2026年06月17日 水曜日
チャン・チェ監督、デビッド・チャン(姜大衛)主演の1972年の香港映画「水滸伝(水滸傳 The Water Margin)」
梁山泊の首領である晁蓋が敵対する勢力の武術師範の史文恭に殺されてしまった。
梁山泊の人々は晁蓋の仇を討とうとするが武術で梁山泊にかなう者はいないと考えて史文恭と同じ師に武術を学んだ盧俊義を梁山泊に引き入れようとする。
盧俊義の下に梁山泊の使者を送るが盧俊義の配下の者が裏切って盧俊義を役所に通報し盧俊義は逮捕されてしまう。
盧俊義の腹心の燕青は盧俊義を助け出そうとし、梁山泊の人々も盧俊義を助け出そうと行動する。
何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、その中で知ったチャン・チェの映画を「英雄十三傑」に続けて見てみた。
わたしは「水滸伝」を全然知らないので、この映画では設定や話がさっぱり分からない事が多く、そこはそういうモノかと思って見てはいたけれど、映画自体がよく分からない事が多くて全然おもしろくはなかった。
映画の始まりからやたらと登場人物達が登場して、この梁山泊の面々の紹介場面ではこの人が誰なのかを説明する為に漢字字幕で名前が出てはいるけれど、この字が中国漢字の行書体の様な字なので分かる字がありつつも読めない字もあって文字を全部認識する前に消えてしまうし、アルファベットでも字幕が出るけれど、こちらは中国発音のアルファベートなので誰一人として名前が分からないまま。
分かった所で「水滸伝」を知らないので誰一人として分かりはしないけれど、これだけの人物が出て来ても名前がよく分からずに置いて行かれるので初めから乗って行けず。
見ていて後から気付いたのは、何故か丹波哲郎も出演しているのだけれど、その丹波哲郎が登場した時に「Tetsuro Tanba as~」と字幕が出て来て、それで最初のやたらと続く人物紹介はこの映画がオールスター的な映画だから、その役者を一人一人見せる必要があり、人物名に加えて役者の名前を出していたのかという事。
わざわざこれだけの人物を紹介するし、「水滸伝」なのでこの梁山泊の面々が活躍するモノだと思ったら、この梁山泊の面々は最後の方にずらっと登場する位で初め以降は梁山泊ではない盧俊義と燕青の話がほとんどになり、何の話なの?と全く乗って行けず。
「水滸伝」を知らないのでこの盧俊義と燕青の話は有名で、だからこの映画になったのだったらまだ分かるけれど、この話が有名で映画にする位なのか分からないし、そもそも「水滸伝」と銘打ったオールスター映画で梁山泊の人々に多分有名な役者を配役しておきながら、その多分有名な俳優が全然活躍しない、登場すら少ないのがよく分からない。
しかも、燕青役はこの映画以前のチャン・チェ監督映画でも主役だったので分かるデビッド・チャンが主演扱いだと思うけれどそれ程登場は多くないし、中盤以降はそれ程目立たないし、この映画で一番重要人物の盧俊義役が丹波哲郎で、敵方の一番の大物の史文恭役が黒沢年男なのもよく分からない。
何で香港オールスター映画でほぼ主役と敵の親玉が日本人俳優なんだろうか?
これって、オールスター映画になった事によって誰々がこの役で目立つとこの人が文句言うとか、役者の格としてこれだけ出さないといけないとかの関係性が面倒臭い事になってしまったので、それだったら主役はそういう関係性が無い外部の人間にしてしまえ!になったのかしらん。
それでも何で丹波哲郎と黒沢年男が出ているのかがよく分からず。
丹波哲郎はフリーランスで海外映画にも出演していたというのもあるのだろうけれど、黒沢年男って東宝所属ではなかったのからしらん。
しかも、丹波哲郎と黒沢年男が出ているのに日本では劇場公開が無かったそうで、それだと日本人俳優を主役級にしている目的が分からないし、日本の映画会社との関係や交渉もどうなっていたのだろう?
