妖術秘伝・鬼打鬼

2026年10月02日 金曜日

サモ・ハン・キンポー監督・脚本・主演の1980年の香港映画「妖術秘伝・鬼打鬼(鬼打鬼 Encounters of the Spooky Kind)」

ジェン・ダイタンは村の名士ダンの送迎人として働いていたが、ダンはジェンの妻と浮気をしていた。
その現場にジェンが乗り込んで来てダンは正体を知られずに逃げ出せたが、このままで何時か知られてしまうと思い妖術師にジェンの殺害を依頼する。
しかし、妖術師への依頼を知った妖術師の弟弟子は金を貰って人を殺す事が道に反すると兄弟子と揉め、ジェンを助ける事にする。
ジェンは妖術師が操るキョンシーや悪霊から弟弟子の助けを借りながら生き延び、妻の浮気相手で自分の命を狙って来ているのがダンと知り、弟弟子とダンの下に乗り込み妖術師と対決する事となる。

古い香港映画を見る流行が来ていて、その中でサモ・ハン・キンポーの映画を見ていて古い時代の映画から見ようと思っていたのだけれど「霊幻道士」の配信終了が間近だったので先に「霊幻道士」を見てから、その元となったと言われているこの映画も見てみた。

確かにキョンシーが出て来る映画ではあるし、サモ・ハン・キンポーがキョンシーと戦ってもいるけれど、キョンシーはあくまで妖術師が使う術の中の一つの操られている妖怪位の位置で、他にも幽霊なのか?妖怪なのか?の者や、何かの神々?を人に憑依させたりと妖術が主題で、思っていたキョンシー映画ではなかった。
それに映画はこの時代の香港映画だからなのか、今まで見たサモ・ハン・キンポーの映画でもその傾向はあったけれど説明も無く何だか分からない展開が急にあり、その割に各話が間延びしがちで、結局は人間同士のカンフーを見せる為の映画になっていて、「霊幻道士」がとてもおもしろかった分だけガッカリ感が強かった。

始まりからしてサモ・ハン・キンポーが悪霊に肉を噛み千切られる恐怖場面から始まるんだけれど、これが夢でそれからの話とは関係無く、次に出て来る鏡の中の悪霊もてっきりこの悪霊が取り付いての話になるのかと思いきや鏡を割ってお終いで、その後の話に一切関係無く、単に掴みとして怖そうな話を入れておいただけの様。

その後の不倫の口封じで主人がサモ・ハン・キンポーを殺そうとするのは無茶苦茶な話ではあり、その殺害を妖術による遠隔操作で…って、直接毒殺とかの方が簡単だろうにと思えるサモ・ハン・キンポーがキョンシーと戦う展開に持って行く為の強引な話で何だかな…となってしまった。

廃寺でサモ・ハン・キンポーがキョンシーに襲われる場面は、これまで見た事が無かったキョンシーが手足をカクカクさせながらちゃんとカンフーをしたのが意外でおもしろくはあったものの、この場面を二夜続けてと二回もするので飽きてしまう。
更に捕まって逃げ出したサモ・ハン・キンポーが今度は偶然キョンシーになってしまった野良キョンシーと戦ったので全編でキョンシーとの対決になるのかと思いきや、次に妖術師は妖怪?悪霊?を送り込んでいて、キョンシーモノにもし切らないまとまりの無さで雑多。

