24 シーズン4

2026年07月18日 土曜日

シーズン3に続けて見始めた「24 -TWENTY FOUR-」のシーズン4.

以前に一度見てはいたのだけれど覚えているのは一部の登場人物位で、覚えていない登場人物も多かったし、話の展開は全く覚えていなかったので新鮮に楽しめた。

「24」にしては珍しくシーズン3の最後はクリフハンガーになっておらず最終回でも良さそうな終わり方だったけれど、シーズン4はまるで第二章の様な感じで始まって行く。
シーズン3は評判も視聴者数も余り良くはなかったからなのか、新たなシーズンでは登場人物が総とっかえになっており、序盤で残留はジャック・バウアーとクロエ・オブライエン位。
新しい登場人物のオードリー・レインズやその父親のジェームズ・ヘラー国防長官やカーティス・マニングはその後も登場していたので覚えていたけれど、支部長のエリン・ドリスコルとか全然覚えていなかった。
でも、これも中盤から終盤辺りになるとこれまでのお馴染みの面々が登場して話を回し始めるので結構見慣れた光景にはなっていた。

話の方はシーズン3は初めに犯人が誰なのかを出して目的とその為の手段も出していて今までとは違う展開にしていたけれど、このシーズン4は以前の徐々に出して行く方向に戻していた。
国防長官の誘拐はあるのもののこれが序章でしかない感じであちこちに話を振り、お馴染みの犯人側の一家の内情をじっくりと描き、やっぱりジャック・バウアーが暴走して行く。
この序盤の国防長官の誘拐の展開を全く覚えておらず、新たに見ている感じではあったけれど、ここはあんまりおもしろくなかった。
ジャック・バウアーがCTUに復帰して犯人を追い出す為の話を描かないといけない分、国防長官側の話の展開が遅くて少々退屈だった。

その後の原子力発電所を乗っ取った辺りから何時もの「24」っぽくなり、毎度の手がかりを追ってジャック・バウアーが走り回って相手が死亡したりで手がかりが無くなって次に行くの繰り返しになって行き、そこに登場人物を新たにしたのにトニー・アルメイダやミシェル・デスラーが戻って来るし、序盤でCTUを追い出されたクロエ・オブライエンも戻って来て、人もこれまでの「24」に戻って行く。
ただ、シーズン3でした、ミシェル・デスラーが人質になりトニー・アルメイダが独断で動き出す展開をシーズン4では立場が逆転した時にどうするのかとか、クロエ・オブライエンの謎の現場での銃撃戦とかもあり、より展開させていておもしろくはなっていた。

シーズン3が始まりや序盤は抜群におもしろかった分なのか、中盤終盤がいまいちだったりもしたのに、その次のシーズン4はその逆で、序盤がいまいちだった分なのか中盤以降はおもしろく、見終わると満足感が高かった。
このシーズンの最後も続く気満々ではあるものの、最後としては良い感じだったし。

1話目は、ジャック・バウアーはCTUから出て国防総省で働いており、どのシーズンでもお馴染みの女性関係の話から始まる。
1話目ではシーズン3のその後も言及されていて、キンバリー・バウアーとチェイス・エドモンズは一緒に暮らしているらしく、やっぱりCTUを離れると幸せになり、CTUにいる限りは不幸は続くみたい。
キムはシーズン1・2とウザい人物で、シーズン3でもCTUで働きだして序盤はその何かをすると面倒とウザさをまき散らす人物だったのに、それも中盤以降は鳴りを潜めてしまって確かにもうこれ以上いる必要も無い人物ではあったし、チェイス・エドモンズも初めはジャック・バウアーの弟子の様な相棒として序盤は上手く機能していたのに中盤以降から登場さえ少なくなり、存在が薄くなってしまっていたので降板は仕方なかったか。

7話目の最後にトニー・アルメイダが登場。
しかも、窮地に陥ったジャック・バウアーを救う為の登場と華々しく出て来、それからジャック・バウアーと嫌々ながらも行動を共にするし、実はシーズン3以降腐った生活をしていたとかトニー・アルメイダが厚くなって行くのが見ていて楽しい。
ただ、シーズン3でトニー・アルメイダはミシェル・デスラーを助け出す為に命令を無視して行動して捕まって何とか無罪にはなったけれど、じゃあ同じくシーズン3で刑務所の囚人や看守達が無茶苦茶になってまでラモン・サラザールを脱獄させて国家の敵になったと言っていたジャック・バウアーは何のお咎めも無かったのだろうか?と思ってしまう。