ここら辺の事情をインターネットで調べてみたけれど詳しい情報が全然出て来ず、さっぱり分からなかった。
話の方は、この人はどういう背景を持った人でどういう状況に置かれているのかよく分からない人々で話が進んで行くので付いて行けず、まだ展開がおもしろければいいのだけれど、それも盧俊義が捕まって誰かの手助けで逃げ出すの繰り返しでつまらない。
結局四回位この繰り返しが続き、何だか分からない人が何をしているのかよく分からない梁山泊に入りました…なので全然おもしろくはない。
映像は、初めは海の側に広大な砦が映し出されてショウ・ブラザーズの力を見せつける様な壮大さがあるものの、その場所は最初以外は登場せずにセット内の屋敷内の映像が多く、開けた外でも山の位置だったり道の形がつい最近見た「英雄十三傑」で長安の砦があった場所だと思わしき所で撮影していて、ショウ・ブラザーズの敷地なんだろうなぁ…と思うだけで大した事もない。
おもしろかったのが音楽で、何故か当時の現代風だと思われるオルガンやエレキギター等での音楽になっていて、時代物なのに何でこんな音楽なんだろう?とちぐはぐさでニヤニヤしてしまった。
オルガンがピロピロなって、映像の展開に合わせて急に早くなったりゆっくりになったりするのでプログレッシブ・ロック風味もあり、まあ違和感。
この映画、梁山泊が何で、何を目指しているのかさえ映画内で説明が無いので、そもそも「水滸伝」を知っていないとさっぱり分からない事だらけで乗って行けないし、梁山泊の人物ではない人がほぼ主役で同じ様な展開を繰り返すだけの話でつまらないし、最後の対決場面でも香港オールスター映画なのに何故か丹波哲郎と黒沢年男の対決が一番の見所になっていて、香港オールスターは脇役で、それまで悪事が全然描かれなかった敵が梁山泊の面々に無残に血みどろに殺されて行くので梁山泊が酷い奴みたいな感じになってしまい話が全く盛り上がらずに終わってしまうので、一作の映画として見ると分からない事が多過ぎのままで置いてけ堀、かつ製作意図や構成もよく分からない映画でした。
☆★★★★
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2026年06月09日 火曜日
チャン・チェ監督・脚本、デビッド・チャン(姜大衛)主演の1970年の香港映画「英雄十三傑(十三太保 The Heroic Ones)」。
倪匡の小説「十三太保」が原作。
唐末期。黄巣が反乱を起こして首都の長安を占領した。
唐は長安を取り返す為に沙陀族の軍閥であるリー・クーヨン(李克用)に反乱の平定を命じた。
リー・クーヨンには十三人の養子がおり、四弟リー・ツンシン(李存信)の提案によって長安での黄巣暗殺計画を決定し、十三弟のリー・ツンシャオ(李存孝)の指揮の下、九人が長安へと向かった。
九人による暗殺はツンシャオの命令をきかなかった四弟ツンシンと十二弟カン・チュンリ(康君利)の独断行動で失敗してしまった。
帰還した九人をリー・クーヨンは迎い入れ、敵陣をかき乱したツンシャオを褒め称える一方、四弟ツンシンと十二弟カン・チュンリを死罪にしようとするがツンシャオの助言で死罪を免れた。
リー・クーヨンの成功と出世を疎ましく思っていた総督のチュー・ウェン(朱温)はリー・クーヨンを倒す為に四弟ツンシンと十二弟カン・チュンリを利用しようと目論み、やがて十三兄弟の仲に亀裂が入り始める。
何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、その中でジミー・ウォングの映画を続けて見ていたのだけれど、ジミー・ウォングの映画で配信していたモノはもう全部見てしまったので、「大女侠」や「片腕必殺剣」等のジミー・ウォングの映画を監督していたチャン・チェの映画を見てみようと思い見たのがこの映画。
