「猿の惑星・征服」をもう一度見てみました。

2026年10月23日 金曜日

J・リー・トンプソン監督、ロディ・マクドウォール主演の1972年の映画「猿の惑星・征服(Conquest of the Planet of the Apes)」。
映画「新・猿の惑星」の直接の続編で、猿の惑星シリーズの四作目。

「新・猿の惑星」から18年後。
宇宙飛行士が地球外から持ち込んだウイルスによって犬・猫は死滅し、人間は猿をペットとして飼い始め、調教して身の回りの仕事を任せていた。
「新・猿の惑星」でコーネリアスとジーラの間に生まれた息子マイロはその存在を隠されサーカスで飼われていたが、サーカスの宣伝で団長のアルマンドと共に都市に来て猿達の酷い扱いを知り、アルマンドの死を切っ掛けに猿達を組織し人間に対して反乱を起こした。

Amazon プライムビデオで猿の惑星シリーズが一気に配信終了となる予定だったので、2010年代以降の映画を見ていないので見たいと思い、だったら以前の1970年代の初めのシリーズを見てから見てみようと思ったものの、何故か一作目だけが見放題には入っていなかったので、しょうがないので二作目から見て、「新・猿の惑星」を見てのその続編。
これも何故か題名には「(字幕版)」とあるにも関わらず、字幕は英語字幕だけで日本語字幕が無かった。

以前見た時の感想とほぼ同じではあり、設定の都合の良さでSFとしては酷いモノだし、何より今回見て思ったのは寓話性がそのまま過ぎて、これまでの様に寓話を程々に仕込む事でSFとしておもしろかったのに余りに直球なので猿の惑星を見ているというよりも社会派映画を見ている様で楽しさが無かった。

これまでも人種差別や対立を比喩的に仕込んではいたけれど、この時代のアメリカの黒人差別や暴動をそのまま取り込んでいるので前半は黒人を奴隷にしていた時代の比喩。
後半は当時の黒人の暴動を扱っていて、それがどれもそのままなのでSFとして捻りが無く、しかもどれも長めに見せて間延びしているので結構飽きてしまう。

しかも、現実の出来事ならある程度それまでの経緯や状況を省いても知っているでしょで行けはするけれど、この映画では猿は猿でもほぼ人間の様な猿なので、この異質な猿達は一体何なのかの説明が必要なのにそこを省いてしまったり、適当にぶん投げてしまっているので話に入って行けないし、付いて行けない。
主人公のマイロは未来の進化したチンパンジー同士の子供なので高い知能や話せる能力があるのは当然として、それ以外の猿達は十年弱程前に犬猫が絶滅したからペットとして人間が飼い出して、そこから使役させる事になって行ったから、十年程であれだけ人間の言う事やする事を理解出来るなんて有り得ないし、そもそも人間とほぼ同じ大きさの体の大きいチンパンジーと、逆に縮小化しているゴリラは何なのかといった説明も無いし、最後には普通のチンパンジーが喋り出すし無茶苦茶。
これは最早この猿の惑星の世界は、現実の世界とは違う別の猿の様な種族と考えないといけないのか。
それでも最後には人間に反抗するのに、それまでの時点で反抗せず、大人しく人間に従っているのは生物としてよく分からない。

人間側も、どうやら未来なので技術が発展しているらしいけれど、何故か猿達を使って色んな作業をさせている事のちぐはぐ感は否めないし、猿達が人間の言っている事を余り理解しておらず間違ったりする事を描いているのに政府関連の重要であろう作業をさせているのもちぐはぐしているし。

人間が猿達を暴力的に調教する所は長めに描くのに、人間への抵抗をする猿達を率いるマイロことシーザーが猿達をどうやって率いる事になったのかという一番大事な部分を一切描いていないのも手抜き。
シーザーがアルマンドを殺されて復讐心が芽生えるのは分かるけれど、その次の場面では猿達に武器や道具を集めさせていて、その間を一切描いていない。
人間の言う事を余り理解出来ていないけれど、同じ人間の言葉を話していてもシーザーの言う事なら人間への抵抗の為の準備だと理解して密かに行動出来るの?という当然の疑問は無視して都合良く話を進めてしまうので、ここら辺りで興味は削がれてしまった。