10話目では、カーティス・マニングが裏切り者だった元恋人マリアン・テイラーが情報を引き出せると言うのでオフィスに連れて行くと見事に敵に射殺される。
これは「24」お馴染みの、情報を持っていて引き出せる人物を外のオフィスに連れ出すと殺される展開で笑ってしまった。
部屋に入る前にカーティス・マニングにちゃんと「これは罠だ。」と言わせているし、製作側も大分狙って作っている感じ。

11話目で原子力発電所のメルトダウンを回避出来、こちらも「24」お馴染みの丁度半分辺りでこれまでの話が終わる変わり目になっていて、これもニヤニヤしてしまった。
トニー・アルメイダがCTUに復帰するのだけれど、ジャック・バウアーもそんなに簡単にCTUに復帰して良いモノなんだろうか。
特にトニー・アルメイダは刑務所に入っていたみたいだし、元CTUを仕切っていたとは言え、一応身辺調査とかしないものなのかしらん。

12話目でエリン・ドリスコルが退場するのだけれど、それまでの支部長のエリン・ドリスコルは話の構成上ジャック・バウアーと対立する為に仕方ないとは言え、見ている側からすればジャック・バウアーが正しいのが分かっているのでエリン・ドリスコルはただジャック・バウアーが嫌いで反発していて、それによって無能さを醸し出しているだけの人物になってしまっていて、これまでの支部長も嫌な奴だったりして来たけれどエリン・ドリスコルはただただ周囲に振り回されて、それを上手くやりくり出来ずに周りの言い成りになっている感じで、エリン・ドリスコルの無能感が凄くなってしまっていた。
エリン・ドリスコルの娘の話やその結末を見て思い出したのが、確か以前にこのシーズン4を見た時もエリン・ドリスコルの娘の話っている?と思った事。
エリン・ドリスコルはこんな大変な事情があるんです…は分かるものの、これがおもしろい展開を見せる訳でもなく、この結末は何…?だし、結局初めからエリン・ドリスコルを退場させる為の振りの為だけだったのかと思ってしまった。
そして、代わりにやって来た支部長がミシェル・デスラーという事はミシェル・デスラーを如何に出すかの為の撒き餌がエリン・ドリスコルだったという事にしか思えない。
このミシェル・デスラーが支部長として再登場する展開は全然覚えておらず、おおっ!とはなったけれど。

13話目でジャック・バウアーとポール・レインズがスポーツ用品店に立て籠って戦うのだけれど、わたしの記憶ではこの二人は何処かのビル内、多分EMP兵器があった所で立て籠ってじっくりと話し合う場面があった様に思っていたのだけれど全然違った。
これはまた違うシーズンの回なんだろうか?

15話目で急にビル・ブキャナンが本部からやって来て、ビル・ブキャナンの初登場ってこんなシレッとした感じだったのかと意外だった。
でも、ビル・ブキャナンをこの時点で登場させたというのは何故だったのだろう?
これ以前の方がCTUは忙しそうだったし、ミシェル・デスラーもいたのに。
後から実は以前ミシェル・デスラーとビル・ブキャナンが付き合っていた話が出て来るのだけれど、この話全然覚えておらず、えっー!ってなってしまった。
トニー・アルメイダがちょっと嫉妬するというのを入れたいが為に入れた話にしか思えず、この過去必要だった?と思ってしまった。

16話目の最後にチャールズ・ローガンが初登場して、おっ!となった。
この時の副大統領だったとは覚えていなかった。

17話目からはマイク・ノビックが再登場して来て、これまで薄かった大統領側の話が濃くなって行く。
この後からチャールズ・ローガンが大統領になっての話になって行くけれど、確か初めて見た時はマイク・ノビックが再登場して、実は権力に捕らわれた曲者だった事に注意が行っていたはずだけれど、この後のチャールズ・ローガンを知っていると、やっぱりチャールズ・ローガンは曲者だし、歴代大統領の中でも随一の食わせ者なので見ていてニヤニヤしてしまう。

19話目の終盤でデイビッド・パーマーが登場。
チャールズ・ローガンが決断力が無さ過ぎてデイビッド・パーマーの力を借りるという展開だけれど、まあデイビッド・パーマーがカッコ良くなる持って行き方。
それもあるけれど、この回では何故かクロエ・オブライエンが情報提供者の家に行く現場捜査官になり、そして案の定やって来た殺し屋に命を狙われるという、あからさまに盛り上げる為の展開で笑ってしまった。
しかも、最後はクロエ・オブライエンはライフルを撃ちまくって殺し屋を殺してしまい、更に笑ってしまう展開。

23話目で人質になったトニー・アルメイダを使ってミシェル・デスラーを操るというシーズン3の終盤の展開とは逆の立場を出して来て、最初はまた同じ様な展開か…とは思ったものの、ミシェル・デスラーがちゃんと皆に言って皆で対処する展開にしており、シーズン3を使いつつも新たな見せ方になっていて良く出来ていた。
このミシェル・デスラーの対応を見るとミシェル・デスラーの方が指揮官としては絶対優秀だとは思う。