初めから時代や歴史の説明があるので史実を基にした映画だと分かるけれど、この辺りの歴史には詳しくないので、そうなのねで見てみたら歴史を知らずとも分かる内容で、大人数での剣劇はまあまあおもしろいものの話は構成がどうなの?なので見終わると結構いまいちだった。
始まりは主人公側を描き、主人公となるツンシャオがどういう人物なのかを見せるのだけれど、これがどうにも乗って行けない。
皆挑発的で、酒をガブガブ飲んでガハガハ笑って暴れている田舎のチンピラ感が物凄く、どちらかというとこの主役側が敵っぽい。
なので、本来なら主人公として見て行くはずの側に全然身が入らず、序盤でこれどうなの?と思ってしまった。
そこから長安に向けての移動や長安での戦いになり、十三人兄弟なのに何故か九人しか行かないという疑問もありつつも、九人対大人数戦のチャンチャンバラバラの剣劇は1970年の映画と思うと中々おもしろくはあった。
その中で四弟は暗殺作戦を提案したのに十三弟に取られたというのはあったものの、急に四弟と十二弟が勝手に行動したり、女性を襲ったりして仲違いが起こるのだけれど、それまでで四弟と十二弟の葛藤や想いがほとんど描かれないのでこれまた付いて行けず。
この中盤以降の兄弟の分裂話の方が断然おもしろかったので、もっと前段階で各人の気持ち等の描写が無いと入って行けないのにとてもなおざりなので色々唐突に感じたし、話が盛り上がらなかった。
四弟と十二弟がチュー総督側に付くようで付いておらず、結局はチュー総督がリー・クーヨンの命を狙う事になるし、四弟と十二弟の狙いは十三弟だけになるので、この四弟と十二弟の動きもいまいち盛り上がらないまま。
何と言っても、終盤でこれまでの主人公だった十三弟が四弟と十二弟の策略で馬に引かせて五体バラバラという「ひー…」となる最後が出て来て、そこからどうするのかと思いきや、今まで少ししか登場していなかった一番上の兄が、同じくほとんど顔すら見せていなかった他の兄弟達と共に四弟と十二弟への敵討ちに行き、そのまま終わって行くので主人公不在のままで結局何だか分からない話の終わってしまい、何だこりゃな感じが一杯。
企画や案を出してとにかく作り出したので後半での心情の説明の為の前段での描きが少ないのかなと思うし、観客に受ける為にとにかく剣劇を多くとか、それが何かになる訳でもない長安での十三弟と女性の関係を入れるとかになってしまったのかと思ってしまった。
こういう史実に基づいた映画となると、どうしても実際はどうだったのか?が気になる所で調べてみたら、まず十三人が兄弟と言うのは当時は有望な人間を養子(仮子)という形で向かい入れる関係があったそうで、初めは十三人も子供がいるの?この時代ならありそう…と思ったけれど途中で養子だと言う話も出て来ていて、やっぱりそういう事となのかと分かった。
ただ、十二弟の話でまだ名字をもらっていないと言っていたけれど、実際にはこの十二弟と十一弟は李克用の養子ではなかったそう。
また、三弟は李克用の実子で、生まれたのは十一弟の死亡後だったそう。
長安を攻めたのは流石に九人ではなく李克用の大軍ではあったそうで、チュー総督(朱温。後に朱全忠)が李克用と争ったのも史実で、まあここら辺までの話は大体実際と同じみたいだけれど、一番の驚きは史実での十三弟の李存孝のその後。
十三弟の李存孝に嫉妬した四弟の李存信が李存孝に吹き込んで、十三弟の李存孝が寝返って朱温に付いて李克用と戦い、負けて処刑されている。
これを知ったら、えっー!ってなるでしょ。
あれだけ李克用に可愛がられ、十三弟の李存孝も信頼して戦っていたのに何がどうなったの?