終盤での人間側が銃を使って猿達を殺しているのに、それに何も感じていないのか猿達は進んで来るのも生物としては有り得ないだろうと思うし、それ程人間への憎しみがあったのか?とか、シーザーによる洗脳が圧倒的だったのか?とかも何も描いていないので見ていても「長いだけだなぁ…」としか思えなかったし。

最後も、シーザーはアルマンドを殺されたので復讐を思い、そこから直ぐに猿達を組織化して、直ぐに反乱を起こしてるだけなので、そもそもシーザーは攻撃性が高かったのでは?と思うし、人間であるアルマンドがマイロを大事に育てたり、マイロを庇ったりした想いが通じておらず、やっぱり人間側が言う野蛮な獣の様にしか描かれていないのはどうなの?とも思ったし、結局猿も人間も大して変わらない野蛮で支配的な者という皮肉なんだろうか?

そう言えば、アルマンド役の人、「新・猿の惑星」の時から何処かで見た事あるなぁ…と思っていたら、「宇宙大作戦」のカーン・ノニエン・シン役をしていたリカルド・モンタルバンだったのか。

この映画、前作の終わりからすればマイロの物語に成らざるを得ず、一作目に繋げて行くとなると猿達の蜂起を描かなくてはいけないのかと思うのだけれど、それでもこれが連続テレビドラマの中の一話ならまだしも、わざわざ一本の映画でする必要あったの?と思う内容で、しかも猿の惑星としてのSFとしてはあちこち手抜きだし、初めから結末に持って行くだけ為の展開でおもしろくはない話でした。

★★★★★
 
 
関連:「続・猿の惑星」をもう一度見てみました。
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2026年10月21日 水曜日

ドン・テイラー監督、ロディ・マクドウォール主演の1971年の映画「新・猿の惑星(Escape from the Planet of the Apes)」。
映画「続・猿の惑星」の直接の続編で、猿の惑星シリーズの三作目。

アメリカの海岸に一隻の宇宙船らしき物体が不時着した。
その中から現れたのはコーネリアス、ジーラ、マイロの三匹だった。
三匹を保護したアメリカ政府は彼らを猿だと思い、動物学者のルイス・ディクソン博士とステファニー・ブラントン博士に調査を依頼した。
どう扱われるかが分からなかった為に黙っていた三匹だったが動物としての扱いに不満を抱いたジーラは喋ってしまった。
三匹の檻の隣のゴリラが興奮したせいでマイロはゴリラに殺されてしまうが、コーネリアスとジーラの存在は世界中に知らされて客人の様に扱われた。
しかし、二匹から彼らの世界では人間は衰退し、猿が世界を支配している事を知った科学顧問のオットー・ハスライン博士は二匹を危険視し、抹殺を考えていた。

Amazon プライムビデオで猿の惑星シリーズが一気に配信終了となる予定だったので、2010年代以降の映画を見ていないので見たいと思い、だったら以前の1970年代の初めのシリーズを見てから見てみようと思ったものの、何故か一作目だけが見放題には入っていなかったので、しょうがないので二作目から見てのその続編。

「続・猿の惑星」で未来の猿の惑星を終わらせてしまったので、それでも話を続けるとなるとよくある手法として前日譚か、脇役の別話になるけれど正にそれで、何とか今までのモノでこねくり回して設定を作り出して続編を作った感じ。
この話に持って来る為の設定は強引だし、話はあからさまに製作費を削られてこじんまりとなってしまっているけれど、初めから全五話の連作の中の終盤に向けての一編と思うと、まあこれも有りなのかな?と思えた。

