
「遊星からの物体X」を見ていると、この生物から擬態して…の展開が分かり切っているので、前日譚とは言え同じ様に感じてしまったし。
微妙に感じたのは主人公も。
何故二十代位の若い学者を連れて行くのかは特に説明はなく、信用出来るベテラン学者の方が良いのでは?と思った。
そして、この若い学者が次々と生物の生態を解説して行き、それに対して1982年のむさ苦しい男達が若い女性に反発もしないのが不自然で、何故主人公を若い女性にしたのかがこの映画からは見えて来ない。
それに「遊星からの物体X」ではノルウェー観測隊はヘリコプターで犬を追っていた人間以外死亡したはずだったのに、主人公が生き残ったのも不満点。
生き残った人物がヘリコプターで犬を追って行き「遊星からの物体X」に繋げる終わりは良いけれど、主人公の部分は編集でバッサリと切られた様な特に何も感じさせない感じで終わってしまい物足りない幕切れだったし。
「遊星からの物体X」はカート・ラッセルが活躍するからワクワク感があったけれど、女性が火炎放射器でエイリアンと戦うなんて、ほぼエレン・リプリーで、映画エイリアンシリーズ的な要素が強くなってしまうし。
この映画、「遊星からの物体X」から約30年後に前日談を描いたにしてはほぼリメイク作で、もっと派手にするとか、心理描写を延々と描くとかも無くて前作を超える様な何かが無く、この映画を作った意味があるのか無いのか分からず。
やっている事がほぼ同じなので、だったらジョン・カーペンターだし、カート・ラッセルだしの「遊星からの物体X」だけで良い様な気がしてならなかった。
興行的にも製作費3800万ドルに対して全世界興行収入が3150万ドルと赤字になってしまい、まあそうだろうなぁ…と。
☆☆★★★
関連:遊星からの物体X
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2021年11月12日 金曜日
ディート・モンティエル監督、リアム・ヘムズワース主演の2013年のアメリカ映画「11ミリオン・ジョブ(Empire State)」
1982年にアメリカで起きた実際の事件を基にした映画。
警官を目指していたクリス・ポタミティスは友人エディの巻き添えで逮捕された過去の記録が残っており、警察の採用試験を受けれず警備会社で働く事なった。
クリスと相棒が集金に回っていると強盗に襲われ相棒が死亡。
相棒には警備会社からは見舞金が少ししか払われなかった。
更に父親はクリスが原因で仕事を首になり、クリスは不満を抱えたまま警備の仕事を続けていた。
その警備会社は2000万ドル以上を集金して保管していたが警備は甘く、夜勤ではクリス一人が警備をしており、クリスは保管していた金の一部を盗み出してしまう。
この出来事をエディに話すとエディは警備会社から更に大金を盗み出そうと持ちかけて来た。
クリスはその計画に乗るが、犯行当日に突然刑事達が通報を受けたと警備会社に捜査にやって来た。
ドウェイン・ジョンソンが出ていると言うので見てみたけれど、ドウェイン・ジョンソンが出ている意味も薄いし、話もサスペンスやコメディや社会風刺としてもどれもおもしろくはなかった。
序盤は主人公の置かれた立場をじっくりと描いてはいるけれど余りに間延びして退屈。
ここで主人公はそんなに悪い人間ではないという描き方ではあるものの、父親の首もそうだし、金に手を出して、それを見せびらかして、一番の情報駄々洩れのお喋りの友人に話してしまい、ほとんどの事は主人公が原因で、主人公の馬鹿さ加減ばかりが目立ち、なのに主人公の馬鹿さを立たせる訳でもなく悲劇的に見せようとしているので何か噛み合っていない。
この全てが悪い方へ落ちて行くというのをサスペンス的に見せるかと言えばそうでもなく、ただそこかしこでボロが出ているだけの様な感じ。
結局この事件で何を見せるのかがはっきりしていない感じで、見ていても頭の悪い人々がめりはりも無く失敗するだけなのでおもしろくない。
最後も全てが悪く回り、結局皆が逮捕されて哀しい終わり…だったのに、最後よく分からないけれど釈放されました…から、クリス・ポタミティス本人が登場して楽しそうに喋って、「お金はどうなったのかな?ハハハ!」って、何処に着地させたいのか分からない。
この映画にクリス・ポタミティス本人がプロデューサーに入っているのでクリス・ポタミティスが自分を悪く見せない為に色々と口を出して主人公が映画の登場人物としてはぼやけた人物になってしまったのかな?と思ってしまったし、クリス・ポタミティスが出たがりで映画本編の雰囲気とは違った終わりになってしまったのかな?と思ったり、~プロデューサーと付く役職の人が三十人以上もいるので、あちこちから口を挟まれれ結局何を見せたいのか分からない映画になってしまったのかな?とも思ったり。
輸送車が襲われて警備員が殺されているのに、その後も緊張感も無いままの警備員達や警備会社とか、会社が強盗に襲われているのに特に何もしない警備会社とかはその後の強盗に繋がらないので映画の展開上とは言え酷い緩さだし、何度も強盗に襲われるけれど、それが一体誰の計画だったのか?とか、登場した人物と関係のある強盗だったのか?単なる偶然なだけ?とかもよく分からないままだし、映画の初めのクレジットでリアム・ヘムズワースの次でドウェイン・ジョンソンの前に出ていたエマ・ロバーツはクレジットの優遇に比べるとほとんど登場せずに全くいらない役だったり、意味有り気に登場したFBIや連邦検事はそれ以降全く登場しないし、脚本も本当にグダグダしていて、後から相当手が入ったり削除されたんじゃないかと思える位。
役者では、主人公のクリス・ポタミティス本人はギリシア系アメリカ人なんだけれどリアム・ヘムズワースが全然ギリシア系に見えない。
リアム・ヘムズワースはオーストラリア人なんだけれど、兄のクリス・ヘムズワースと似ていて、クリス・ヘムズワースがソーをやっているので北欧系にみえてしまうから?