最後は主人公であるはずのサモ・ハン・キンポーは結構そっちのけで妖術師同士の妖術対決になって、主人公は誰だったけ?になるし。
でも、この最後の戦いはこれだけ見ると結構おもしろくはあり、まず祭壇が高い方が強いんだ!と言い出してお互いが高い位置に祭壇を設置したので笑ってしまったし、その祭壇で周囲の人達に何らかの神々らしき者を乗り移らせると強くなって戦い、多分普通の中年老年のダンも剣を振り回して戦うし、妖術師達は炎を放って相手を焼き殺そうとするしでやりたい放題の無茶苦茶な事の連続で急に笑いに走ってしまう。
このサモ・ハン・キンポーによるカンフー対決をする為に最初に妖術師に付いていた弟子がこの最後の場面では完全に別人になっており、その理由は映画内では一切出て来ないけれど多分最初の弟子の役者はカンフー要員ではなかったのカンフーが出来る人に変わったんだろうとは思う。
で、この最後の戦いは妖術師はお互いに死亡。
ダンは部下を殺してサモ・ハン・キンポーに殺されて終わり。
浮気していたサモ・ハン・キンポーの妻はサモ・ハン・キンポーが何度もぶん殴ってからぶん投げて終わりと、終わりも無茶苦茶。
題名の「鬼打鬼」を調べてみたら、広東語(広州語)で使われる慣用句で、文字通り「幽霊と戦う幽霊」から「身内内の揉め事・内紛」「特に悪人同士の内輪揉め」という意味で使われているそう。
なので、題名通り妖術師同士の内輪揉めだし、主人公の主人が主人公の妻と不倫した所からの内輪揉めだし、最後は主人公夫婦の内輪揉めで終わっているので、まあ題名通りの内容と言えばそうなのかとは思った。

この映画、当時似た様なカンフーモノが多い中から妖怪モノ、妖術モノをしたという部分では新たな道ではあったのだろうけれど、「霊幻道士」を先に見てから「霊幻道士」に繋がる元と言われると何だか微妙ではあり、キョンシーやキョンシーに関する法術ならリュー・チャーフィーが出演していたこの映画の前年1979年製作の「霊幻少林拳」の方がまだキョンシー映画で、でも「霊幻少林拳」も最後は人間同士のカンフー映画にはなるんだけれど、この映画はサモ・ハン・キンポーの毛色の違う妖怪妖術カンフー恐怖映画といった感じで、まあこんなものかぁ…な映画でした。

☆☆★★★

霊幻道士

2026年09月30日 水曜日

リッキー・ラウ監督、サモ・ハン・キンポー製作、ラム・チェンイン主演の1985年の香港映画「霊幻道士(殭屍先生 Mr.Vampire)」

キョンシーを扱う道士ガウは富豪から彼の父親の墓を改葬する相談を受けて墓を掘り起こす事となった。
その墓には様子がおかしい所があり、父親の遺体も二十年間腐らずにそのまま残っていた。
ガウは父親は何か怨念を持って死んだと思い、このままではキョンシーになると考えて自分の所に持ち帰って遺体を法術で封じていたが遺体はキョンシーとなって逃亡。
富豪を殺し、更には富豪の娘も狙って襲いかかって来たのでガウは弟子達と共にキョンシーに立ち向かう事になった。

古い香港映画を見る流行が来ていて、その中でサモ・ハン・キンポーの映画を見ていて、この「霊幻道士」の基となったサモ・ハン・キンポーの霊幻道士元祖シリーズと言われているらしい映画を見てからこの映画を見ようと思ったのだけれど配信の終了が間近だったので「霊幻道士」を先に見てみた。

子供の時にキョンシーモノが流行っていて、それなりにキョンシー映画も見たはずなんだけれど、この映画を今見てもどの場面でも見覚えはなかったので子供の時に見ていたのは多分「幽幻道士」の方だったのだろうなぁと思った。

で、この映画はちゃんとキョンシーと戦うキョンシー映画で、そこに妖怪物の怖さもあり、法術を使った怪物退治のおもしろさもあり、カンフーから繋がる戦いもあり、笑いもありつつ、それが上手く混ざり合っていてとてもおもしろく、本当に集中して見てあっという間だった位。

初めにキョンシーとはこういう物ですよと格闘を交えて映像的に見せ、そこからちゃんと各人物を立てながらキョンシーが襲って来て法術で戦い、法術の目新しさもあって楽しく見れ、話としてもどうなるんだろう?で飽きずに見れて上手い構成になっている。
今まで見て来た1960~1970年代の香港映画は剣術の武侠映画からカンフー映画という流行の流れがあって、その中でカンフー映画で多かったのが、悪者が主人公側の財産を狙ったり、面目を潰す為に嫌がらせをして来るので結局は戦う事になるという展開で、まあカンフーを見せる為にはこういう話になってしまったんだろうけれども、幾つも映画を見ているとそれが多いので飽きてはいて、その中でこの映画は全然違う展開に剣術の武侠物に帰りつつもカンフーも混ぜてと今までの良い所を学びつつも東洋ファンタジー要素も入れて次の段階に行った感じがした。
格闘場面もこれまでだと余りカットを割らずに長めにカンフーを見せていたけれど、この映画では結構カットを割って見せていて現代的な映画編集になっていたし、椅子や丸太でぶっ叩たり、最後はキョンシーに火を付けて燃やしたりと剣術やカンフーにだけ絞らない見せ方をしていて、それまでの香港映画とは少し変わって来ていた。

