スタートレックV 新たなる未知へ

2025年12月25日 木曜日

ウィリアム・シャトナー監督・原作・主演の1989年のアメリカ映画「スタートレックV 新たなる未知へStar Trek V: The Final Frontier)」
テレビドラマ「宇宙大作戦」のその後を描いた映画五作目。
 
前作で大佐に降格となり、新たなU.S.S.エンタープライズAを与えられたジェームズ・T・カークだったが、旧式の船を改装した為に修理に入ったエンタープライズが乗れないのでスポックとレナード・マッコイと三人で休暇を取っていた。
そこに司令部からニンバス3号星で惑星連邦、クリンゴン、ロミュランの大使が人質に取られたので助けに行けとの命令が入りエンタープライズAで発進した。
ニンバス3号星に行くと大使達を人質に取ったのはヴァルカン人のサイボックで、サイボックはスポックの異母兄弟だった。
サイボックはカーク達も人質に取り、エンタープライズを乗っ取り、彼が神がいると信じる惑星シャ・カ・リーへと向かった。

インターネットで色々調べていたらYoutubeで「宇宙大作戦(TOS)」の映画が無料で公開しているという情報を見つけ、一作目から順番に見始めての五作目
この映画シリーズの中では四作目の「スタートレックIV 故郷への長い道」だけは以前に見た事があったけれど、一応再確認と思って見直してからの五作目。

序盤や中盤までは結構おもしろく見ていたのに終盤になると急激につまらなくなってしまった。
始まりの休暇での特に何かが起こる訳でもなく、真面目過ぎでボケになっているスポックに激しく突っ込むマッコイと、間を取り持ちつつ二人に乗っかったり突っ込んだりするカークの会話劇が抜群におもしろく、今までの映画を見て来て思っていたこの三人のトリオ漫才がもっと見たいというのをやってくれて嬉しくなって見ていた。
その後も、ポンコツなエンタープライズAに色々と文句も言いつつ、交渉もせずにサイボックの所に自ら乗り込んで行って力で解決しようとするカークは歳を取っても変わらないやっぱりのカークだし、そこでの派手な銃撃戦やもっちゃりではあるけれどのカークのアクションを見せたり、三人が捕まってからもまたトリオ漫才が始まったりと、見せ場もあるし王道なハリウッド映画になっていてウィリアム・シャトナー結構やるじゃんと思って楽しく見ていた。
ただ、流石にウラの裸踊りは何だこれ?とは思ったけれど。

そこからサイボックの話になって行くとここからが急激に何じゃそりゃ?が多くなって覚めて行った。
サイボックの話を聞くと洗脳?解放?されてサイボックの言う事を聞く様になったけれど、この特殊能力については詳しい説明も無く、これが何なのかよく分からず、一人一人結構時間をかけてカウンセリングをやって行ったの?だし、その間他の人達は黙って待っていたの?だし、同じ様にしたスポックとマッコイは何でサイボックに従わなかったの?これが友情の力?だし、この力で皆を従わせないとエンタープライズをサイボックの思う通りに動かせないので他の人は強制的に支配下に置くという事で悪役になっていたのに、船の支配で一番重要だろうカークは何故か除外して妙に話が分かる人でもあったりと、サイボックが敵役としても、そんなに悪い人でもなくて単に自分の考えで突っ走っているという人物だとしても立ち位置が中途半端で身が入って行かない。

突如出て来た銀河の中心だと言うシャ・カ・リーとか、それを取り巻く通行不可能なグレートバリアとかそれ何?だし。
この超えた人がいない未知のグレートバリアの様なモノが「宇宙大作戦」にも出て来た様な気がしたので調べてみたら、このグレートバリアってこの映画が初出だった。
だったらもっと説明が必要なのにそこら辺は結構適当。
サイボックが言うシャ・カ・リーに神がいるからで皆が納得している感じだけれど、ほとんどの人はサイボックの洗脳?解放?能力で従っているはずで、ここら辺の描写が中途半端なので皆が急にシャ・カ・リーに興味を持っている説明が弱い。
それに銀河の中心だと言っていたけれど、ロミュランとの中立地帯近所にある銀河の中心って何?だし、誰も越えられなかったグレートバリアをポンコツエンタープライズがどうやって超えたの?だし。

シャ・カ・リーにいた謎の生命体も当然神や創造主でないのは分かっている事なんだけれど、この神の様な圧倒的な存在に翻弄されるって「宇宙大作戦」で何度も出て来たし、映画の一作目「スター・トレック(1979年)」やこの前作の四作目でも宇宙を航行する巨大な何かではあったけれど太刀打ち出来ない様な存在は映画でも既にしているのにまた?という既視感ばかり。
「宇宙大作戦」で何度もしていたのでてっきりジーン・ロッデンベリーがこういうのがお好きだったのかと思ったら、この映画での発案はウィリアム・シャトナーだったそう。
逆にジーン・ロッデンベリーはこの話に反発したそうで、それは実現しなかった映画の企画と似ていたという事もあったらしい。
この神の様な存在(名前としては「God」になっている)も、神の様な存在の割には最後にサイボックと掴み合いの取っ組み合いになったり、そんなに大きくはないクリンゴンのバード・オブ・プレイの銃撃で消滅したりと、まあしょっぱい。