24話目では序盤でマルワンとの決着がついて、ミサイルも撃ち落とし、更に事後のほっとした場面も入れて、今までの感じとも違う締めを入れて来てこれは好きだったのだけれど、そこから残り三十分で更にジャック・バウアーに危機が訪れて二転三転して行く展開は中々しびれた。
で、最後にジャック・バウアーがあの緑の上着を着て、サングラスかけて、肩掛け鞄をして歩いて行くのも最終話として抜群に良かった。

ただ、見終わって思ったのが結構都合の良い展開も多かったし、やっぱりあれはどうなったの?という事もあったという事。
マルワンはギリギリの所で逃げ過ぎで、何度マルワンを追い詰めてからの逃亡という展開をしたのだろう?
全部話の展開上、都合良く成らざるを得ないんだろうけれど、マルワンの組織が余りにも手際と準備が良過ぎだし、組織の規模が大き過ぎとも思った。
それに一番の疑問は、人質交換でマルワン側に行ったベルースは結局どうなったのか分からない事。
後からもベルースの話は出て来なかったはずで、CTUの人々の気にしなさ過ぎもだし、脚本としても前半はあれだけ主要人物だったのにこの最後の扱いの悪さも酷い。
あと、終盤で出て来た女性の殺し屋が実はデイビッド・パーマーと握手での暗殺計画の実行犯だったとシーズン2の最後のクリフハンガーを引っ張り出して来たけれど、結局この暗殺計画や後ろにいた黒幕の話も曖昧なままで、ここでその話を何か出して説明するのかと思いきや特に何も無し。
単に引っ張り出して繋げただけなのか。
それにしても「24」はどう見てもか細い感じの女性の殺し屋が好きだよなぁ。
このシーズンでは二人も出して来たし。
終盤で中国を絡めて来たけれど、ここら辺の展開は後から思うと最後のジャック・バウアーの展開をしたいが為で結構強引かな。
あの技術者もそうだけれど、あれだけ用意周到で慎重なマルワンなのにやたらと外部の協力者に居場所を教え過ぎというのもあったし。

これでジャック・バウアーはドンドンと盲目的な任務執行者として危なくなって行き、何の身分も無くなり、一方でトニー・アルメイダとミシェル・デスラーは何やかんやあったけれど上手く納まりとめでたしめでたしではあるけれど、シーズン5ではやっぱりジャック・バウアーは戻って来るし、トニー・アルメイダとミシェル・デスラーはやっぱり残念な事になりつつもその更に先があったりでおもしろい事になるのは知っているので、この先を見る為のシーズン4としては中々楽しいシーズンでした。
 
 
関連:24 シーズン2
   24 シーズン3

五毒拳

2026年07月07日 火曜日

チャン・チェ監督・脚本、チャン・シェン主演の1978年の香港映画「五毒拳(五毒 The Five Venoms)」

ヤン・ドーは五毒拳を習う為に五毒門の師匠の下で三年間修業をしていた。
しかし、師匠は不治の病で自分の死が近づいている事を悟り、これまでの行って来た悪事を悔やみ、五毒門を終わらせる為、ヤン・ドーにこれまで育てた五人の弟子を見つけ出し、その中の良識ある一人と組んで兄弟子達を倒し、友人に預けた五毒門の秘宝を見つけ出して寄付せよと命じた。
ヤン・ドーは町に出て身分を隠しながら情報を集めていると、それぞれ二人ずつで組んだ兄弟子達も秘宝を狙っている事を知る。
秘宝の持ち主を見つけ出した兄弟子達は襲撃を仕掛けて家人を皆殺しにしてしまった事で警察の捜査が入り、目撃者の証言から犯人が分かって兄弟子達が捕らえられてしまう。

何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、その中で知ったチャン・チェの映画を続けて見てみた。
そのチャン・チェの映画の中では変わった映画と言うか、この映画自体が変わった構成の映画で、ずっと「これは何なのだろう?」と不思議なままで見ていた。

この映画がチャン・チェの映画だからなのか、当時の香港映画のいい加減さだからなのか、説明足らずと都合の良さがまず来て、そこで躓いた上に変な構成なので全然乗って行けず。

始まりから、五毒門は相当な悪党団だったらしく、世間では相当嫌われていて名前も偽名でないとやって行けないと言う話は出て来るのだけれど、実際に何をしたのかは全然描かれないし、言及もされず、一方で主人公の最後の弟子やヤモリ拳の四番弟子やガマ拳の五番弟子は気の良い人達なので、五毒門の何が悪いのかがさっぱり分からない。
師匠は死に際に「自分は悪い事をしたから弟子達を殺してしまえ!」と、まあ自分勝手過ぎるのでそういう人だったのかもとは思わせる様にはなっていたけれど。