出来る師匠と間抜けな弟子の構成は変わらずではあり、でも出来る師匠が主人公なので安心して楽しく見れるし、弟子の方は幽霊担当とキョンシーになりかける担当とはっきりと役割が分かれていて存在感はあるし、弟子の方もある程度キョンシーに対抗は出来るし、最後に師匠と弟子で二人でキョンシーと戦うのは熱い見せ方だったし。
それに、初めに出て来た弟弟子が最後の危機の時に参上するのもそれ程活躍はしないのだけれど良かった。

しかし、やっぱりこの時代までの香港映画的な説明の無さは変わらずではあり、キョンシーになってしまった父親に何があったのかは分からないし、娘は役を立てた割に活躍はしないし、一番分からなかったのは途中で急に幽霊が取り付く話を入れ込み、この幽霊も何者だったのか分からないし、何故弟子に興味を持ったのか、弟子の魂を奪うとかそういう目的があったのか分からないままで何も説明が無く投げっぱなしで終わるし、この幽霊話も途中で思い付いたから入れたんだろうか?
この幽霊話が始まると「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」なの?と思ってしまった。

この映画の主人公役のラム・チェンインは、サモ・ハン・キンポーのスタント団「洪家班」の一員でもあり、わたしがこれまで見て来た映画でも結構出ていたとは知らなかった。
この映画の役だと眉毛や髭で個性が強い顔になっているけれど、他の映画だと髭無しのツルンとした顔なので全然分からなかった。

この映画、キョンシーという妖怪との剣術・武術・法術での対決という楽しさに加え、ちゃんとそれぞれの人物達を立たせて話を見せるし、幽霊話という突如の意外性も見せたりと飽きさせずに最後まで一気に見せて、とてもおもしろい映画で、この映画から続編が作られ、直接のシリーズ以外にもキョンシーモノが多数作られる様になり、日本でもキョンシーが大流行したのも分かる映画でした。

☆☆☆☆★

燃えよデブゴン7 鉄の復讐拳

2026年09月29日 火曜日

ユエン・ウーピン監督、サモ・ハン・キンポー主演・武術指導の1979年の香港映画「燃えよデブゴン7 鉄の復讐拳(林世榮 The Magnificent Butcher)」

肉屋として働きながらウォン・フェイフォンの弟子として武術の修行もしているウィンは慌てて話を良く聞かずに泥棒だと思って殴りまくっておじさんに怪我をさせてしまった。
そのおじさんはウォン・フェイフォンと敵対する五龍堂に駆け込み、五龍堂の師範のコウに苦情を申し立てた。
怒ったコウはウォン・フェイフォンの下に乗り込んで来て一悶着が起きてしまい、二度と騒ぎを起こすなとウィンは厳重注意されてしまった。
そこに長年、兄と会っていないウィンの弟が妻を連れてウィンを探して会いに来るが、コウの息子ホイがウィンの弟を騙して妻をさらってしまった。
怒ったウィンの弟がホイを一方的に攻撃している所にウィンがやって来て事情を知らないウィンはホイを助け、そこにホイがつけ込んでウィンを自分の味方として引き付けてしまう。
何処からともなく謎の酒飲み老人が現れてウィンの弟を助けて事情を知り酒飲み老人とウィンが戦う事になるが、お互いの素性を知ってウィンと弟はやっと兄弟だと分かって和睦。
ホイの下から妻を助け出すが、その時妻と一緒にいたコウの養女も連れ出し、その養女を狙ったホイがウィンの家で誤って養女を殺してしまった為にウィンが人殺しの濡れ衣を着させられてしまう。
自分の娘を殺したと思ったコウはウィンの命で償わせようと門下の者達と一緒にウィンの命を狙い始めた。