ドウェイン・ジョンソンは変わらずドウェイン・ジョンソンなんだけれど、この役がドウェイン・ジョンソンの意味ってあるのかしらん?
別にドウェイン・ジョンソンじゃなくても良いし、見た目がスキンヘッドでトンデモないマッチョでなくてはいけない役でもないので寧ろドウェイン・ジョンソンではない方が良い様な気がしたし。
それにこのドウェイン・ジョンソンの見た目では全然1980年代感が無いし。
この映画、結局何処の何を見せたいのかがはっきりせず、おもしろくなりそうな題材を無駄にしてしまった感じ。
サスペンスに振り切る訳でも無く、転落人生に振り切る訳でも無く、ドウェイン・ジョンソンを活躍させる訳でも無く、この題材を買って製作が進んでしまったので作った感がある映画。
☆★★★★
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2021年11月01日 月曜日
ガベ・イバニェス監督・脚本、アントニオ・バンデラス製作・主演の2014年のスペイン・ブルガリア映画「オートマタ(Automata)」
近未来。太陽の活動が活発化し、発生した太陽嵐によって地球の砂漠化が進み、地球の人口は99.7%減少して2100万人になっていた。
人口の減少による労働力を確保する為にROC社が人型ロボット「オートマタ」を開発。
オートマタを使い砂漠化を抑えようとしたが失敗。
都市と砂漠を隔てる巨大な壁を作っていた。
オートマタを安全に使用するために「生命体への危害の禁止」と「自他の修理・改造の禁止」という絶対に書き換える事の出来ない二つのプロトコルが組み込まれて制御されていたが、ある日自己を修理していたオートマタが発見される。
ROC社の保険代理人のジャック・ヴォーカンはこの絶対的なプロトコルを破った技術者を探し出す為に都市の外へと派遣された。
人工的に作られた雲によって雨が多く、寂れた都市の雰囲気は映画「ブレードランナー」的で、絶対に破る事の出来ない条件を破ったロボットの謎はアイザック・アシモフのロボット工学三原則でお馴染みロボットモノだしで、それを合わせて作りました!をやっていて、雰囲気は良い感じだけれど肝心の内容が分かった様な分からない様な…な感じで、見終わると色々と気になった事が多数。
前半は第二のプロトコルを破ったのは誰だ!?のミステリーで進んで行くけれど、これがロボット自身だったというのは分かるものの、絶対に破れないプロトコルは人間には無理だけど作り出したロボットなら破れると言う理屈がよく分からず。
この種のひっくり返しのネタばらしって、絶対に破れないプロトコルが破れてしまうという根本を台無しにしたらミステリーの意味が無いんじゃない?
アイザック・アシモフは絶対的なロボット工学三原則を使って、それと整合性を持たせながらロボット工学三原則とは矛盾した行動を説明するというほぼ推理モノをやっていたけれど、推理モノでそもそもの根本を弄ってしまうと面白味が無くなってしまい、この映画も結局プロトコルを弄れてしまったのでミステリーが台無し。
その第二プロトコルを破った砂漠にいた自我のあるロボットはそもそも何なのかの説明がなく、何かで第二プロトコルが無くなったのかは説明されず、これが都市で何かがあって逃げ出して来た特殊なロボットなの?
第二プロトコルは完全ではなくて、どの機体でも起こりうる事なの?が分からず。
第二プロトコルが無くなった地下道にいたロボットや自らに火を付けたロボットも何処から始まっているのかが説明されていないので、後から思うとこのロボット達の存在も不自然。
もう一つの「生命体への危害の禁止」の方は何故か厳格に守られており、ロボットは人間を傷付けない理由は特に説明はない。
これって自我を持って独自に行動するロボットには結構致命的で、人間とロボットが対立すれば必ずロボットが負けてしまうのでロボットが人毛に取って代わって…とはならない様な気がした。
それと、映画のロボットモノだと何故かフランケンシュタイン・コンプレックスが強い映画が多いけれど、この映画もフランケンシュタイン・コンプレックスの一種で、フランケンシュタイン・コンプレックスのロボットモノは話としてベタ過ぎるし、結構飽き飽き。
映像的には、それ程製作費が高くないからか何とか荒廃した感じを出していて、それも結構良い雰囲気なんだけれど後半はほぼ砂漠なので後半の映像に面白味がなかった。
オートマタのデザインは現実の延長線上のありそうなロボットになっていて良い感じ。
ただ、最後にオートマタ達が作り出した謎の機械のデザインは酷いし、この機械を作り出した理由や存在意味も不明で、これはいらなかった。
役者は、アントニオ・バンデラスって未来モノのSFの印象が無いけれど、この映画では丸刈りにしていて老け感もあり、くたびれた人物として合っていたし、序盤の感情を出さない所から後半で感情を出す感じも良かった。
中盤に出て来たデュプレ博士って、何か訳あり気でもっと登場する重要人物なのかと思ったら、あっさり殺されてしまい、何だろう?と思ったけれど、このデュプレ博士役のメラニー・グリフィスって、この映画当時のアントニオ・バンデラスの奥さんで、だからなのだろうか?
(ちなみにこの映画後二人は離婚している)
この映画、雰囲気は結構良いし、序盤は興味を持って見てたけれど、気付くとこれまでのSFの典型を色々詰め込んで、それがおもしろくなればいいけれど、描きたい事の為に様々な事をぼやかせてしまったので、結局掴み所の無い、掴まれ所の無い映画になってしまった感を感じてしまった。
☆☆★★★
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