最後の弟子は師匠に対して「五人の兄弟子の人相も世間名も分からないのにどうやって見付ければ?」と言っていたのに、次の場面ではその兄弟子五人と五毒門の宝もある町に全員集合って、まあ都合良過ぎ。
兄弟子達も宝の持ち主がはっきりと分かっていなかった様なのに随分前から正体を隠して警察になっていたり、ムカデ拳の一番弟子は自分の家があの町にあったの?と全員が揃う理由も都合が良過ぎ。
犯人を特定し難い目撃者の証言だけで犯人が誰なのか直ぐに分かったり、この映画の中盤はサスペンスや推理で進んで行くのに思い付いた設定をとにかくやる為だけであらゆる所が強引で都合が良過ぎなので付いて行けないし、そこがグダグダなのでサスペンスや推理モノとしてはおもしろくなくなってしまっていた。

始まりから師匠によるこの映画の目的をはっきりと打ち出していたので、てっきり最後の弟子が兄弟子達を見つけ出しながら宝を見つけ出す話になるのかと思っていたら、早い段階で宝の地図は見付けたのに、そこからは誰が殺人犯かの罪の擦り付け合いになり、思っていた展開と全然違っていて意外。
それがおもしろければいいのだけれど、そうでもなく、ずっと回りくどいやり取りで罪を擦り付け、一番弟子と二番弟子組が一方的に暗躍して五番弟子が酷い目に合う展開がずっと続いて段々と飽きて来ていた。
これだけ回りくどくしていたのに最後は一気に皆が集まって殴り合って殺し合って終わるので、それまでのサスペンスミステリーは何だったの?と思ってしまったし。

それにこの話の軸となっていたのが五毒門の宝を巡る争いだったのに、結局宝は全く出て来ず、宝が何だったのかも分からないまま。
話としては出す必要はないんだろうけれど、それにしても初めに宝の地図を出しているので、見ている方は「宝がどうなるの?」という楽しみがあったのに、これ以降は宝の話が関係無くなっちゃって、これも話を転がす為の導入の設定なだけで思い付いたけれど後はほったらかしにしている雑多な脚本という事か。

五毒門の五毒拳はそれぞれが違う性質や拳法を見せて、やたらと丈夫とか、重力無視して壁に立つとか派手さがあっておもしろかったのだけれど、役者は皆何か地味。
この五毒門の人達が元々映画のその他大勢だったり、スタントマンだった人達が、ゴールデン・ハーベストに押されて来たショウ・ブラザーズが次の主役級にと押し出したからなんだろうか。

この映画、原題が「五毒」なのでより五人の毒という意味で悪人同士の駆け引きややり合いを見せるという事なんだろうけれど、その五毒門の人達は初めに「五毒門は悪い」と言う話だけしか出て来ないので別に悪人には見えないままなので、あからさまに良い人側と悪い人側に分かれて良い人側が陰謀にやられて行く展開はそんなにはおもしろくなかったし、初めに素性も名前も分からない五毒拳の弟子達や宝を出していたので、ここら辺を巡る盛り上がる展開になるのかと思いきや、ずっとまったりとした陰謀推理モノに行ってしまうヘンテコな展開に段々と飽きて来て、でも結局殴り合いの殺し合いで終わって行く急な締めに、ずっと何だかなぁ…と思ってしまった映画でした。

☆☆★★★

少林寺列伝

2026年07月03日 金曜日

チャン・チェ監督・脚本、アレクサンダー・フー・シェン主演の1976年の香港映画「少林寺列伝(少林寺 Shaolin Temple)」

少林寺の門前にファン・シーユイ(方世玉)、フー・ホイチェン(胡恵乾)、ホン・シークァン(洪熙官)の三人が五日間座り込んで少林寺への入門の許しを待っていた。
少林寺の武術は門外不出だったが少林寺は清から目を付けられており、将来に武術を残す為により多くの後継者を育てるとして外からの修行者を取る事にした。
更には台湾からの明の武将達も少林寺にやって来て多くの人々が少林寺で武術を学び始めるが、やがて清の軍勢が少林寺へと迫って来た。