寧ろこの映画での四弟の行動が十三弟だったとは。
そう思うと何でこの映画ではこの展開になったのかよく分からないし、史実ではどうして十三弟の李存孝がそうなったのかも不思議。
ちなみに四弟の李存信は史実ではその後も李克用の下におり、朱全忠と戦って負けており、最後は病死だったそう。
李克用は朱全忠との決着がつかないままで病死し、李克用の実子である三弟の李存勗が継いで後唐の初代皇帝となったけれど悪政によって十三人兄弟の一番上の兄の李嗣源が軍閥によって担ぎ上げられて二代皇帝になっている。
結局史実の方がより兄弟間の骨肉の争いが強そう。
チュー総督こと朱温の方は朱全忠と名乗り、唐側に付いており、自分の息子を唐の皇帝にして禅譲させて後梁の初代皇帝となり、その後病気に倒れた所を実子に殺されており、後梁も後唐に滅ぼされている。
流石に映画では描き切れないけれど史実通りでも凄い愛憎巡る話。
この映画、剣劇はまだ試行錯誤の時代だからか一つ一つはそんなでもないけれど大人数対戦は結構おもしろかったものの、常に人物の描きの足りなさ、いまいちさが出ていて、結局誰が主人公なのか分からない所に着地してしまって、何だかなぁ…で終わって行ってしまう映画でした。
☆☆★★★
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2026年06月05日 金曜日
ジミー・ウォング監督・脚本・主演の1970年の香港映画「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー(龍虎鬥 The Chinese Boxer)」
柔道家のタオ・アルが国術を教える道場に道場破りとしてやって来るが師範に返り討ちにされてしまう。
タオ・アルは一か月後に日本の空手家を連れて戻って来て師範を殺して、ほとんどの弟子達も殺してしまった。
何とか生き残った弟子のレイ・ミンは復讐の為に町で賭博場を開いたタオ・アル一味の下へ乗り込んで行った。
何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので、「大酔侠」を見て、その続編的「大女侠」を見て、「大女侠」にジミー・ウォングが出ていたので「続・片腕必殺剣」を見て、続けてのこの「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」を見てみた。
ジミー・ウォングは片腕必殺剣シリーズが当たったは良いけれど製作していた映画会社ショウ・ブラザーズに対して不満があったらしく、だったらと言う事で全部やってしまったのがこの映画らしい。
香港映画としてもそれまでの「片腕必殺剣」の様な剣劇の武侠映画が多かった中からこの映画でカンフー映画へと移行して行った変わり目の映画らしい。
そんな映画で、確かに所々見所があるにはあるけれど、やっぱりまだ試行錯誤の時代の映画という事もあってか、見終わると物足りなさが大きくあった。
序盤はカメラが急に寄ったり、カメラ前に物を配置しつつも奥に長い構図の画を取ったり、編集も短く繋いでいて、ジミー・ウォングって監督として結構良いのでは?と思わせる映像や編集で結構ワクワク感があった。
話も道場破りからどうなって行くのだろう?でおもしろそうな雰囲気はあったけれど、それ以降がどうにも微妙。
道場破りの話の時点から敵側視点の話が多くてジミー・ウォングは脇役で余り話に絡んで来ず、敵が道場乗っ取ってからも賭博場側の話が多くて、やっぱり主人公であるはずのジミー・ウォングの話が少ない。
復讐譚なので主人公の恨みつらみや、ここは我慢して…とか、倒せなかった相手を越える為に修行を繰り返すとかがあるのかと思いきや、主人公の悔しい思いの吐露は一場面位。
修行も五分十分位だけで終わり、それも足に重りを付けて走り、その重りを取ったら2m以上の走高跳の棒を垂直跳びで軽々と超えられる様になって急だし、熱した砂鉄に手を叩き付けて突っ込んでいたけれど、これがどういった修行で、結果それがどうなったのかがよく分からないので手間を省いてしまった感が凄い。
結局修行後に手に付けていた手袋は何の為で、手がどうなって、その手が強いのか?もよく分からないまま。
この短い修行の後は直ぐに大勢相手の戦いになるので、復讐譚なのに復讐までのあっさりとした展開はどうなの?