前作で一作目以上の落ちをひねり出した為に二作目までの登場人物達が使えなくなってしまった所を、実は人間が乗って来た宇宙船に乗って脱出していたという強引な言い訳で出していて、これはそもそも猿達はあれ位の科学力・技術力だったのに宇宙船の技術を理解して、修理して、大気圏を脱出して宇宙に出れたの?だし、あの宇宙船は脱出ポッド的な物で大気圏を出れる様な推進力を出せる船には見えないんだけれど?というのもあるし、宇宙船に関する猿側の話はこれまで全然無かったじゃんというのもあるし、人間が猿の惑星に来たのはウラシマ効果で分かるものの、この三匹はコバルト爆弾で宇宙船が過去に戻れるとか、謎の絶対時間測定器があり過去に戻ると西暦の表示も過去に戻るとか、この話の設定に持って行く為に都合がいい事ばかり。

ただ、話自体は結構おもしろく、これまでの猿が喋れる支配者で、その中に本来喋れないはずの人間なのに異質な喋れて違う世界の住人の人間が来たら…をしていた所を、それを逆転させた話になり、今まではとは違う事がおもしろくはあった。
しかし、これまでの話を考えないと至って普通な現代社会に現れた異質な存在の話ではあり、まず設定を引っくり返して、それを更に引っくり返すと元に戻って案外普通になってしまっている皮肉感もちょっとおもしろかった。

コーネリアスとジーラは理解のある猿だし、ディクソン博士とブラントン博士も理解のある人間だし、コーネリアスとジーラは冗談を言って周囲を楽しませる猿なので人々に受け入れられるので前半は楽しい笑いがあるのも今までとは違う方向性で見ていて楽しい。
それもちゃんと振りとなり、後半の哀しい展開になって行くのも展開はしっかりしていた。

後半は多くの人から受け入れられているのに一人の偏執狂的な人物によって追い詰められてしまう話になり、これはおもしろくは見れたけれど描きが少ないので何とも。
大統領が自分の権力を見据えつつも的確な判断をしてはいたけれど二匹に対する好意は少人数だけしか描かれず、普通の人々は二匹をどう思っているのかがよく分からないのでハスライン博士の思い詰めた感情は彼が特殊なのか、多くの人が感じた恐怖感や拒否感なのか分からないし、杞憂とも思える二千年後のあくまで可能性の未来を心配しているからなのかよく分からないのでこの人物にピンと来ず、最後までの展開にする為のそういう人物でしかなかったのは脚本の温さかなと思った。

コーネリアスの説明ではあくまで猿達が知った範囲内から考えた説ではあり、二千年位で一気に猿達の知能が上がったり、そもそも喋れる声帯でもないのが話せる様になり、人間の知能が一気に落ちて声帯も喋れなくなってしまったとは無理はあり、多分何かがあっての未来の猿と人間と考えると納得出来はするけれど、その何かがコーネリアスとジーラであり、その子供だと思うとこの映画での展開はよく出来ていると思う。
ただ、そこら辺りの話が映画内では全然無く、ハスライン博士も単に未来に脅威になるとだけの話で、コーネリアスとジーラの息子が未来の猿を作った特異点、タイムパラドックス的な存在だとか言う話が出て来たらもっとおもしろくなったのにとは思ってしまった。

この映画、続編になるにつれて製作費と共にこじんまりとして、最早猿の惑星でもなくなってしまっているし、続編を作る為に強引に設定を上塗りしてはいるけれど、序盤のコーネリアスとジーラの愉快な感じから後半の哀しい感じになる展開は結構良いし、単なる過去に戻ったという話ではなく、未来に行って過去に戻った事で歴史が分岐している話として、連続物の中盤としてはそれなりに楽しめた映画でした。

☆☆☆★★
 
 
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2026年10月20日 火曜日

テッド・ポスト監督、ジェームズ・フランシスカス主演の1970年の映画「続・猿の惑星(Beneath the Planet of the Apes)」。
映画「猿の惑星」の直接の続編で、猿の惑星シリーズの二作目。