何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、その中で知ったチャン・チェの映画を続けて見てみた。

この映画も以前見た同じチャン・チェが監督した「水滸伝」の様に人物が初めて登場すると映画内に多分役者名と役名が字幕が出て来るので、これも当時のショウ・ブラザーズのオールスター映画だと分かる映画で、これまでのショウ・ブラザーズの映画で見た事がある人達が多く登場しているので、そこでは楽しさがあったし、この映画の前に見た「嵐を呼ぶドラゴン」が少林寺の焼き討ちから始まり、しかも「嵐を呼ぶドラゴン」と同じくアレクサンダー・フー・シェンがこの映画でもファン・シーユイ(方世玉)を演じて、少林寺の外だと同じく白い服を着ていて、まるで「嵐を呼ぶドラゴン」の前日譚的で、そこでも楽しさがあった。
ただ、オールスター映画だからなのか、いまいち話の的が絞れず、人が多いからなのか結構間延びしたり散漫な感じで、話も延々修行ばかりで少林寺に修行に来た人々の背景が全然描かれないので修行話にも乗って行けずでいまいちだった。

オールスター映画だからもっと各人物の紹介があってもよさそうなものの、主人公であるファン・シーユイ(方世玉)でさえ何故少林寺に来たのかも描かず延々と修行するだけなので目的不明で、何処に向かうのか分からない修行話はおもしろくはない。
中盤になって復讐だと言う話が出て来るのだけれど、この詳しい顛末は描かれず、復讐の為に木人巷を突破してまで少林寺から逃亡したのに外に出てからの復讐は描かれず、少林寺に居続けた人が何処からどうやって知ったのか分からない「復讐を果たした」と言う話をするだけで終わってしまう。
木人巷も突然出て来て、それまでに触れられる事も一切無く急過ぎて「??」になってしまったし。

他にも後から少林寺にやって来た人達も何があって、何が目的で少林寺で武術を学びたいのかが全然無いし、デビッド・チャンティ・ロンが演じる台湾からやって来た人達も何があって台湾からやって来たのかも、そもそもこの人達が何者なのかも描かないので、ずっとよく分からない人達が何の目的か分からないまま延々と修行をしているだけの話なので全然興味は湧かず話には乗って行けない。

他にも色々と出しておきながらほったらかしの事も多く、あれだけ意味有り気な感じで壁に向かって顔を見せずに座禅をしていた謎の僧は結局どうなったのかも無く、顔すら見せず仕舞いだったし、アレクサンダー・フー・シェンに拳法を堂々とこっそりと教えていた人は誰で、どうしてだったのかも無かったし、デビッド・チャンは井戸に毒が入れられた事を感づいていたのに内緒にしていたのは何故?とか、少林寺の僧達も一瞬で相手の特性を見抜いて修行をさせて、見ずとも感じて理解する位の感の鋭さなのに、直ぐ側にいて常に顔を会せている様な大師の裏切りに全く気付いていないとか、あちこちで説明不足と説明放棄が多くて脚本が継ぎ接ぎした様な雑多さ加減。

更にオールスター映画だからか、それぞれに見せ場を与える為に各人がそれぞれ違う修行をして行くけれど、結局高く飛べました、軽く飛べましたと似た様な能力の習得になっていたし、アレクサンダー・フー・シェンも飯炊きしていたけれど棒術はしないし、他の人と同じ様な拳法をしているしで修行の結果が微妙。
それに、あれだけ毎日毎日修行をしている少林寺の人々が刀や槍や弓を持った清の兵に対して素手で生身で戦いを挑むから、役名がある人達はそれなりに見せ場があるものの、他の人達は当然あっさりと殺されてしまって、あの修行の無駄感、間抜けさ感が凄かった。

その修行は見所ではあって、毎日飯炊きで棒で混ぜていると棒術が自然と身に付いているとか「ベスト・キッド」を思い浮かべてしまったし、足に重りを付けて跳び続けたり、尖った石に紙を敷いてその上を紙を破かずに歩くとかの漫画みたいな修行は「少林寺三十六房」だったり、木人巷や木の枝で接近戦の稽古をするのは「少林寺木人拳」を思い浮かべてしまったけれど、こういうのはこれ以前の香港映画では結構あった物なのか?どの映画が、どの映画に影響を与えているのかしらん?
修行は「少林寺三十六房」の方が主人公一人に絞って、更にやり過ぎだったので強かったけれど、木人巷はこちらの方が良かった。
「少林寺木人拳」は着ぐるみの中に人が入っていて、何じゃこりゃ?ではあったけれど、こちらは木が回転する仕掛けで、回転する腕の間をすり抜けるズルも出来つつも先に進むとそれも難しくなって行くのが実際にありそうな感じで良かった。

話がそうだから仕方無くはあるけれど、構成が一時間半位延々と修行をして実戦は残り三十分位になってから、しかも三十分位延々と戦い続けるのでめりはりが無くて、どっちも見ていると結構疲れて来る。
だからなのか、アレクサンダー・フー・シェンの役が結構道化役でもあって笑いが入る様にはなっていて、人物の特徴で飽きさせない様にはしていた。
このアレクサンダー・フー・シェンを見ていると、決して常に強くは無く、文句も言いつつ人を笑わせる様な人物なのでジャッキー・チェンを感じてしまった。
ただ、顔を見ていると、「24」を見続けているので、クロエ・オブライエン役のメアリー・リン・ライスカブを思い浮かべてしまった。