古い香港映画を見る流行が来ていて、その中でサモ・ハン・キンポーの映画を古い順に見ようと思い調べていたら、配信の中にデブゴンシリーズの「デブゴン10」と「デブゴン7」があったので、これだけシリーズが続いているなら順番に見て行った方が良いのかと思って調べたら、映画「燃えよデブゴン」が当たったので、それ以降のサモ・ハン・キンポーの映画は何も関連性も無いのに邦題を勝手に「デブゴン」と付けて行ったそうなので、関係が無いならという事で製作年代が古い方から「燃えよデブゴン10 友情拳」を見たので次にこの映画も見た。
やはり「燃えよデブゴン10 友情拳」とは全く関連の無い映画。

とぼけたサモ・ハン・キンポーが主役の、しかも以前に見た「スカイホーク 鷹拳」に続き、ウォン・フェイフォンを題材にした映画の中で一番初めに作られた1949年の映画「黃飛鴻傳」でウォン・フェイフォンを演じ、それ以降七十作以上もの映画でウォン・フェイフォンを演じて来たクワン・タッヒンがウォン・フェイフォンを演じ、そのウォン・フェイフォンの弟子をサモ・ハン・キンポーが演じる既視感のある設定であったけれど当然話は違い、前半はサモ・ハン・キンポーのコメディ色が強い明るい話ではあったのに後半になると急に陰惨になって最終的には何じゃそりゃ?な所で終わってしまう、急に方向性が変わる如何にも当時の香港映画な感じで大分いまいち。

序盤から皆が話をせずに、相手の話を聞かずに直ぐに力に訴えようとするし、誰も説明をしようとしないので皆が勘違いや思い違い、意図を持って嘘を付く人の意図通りになるよなぁ…な展開。
これがサモ・ハン・キンポーのコメディとしてならすれ違いコントとして見られるんだけれど、終盤になると以前のサモ・ハン・キンポーの映画でもあった、敵が強姦しようとして殺してしまうという不快な展開になり、笑い要員の一員でもあった弟も殺されてしまい、何故か陰惨な話になって楽しめはしない。
終盤でも違う相手に罪を擦り付けたり、犯人が分かって詳しく説明せずに戦い始めるので、最後の方はこの勘違い、すれ違い、もういいぜと思ってしまった。
逆に終始この勘違い、すれ違いで話を押し進めて行き続けたのは凄いかも。

この勘違い、すれ違いはカンフーを見せる為にはしょうがなく、そうしないと戦いが始まらないからではあるのだけれど、その分戦いの場面は多くなり、色んな拳法を見せて飽きさせない様にはしているけれど基本的には戦っている二人を横から撮っている構図ばかりで、しかも一戦いが結構長目なので段々と飽きてしまった。
そんな中で一番おもしろかったのが、初めのウォン・フェイフォン対敵の師範の文字を書きながらの攻防だった。
お互いに筆を持って文字を書きながらの攻防が目的が殺し合いではなく四文字熟語を完成させる事という目新しさもあって見入ったし、クワン・タッヒンは途中に替えの人が入りつつもこの時七十四歳とは思えないキビキビとした動きで素晴らしかった。
ただ、クワン・タッヒンは流石にこの歳からか特別客演位の少しだけの出演で、クワン・タッヒンの見せ場はここ位。

サモ・ハン・キンポーが主役ではあるけれど周りの人達も濃く、サモ・ハン・キンポーと同じくデブゴンの弟も動きや受けが良いし、謎の酒飲み老人も太っているけれど動けるしでデブゴン達が活躍する。
更にユン・ピョウもウォン・フェイフォンの弟子役で出ているけれど、ユン・ピョウの出番も少しだけ。