一作目で不時着した惑星が地球だった事を知ったジョージ・テイラーは猿達に捕まっていたノバと共に猿達の村を去り、猿達が禁止地帯と呼ぶ場所に入りジョージ・テイラーだけが行方不明になってしまった。
一方、行方不明になったジョージ・テイラー達を探している途中に宇宙船で同じ惑星に墜落してしまい、一人だけ生き残ったジョン・クリストファー・ブレントはノバと出会い、彼女が持っていた認識票からジョージ・テイラーが生きている事を知りノバに協力を求めた。
ノバはブレントを猿の村に連れて行き、ジョージ・テイラーに協力したジーラとコーネリアスに引き合わせた。
ジーラとコーネリアスから事情を聞いて村から出たブレントとノバはゴリラ達に捕まってしまうが何とか逃げ出し、地下洞窟に逃げ込んだ。
その地下はかつてのニューヨークの地下鉄跡であり、そこで少数だけが生き残り、ミュータント化した人間と出会う。
彼らは超能力で幻覚を見せる事によって猿達を禁止地帯に踏み入らせてはいなかったが、食糧問題を解決する為に領土の拡大を目指し禁止地帯へと進行した猿達は幻覚だと見抜き、地下に攻め入って来た。

Amazon プライムビデオで猿の惑星シリーズが一気に配信終了となる予定だったので2010年代以降の映画を見ていないので見たいと思い、だったら以前の1970年代の初めのシリーズを見てから見てみようと思ったものの、何故か一作目だけが見放題には入っていなかったので、しょうがないので二作目から見てみた。
ただ、題名には「(字幕版)」とあるにも関わらず、何故か字幕は英語字幕だけで日本語字幕が無かったので、余り話を追えていない部分は多いと思う。

一作目は何時か昔に見たはずで、何とは無く話の流れと有名な最後の場面は覚えている位で細かくは覚えておらず、だからなのか、改めてこの続編を見てみると以前わたしが見た時に書いた感想よりもおもしろく見れてしまった。

ブレントが知らない惑星に不時着すると猿が言葉を話し、人間は何も話さず奴隷の様な扱いという所は多分一作目を見た後だと単なる焼き直しの再放送感が強いのかもしれないけれど、わたしは一作目をほとんど覚えていなかったので、「そう言えば、『猿の惑星』ってこういう事だった…。」と思い出せ、かつ、ここら辺は一作目でしているのでという事で短めになっていて本編の話に入って行くので見易かった。

展開は、最後の落ちに向けて逆算的に組み立てて行ったから、ゴリラがミュータントを襲わなくてはいけない。
だからゴリラは強行的に禁断地帯に攻めようとする。
その前に主人公はミュータントと会わないといけない。
なので、主人公はゴリラから逃げなくてはいけない。という事になっていて、序盤で主人公があっさりとゴリラ達に見つかって、捕まって、逃げ出しての展開はいらない気もしたり、ゴリラ達がやたらと強行的とか、そもそもミュータントの設定が煮詰め切れていないとか、緩い部分は多いものの最後の落ちで「成程ね。」とは思えたので余り気にはならなかった。

この落ちも、一作目の衝撃を越えるには…?と考えた結果だとは思うのでそうなるかとは思う。
ただ、まだ当時のブロックバスター映画の続編だからか分かりやすい様に説明台詞を入れていたけれど、何も無く、ただ真っ白の画面だけが延々と続いて終わるのでも良かった気がする。
それでもこの無音での終わり方は結構良かった。

猿側に関しては一作目で大体の説明をしていたと思うのでサラッと行くけれど、ミュータント側は説明が足りない。
食料もなさそうな地下でどうやって生きていたのか?とか、わざわざ顔を隠す覆面の必要性はあるのか?とか。
テレパシーとか幻覚とかの超能力ってやり過ぎだししょっぱさはあるけれど、まあこの当時のSFとファンタジーが曖昧な感じの時代ではありだったのか?とは思う。

一作目を殆ど覚えていなかったのでこの映画を見る前にある程度この映画の製作までの情報を見ていて、一作目の主人公だったジョージ・テイラーが少ししか出て来ないのはチャールトン・ヘストンが続編に出る気が無かったのを引っ張り出したからと分かっていたのでこういう使い方なのかと思い、特に違和感は無かったけれど、一作目からそのまま続けて見たら「チャールトン・ヘストンは出ているのに何で急に主人公交代なの?」とは思ったのだろうとは思った。