カークを追って来ていたバード・オブ・プレイのクリンゴン艦長もクリンゴンの大使による説得でエンタープライズとの戦いにならないのは良いのだけれど、どうやって、何の理由で説得出来たのかを全く描かないので急にクリンゴンと仲良くしているのも全然納得出来なかった。

結局、この映画はカーク、スポック、マッコイや他の乗組員達を描く割にそれ以外がおざなりなので何じゃこりゃ?になっていた様な気がしてしまった。
それならいっその事、事件らしい事件が起こらずにトリオ漫才と乗組員達の日常コメディでも良かったのにと思ってしまった。

良かった部分では、これまでの映画でもまだエンタープライズの装置がオンオフスイッチだったのが後のLCARSっぽいデザインになっていて複雑な大型艦の機器として現実感が出ていた所。
これはこの映画が1989年公開で、既に「新スタートレック」が始まっていて、そっちのデザインが気に入ったウィリアム・シャトナーが「新スタートレック」のプロダクション・デザイナーだったハーマン・ジマーマンを連れて来たからだそう。
そう思うとスタートレックと言えばのデザインを作ったハーマン・ジマーマンは凄いし偉い。
更にこの映画のエンタープライズAの通路は「新スタートレック」のエンタープライズDの通路をそのまま使っていたそう。

「新スタートレック」からと言えばこの映画での曲も。
元々は一作目の映画の新たなメインタイトルとして作られ、何故かその曲をそのまま「新スタートレック」のメインタイトルにして、「新スタートレック」がもうシーズン2に入っていて、毎週放送される「新スタートレック」の曲として馴染んだ時に一作目以降使っていなかったのにこの映画で再びメインタイトルとして持って来る意味がよく分からなかった。
一作目でこの曲を作曲したジェリー・ゴールドスミスが戻って来たからという理由なんだろうけれど、それにしても多分この映画公開時のスタートレックファンもこの曲は既に「新スタートレック」のメインタイトルになっていたと思うのに、「宇宙大作戦」の映画の五作目で復活させるってどう思ったのだろう?

ウィリアム・シャトナーが連れて来たであろうで言えば、カークに航海日誌を持って来た下士官(役名は無く「Yeoman(アメリカ海軍の事務係下士官)」が結構目立つ様な所にいたので調べてみたら、この女性はウィリアム・シャトナーの娘のメラニー・シャトナーだった。

あと気になったのは、この映画シリーズでのクリンゴンは「宇宙大作戦」のクリンゴンから変わった額に突起のある方のクリンゴンで、この映画でもそうなのに、ロミュラン人の大使のケイスリン・ダーには額に突起があるロミュラン人では無かった事。
ロミュランは後のロミュランの見た目には合わせずに「宇宙大作戦」のままにしたのねん。
それでも何故かロミュラン人の特徴の尖った耳は何かで隠し続けたままだし、妙に明るい感じで全然ロミュラン人っぽくなかった。

この映画、カークとスポックとマッコイのトリオ漫才が楽しめると言う点で凄く良いし、おもしろかったのだけれど、SFの部分ではまるで「宇宙大作戦」かの様に映画でも何度も繰り返される同じ様な設定の話で飽きたし、唐突だったり説明が少なかったりと出来が良くなく、何とか最後に三人のキャンプで終わらせはしていたけれど、最初はあんなに楽しかったのになぁ…で終わってしまった映画でした。

☆☆★★★
 
 
関連:宇宙大作戦 シーズン123
   スター・トレック(1979年)
   スタートレックII カーンの逆襲
   スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!
   スタートレックIV 故郷への長い道

スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!

2025年12月20日 土曜日

レナード・ニモイ監督・出演、ウィリアム・シャトナー主演の1984年のアメリカ映画「スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!Star Trek III: The Search for Spock)」
テレビドラマ「宇宙大作戦」のその後を描いた映画三作目。

前作でスポックが自らの命を犠牲にしてU.S.S.エンタープライズを救った。
帰路に就くエンタープライズだったが、レナード・マッコイの精神が不安定になっていたので休養を取る事となった。
しかし、ジェームズ・T・カークを訪ねて来たスポックの父親サレクによるとヴァルカン人は肉体は死んでも魂は生きており、スポックは死を覚悟した時にマッコイへ自分の魂を託していたのでマッコイの精神が不安定になっており、スポックの肉体と魂が合わさればスポックは復活するし、マッコイも元に戻ると言う。
カークはスポックの遺体を送り出したジェネシス計画で誕生した惑星に行こうとするが、その惑星はジェネシス計画の装置を作り出したカークの息子デビッド・マーカス達だけが立ち入りを許可されており、カーク達でも許可はされなかった。
カーク一行は廃船間近のエンタープライズで強行突破してジェネシスの惑星へと向かうがジェネシス計画が強大な兵器だと認識したクリンゴンもジェネシスの惑星へと向かっていた。