勘違い、すれ違いは説明しない事が原因なんだけれど、他にもそもそもの所の説明がほぼなく、サモ・ハン・キンポーの主人公は肉屋と言っているけれど関係する話は初めの一笑いの場面位で肉屋である必要性が無く、何で肉屋なのにウォン・フェイフォンの所で修行しているのかの話は無いし、五龍堂の師範は何でウォン・フェイフォンを目の敵にしているのか分からないし、そもそもこの師範は悪い人ではなさそうなんだけれどそこら辺も何も描かないので分からないし、息子のホイが帰って来ると急に知らない養女がいる事に対する説明は無く、どういった関係性で養子にしたのかは全く分からず、この養女もホイの悪行を目撃しているのに師範に訴えに行く様子が無く、師範と養女の関係がよく分からず、分からない事だらけ。
「もうそういう事」「グダグダした説明はいいだろ!」とぶん投げている、如何にも古い香港映画。

ホイは武術家の息子なはずなのに特に武術は強くないみたいで、一番の諸悪の根源の敵であるはずなのにサモ・ハン・キンポーはあっさり殺してしまい、最後の戦いはサモ・ハン・キンポーと父親の師範になるのが何だか違和感はあるものの、最後の見せ場でカンフーを見せる為にはそんなだろうと思いつつも、最終的に師範は殺さず、そこにウォン・フェイフォンが帰って来て壊されたので新たに設置した道場の看板が反対でウォン・フェイフォンに怒られてめでたしめでたし…って、酷い終わり方。
本当ならこの後ウォン・フェイフォンを入れてサモ・ハン・キンポーと師範の話し合いになるだろうと思うけれど、それだとどちらも後悔と懺悔で泣き崩れるだけで、到底めでたしめでたしにはならなくなってしまうか。
今までの話なんかどうでもいいのでとにかく笑いとして無理矢理終わらせただけの、これもとにかくめでたしめでたしの感じで急に終わる当時の香港映画の典型か。

この映画、初めのウォン・フェイフォンの格闘書道はおもしろかったけれど、その後のカンフーは多種多様でおもしろくはあるけれど長目なので飽きが来たし、話は勘違い、すれ違いの連続でこねくり回していて段々何だかよく分からなくなって来るのに最後は強引だしで、物語はカンフーを見せる為の振りや展開でしかないこの時代の香港カンフー映画ではあるので、まあ話を見る映画ではないのだろう映画でした。

☆☆★★★

燃えよデブゴン10 友情拳

2026年09月26日 土曜日

サモ・ハン・キンポー監督・脚本・出演・武術指導、カサノバ・ウォン主演の1978年の香港映画「燃えよデブゴン10 友情拳(贊先生與找錢華 Warriors Two)」

両替商で働いているファーは、両替商の主人が手下を集めて町長を暗殺して町長になって町を乗っ取る計画を話しているのを聞いてしまう。
ファーに計画を知られたと分かり、両替商の主人は手下を使ってファーを襲うが、ファーは何とか逃げ出せた。
手負いのファーは知り合いのデブ春に助けられ、デブ春の詠春拳の師匠ツァンの下へ運ばれて手当を受けた。
両替商の主人は手下に町長を襲わせて町長代理となり、手下にファーを見つけ出させようとしてファーの母親を殺害。
それを知ったファーは復讐に行こうとするが、今のままでは勝てないとデブ春に止められ、ツァンの弟子となり修行を始める。
しかし、ツァンが手下に襲われて死亡し、ファーはデブ春とツァンの娘と共に復讐の為に敵の下に乗り込んで行った。

古い香港映画を見る流行が来ていて、その中でサモ・ハン・キンポーの映画を古い順に見ようと思い調べていたら、配信の中にデブゴンシリーズの「デブゴン10」と「デブゴン7」があったので、これだけシリーズが続いているなら順番に見て行った方が良いのかと思って調べたら、映画「燃えよデブゴン」が当たったので、それ以降のサモ・ハン・キンポーの映画は何も関連性も無いのに邦題を勝手に「デブゴン」と付けて行ったそうなので、関係無いならという事で製作年代が古い方から見たこの映画。