この映画、登場人物達の背景が全然描かれないので修行をする理由や目的が見えて来ずに何処に向かっているのか分からないままなので延々と続く修行話には身が入って行かなかったし、オールスター映画なので各人に見せ場が必要となったのか話は散漫になりがちで、最後の戦いも各人の見せ場の為に長くなって結構ダレてしまい、全体的に説明不足と各所の配分が悪くてもっとおもしろくなりそうなのにいまいち弾け切れない感じのままでした。

☆☆★★★

バトルランナー

2026年06月24日 水曜日

ポール・マイケル・グレイザー監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の1987年のアメリカ映画「バトルランナー(The Running Man)」

2017年。政府による管理社会となったアメリカ。
警察官のベン・リチャーズは食料を求める武器も持っていない市民達の射殺命令を拒否して強制労働所へ収容されてしまうが仲間達と共に強制労働所で暴動を起こして脱走した。
ベン・リチャーズは弟のアパートへと向かうと弟は引っ越しており、そこにはテレビ局ICSの局員アンバー・メンデスが住んでおり、彼女を使って国外逃亡しようとするが捕まってしまう。
ICSで放送されている人気テレビ番組「ザ・ランニング・マン」の司会者デーモン・キリアンは視聴率が伸び悩んでいる事を危惧していたが、ベン・リチャーズの脱走の報道を見てベン・リチャーズを「ザ・ランニング・マン」の新たなランナーにしようとする。
ベン・リチャーズは脱走に協力した仲間と、更にはICSのやり方に疑問を持ってICSを調べていた所を見つかってしまったアンバー・メンデスと共に「ザ・ランニング・マン」に強制的にランナーとして出演されられる事となり、武器を持ってランナーを殺しに襲って来るストーカーから逃げ、戦う事となってしまった。

YouTube公式の映画チャンネルを見てみたら、何時からか「バトルランナー」が配信されており、昔は週末の夜にテレビの地上波で何度も放送されていて見ていたはずと思い、その懐かしさで改めて見てみたら、映画自体は1980年代のB級感が凄い映画でそれなりではあるんだけれど、扱っている内容が今見ると色々と考えさせられてしまって、何だか勝手に深い映画に感じてしまった。

映画自体は、まあ1980年代の雑多なSFアクション映画。
時代設定は映画公開時の三十年後の2017年なのにSFとしては製作費が少なかったからなのか未来感を出す事を諦めていて、人々の髪形や服装が1980年代そのままで未来感は全然無い。
これは今見ているからそう思うのか、この当時だとまだ未来感はあったのか?がよく分からないし、2017年以前にわたしが見た時はどう思っていたのかは思い出せないので、このSF感はどうなのだろう?

映画の乗りも細かい事はいいからアーノルド・シュワルツェネッガーが次々と襲って来る敵を倒して行くだけではあるんだけれど、ここら辺の潔さはB級としてはおもしろかった。
アーノルド・シュワルツェネッガー側は皆武器を何も持たないのに、ストーカーはそれぞれが独特な武器を持ち、各ストーカー自体も人物が濃くて各人物は良く立っている。
この各敵が独自の武器を持って一人一人襲って来るとか、ちょっと「ロックマン」、アメリカだから「Mega Man」っぽさがあって、まるでビデオゲームの実写化の様でこの乗りは楽しかった。

一方で、テレビが非常に力を持ち、全ての娯楽の頂点で、かつ政府によって仕立てられた犯罪者を使って殺人ゲームを番組として見せるという、とても皮肉的な内容を扱ってはいるのだけれど、人気俳優アーノルド・シュワルツェネッガーのアクション映画と言う部分に引っ張られているので、皮肉的でも散漫になっている感じがして、もっとおもしろくなりそうなのに何だかいまいち。
これは映画の監督経験が余り無かったポール・マイケル・グレイザーの力不足と役不足なのかなぁ?と思うのは、撮影開始後に急にポール・マイケル・グレイザーに交代になっていて練りが足りなかっただろうし、アーノルド・シュワルツェネッガーがポール・マイケル・グレイザーの手腕を批判していたりしているから。
それこそ、「トータル・リコール」の監督だった変な悪趣味さを出すポール・バーホーベンとか、映画内の話で1997年にロサンゼルスで大地震があったと言っていたので、ジョン・カーペンターとかが監督したら、この設定や方向性とかが合っている感じがして、もっとおもしろくなっていた様な気がしてしまった。