インターネットで色々調べていたらYoutubeで「宇宙大作戦(TOS)」の映画が無料で公開しているという情報を見つけ、一作目から順番に見始めての三作目

二作目「スタートレックII カーンの逆襲」がまるで一作目の「スター・トレック(1979年)」が無かったかの様に心機一転の映画で、その二作目の直後から始まる続編。
二作目の出演に乗り気ではなかったレナード・ニモイがスポックが死ぬならで出たという話を見たのに、その続編はノリノリの様でレナード・ニモイが監督までしてこの映画丸々一本使ってスポックの復活を描く内容で、映画内の最後には更に続編もするよ!と予告も出て来て、レナード・ニモイのこの心変わりは何だったのか?と思う映画。
二作目でレナード・ニモイを納得させる為と映画での意外性の為にスポックを死なせたのはいいのだけれど、その続編となるとどうしてもそれに縛られてはしまい、スポックの復活だけで行くとなると一本の映画としては中々きつい感じがしてしまった。
確かに見せ場も多くあり、これまでの映画でちょこっとだけは登場していたクリンゴンがいよいよ本格的に敵として登場して、しかもクリンゴンのバード・オブ・プレイの初登場や遮蔽装置の使用があったり、新型艦のエクセシオールの登場や宇宙艦隊から逃げ出すカーク一行がお馴染みの人達だけでエンタープライズを動かし、エンタープライズの自爆で最後を迎える等、二作目以上におもしろい要素を盛り込んで結構飽きさせない。
しかし、話の本筋はスポックが復活するという事で、今見ると当然スポックが復活するのは知っている事だし、この当時でもやっぱりスポックは復活しませんでした…にはならない事は分かってはいただろうから、これだけ引っ張ってする事なのか?と思ってしまった。
まだ、テレビドラマのシーズン最終話でスポック死亡のクリフハンガーをして、次のシーズンプレミアでその復活を描くなら如何にもな展開でおもしろく見れたと思うのに、映画だと何だか無駄に水増しした感じを受けてしまった。

そのスポックの復活も、マッコイに魂を残していたから問題無く、肉体の方はジェネシスで遺体の細胞から蘇った?と何でもありで、強引に生き返らせていたので乗っては行けなかったし。

それにカークと息子のデビッド・マーカスも二作目よりも交流も会話も無いままで父と子の関係はさっぱり描かれず、なのでカークの息子へ思いも大して響かない。
前作でこのデビッドを息子として出したは良いけれど結局上手く扱い切れなかったという印象しか残らなかった。

それとそのデビッドとの関係が深まりそうでやっぱり薄いままだったサーヴィックもいまいちで、しかも初登場した二作目の役者から行き成り交代しているし、その役者は前の人とは似てもいないし、やっぱり初登場の時の方が印象が強くなるのでこのサーヴィックは印象が弱くなってしまった。

この映画で一番おもしろかった場面は、最後のカーク対クリンゴン艦長クルーグの対決。
二作目ではカークと敵のカーン・ノニエン・シンが直接顔を合わせる事が無いまま終わったのに対して、その続編ではカークとクリンゴンが直接殴り合って決着を付けるなんて、如何にもハリウッド映画だし、如何にも「宇宙大作戦」っぽくて笑ってしまった。
しかも、これ以降でもお馴染み戦闘種族クリンゴンだけど動きがもっちゃりに加え、ウィリアム・シャトナーも動きがもっさりで、まあ迫力の無い戦い。
最後にはカークが「地獄に落ちろ!」と崖を掴んだクルーグを蹴り落すって、物凄くカークっぽくて笑ってしまった。
これがジャン=リュック・ピカードだったら助けたんだろうなぁ…と思って見てた。
後から調べて知ったのだけれど、このクリンゴン艦長クルーグってクリストファー・ロイドだったのか。

他でもおもしろかったのが、クリンゴンのバード・オブ・プレイの存在。
制作企画段階では元々この映画での敵はロミュランだったらしいけれど、それをレナード・ニモイがクリンゴンに変更したそうで、その為元々ロミュランのバード・オブ・プレイだったのがそのままロミュランのバード・オブ・プレイをクリンゴンが盗んだという話になり、その設定が無くなったけれどバード・オブ・プレイの名前はそのまま残り、「宇宙大作戦」でクリンゴンとロミュランが一時的に同盟を結んでいたという設定もあったのでクリンゴンの遮蔽装置があるバード・オブ・プレイが誕生したという事らしい。
そういう制作側の都合の二転三転で後々までクリンゴンに続いて行くのはおもしろい裏話。
一方でそのバード・オブ・プレイの遮蔽を見抜くのが目視なのはどうにも…。
二作目でも星雲の中での船の移動が目視っぽかったけれど、今回はスクリーンに映る映像を見て「あそこ歪んでないか?」で見抜くって流石にSFとしてどうなの?
センサーを使った何とか波とかのSF用語で見付けないと余りにしょっぱかった。

見ていて意外だったのがエンタープライズの最後。
確かに、宇宙艦隊はもうエンタープライズを修理しないとは言っていたけれど自爆させてしまうんだ…とは思った。
この映画シリーズでは毎回スポックの死やエンタープライズの破壊とか何らかの意外性ある事をしないと気が済まないのか。
新スタートレック」のギャラクシー級のエンタープライズDも映画「スタートレック ジェネレーションズ」で大破したけれど、映画でお馴染みのエンタープライズが壊れるのはここからの伝統になったのか。
ただ、これってドラマで何度も登場して色んな危機を乗り越えて来た船だから壊れてしまうのは衝撃だし哀しくもあるんだけれど、それをシリーズのまだ三作目のしかも初めの方でエンタープライズをぶっ壊す「スター・トレック BEYOND」って、やっぱりどうなの?と思ってしまった。

この映画、連続する話の真ん中で、主軸はスポックが復活するという分かり切ってはいる話なのであんまりおもしろくはないのだけれど、それ以外のいよいよ登場してきたクリンゴンやエンタープライズの最後等がおもしろくて、そっちでは見れてしまう映画でした。