映画の初めにツァンとファーのカンフー映像と共に紹介台詞があって、この二人が原題の贊先生と找錢華の事なので、この二人が主役なんだろうとは思って見始めると初めはサモ・ハン・キンポーのデブ春の話ばかり。
その後デブ春がファーと出会って本題が始まって行くので、誰が主人公なのか分からないままで進んで行って結構混乱したままで見ていた。
この時代位の香港のカンフー映画って、やたらと脇役や敵役の行動に時間を割いて、主役のはずの人が全然出て来なくなって暫くしてから主役の話に戻ってという事がよくあり、それがこの映画でもなので主役のファーの印象が薄く、笑い担当で、しかも動けるデブのサモ・ハン・キンポーの方が印象が強いし、師匠ツァンは出番は多くないものの拳法の動きの理由をちゃんと説明しながら拳法を見せるのでこちらも印象は強く、中盤辺りまで誰が主人公なのか分からなくなって来る。
最後はファーとデブ春と娘で乗り込むので、まあファーとデブ春の物語なんだろうとは思うのだけれど。
それだと原題はよく分からなくなって来るし。

展開としては最後に乗り込む人がファーとデブ春なのは分かるし、殺された師匠の娘がいるのは分かるのだけれど、この娘の存在は微妙。
娘は序盤で出て来てはいたけれど出番はほとんど無く、最後になって急に主要人物に格上げされた感じ。

何だそれは?と思うのは他にもあって、そもそも敵の主人は町長になるのが目的ではあるけれど町長になってどうするのかを言わないし、描かないので敵が曖昧な存在のまま。
町長になって更なる高利貸しで暴利を貪るとか、町長の権利で町の運営を自分に有利にするとかも無く、表向きの顔は非常に良い人で多くの人からの人望が厚いのでそのままで良いのに何がしたいのか分からなく、この人は何が目的なの?とずっと思っていた。

一番の不可解だったのが、最後の戦いで敵の主人が突然顔に手をかけたと思ったら今までの白髪や白い髭は実は仮面で、下の本当の顔は黒髪で若い人物だった!となる事。
これは何の前振りも無いので、正体は実は…!をやる意味が分からない。
しかも、この本性を表す事に対してこの後にも何の説明も無い。
確かにこの主人は若い人が演じているのに白髪というのが不自然ではあるけれど、この時代の香港映画だと若いのに年寄り役というのが結構あるのでそのまま見ていたので不自然さはそれ程無かったけれど、ここら辺はよく言われている台本が無かったという香港映画だからか、大筋だけ決めて、その場で思い立った事、最後に驚きを入れたかったからかなぁとは思う。
それとも若い人が年寄り役をする事に対する皮肉か何かだったのだろうか?

話は、この時代の香港カンフー映画で多発する、悪者が主人公側の財産を狙ったり、顔を潰す為に嫌がらせを続けるけれど主人公側がそれに耐え、でも結局は最後に主人公が敵を皆殺しにするというお馴染みの展開なので大しておもしろくはなかったけれど、中盤の師匠の下での修行はおもしろかった。
ちゃんと師匠がこれはこうだからこういう動きになるとか、この訓練によってこうなるとかを全部一々説明してくれる。
こういうカンフーモノだと特に説明せずにとにかくやれでやらせて、それが後にこういう動きを学び、訓練する為のモノだったと分かるのが多い中で、非常に理論的に拳法を説明するのは関心してしまった。
その分か、最後の戦いであの訓練がこれになったというのは弱かったけれど。
それに、修行方法もおもしろく、多分師匠発案の自動でこちらに迫って来て、押し返せると止まる木人とか、棒を使って輪っかの向こうにある玉を付くとか、棒で種を割るとかの修行は無茶苦茶と現実味が合わさっていて、ニヤニヤしながらも納得して見れた。

この映画、「デブゴン」と思ってサモ・ハン・キンポー目当てで見るとサモ・ハン・キンポーが主役という訳でもないので微妙だし、話は典型的だし、カンフーはそんなに目を引く訳でないのに結構多めで飽きる部分はあるけれど、中盤の説明付きの修行場面は関心を持って見れて、そこはおもしろい映画でした。

☆☆★★★

少林寺怒りの鉄拳

2026年09月23日 水曜日

サモ・ハン・キンポー監督・脚本・主演・武術指導の1977年の香港映画「少林寺怒りの鉄拳(三德和尚與舂米六 The Iron Fisted Monk)」

伯父の店で働いていたチョンは店に現れた満州人のチンピラによる暴行で伯父を亡くした。
その場にいた三徳和尚がチンピラを追い払い、三徳和尚の勧めでチョンは少林寺に入って武術の修行をする事となった。
しかし、復讐に焦るチョンは修行途中で下山してしまった。
三徳和尚を頼り、三徳和尚が住む町に行くとそこでも満州人が幅を利かせており、それに反抗したチョンは目を付けられる様になる。