ただ、その後の戦いは結構おもしろく、賭博場での大人数対戦は主人公の急な強さの発揮は感じるものの、初期のカンフー映画としては良く出来たアクション場面で楽しさがあった。
その賭博場を出ると突然外が雪景色になっており、その雪降る草原で謎に日本の剣士と戦う場面も草に隠れつつ襲撃するやり合いや、映像的にも結構おもしろかった。
まるで西部劇の銃の抜き合いの様にジミー・ウォングの短剣対敵の手裏剣の投げ合い対決もあって笑ってしまったし。
敵の剣をかわしながら剣を取って戦う姿は多分ジミー・ウォングの計らいで片腕必殺剣の主人公を思い出させる様になっていたし、ジミー・ウォングの映画を続けて見て来たのでジミー・ウォングはやっぱり剣劇の方が良いなあと思ったり。
ジミー・ウォングは剣劇の方が良いと思ってしまうのは、この映画でのカンフーアクションが良くないから。
どうしても実際に中国武術をしていた人が役者になったこれ以降のカンフー映画と比べてしまうのだけれど、ジミー・ウォングはあくまで映画俳優のカンフーなので切れはよくないし、足は全然上がっていないし、カンフー映画としては余りおもしろくはなかった。
ジミー・ウォングの余りよくないカンフーを誤魔化す為の賭博場での大人数対戦や雪降る草原での剣劇なのかな?と思ったりしたけれど、それだとジミー・ウォングは監督しての方が才能があるのか。
初めて目にした国術と言う拳法対柔道や空手の異種格闘技戦も設定としてはおもしろいのだけれど、国術がどういった拳法なのかよく分からないし、柔道は一応投げ技を見せてはいるけれど、これって柔道なの?と思うよく分からない拳法だし、空手もこれ空手なの?と思う柔道も空手も中国拳法と変わりが分からず、異種格闘技感は余り感じなかった。
ジミー・ウォングのカンフーがあんまりよくはないので本来なら一番盛り上がるはずの最後の一対一の対決が盛り上がらず、それまで敵側の首領感一杯だった柔道家も隠れていた所から出て来て短剣を投げ返されて死亡というあっさり過ぎる最後だったし、話もジミー・ウォングの想いも特に見せず急に終わるしで見終わると物凄く肩透かし感を感じてしまった。
この映画、ジミー・ウォングの監督の力や才能を感じる所が多々あるけれど、話となるとジミー・ウォングが監督で忙しかったからなのか敵側の分量が多くて主人公が少ないので主人公の想いが出る前に戦いだけになってしまって復讐の為の戦いはずなのに復讐を盛り上げる事が無いので戦いが盛り上がらず、そのまま一番最後の戦いも大して盛り上がらないまま終わってしまうので見終わると何だかなぁ…な感じになってしまう映画でした。
☆☆★★★
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2026年06月01日 月曜日
チャン・チェ監督・脚本、ジミー・ウォング主演の1969年の香港映画「続・片腕必殺剣(獨臂刀王 Return of the One-Armed Swordsman)」
過去を捨てて農夫として妻と暮らしていたファン・カンの下に二人の剣士が突然現れた。
二人は覇王城に居を構える八人の剣士の八大刀王の手下で、覇王城で開かれる武術大会への招待状をファン・カンに持って来たが、これへの参加を断れば無理にでも連れて行くと脅して来た。
その後、有名流派の師範剣士が息子達を連れてファン・カンの家を訪れ、八大刀王は各派の剣士を集めて全員を負かす事で武術界を支配しようとしている事を伝え来てファン・カンに助力を求めたが、ファン・カンは武術界から離れたと断った。
覇王城で開かれた大会では八大刀王達によって師範達は次々と殺され、各流派の若い息子達だけが残された。
息子達は集まって捕まった父親達を助け出す為にファン・カンに協力を求め、息子達を狙って殺しに来る八大刀王に怒りを覚えたファン・カンは息子達と行動を共にして覇王城へと向かった。