そのテレビや番組や観客の描き方を見ていたら今でも通ずる様な話だったので色々と考えてしまった。
この映画では、多分当時のテレビ番組の力の大きさや影響力の危なさを皮肉的な笑いの方向も入れつつ描いているのだろうけれど、これが今ではインターネットやSNSになっていて、そこに重ね合わせて見てしまって余り楽しく笑える感じでもなかった。
この映画や古いSFでの未来の社会は権力が極端に集中したディストピアとして描く事が多かったし、その方が言いたい事が分かりやすくなるからなんだろう設定ではあるけれど、実際の現実は何でも分散しつつも集中する分かり難いディストピアになってしまっていて、でもやっている事は大して変わっていなくて、テレビは今でも犯罪者で視聴率を稼ごうとしているし、インターネットでは更に過激に悪者だと思った相手を事実でなくとも、捏造でも構わないから攻撃しまくる観覧の観客がストーカーとして参加する「ザ・ランニング・マン」を観客個人個人が放送している様な世界になっていると思ってしまうとこの映画を見ていて段々とげっそりしてしまった。
しかも、映画でもそれまで殺せ!と熱狂していた観客が急に掌を返してアーノルド・シュワルツェネッガーを応援する様な事も現実にも多々あるし、映画では映像が偽造されたモノでそれが暴かれてはいて、その後の観客や視聴者達がどうおもったのかははっきりはさせていなかったので分からないけれど、現実では捏造偽造で嘘でしたと分かっても、いや違う、間違ってはいないで一度持った信仰を絶対捨てない人もいるしで、このぐっちょりとした現実のディストピア感の方が映画よりも怖くなってしまって映画の楽しさよりも怖さや不安の方が大きくなってしまった。

あと、判断が付かなかったのが終わり方。
アーノルド・シュワルツェネッガーとヒロインの急なキス場面になり、そこに如何にも80’sなロックバラード、パワーバラードがかかって終わって行き、これって今見ると完全に笑かしにかかって来ている様にしか思えない演出なんだけれど、この映画の製作側はやっぱり主人公とヒロインのキスは必要で、そこに良い音楽かけて最高の終わりだ!と本気で良いと思って作っていたのだろうか?
これは、この映画の公開当時に見た感想でないと分からないか。

それと判断が付かなかったのが、途中に出て来た小ネタ台詞のスポック。
地下組織でジョークで若い相手にスポックと言ったら「スポックって誰?」というやり取りがあったのだけれど、これってこの世界では「宇宙大作戦」の開けて包括的ではあった世界観が良くないから情報規制されてしまったのか、この映画の時代設定が2017年なので、もうそんな古いテレビドラマの登場人物なんて若者は知らないという事だったのかしらん。
この映画の公開当時ではまだ「宇宙大作戦」後のスタートレックの映画が公開されていた時期だったのに、この当時の若者はこの映画みたいに「スポックって誰?」という感じだったのだろうか?
でも、多分アメリカなら今でもスポックは通じるんじゃあなかろうか?

そう言えば、主人公を偽造映像で殺した様にしていたジェシー・ベンチュラ演じるストーカーのキャプテン・フリーダムって、結局本物の主人公とは戦わず、その後も登場せずだったけれど、それまで何度もCMでも登場させていたのに何も無しって、この役や展開も一体何だったのだろう?

この映画、アーノルド・シュワルツェネッガーが出演していないと何ともおもしろくはないB級SFアクション映画で、その80年代感を今楽しむには良いのかもしれないんだけれど、わたしには扱っている内容が現在の現実をディストピアとして強く認識してしまったので、見終わると何だか滅入ってしまった楽しくはない映画になってしまいました。

☆☆☆★★

嵐を呼ぶドラゴン

2026年06月19日 金曜日

チャン・チェ監督・脚本、チェン・カンタイアレクサンダー・フー・シェン出演の1974年の香港映画「嵐を呼ぶドラゴン(方世玉與洪熙官 Heroes Two)」

清の将軍によって少林寺が襲撃されて焼き討ちにされてしまう。
少林寺から逃げ延びる事が出来たホン・シークァン(洪熙官)は清の追手と戦いながら生き残った仲間を集めようとしていた。
少林寺の同門のファン・シーユイ(方世玉)はホン・シークァンに倒された清の追手に騙されてホン・シークァンを強盗だと思い、ホン・シークァンと戦って清に引き渡してしまう。
ファン・シーユイは少林寺の仲間の下へ行くと自分が兄弟子を清に引き渡してしまった事を知って後悔し、捕まったホン・シークァンを助け出そうとする。