古い香港映画を見る流行が来ていて、その中でサモ・ハン・キンポーの映画を続けて見てみた。

サモ・ハン・キンポーの初監督で初主演映画で、話は当時によくあった、悪者が好き勝手して主人公側の工場や財産を乗っ取ろうとして、それに耐えて最後に皆殺しという粗製乱造された展開の話で別におもしろくはなく、後のサモ・ハン・キンポーの笑いへの方向があるのにやたらと陰惨な内容を見せ付けたりと、方向性がバラバラでも特に気にしていなかった当時の香港映画らしい映画。
内容としてはおもしろくはなく、そこよりも何故か陰惨な場面を長く見せるので非常に不快だった。

悪者が悪い事するのは典型なのでいいのだけれど、この悪者の描き方が楽しく見れるカンフー映画ではない。
道端で遊んでいる子供にちょっかいを出して髪の毛を切る時点でも結構引いていたのに、イラッとすると刀で刺し殺そうとして非常に引いた。
そのすんでの所でサモ・ハン・キンポーが介入しては来るけれど、この悪者はお金を狙う様な悪い人間とは違い、完全に何かの精神的な病気にしか思えなかった。
更にその上司は人の家に押し入って強姦をし、その相手が三徳和尚と仲の良い労働者ジンリョンの妹で、ジンリョンが妹に相手を問い詰めて妹は自殺してしまう。
更にその後、敵は今度はジンリョンの妻を強姦して、その場にいた母親も死んでしまう。
そこに敵に攻撃されて死にかけのジンリョンがやって来て、その後死んでしまうという展開。
何で同じ事を二度もするのかが分からない。
しかも、ちゃんと女性の裸を見せ、素っ裸の女性の股間に敵の頭が来て画面上で隠したり、強姦場面を長く見せたりと非常に悪趣味。
しかも、ジンリョンは妹が死んだ暫く後にサモ・ハン・キンポーと共に売春宿に行って喜んでいる話になり、登場人物の考えや行動が壊れており薄ら怖かった。
これって映画会社としてはまだ新人のサモ・ハン・キンポーでは引きが無いと思ってエロ要素を入れる様に言われたのかと思いはするけれど、1970年代のカンフー映画を幾つか見た中でこんなに直接的にしつこく描いた映画を見た事がなかったので、ここまで強姦場面を長く見せたり、更にもう一度となると、もうこれは監督・脚本のサモ・ハン・キンポーの趣味じゃないの?と穿ってしまった。
ここで付いて行けず、終盤は流し見。
悪者が工場の乗っ取り工作を仕掛けるけれど失敗すると皆で押し寄せて作業員を皆殺しにするという、これまでは何だったんだという頭の悪さでサモ・ハン・キンポーと三徳が敵の下に乗り込むなら前段はいらないし。

それに、やっぱりこの当時の香港映画の、主人公をはっきりと出しているのに周りの人物や敵側の話に時間を割き、主人公が全然出て来ない時間が来て、最後の方になってそう言えばサモ・ハン・キンポーが主役だったと思い出す様な構成も変わらずある。

最後の戦いは、そこまでに死んだジンリョンとサモ・ハン・キンポーや三徳との関係性がそんなに描かれないので悪者の行動に怒っただけに見えてしまったし、相手を殺しても「南無阿弥陀仏」と言えば済んでしまうと思っている三徳の狂気が怖かったし、映像がカンフーが凄いんだぞと見せる為にあからさまに早回しにして素早く戦っている様に見せるので、まるで1.2倍速、1.5倍速で見ている様なチャカチャカと動いて見辛い。

この映画、悪役の描き方で引いてしまい、まあ楽しくはなかったし、おもしろくもなかった。
サモ・ハン・キンポーの映画を色々見てからサモ・ハン・キンポーの初監督初主演だから見てみようで見るとサモ・ハン・キンポーへの評価が悪い方へ大きく変わってしまう様な気がしてしまった映画でした。

☆★★★★