何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので、「大酔侠」を見て、その続編的「大女侠」を見たので、続けてチェン・ペイペイの映画を見ようと思ったら、どうやら他の映画が配信が無かったので、じゃあ「大女侠」に出ていたジミー・ウォングの方の映画を見てみようと思い検索していたら、以前は配信が無かった「続・片腕必殺剣」があったので、以前に「片腕必殺剣」を見たけれどあんまり覚えていなかったのでざっと早送ったりして復習してから見てみた。
「片腕必殺剣」が悩める主人公を描く人間ドラマ重視の映画で、それが結構良かったのに、その続編は一作目の登場人物の役として強かった主人公をそのまま持って来てはいるのに内容も雰囲気もほぼ別物の剣劇重視の漫画的武侠映画になってしまっていて、これじゃない感が一杯で残念感が一杯。
「片腕必殺剣」が剣士として生きて来たのに片腕を切られて失意の主人公が人を不幸にするからという理由で武術に否定的ではあるものの、それまでの人生や因縁と向かい合うざるを得なくなる話だったのに、その続編が鎖鎌とか、剣先から弾?が発射される剣とか、車輪状の剣とかのそれぞれが特殊な剣を使う八人の非常に悪い剣士が次々と襲って来て、主人公側の若者と敵の手下達が次々と死んで行くだけの雑多な話になってしまっていて、別に「片腕必殺剣」の続編である必要も無い続編になってしまっている。
この映画だけ見れば、片腕の凄い剣士が違う拳法で攻撃して来る敵を次々と倒して行くハチャメチャ感のある映画でおもしろいのかもしれないけれど、「片腕必殺剣」の続編として見てしまうと大分駄目。
剣劇も、各敵が特殊な攻撃を仕掛けて来るのでそれに対処して戦うおもしろさはあるにはあるけれど、結局ジミー・ウォングが剣を振り回すと敵がやられるの繰り返しだし、突然ワイヤーアクションでジミー・ウォングが跳ぶというよりも飛ぶし、ある時はクルクル回転しながら飛んだりと、それまでになかった突然の超人的空中殺法をし出してしょっぱさ加減が増してしまうし。
敵も凄腕ではあるんだろうけれど基本的に姑息で、草木に隠れて襲撃するとか、剣だと思ったら弾?を発射して予想外の攻撃にやられるとか、最後の首領も先の折れた短剣かと思いきや先が伸びて普通の剣になり意表を突くとか、皆小ズルい。
そういう小ズルさが敵だからなんだろうけれど、そうなると敵が誰も彼も小物感しかなくなってしまってしょっぱさが引き立ってしまっていた。
あと良くないと思ったのは、登場人物達の描きの薄さ。
主人公の配下で多くの若者がいるのだけれど、彼らは皆同じ格好で一目では区別が付かず、彼らの事も大して描かないので、この人は誰だったっけ?の内に次々と何人も死んで行くだけになってしまうので身が入って行かない。
敵も流石に八人もいると多過ぎて、出て来て少し見せ場があって主人公に切り殺されて行くの繰り返しなので折角の敵の濃さになる設定も薄味で終わってしまい、主人公側の人物も敵も死んで行くだけの雑多な端役で全然役が立って来ない。
主人公も配下の若者が死んでもそれ程後悔や憎しみを見せないので感情が希薄で、特に見向きもせずに大量の死体の中を歩いて行くのには結構引いてしまった。
最後は、争いは醜い。何も無いと言った感じで去っては行くけれど、まあほとんどの人を切り殺していたのは主人公だったので、主人公に何かを背負わせるには主人公の描きが足りなかった。
この映画、「片腕必殺剣」が当たった事での続編は分かるけれど、最早「片腕必殺剣」の雰囲気も薄く、監督も同じなのに何故か娯楽剣劇武侠映画に振り切ってしまった一作目ぶち壊しな続編になっていて、「片腕必殺剣」の続編として期待して見ると大分肩透かしな映画でした。
監督も主演も違うけれど一応シリーズの続編となっている「新・片腕必殺剣」の方が「片腕必殺剣」の雰囲気を引き継いでいるという変な事になっている様に思えた続編でした。
☆★★★★
関連:片腕必殺剣
新・片腕必殺剣
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2026年05月29日 金曜日
張徹監督・脚本、チェン・ペイペイ主演の1968年の香港映画「大女侠(金燕子 Golden Swallow)」。
女剣士の金燕子は金鞭に助けられて行動を共にしていた。
その二人に悪党を殺して回っている銀鵬の話が伝わる。
