ゼイリブ

2021年11月22日 月曜日

ジョン・カーペンター監督・脚本・音楽、ロディ・パイパー主演の1988年のアメリカ映画「ゼイリブ(They Live)」

職を求めて都市まで出て来たナダは建設現場での仕事が見つかり貧民キャンプで暮らす事となった。
ナダはそのキャンプの脇の教会でキャンプを運営するメンバー達が何かを相談し、段ボールに入れられた何かを運び出しているのを知る。
その夜、警官によって教会の大規模な捜査が行われ、警官達による貧民キャンプで暮らす人々への暴行が行われた。
あくる朝、ナダは教会で隠されていた段ボールを発見。
その中には幾つものサングラスが入っていた。
ナダは何気なくサングラスを付けて街を見ると街の広告や看板が「消費しろ」「考えるな」「従え」等の文字に見えた。
更に街を歩く人々の中に骸骨の様な顔をしている生き物が混ざっている事に気付いた。

この「ゼイリブ」は子供の時に何度かテレビ放送で見たはずで、サングラスをかけると人間の中に宇宙人が混じっている事に気付くというのだけは覚えていた。
その後、大分経ってから「ゼイリブ」って、エイリアンとかプレデターの様なこの映画に登場する宇宙人の名前だと思っていたら「They Live」だという事を知って驚いた事があり、更に今回改めて見て主演がプロレスラーのロディ・パイパーだった事に驚いた。

で、映画自体は今でも通じる侵略モノSFだし、普通の人間がトンデモない出来事に巻き込まれて行くサスペンスとしてもおもしろいけれど、ジョン・カーペンター的な変なまったりさがあってサスペンスとしては結構間延びしている。

世界は既に何者かに侵略され続けれており、サングラスをかけると真実の世界が見えるってSFとしては今でもおもしろい題材だし、サングラスで分かるのも映像的に非常におもしろい。
看板や雑誌の文字は普通の人間はが見えてはいないので何の意味があるんだろう?だし、この見えない文字に意味があるなら、あの人間に擬態している宇宙人も人間には何か引っかかる所があって、常に嫌悪感や不信感を感じてしまうのでは?であるけれど、サブリミナル的に潜在意識に溶け込むように洗脳し続ける怖さはあるし、この時代だからテレビによって洗脳しているという正にテレビ時代の社会批判的なSFというのも良い部分。
この時代のアメリカのテレビの影響力からの発想ではあるけれど、今だとテレビにネットが加わって複雑怪奇になってしまっているし、題材は1980年代のアメリカではあるけれど、今のアメリカでも、日本でも、大阪なんて正に「ゼイリブ」の世界と変わらずで、「ゼイリブ」って時代性を感じるけれど結構普遍的な題材を描いていると思う。
ただ、この映画を今リメイクしてもサングラスをかけて見た物が真実だと成り難いのは、サングラスがモニターになっていて拡張現実(AR)を見せていて、実は真実だと思って見ていた物が誰かが見せたい物だった…となってしまって、この映画の更に先に行ってしまう位技術が進んでいる。

サングラスをかけて見える映像も、サングラスなので白黒にしており、それが古いSF映画の様な感じになっていて映像的に抜群に良い。
空を飛んでいる宇宙人の飛行物体の形と言い、動きもストップモーション・アニメーションで、古いSF映画へのオマージュっぽくて良い。
ただ、サングラスからコンタクトレンズに変わった辺りから、この白黒映像が減ってほとんどなかったのは勿体無い気がした。

この密かな侵略でおもしろかったのは、人間側が完全に誰も知らない状態ではなく、人間にも侵略を知っている人がいて、その一部の人は買収されて生活が向上しているので貧乏人が死のうが気にしないという設定。
現実社会の凄い皮肉であり、しかし、主人公や相棒の様に楽しく生きたい、気にせず生きて行きたいと思ったら宇宙人側についた方が良い訳で、見ていても何処に進んだ方が良いのだろうか?と自問自答してもしまった。

ただ、この主人公の行動が理解出来ない部分もあり、サングラスをかけて真実を知ってしまった後、店で宇宙人に対して「知っているぞ!」と吹っ掛けるのがよく分からない。
結構な数の宇宙人が潜んでいる状態なのに、何故一人で喧嘩を売ったのか?
その後も銃を手に入れると自分がどうなるかも考えもせずにとにかく宇宙人を撃ち殺しまくって警察から追われる立場になってしまっている。
それまでの主人公の描き方からもして、単にこの主人公が後先を考えない単細胞だったという事なのだろうか?

その性格もあって、主人公と相棒の裏路地での「サングラスをかけろ!」「嫌だ!かけない!」での延々と喧嘩する場面はおもしろ過ぎた。
このサングラスを巡っての喧嘩は映画の流れ的には分かるけれど、この場面だけを抜き出すと「サングラスをかけろ!かけない!」問答での大の大人の喧嘩って不条理で笑ってしまう。
ただ、ここは映画史に残る名場面だとわたしは思っている。

最後でよく分からなかったのはホリーが突然裏切って宇宙人側に付いていた事。
ホリーは宇宙人の成り済ましではなかったので何処かの時点で裏切っていたのだろうけれど、隠れ家にレジスタンスが集まったホリーの再登場場面で既に裏切っていたのか?最後のテレビ局の前位で向こう側に付いたのか?とか、よく分からないままだった。
最後に主人公が死ななくてはいけない展開にしたかったからホリーが裏切らなくてはいけなかったのだとは思うけれど、このホリーのせいでモヤモヤしたまま終わってしまっているので、この裏切りはどうにかして欲しかった。

この映画、間延び感があるけれど今見ても結構おもしろい。
どの時代でも、どの場所でも、一部の人間の欲望を満たす為の宣伝によって一部の人間だけが欲望を満たしている世界で、その中で知らずに見ない振りして生きて行くか、抗って満足して死んで行くか…という社会批判SFとしては非常に良く出来ているし、何と言っても裏路地での喧嘩は最高!!!

☆☆☆★★

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