☆☆★★★
 
 
関連:宇宙大作戦 シーズン123
   スター・トレック(1979年)
   スタートレックII カーンの逆襲
   スタートレックIV 故郷への長い道
   スタートレックV 新たなる未知へ

スタートレックII カーンの逆襲

2025年12月17日 水曜日

ニコラス・メイヤー監督・脚本、ウィリアム・シャトナー主演の1982年のアメリカ映画「スタートレックII カーンの逆襲Star Trek II: The Wrath of Khan)」
テレビドラマ「宇宙大作戦」のその後を描いた映画二作目。

宇宙艦隊の士官候補生の訓練艦となったU.S.S.エンタープライズではスポックが艦長となって若者達を教えていた。
訓練航行の査察としてジェームズ・T・カーク提督が同乗する事となったが、航行中に実験宇宙ステーションのレギュラー1にいるカークの元恋人の科学者のキャロル・マーカスからの通信が入り、自分達が研究しているジェネシス計画の装置をカークの命令を受けてU.S.S.リライアントが引き渡せと言って来たと抗議をして来た。
何も知らないカークだったが、ジェネシス計画の調査を行っていたリライアントが惑星セティ・アルファ5上でかつてカークによって追放されたカーン・ノニエン・シンが仲間の優生人類達と共に厳しい環境で生き残っていたのを見つけ、カーンはカークへの復讐を果たす為、リライアントの艦長と乗組員だったパヴェル・チェコフを洗脳してリライアントを乗っ取ってレギュラー1に迫っていた。

インターネットで色々調べていたらYoutubeで「宇宙大作戦(TOS)」の映画が無料で公開しているという情報を見つけ、一作目の映画「スター・トレック」を見たので続けて二作目も見てみた。

一作目が興行的には良かったので二作目制作となったけれど、一作目が内容的には余り評判が良くなかったらしく、それを受けてジーン・ロッデンベリーが外されて、宇宙船の見せ場を増やしたり、分かりやすい悪役の登場等映画的なおもしろさを取った映画にしたみたいで、それが確かに効果的で一作目よりもおもしろくなっていた。

始まりは、後年他のシリーズでも時々話題に出て来るコバヤシマル・シナリオからで、映画の意図としてはどんでん返し的な掴みの盛り上げ場面ではあるけれど「コバヤシマルはこれが初出かぁ…」と寧ろ感慨深く見てしまった。
コバヤシマルの話は知っているのでカークの攻略法も知っていて、引っ張ってのカークのやった事の意外性は無し。
しかし、この映画ではコバヤシマル・シナリオの描写が薄いので何がどういう状況でどうなっているのかが良く分からないので、お馴染みの乗組員達が死んでしまうという事位しか面白みが無かった。
それに、カークは二度挑戦して三度目でプログラムを変えたって、これって良く取ればカークが「正解が無いのでは…?」と気が付いたという事だけれど、単に「これ難し過ぎるからプログラム変えちゃえ!」だったら頭の良い馬鹿な悪ガキで、確かに若い時のカークってそんな感じもありそうではある。

各人の設定は一作目の映画から続いているはずなのにカークはまた地上勤務に戻っていたり、チェコフ以外の乗組員は訓練艦となったエンタープライズで訓練官となってそのまま残っているという前提で話が進んで行き、一作目のその後の説明が全然無い。
まあ、カークは危機に対する一時的な現場復帰だったんだろうけれど、スポックはヴァルカンでの修行止めて何で訓練官になっているの?だし、あれだけ現場復帰を嫌がっていたマッコイもすんなりいたり、何故チェコフだけ別の艦に乗っているの?とかの説明が一切無いのは凄い違和感。
展開でも宇宙船を暫く離れて地上勤務になっていたカークが久々にエンタープライズの指揮を執るのは一作目と同じだし、レギュラー1に行く為にエンタープライズが発進する場面は一作目とほぼ同じと言うか、本当に一作目のカットをそのまま使い回していたり、若い新たな乗組員のサーヴィックがいたりとか、この序盤のエンタープライズの展開ってまるで一作目が無くて、ここから新たな「宇宙大作戦」のその後を描く映画の始まりかの様。
何だか二作目にして映画シリーズのリブート、リスタートの様な感じがしてしまった。

この映画での敵は「宇宙大作戦」の「宇宙の帝王(Space Seed)」の一話だけに登場したカーン・ノニエン・シンを持って来ていて、この持って来方に関心した。
その後のスタートレックシリーズで育った身としては、やっぱり敵と言えばクリンゴンやロミュランになるかと思ってしまうけれど、そこに一話だけしか登場しなかったカーンを出すとは意外。
このカーンの選出って当時の「宇宙大作戦」を見ていた人達はどういう反応だったのだろう?
監督脚本のニコラス・メイヤーが「宇宙大作戦」を見た事が無くて全部見たらしいけれど、確かに気になるだけの存在感はカーンにはあったか。