金燕子は銀鵬は長らく会っていない弟弟子ではないかと金鞭に話していたが、銀鵬はまさにその弟弟子で金燕子を誘き出す為に悪党を殺した後に金燕子のかんざしを残して行っていた。
古い香港映画を見ようと思い、1960~1970年代の香港映画を盛り上げた映画会社ショウ・ブラザーズが武侠映画やカンフー映画を多く作った先駆けとなった映画「大酔侠」を見たので、その主役だったチェン・ペイペイ演じる金燕子が登場するというので、「大酔侠」の続編的なこの映画も期待を持って見てみた。
しかし、「大酔侠」の続編と思って見たら大分期待外れ。
「大酔侠」の一番良かった所はチェン・ペイペイ演じる金燕子のカッコ良さで、その凛として動じず、顔色一つ変えずに敵と戦って倒して行く強さと美しさとカッコ良さに目が行き、その金燕子がまた登場する映画となればその金燕子を期待するのに、この映画は金燕子は初めは主役かと思っていたらほぼジミー・ウォングが主役で、延々とジミー・ウォングが悪党を特に因縁も無いのに切り殺して行くばっかりで金燕子の登場さえ少なくて非常にガッカリ。
初めから金燕子はにこやかに笑って、キャッキャしながら金鞭とイチャイチャしているという「大酔侠」とは全く違う人物になっており、「大酔侠」に出て来た将軍の娘とかの設定も全く出て来ず、同じチェン・ペイペイ演じる金燕子なんだけれど最早別人。
途中で少しだけ金燕子が戦う場面は出て来て、「大酔侠」と同じ様な二刀流で短剣を頭上に上げての剣劇があるにはあるけれどほんの少しだけで金燕子としては物足りなさ過ぎる。
話は金燕子の事が気になる銀鵬が金燕子に会いたいが為にあちこちの悪党共を殺して回るだけで進んで行くのでおもしろくはない。
一応銀鵬は過去に家族を悪党に殺されて自分も何とか生き残れたので悪党を殺して回っているという話はあるものの、その土地で勢力を伸ばす大きな組織から隣の家が気に入らないので因縁付けて家族を殺した一家まで大小関わらず殺して回るので只のサイコパスな殺人鬼にしか思えず、しかもその殺しの犯人を金燕子に見せかけて行くとなると当然金燕子の方に迷惑所か命の危険もあるのに、ずっと何してるんだろう?で話がつまらない。
そこから銀鵬、金燕子、金鞭の三角関係の話になり、そこまで各人の思いが大して描かれないのでその恋愛話には入って行けず。
結局ジミー・ウォングの大立ち回りで死んで行く見せ場で終わって、只々ジミー・ウォングが目立つジミー・ウォングの映画でしなかない。
そのジミー・ウォングは常にすっとぼけた、何なのその顔?な表情ばかりでカッコ良くはなく、しかも天津木村にしか見えないので終始微妙。
剣劇も剣を大きくぶん回してばかりで、剣をぶん回すと相手が切り殺されるの繰り返しでおもしろくもないし。
敵の中に個性が強そうな感じの人もいるのに直ぐにジミー・ウォングに切り殺されるので個性は出て来ないままな一方、極悪非道の組織の中でも何故か義理堅く自ら死んで行く人を多めに描いたりと、結局何を見せたいのか、何故それを見せたいのかよく分からない事も多く、その分ジミー・ウォングも何だか散漫になり、更にその脇役の金燕子なので金燕子は活きて来ない。
「大酔侠」で人気が出たチェン・ペイペイの金燕子の続編をと思ってショウ・ブラザーズは初めは「大酔侠」の金燕子を基にするつもりだったのが、「大酔侠」の監督だったキン・フーがショウ・ブラザーズを出て行ったので監督が変わり、脚本を何度も手直ししたらこうなったらしく、そこに片腕必殺剣で人気が出たジミー・ウォングを入れたらこうなってしまったという事なのかと思う。
この映画、原題が「金燕子」だし、金燕子が出ている続編として期待して見たら、その金燕子は完全に脇役でジミー・ウォングを頂点とした三角関係の中の一要素位でしかなく、話も何処に向かうのかがずっとおもしろくはないし、分かってからもおもしろくはないし、「大酔侠」の金燕子の更なる活躍が見たかったのに金燕子の戦いすらほとんど無いので非常にガッカリな映画でした。
☆★★★★
関連:大酔侠
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