話の説明の無さや設定のいい加減さは以前わたしが見た時に書いた感想を読んでみるとそうではあったけれど、何とか続編を作って、その中で色々と入れてまとめてと考えるとこうならざるを得なかったのかとは思った。
この続編ではそれぞれの主張と力の行使という当時のアメリカの社会を反映させた対立構造や、それに対する皮肉を入れ込んでいるのだろうで、だからゴリラは砂漠地帯なのに食料問題解決の為と何だかよく分からない理由で侵攻し、ゴリラの力によって反対者は排除され、平和を求めていると言うミュータントはコバルト爆弾を信仰し、自分達の都合でそれを使って勝手に終わらせるという展開になったのだろうと思う。
ここら辺を中心軸に見てしまうと結構深い話で、ここが何だか興味を引かれ部分だった。
ただ、製作した20世紀フォックスは当時色々な映画が赤字になっていたのでこの映画でも製作費はそれ程出せなかったらしく、だからかミュータントは何かありそうな雰囲気で出て来たのに終盤には少数のゴリラにあっさりとやられてしまい、話の展開では大きくはなっていたけれど一作目を含めた最終戦争なはずなのに非常にこじんまりして、安い映画の感じは否めなかった。

この映画、以前見た時は「何じゃ、こりゃ?」な映画だとわたしの感想では書いてあったけれど、一作目が無かったので一作目を見ずに見てみたら意外と興味深く見れてしまって、意外とおもしろく見れてしまいました。

☆☆★★★
 
 
関連:「新・猿の惑星」をもう一度見てみました。
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霊幻百鬼 人嚇鬼

2026年10月13日 火曜日

チン・ユーサン監督・出演、ラム・チェンイン主演の1984年の映画「霊幻百鬼 人嚇鬼(人嚇鬼 Hocus Pocus)」

巡業公演をしている旅京劇団一座がある村で公演を開こうとするが、一座の看板役者と新人が揉め事を起こしていた。
そのいざこざの最中に看板役者がおかしくなり、その原因は幽霊に憑かれたらしいと分かった。
一座の座長が幽霊を引っ張り出し事情を聞くと、芝居小屋の下の地面に自分の骨が埋まっており、それを供養して欲しいと願い出て来た。
一座の劇団員達で骨を掘り起こして墓を作ったが、その骨は別の者の骨で、その骨の主の幽霊は怒って劇団員達に襲い掛かって来た。

古い香港映画を見る流行が来ていて、その中でサモ・ハン・キンポーの映画を見ていて古い時代の映画から見ようと思っていたのだけれど「霊幻道士」の配信終了が間近だったので先に「霊幻道士」を見てから、その元となったと言われている映画シリーズの「妖術秘伝・鬼打鬼」を見たので、シリーズ続編の三作目となっているらしいこの映画も続けて見てみた。
ただ、「妖術秘伝・鬼打鬼」「霊幻師弟 人嚇人」とも全く関係の無い映画で、しかもこの映画までの二作の映画ではサモ・ハン・キンポーが主演で、「妖術秘伝・鬼打鬼」は監督・脚本も担当し、「妖術秘伝・鬼打鬼」では脚本担当だったけれど、この映画では主役はサモ・ハン・キンポーどころか出演もしておらず、関わっているのは製作のみで、サモ・ハン・キンポーのシリーズでもなくなってしまっている。
サモ・ハン・キンポーの映画でデブゴンシリーズと言われている「デブゴン~」と数字が付いている映画も勝手に邦題を付けてシリーズかの様にしているだけだったし、この映画も日本で勝手にシリーズだと言っているだけかもしれない。

