2026年09月06日 日曜日
わたしが使っているブラウザ「Vivaldi」は色々と自分好みに出来て使い勝手が良いのだけれど、元々の設定で勝手にアップデートする様になっていて、それもアップデートを自動でダウンロードしてブラウザを再起動すれば最新版になるのは便利ではあるものの、そのアップデート後のバージョンが今までとは挙動が違う事が時々あり、今回もまた微妙な不便さが出て来てしまった。
日々の作業の中で幾つも並んだリンクを全部クリックして見るのは面倒なので、右クリックの「バックグラウンドのタブでリンクを開く(L)」でキーボードの「L」を押してリンク先を新しいバックグラウンドのタブで出しておいて、それをタブを右クリックして「右側のタブをすべて閉じる」で一気に全部閉じるとリンクの色が変わって何処まで確認しましたが分かるので便利だった。
ただ、今回のアップデートで、この「バックグラウンドのタブでリンクを開く」でリンクを開いてもリンクの色が変わらなくなってしまった。
どうにもならないので、一々リンクをクリックして新しいタブで見た瞬間にタブを閉じて行ったけれど、これが微妙に不便。
どうにかならないモノかと、こういう条件が多い調べ物は対話型生成AIプログラムでという事で調べてみたら、Chromium ベースのブラウザで導入されたプライバシー保護のため訪問履歴をサイトごとに分離する「Partition the Visited Link Database」の機能が有効になったらかららしい。
これはユーザーの閲覧履歴を悪用したプライバシー侵害を防止する為の策らしく、仕方ないみたい。
しかし、やっぱり不便なので更に対話型生成AIプログラムに尋ねてみると、
・アドレス欄に「chrome://flags」を打ち込む。
・検索欄に「Visited」または「Partition」と入力。
・「Partition the Visited Link Database」と「Partition the Visited Link Database, including ‘self-links’」の欄を「Disabled(無効)」に設定。
・Vivaldiを再起動。
と出て来たのだけれど、「Visited」や「Partition」で検索しても何も出て来ない。
どうやら何時しかの時点で「Partition the Visited Link Database」が削除されたらしく、これでは無理だった。
更に尋ねてみると、
・Vivaldiを終了させ、Vivaldiを起動させるショートカットを右クリックして「プロパティ」を出す。
・「リンク先」のアドレスの後に半角スペースを入れてから「–disable-features=PartitionVisitedLinkDatabaseWithSelfLinks」を追加する。
・Vivaldiをそのショートカットから起動。
と出て来たのでしてみると、「バックグラウンドのタブでリンクを開く」でリンクを開くとちゃんとリンクが訪問済みで色が変わる様に戻った。
上記でも駄目な場合は「リンク先」のアドレスの後に「–disable-features=PartitionVisitedLinkDatabase,PartitionVisitedLinkDatabaseWithSelfLinks」を入れてみれば良いと出て来もした。
アップデートは良いけれど、それで挙動が変わると今までの様にしたいので情報を探して試してみないといけないのは御勘弁。
果実 | Comments (0) »
2026年08月30日 日曜日
ホア・シャン監督、ダニー・リー主演の1975年の香港映画「中国超人インフラマン(中國超人 The Super Inframan)」。
ある日突然、氷河期に存在して、その後地下に住む事で生き延びていた氷河魔族が地上に戻る為に人間達に攻撃を仕掛けて来た。
科学研究所は氷河魔族に対抗する為に研究員のレイ・マをインフラマンへと人体改造し、インフラマンと共に氷河魔族と戦う事となった。
何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、配信が終わりそうだったので見てみた映画。
1970~1980年代の香港映画と言えば武侠映画か、カンフー映画か、キョンシー映画の印象が強い中で特撮ヒーロー映画という珍しい映画で、しかも結構お金をかけて作っているし、アクションはカンフーからもあるので跳んだり跳ねたりも派手で中々良く出来た映画なので見栄えのおもしろさはあるのだけれど、話が一体一体敵の怪人が仕掛けて来るという構成で、まるで連続テレビドラマの再編集総集編みたいであんまりおもしろくはなかった。
始まりからして主人公のインフラマンへの変身場面から始まり、背景がインフラマンに関係はする抽象的な映像のオープニング・クレジットを流しと、非常に日本の特撮ヒーローを意識したモノになっていて、この始まりから結構楽しめた。