何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、その中で知ったチャン・チェの映画を続けて見てみた。

多分ジェット・リーの映画で知って名前を憶えていた有名な拳法の達人の方世玉と洪熙官が登場しており、どちらもそれぞれが主人公級の二人が競演するという事が目玉であったろう映画なんだろうけれど、話は大しておもしろくはなく、カンフーは戦いの場面が多くてめりはりが無くなってしまっているし、カンフー自体は悪くはないけれど繰り返しで飽きてしまうしで、ずっといまいち。

始まりの清軍による少林寺の焼き討ちから余り予算が無かったのか少人数による小規模な焼き討ちなのでこじんまりとしている。
その後も十人程度が行動している少林寺側でも目立つのは主役の方世玉と洪熙官と少林寺の一時的な指導者の人位で、清側も十人程度の軍勢なので常にこじんまりとした小競り合いにしか見えず、少林寺崩壊という大事には見えない。

方世玉と洪熙官が初めは対立して、その後和解して共に戦うという構成にしたいのは分かるけれど、初めの時点で何故同じ少林寺の方世玉と洪熙官の面識が全く無いのが疑問にしかならないし、どちらも少林拳の使い手で達人級に強いなら戦えば直ぐに気付きそうなモノなのに全然気づかないままというのは結構無理がある様に思えて乗って行けなかった。

その後、自分の間違いを知った方世玉が洪熙官を助け出そうとするけれど、ここの話もいまいち。
相手は強いので一人ずつ倒して行こうとするけれど、敵を殺さないので当然気付かれてしまい助けられないのは何を目的としているのだろう?
結果こっそりと助け出さなくてはいけなくなり、その方法が隠れ家から洪熙官が捕まっている家の地下まで穴を掘るので笑ってしまった。
八日であれだけ掘り進められるのか?という疑問もあるし、最後は方世玉は石の壁が崩せないと言っていたけれど将軍側の方からだと結構短時間で石の壁を壊せていたのは何?だし。

最後の少林寺側と将軍側の戦いも一番盛り上がるはずなのに、そこまでで結構多めに戦い場面があるので終始戦っていた様な印象になってしまい、いよいよの最終決戦なのに盛り上がらず。
しかも多人数での戦いなのに見た目が地味。
そして、これまでどういう人物かと描かれず台詞もほとんどなかった少林寺の人々が戦いで殺されると画面が急に真っ赤になる演出は何だこりゃ?
その人を描かなかった分、色で惨劇なんだ!と表現するしかなかったのからしらん?
それに、将軍側もこれまで全く登場しなかったチベット僧が突然登場して戦うけれど、初登場なので強いのか悪い奴なのかもよく分からないし、中国拳法とチベット拳法の違いも見ていてよく分からないので、何故急にここで?と思ってしまった。

役者のカンフーは決して下手という訳でもないけれど、特徴が出るのは最後の方世玉と洪熙官の鶴と虎の拳位で、ずっと同じ様な事を見せられていた気がしてしまい、戦う場面も多いので段々と飽きてはいた。

方世玉を演じていたアレクサンダー・フー・シェンはカンフーが上手い感じがしたし、見えの切り方とかも良かったし、見た目もカッコいい感じがするんだけれど、このアレクサンダー・フー・シェンって自動車事故で28歳で亡くなっていたのか。
このまま映画を続けていたら結構なスターになったと思う気がしたので非常に惜しい気がした。

気になったのが髪形。
清の時代なので辮髪なのに皆長い三つ編みはあるけれど誰も頭を剃っていない。
これは役者が他の役を演じられなくなるからの都合なんだろうけれども、三つ編みを側頭部にグルッと巻いたカツラを被っているだけの謎の髪形なので違和感しかなかった。
それに少林寺の人達も僧侶なので丸坊主ではないの?と思うのだけれど、同じく謎髪形なのは違和感。

あと、名前も。
方世玉の読みは知らなかったけれど、洪熙官はずっと「ハン・カーロ」だと思っていたら字幕が「ホン・シークァン」。
どうやら「ハン・カーロ」は中国語の普通話読みで、広東語では「ホン・ヘイクン」らしい。
だとすると「ホン・シークァン」は北京語読みという事なんだろうか。
ここら辺の字幕の表記って、中国映画と香港映画で元々発音が違い、しかも漢字表記の方が馴染みがある歴史上の人物でも映画内での発話では中国語なのでカタカナの中国語表記の方が映画の台詞としては分かりやすかったりするので日本でだと面倒臭い。

この映画、話は方世玉と洪熙官の対立は大しておもしろくはないし、方世玉が洪熙官を助けて悪者と対決という特に捻りの無い展開で終わっていまいち。
カンフーは悪くはないけど頻繁に戦う場面が出て来るので全体的にダラッと流れてしまい、盛り上がりに欠け続けてしまって全体的に余りおもしろくはない映画でした。

☆☆★★★