話は、序盤中盤ずっと劇団内でのいざこざで怪奇モノでも恐怖モノでもなく、中盤になって幽霊が現れて劇団員達にいたずらを仕掛けるけれど笑いの方にしていて、つまらない展開が延々と続くので非常に退屈だった。
そして、終盤残り十五分位になって、そこまではしょうもないいたずらの緩い笑いの話だったのが、劇団が別の幽霊に襲われて死亡者が出たり、幽霊対劇団員の飛んだり跳ねたりの活劇になる急展開の方向性転換が起きるので何だか煙に巻かれた感じで終わってしまう。
終盤までおもしろくない話で引っ張り続けたので、最後になって急に大活劇にしておかないと映画として成立しないと思ったからだろうか?
最後の活劇は敵の幽霊は飛び続けて攻撃して来るし、人間側も幽霊に攻撃されて小屋を壊しながら吹っ飛びまくるのでおもしろくはあり、何でここをもっと増やしたり、そもそもこういう見せる場面を序盤から作らなかったのかと思ってしまった。

多分、主演としてはラム・チェンインだと思うけれどラム・チェンインの出番は少なく、中盤までの話の主役はトン・ワイ演じる新人で、でも最後にトン・ワイが大活躍とはならず、目立つのはラム・チェンインなので、そこの配分も不味い。

ラム・チェンインの役は京劇の元役者であり、一座の座長であるのだけれどやたらと霊に詳しく、その対処法にも詳しい人物で、こういう人物像は「霊幻師弟 人嚇人」でもそうだったし、「霊幻道士」では正にそうだしで、ラム・チェンインの役は似た様な人物で通しているのは興味が行った部分。

この映画、劇団員のいざこざはどうでもいい話だし、幽霊のいたずらはおもしろくはないしで、ずっと興味も無く退屈で、最後の十分位の戦いの派手さはおもしろいものの、そこは取って付けた様なおまけ感ばかりで、意図は分かるけれど脚本のつまらなさばかりを感じてしまう映画でした。

☆★★★★

霊幻師弟 人嚇人

2026年10月07日 水曜日

ウー・マ監督、サモ・ハン・キンポー製作・脚本・主演の1982年の香港映画「霊幻師弟 人嚇人(人嚇人 The Dead and The Deadly)

デブ公には親友のロイがいたが、放蕩息子だったロイは家を飛び出してしまっていた。
そのロイが遺体となって彼の妻となった人物と帰って来たが、デブ公はロイがどうして死んでしまったのかが気に掛かっていた。
実はロイは生きており、ロイが埋葬される時に一緒に埋められる骨董品を売り捌いて妻に成り済ました仲間と儲けようと考えていた。
しかし、妻に成り済ました仲間はロイの家には大きな財産があり、それを妻が相続する事になると知ってロイを殺してしまった。
恨みを抱えて死んでしまったロイは幽霊となってデブ公の前に現れ、復讐の為にデブ公の体を貸して欲しいと言って来た。

古い香港映画を見る流行が来ていて、その中でサモ・ハン・キンポーの映画を見ていて古い時代の映画から見ようと思っていたのだけれど「霊幻道士」の配信終了が間近だったので先に「霊幻道士」を見てから、その元となったと言われている映画シリーズの「妖術秘伝・鬼打鬼」を見たので、シリーズ続編となっているらしいこの映画も見てみた。
ただ、前作とは全く関係の無い映画。
サモ・ハン・キンポーの映画でデブゴンシリーズと言われている「デブゴン~」と数字が付いている映画も勝手に邦題を付けてシリーズかの様にしているだけだったし、この映画も日本で勝手にシリーズだと言っているだけかもしれない。
実際には1990年の映画「鬼喰う鬼」が原題が「鬼咬鬼」で一作目のちゃんとした続編になっているみたいだし。

で、この映画だけれど、特に展開も無い話を引っ張っているので退屈だし、序盤は話を何処に転がそうとしているのか分からないので話に乗って行けず、終盤はサモ・ハン・キンポーが主人公でもなくなるので脚本が非常に適当な感じがしてしまった。