そのカーンはただカークへの復讐だけで突っ走るので「宇宙の帝王」よりも分かり易い悪役にはなっているけれど強烈な存在ではあり、でも復讐に突っ走るので簡単にカークの挑発に引っ掛かってしまってしょっぱくもありで、凄く人間らしくなっていた。
カーンで疑問に思ったのは、あの洗脳出来る虫はあの星にはカーンに従う優生人類しかいないのに何で洗脳出来ると知ったのか?と、最後エンタープライズを巻き込んで自爆して復讐を果たそうとしてけれど、リライアントが爆発する前にカーンが死んでしまったっぽいので、カーンは「カークに復讐出来た!」で死んでしまって、カーンとしてはめでたしめでたしの死になったんじゃないの?という事。
カーンの最後に関しては、映画として最後までカーンを悪役として、その悪役を倒すのを描くなら、カーンが死ぬ前にスクリーンに映ったエンタープライズがワープして飛んで行って、カーンの「そんなぁ…」でリライアント爆発でカークとしてはめでたしめでたしになるんじゃないの?と思ったのだけれど、そこら辺のカーンの最後の描写が曖昧なので凄く中途半端に思ってしまった。
カーンで良かったのは、ハリウッド映画だったりカークだと最後に敵と殴り合っての決着に行きがちだけれど、この映画ではカークとカーンはスクリーン上では話をしていたけれど実際に顔を会わせる事が無かった事。
これだけ強烈な敵がいて、とにかく敵を殴って倒しがちだった「宇宙大作戦」のカークを思うと直接の対面が無いのはおもしろかった。

カークの変化で言えば、歳を取った話も出て来て、敢えて誕生日を出して歳を感じてしまうとか、老眼鏡を出したりと歳を強調していた。
一作目から三年後の映画とは言え、カークと言うか、ウィリアム・シャトナーが一作目から更に老けている感じはあったし、カークは一作目と比べると大分落ち着いた感じになっていたし。
一作目のカークがエンタープライズへの執着が強くて、本来の艦長になるはずだったウィラード・デッカーとやたらと張り合ってマッコイに説教されていた事を思うと急に大人になった感じ。
そもそも一作目のカークが権力使ってとにかく自分がエンタープライズの艦長をするんだ!と出しゃばる駄々っ子ぽさに違和感を感じたけれど、この映画での周りの人達が艦長はカークが相応しいと譲っても「いやいや」と断るカークの方が全然良い。
一作目の話も結構いまいちでカークの人物描写も思うと、やっぱりジーン・ロッデンベリーが外されて正解だった様な気がしてしまった。
新スタートレック」もジーン・ロッデンベリーの関わりが減って来た辺りからおもしろくなって行ったし。

他の人物はカーンの個性や存在が強いからかマッコイの活躍も余り無いし、スポックは行き成り特に前振りも無く死んでしまうし、カークとスポックとマッコイの漫才感が薄かったので物足りなかった。
スポック行き成り死んじゃうの?と思ったら、どうやら演じるレナード・ニモイが元々二作目に出演する気が無く、スポックが死ぬんならするよで出たらしく、それで突然死ぬ展開になったらしい。
だからスポックの活躍場面が余り無いのかと思ったし、一方で映画がシリーズ化になってやる気満々のウィリアム・シャトナーに合わせてかカークはやる気がドンドン出て行くけれど、そんなに乗り気じゃなかったレナード・ニモイのスポックが死んで終わりなのかとも思ったし。
でも、結局何だかんだでスポックは最後の六作目までで続けるんだけれどね。

新たな人物のサーヴィックは活躍しそうで大してせずで、良さそうな存在だったのに少々勿体無い気がした。
それにヴァルカン人なのに最後に泣いたけれど良いの?だったし。
ヴァルカン人って泣かないと思ったので調べてみたら、このサーヴィックって映画の中では全く出て来なかったけれどヴァルカン人とロミュラン人の子供という設定らしく、撮影前の脚本ではスポックの台詞での説明があったらしい。
だから時々驚いたり戸惑ったりした様な感じがしたのかも。

カークの恋人だったとして出て来たキャロル・マーカスって、この人もカーンみたいに「宇宙大作戦」から持って来た人だったっけ?と思って調べてみたらこの映画が初登場だった。
更にそのキャロル・マーカスとカークの子供デビッド・マーカスまで出て来たけれど、このデビッドの扱いも微妙。
カークがもしかして自分の子供かも?と思う様な描写はほとんどないし、父と子の対立を見せるのかと思いきやデビッドは単に研究の事で艦隊の人間を信用していないだけだし、カークとの和解も何だかよく分からない感じだったしで、何でわざわざカークの息子を出して来たんだろう?
他でもカーンとジェネシス計画や、そこに急なスポックの死とか、上手く噛み合っていない感じがしてしまったのだけれど、元々別々の脚本で企画されていた事を幾つか合わせたらしいのでこういう感じになっている所に、更にデビッドを出しての父と子の関係をやろうとしたけれど上手く描き切れなかっただけなんだろうか。

映像では、エンタープライズとリライアントの戦いは結構良かった。
「宇宙大作戦」では流石にここまで特撮や模型やCGなんて出来なかったので中々迫力はあったし、確かそれまで宇宙艦隊の船同士の戦いも無かったのでそこでもおもしろかった。
ただ、星雲の中で戦いの時、特に何の説明も無くエンタープライズがリライアントの真後ろに付けられるのは何で?とは思った。
説明が無いので何ともだけれど、あれだと映りの悪い映像を目視で確認して移動していたって事?
ここら辺はよく分からないSF用語で索敵して見つけられての移動が描かれていたらもっとおもしろかったのにとは思ってしまった。
互いに見えない同士で宇宙船で戦うのは「宇宙大作戦」でロミュラン相手におもしろくやっていたのになぁ。

