眠狂四郎勝負
2013年11月16日 土曜日市川雷蔵主演でシリーズ化した時代劇映画の1964年の第二作目「眠狂四郎勝負」。
眠狂四郎が偶然知り合った老侍は勘定奉行で、彼の政治や経済に対する改革を良く思わない権力者達が勘定奉行の命を狙うので眠狂四郎が助けようとする。眠狂四郎が道場破りで殺した敵討ちの剣士が勘定奉行の暗殺に加わり、眠狂四郎も狙われる様になる。
一作目が結構普通な娯楽映画だったのに対し、二作目でガラッと雰囲気が変わった。眠狂四郎の剣士としての冷酷さと哀しさを前面に押し出し、哀愁のあるハードボイルド時代劇になっている。眠狂四郎は非常に冷めた人物で物事に興味は無いと言うけれど、気に入った人に対しては命がけで守ったりする人でもあったりする。
映像的にも非常に影と光を強調していて、暗い画はまるで舞台劇の様で印象的。構図も横に長い事を活かし、人物を端に持って来て不安定にして見たり、光源も端っこで反対側が暗いという画だったりして、映像的におもしろい。
それに加えて、話的におもしろいのはこの映画制作当時の時代的な社会問題を入れている所。この映画内では凶作なのに年貢は同じ、犯罪の横行等社会が乱れているので、勘定奉行が張り切って経済改革並びに政治も変えようとするけれど、支配層は今のままを望んでいるといった感じ。まあ、何時でも何処でもある話なんだけれど、それを取り入れた事によって単なる娯楽時代劇ではない暗さを持ち、それが眠狂四郎の陰や社会不適合者の部分を引き立てる要素にもなっている。
気になるのは、所々で時代劇口調ではない、「経済・消費物価・釈放・事故」とかの多分明治時代の造語と思われる単語が出て来る所。変に現代的。
それにこの映画で一番驚いたのが、神社の急な階段を年寄りが昇る時、棒で尻を押して手助けするという子供がいる事。どうやらそれで生計を立てているらしい。
眠狂四郎という人物の映画的な変化や、映画的に当時の先鋭的な画作りもあり、中々興味深い二作目。社会派の面も見せるけれど、次々と敵が眠狂四郎を狙い、それを倒して行くという娯楽性もあり、上手い所を突いている。