始まりは「妖術秘伝・鬼打鬼」からの引用の様な、不倫する男女の下にサモ・ハン・キンポーが現れる所からなんだけど、この話は初めに単に掴みとして入れ込んだだけの様でその後の話には一切関係がなく、サモ・ハン・キンポーが幽霊に襲われてどうなったの?の次にはその話がまるで無かったかの様に進んでしまう。
「妖術秘伝・鬼打鬼」でも最初に出て来た幽霊、妖怪にサモ・ハン・キンポーが襲われて、その呪い等がその後の展開になって行くのかと思っていたのに、この映画でも同じくそう思わせる様な感じで始まったのにやっぱり全く関係が無い。

その後はサモ・ハン・キンポーがロイを調べようとする話になって行くけれど、このロイが生きていているのに死んだと思わせている理由を中々出して来ず、ずっとサモ・ハン・キンポーが人形に成りすましながらのバタバタした話が続くので全然話が進まないので退屈。
やがて理由を話すけれど、その意味がよく分からず。
ロイが生きて帰って来ても家は受け入れそうなのに死んでいないといけない理由が説明されないし、ロイが引き連れて来た妻に成り済ました一味との関係性の説明は無いし、何で彼らと金を分ける事になったのかも説明は無いので、ずっと分からない話が続いてしまうので話に入って行けない。
後の展開を見るとロイが主人公の体に入り込んで戦うという事をしたいが為の逆算の設定に思え、だからそれには恨みを持ったロイの幽霊が出て来ないといけない。それにはロイが無念な死を迎えないといけない。主人公がロイの事情を知っていないといけないとなっていって、こういう話になったのかと思ってしまった。
その話がおもしろければ良いのだけれどそうではなく、終始戦いも少なく、笑いも少なく、ずっとグダグダしているばかり。
かと思うと、終盤になるとロイが主人公の体に入って戦い出したり、主人公の霊が体に戻れずに消えてしまうという意外な展開になり、そこから主人公の許嫁が主人公を生き返らせようという話になったりと終盤になって行き成りあっちに行ったり、こっちに行ったりと急展開になって、脚本のまとまりの無さったらない。

最後の部分も、許嫁は初めに少しだけ出て来て紹介はあるものの、主人公は何故か許嫁をやたらと邪魔者扱いして邪険に扱うのに許嫁の方はやたらと主人公に気に入られようと健気さを見せるのにその説明は無くて、どういう関係性なのかもはっきりしないままにその後は許嫁は一切登場せずに最後になって急に登場して来て、主人公は死んでいるので当然活躍も登場もないまま許嫁が頑張るという展開で、最早許嫁が主人公になってしまう。
そして、主人公が復活出来ましたよでめでたしめでたし…にはなるけれど、許嫁が頑張るので主人公は許嫁に思えるし、それまでのロイを巡る話とは関係無いしで、見終わると何を見ていたんだっけ?状態。

全体的に見所は少ないけれど、一番の見所は主人公のおじさん。
ラム・チェンインが演じるこのおじさん、特殊効果でおじさんと言うよりもおじいさんなんだけれど、このおじさんが葬儀等を行う道士で、冠と黄色い法着を着て木の剣で何やら儀式や法術を行い、正に「霊幻道士」でお馴染みの道士の原型とも言える見た目や人物になっている。
このおじさんは歳なので機敏には動けずに周りの助けを借りてやっている笑い要員にはなっていたけれど、法術は詳しく、やる時はやる感じがかっこいい人物になっていた。
「妖術秘伝・鬼打鬼」が「霊幻道士」の基になっていると言うのはキョンシーが登場するという部分ではそうだけれど、「霊幻道士」のラム・チェンインの道士の基で言えば、この映画の方。

この映画、「妖術秘伝・鬼打鬼」のシリーズ続編と言ってキョンシーや妖怪との対決を見れるのかと思ったら全然違う映画で妖怪モノとしては全くそうではないし、内容は変な引っ張りでおもしろくはないし、最終的に誰の何の話だったっけ?になってしまう脚本の継ぎ接ぎ感があって何だかよく分からない映画ではあるけれど、「霊幻道士」のラム・チェンインの道士の大元が見られるという部分では興味は引かれた映画ではありました。

☆☆★★★