あと、制服も一作目が無かったかの様に新たな制服になっていたけれど、こっちの制服は「宇宙大作戦」以降の制服として他のシリーズで見た事があったと思うので馴染みがあった。
一作目のやっぱりな寝間着感や地味な感じからするとこっちの方が断然良い。

この映画、まるで映画一作目が無かったかの様にカークのエンタープライズの艦長復帰と敵との対決になり、それを宇宙船戦での映像的にも見せていて、一作目無しでこっちから映画シリーズの始まりでも良い様な中々おもしろかった映画でした。

☆☆☆★★
 
 
関連:宇宙大作戦 シーズン123
   スター・トレック(1979年)
   スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!
   スタートレックIV 故郷への長い道
   スタートレックV 新たなる未知へ

嵩山少林寺

2025年12月15日 月曜日

高橋玄監督・撮影の2003年のドキュメンタリー「嵩山少林寺」。

以前、映画「少林寺」Amazon プライムビデオで検索したら出て来て、何時か見ようと思っていたら配信が終わりそうだったので見てみた。

内容は、初めは嵩山少林寺の歴史を少しだけ紹介し、その後は監督の高橋玄が実際に行った河南省登封市にある嵩山少林寺やその周辺にある武術学校で披露された少林拳の演武を記録撮影した物をほとんどそのまま見せるというモノ。

嵩山少林寺や少林拳は千五百年位前に出来たらしいので、今では何処までが実際の歴史なのか伝説なのかもあるみたいだけれど、このドキュメンタリーではそこら辺は軽く触れる位で、ほぼ少林拳の演武を見せるのが目的。
ただ、カメラは一台だけで、当時のビデオテープのカメラ?の撮影なので映像は綺麗ではなく、ほぼ正面からのカット無しの本当に記録映像なので、映画の中の戦いの功夫ではなく実際の少林拳を見てみたいと思わないとそんなにおもしろくはないかも。
わたしも見ていても初めは色んな映画で見た様な拳が出て来て、おっと思ったし、それこそ映画「少林寺」はこれで出て来た実際の少林拳の演武をほとんどそのままやっていた事が分かったし、それを映像的に見せていたんだなぁとかも思ったり、映画「少林寺」で室内で「はっ、はっ、はっはっ!」と言って同じ動きを繰り返しているので足元の石が擦り減っているという有名な場面のあの動きもこの中の演武で出て来て、そこら辺ではおもしろかったのだけれど、それがずっと最後まで一時間位続くので結構飽きてしまった。
色んな何とか拳が出て来るんだけれど、その各拳法?流派?に関する説明は無く、各自で違うのは分かるんだけれど何が決定的に違って別の拳法になっているとかの説明も無いので見ていても次々と色んな拳法が流れて行くだけ感じられてしまった。
よっぽど少林拳に興味が無いと中々厳しい感じはした。

それよりも少林寺の周辺には少林拳を教える大きな学校が幾つもあり、そこに多くの生徒がいるという仕組みの方が気になってしまった。
こういう学校の目的が特に説明も無いので当時の武術の立場がいまいちピンと来ず。
まだ、よく映画に登場する近代化前の剣と武術の世界なら武術を教える・学ぶのは分かるけれど、西暦2000年前後の時代にこういう学校が持てはやされていたのはどういう理由なんだろう?
日本でも学校はあくまで勉強が主で、ほぼ武道が主の学校が集まっているとかだといまいちピンと来ないし。
気になって調べてみたら、中国武術は格闘技の目的以外にも健康や魅せるという目的もあるらしく、実際的な格闘技よりも体操とかに近いのかな?とも思ったり。
日本でも日本以外でもほとんどスポーツだけの学校という所もあり、それだとスポーツは後々にプロになってショーとしてお金を稼ぐという方向性もあるけれど、この武術学校の生徒達は卒業したらどうなるんだ?と思ったのにこのドキュメンタリーではそこの部分の話は一切無いので、ずっとこれはどうなんだ?と思ってしまった。
武術も競技としての大会はあるみたいなので、そこからそれこそリー・リンチェイ(ジェット・リー)みたいに映画界に行くというのが目的なんだろうか?

あと、興味が行ったのは少林拳は先手を打って攻撃するのではなく、相手からの攻撃に対して戦うという前提だという事。
だから、あの棒で体を殴らせたり、槍先を体に刺して耐えるみたいな事で我慢をするのもそういう理由からなのかとも思ったり。
ただ、相手からの攻撃に対してなら派手な演武よりも相手がいての組手の様な形の訓練にはならないのだろうか?とも思ったり。

このドキュメンタリー自体は本当に少林拳の演武の記録映像なのでアクション映画的なおもしろさを期待してもその様なモノは無く、実際の少林拳を見てみたいと思った人が見るドキュメンタリーだと思いました。

スター・トレック(1979年)

2025年12月12日 金曜日

ロバート・ワイズ監督、ジーン・ロッデンベリー製作、ウィリアム・シャトナー主演の1979年のアメリカ映画「スター・トレックStar Trek: The Motion Picture)」
テレビドラマ「宇宙大作戦」のその後を映画で描いた続編。

天体程の大きさのある巨大な何かが地球へと迫っていた。
それを調査して止める為に大規模な改修が終わろうとしていたU.S.S.エンタープライズが任務に赴く事となり、提督となっていたジェームズ・T・カークが名乗り出て再び艦長として指揮を執る事となった。
その為、エンタープライズの艦長として出航するはずだったウィラード・デッカーはカークに副長に任命されてしまった。
モンゴメリー・スコット、ウフーラ、ヒカル・スールー、パヴェル・チェコフらはそのままエンタープライズに残っていたが、カークはレナード・マッコイを呼び戻し、謎の物体に興味を持ったスポックもエンタープライズへとやって来て、謎の物体の調査へと赴く事となった。

インターネットで色々調べていたら、Youtubeで「宇宙大作戦(TOS)」の映画が無料で公開しているという情報を見つけ、わたしは「宇宙大作戦」は全話見て、その後に映画を見ようと思ったら何故かAmazon プライムビデオでは「スタートレックIV 故郷への長い道」だけが配信していたのでそれを見ただけだったので、これは好機と思って見てみた。

スタートレックシリーズのその後への影響とかの部分で見るとおもしろい部分はあったけれど、一作の映画としてだとおもしろくはなかった。

このYoutubeの配信だと始まってから一・二分間は画面真っ黒で音楽が流れているだけが続いたので「何か壊れてる?」と思ったら、そこからオープニングクレジットが始まって「??」ではあり、更にそのオープニングクレジットの音楽が「新スタートレック」のメインタイトルでお馴染みの曲で戸惑ってしまった。
「新スタートレック」からスタートレックに入って、最近も「新スタートレック」をシーズン1から見ていた身としては、この音楽は「新スタートレック」なので、「宇宙大作戦」で「新スタートレック」の曲だと思ってしまったので変な感じ。
続編の映画なのでエンタープライズを新たにするのは分かるけれど音楽まで変えてしまったのは当時の「宇宙大作戦」を見ていた人からするとどうだったのだろう?
やっぱり「宇宙大作戦」はあの「♪ア~ア~~アアアアア~」の曲じゃないの?
それに、この映画の音楽を新たなテレビドラマの「新スタートレック」にそのまま持って来る使い回しだったのもどうなんだろうと思ってしまった。

で、映画が始まってからも初めに額に飛び出た筋のあるクリンゴン人が登場したけれど、「新スタートレック」以降で馴染んでいるわたしはやっとお馴染みのクリンゴンが初登場と思う一方で、やっぱり当時の「宇宙大作戦」を見ていた人からすると「宇宙大作戦」の時とは見た目が全然違うクリンゴン人はどう思ったのだろう?
制作側は大分思い切った事をしたので、これは後々各シリーズでネタになっているし。
それにこの時のクリンゴンの額は背骨みたいな感じで「新スタートレック」の時のクリンゴンともちょっと違っている。

その後の映画の前半は状況説明とお馴染みの各登場人物のエンタープライズへの集結と再紹介を結構ゆったりして見せているので結構間延びしながら進んでしまう。
ここは当時の「宇宙大作戦」打ち切り終了から再放送で人気が出て、ドラマ終了から十年も経って映画で続編が作られたという経緯で見たら感動的でおもしろいんだろうけれど、わたしは2020年代に「宇宙大作戦」を見てから二年位立ってからの映画なので、そこの感動は薄くなってはいた。
ここら辺の再集結もカークがエンタープライズに戻って来て興奮していたけれど何でエンタープライズから降りたのかとか、二度と船には乗らないと言っていたマッコイを呼び戻す理由が弱かったり、戻って来たスポックとの再会の時のスポックの反応の弱さがおもしろくなってはいないとか、どれも描きが弱い感じなのでいまいち乗って行けず。
カークとスポックとマッコイの三人が話し合う場面でやっと「宇宙大作戦」っぽくなったけれど、感情を抑える修行をしていたからとは言え、スポックの反応が弱いのでそんなにおもしろくならず。
そう言えば「宇宙大作戦」ってこのカークとスポック、カークとマッコイの漫才的やり取りで、このトリオ漫才がおもしろかったのにと思い出した。
特に用事もないドクターがブリッジにしらっとやって来てはカークに文句たれるとかも「宇宙大作戦」。

主人公のカークは地上勤務になったけれどその権力を使ってエンタープライズに異様な執着を見せる様な、まるで駄々っ子の様な人間になってしまっていて、何でこんなその後のカークにしたんだろう?と思ってしまった。
本来ならそんな自分勝手なカークと、艦長だったはずが突然副長に降格されてしまったウィラード・デッカーとの対立に、そこにマッコイも入って来てカークに説教してどうにかなりそうだったのけれど、対立も話的には盛り上がりに欠け、二人の理解や和解も大してないままで思わってしまい、カークが提督になって人間的に成長したとかも無く、まるでカークが更年期になって精神的に不安的になっているだけみたいだった。
ウィラード・デッカーとアイリーアの関係と言うかウィラード・デッカーのアイリーアへの思いも薄くて最後の行動もいまいちピンと来ないままだしで、おもしろくなりそうな感じではあったのに全部描きが弱かったり少なかったりで物足りず。
ヴィジャーに関する調査や分析も結局スポックが精神融合という魔法で全部説明してしまう「宇宙大作戦」の悪い部分があったり、ヴィジャーの行動原理とかも何だか有耶無耶な感じだったりとそこも描きが微妙だったし。

序盤で、映画になってドラマよりもお金をかける事が出来、エンタープライズもよりお金をかけて作ったからか、長い間シャトルポッドで行ったり来たりしてエンタープライズを長く見せていたけれど、ここで思ったのがエンタープライズとシャトルポッドの寸尺が変な気がするだった。
エンタープライズが小さ過ぎる様な気がしたけれど、見慣れた「新スタートレック」のギャラクシー級のDのエンタープライズが大きいからで、後から調べて初代のエンタープライズってDの半分位の大きさなのかと知って、映画のこの寸尺なのかと思った。

ここでもエンタープライズをずっと見ているという場面だったけれど、その後も登場人物達が外の何かをずっと眺めているという場面が何度も登場して、これが非常に間延びしていた。
これって当時は「スター・ウォーズ」が当たってそっちの早い宇宙戦の映画に向いていたけれど、「スター・ウォーズ」とは違うという方向性で「2001年宇宙の旅」の様な方向性にしたんだろうか?
話もヴィジャーが人工知能や謎の地球外生命体や進化とかだったし。
ヴィジャーの外側の宇宙船もやたらと長く見せていたけれど、お金をかけての大画面での映画だから特撮や視覚効果を見せるという意味もあったのかな?
この場面はちょっと「インデペンデンス・デイ」を思い出してしまったけれど長々とだったので間延び感が否めなかった。
アイリーアがアンドロイドとして戻って来てからのこれは一体何なのだ?で「宇宙大作戦」のSF的おもしろさが出て来たのに、それ以降のヴィジャー内部が間延びし過ぎていたので結構飽きてしまった。

エンタープライズが新たになっていたけれど制服も新しくなっていて、でも相変わらず寝間着感は強い。
「宇宙大作戦」から続く、この寝間着感は何なのだろう?
それに「宇宙大作戦」でもそれ以降でも続く、赤・青・黄の制服ではなく灰色や白色って、当時のSFの雰囲気では制服はこういう感じが正解だったのだろうか?
でも、半袖の制服って何故?
艦内は常に暑いから初めから半袖制服を作ったの?

あと気になったのがカークが結構老けていた事。
「宇宙大作戦」から十年後に作られた映画なので、そりゃあウィリアム・シャトナーも老けるんだけれど、「宇宙大作戦」でのカークの輝きから大分減った様に思えてしまった。
スポック役のレナード・ニモイは「宇宙大作戦」の時から何歳なのか分からない見た目でこの映画でも変わらない感じだったし、マッコイ役のデフォレスト・ケリーは「宇宙大作戦」の時から四十代後半なのにおじいさんにしか見えなかったし、ミスター・カトウ役のジョージ・タケイチェコフ役のウォルター・ケーニッグも「宇宙大作戦」からあんまり変わっていない感じだっただけにカークの老けた感じがカークだけが歳を取った感じになってしまっていた気がしてしまった。
映画の中でも言っていたけれど「宇宙大作戦」の五年の調査から二・三年後ではあるので、それだとカークの老け感はよっぽど提督や地上勤務があってなかったのだろうなぁと思ってしまった。
提督になって地上勤務ばかりで疲れた感じが出ていると言えば良い風なんだけれど。
チャーリーに関しては「宇宙大作戦」での渋いけれど優しいおじさん前期チャーリーから、この映画から呑気なおじいさんの後期チャーリーになっていて、最早別人なのでそういう者として見てはいた。

登場で嬉しくなったのがジーン・ロッデンベリーの妻メイジェル・バレット演じるクリスティン・チャペルで、「宇宙大作戦」ではマッコイに付く看護師だったのがこの映画ではエンタープライの医師になっていた。
「宇宙大作戦」では本当に脇役扱いだったのに映画にもちゃんと登場したのが嬉しいんだけれど、しかし何故かその場所にいるのにほとんど画面に映らないというのは何でなんだったのだろう?

カークが新しくなったエンタープライズに来て直ぐに機関室に行って機関室内を歩いて周ったり、二階部分から降りて来たりしていたけれど、そう言えばこれって「新スタートレック」の一話目でもジャン=リュック・ピカードが同じ様に機関室歩き回っていたし、確か「スタートレック:ヴォイジャー」でもキャスリン・ジェインウェイが歩き回っていた様な記憶があって、確かに内部を見せる紹介にも良いしでここからの引用や伝統になったのかな?
それに、エンタープライズ内の通路も、「宇宙大作戦」ではセット内に壁を作った位の物だったのが宇宙船っぽい通路になっていて、これも後の「新スタートレック」のエンタープライズDに繋がる感じで、そこでちょっと喜んでしまった。
あと、「宇宙大作戦」でお馴染みの、こちらには何にも無いのにハッタリを吹っかけて上手く行ってしまうカークの交渉術も、これこれ!と言う感じで喜んでしまった。

この映画、低予算ドラマで結局打ち切られた「宇宙大作戦」が再放送から人気が出て、宇宙SF映画の流行の波に乗って映画で復活して、新たなエンタープライズに皆が再集結してという流れがあるのは分かりはするけれど当時に見てないので大して感動が無く、何だか老けてしまって輝きが減ってしまい妙に駄々っ子の様なカークの魅力が無かったし、スポックも余りに素っ気なさ過ぎでカークとの漫才も不発だったと思うし、SF的なおもしろさも出しては来たけれど描きが足りないのに間延びしていて、いまいちさばかりが目に付いてしまいました。
 
☆★★★★
 
 
関連:宇宙大作戦 シーズン123
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