その後は敵の登場とそれに対応する科学研究所の人々が描かれて、インフラマンが登場するまで結構遅いのでダレてはしまう。
インフラマンが登場してからはカンフーアクション的なヒーローと怪人の戦いになり、キビキビ動く戦いはおもしろい。
それに、一番この映画でも驚いて見入ったのが怪人とインフラマンの巨大化場面。
怪人が小さく映っている所からカットはそのままで怪人が一気に大きくなるのを映しており、多分合成とかでもなく、カメラの引き寄りで撮影しているのだと思われる方法の特撮で、これが今見ても凄く上手く巨大化を見せていて驚いたし感心した。
この巨大化する場面は怪人と後からインフラマンもあったけれど、どちらも何度も見返してしまった位良く出来ていた。
あと、この時代の香港映画だから火薬と炎の量が凄くて笑ってしまう。
始まりから燃える町の場面は周りの建物を本当に燃やしていて凄い火の量。
怪人の攻撃が当たると相手は爆発するし、敵の戦闘員の持っている槍の様な武器が体に当たると爆死。
敵の戦闘員が水の中に落ちると水が爆発。
研究所員の拳銃から撃たれた弾が敵の戦闘員に当たると爆発。
インフラマンも足の裏から炎を出して飛んで行くし、最後の敵のアジトの崩壊にはスタジオセット内でもお構いなしにとにかく爆発させ、火を噴出させ、その直ぐ脇を役者が走り抜けて行くモノだから見ていても危なくてしょうがない。
ただ、話の方はと言うと、敵は地上を征服すると言って戦闘員も多くいるのに何故か毎回怪人一体一体を科学研究所に送り込んで破壊工作をするチマチマとした攻撃しかしない敵で、この設定にしてはこじんまりしているし、本気で征服する気がなさそうな感じ。
これって毎週の三十分番組でよくあった毎回新たな一体の怪人が攻撃を仕掛けて来て、それに対処するヒーローというお馴染みの展開と似ていて、まるでその毎週の番組を短く再編集して総集編映画にした感じなので、見ていてもおもしろい全体の大きな流れにはなってはいない。
それに、敵に狙われている事が分かっている科学研究所の周辺に突然誰なのか分からない子供が現れて遊んでいたり、急に所長の娘が出て来て話が進んだりと、これも毎週の番組で登場した脇役の様な人々が特に説明も無く出て来て話が進むので、やっぱり総集編の感じがしてしまった。
インフラマンは科学者による人体改造で、突然人間からスーツ、アーマーを着た状態になって、その原理や説明も無い謎な「変身」をする良くも悪くもこの時代の日本の特撮ヒーローそのもの。
インフラマンは超人的な身体能力や聴力は説明があったものの、透視までする視力以外にも特に説明も無く巨大化するし、右手を立ててそこに横にした左手を添えるスペシウム光線の様なビームも突然出すし、ビームも出すのに噴火弾を投げて武器も持っているしでとにかく色んなモノがてんこ盛り。
インフラマンは怪人の着ぐるみに比べて少し背が低かったり、仮面が長めなので顔が大きく見えてしまったり、頭から安っぽいアンテナが出ていたりと全体の造形はいまいち。
それに、最近の映画でもある、まず役者の素顔を見せる時間を設ける為なのか、周りで研究所の仲間が敵にやられても主人公は人間のまま戦い続け、何故かインフラマンに中々変身しなかったりもする。
インフラマンは圧倒的に強くはあるんだけれど、生身の研究所の所員達も敵の戦闘員を倒すし、着ぐるみの怪人ともほぼ互角に渡り合っているので、人体改造してまでインフラマンにならなくても良かった気もするし、他の研究員も強いのだから彼らもインフラマンに改造すれば敵を圧倒出来るのでは?とも思ったり。
怪人も結構しっかりと着ぐるみが出て来ており、怪人毎の見た目の個性も強いし、それぞれが違う能力も持っていて敵側が結構良く出来ている。
最後の氷河魔王女が人間の姿をしていたのに急に竜人になったり、その竜人に向かってインフラマンがビームを放つと竜人の首が切り落されたけれど、また直ぐに首が生え、またビームで切り落としを五回も繰り返す色んな謎は何だったのだろう?
この映画、当時の日本の特撮ヒーローを良く言えば良く勉強し、悪く言えば片っ端からパクって作った映画で、色んな所に結構お金かけているみたいだし、アクションは非常に良いし、特撮も巨大化の所なんて今見ても驚く上手さだし、火薬と炎は凄いしで見た目は良く出来た映画ではあるのだけれど、話は各怪人が策を練って攻撃を仕掛けて来ても結局はインフラマンと殴り合うだけではあるので別におもしろくはなく、まあこの時代の子供向けの毎週のテレビ特撮ヒーローではあった映画でした。
☆☆☆★★
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2026年08月29日 土曜日
チェン・チャンホー監督、ロー・リエ主演の1972年の香港映画「キング・ボクサー/大逆転(天下第一拳 King Boxer)」。
田舎町で師匠の下で拳法を学んでいるチャオ・チーハオ。
師匠が何者かに襲われてしまい、その暴漢からの攻撃で怪我を負った事で師匠は老いを感じ、自分が教えるには限界があるので、まだ若いチャオ・チーハオは尚武国術館のスン館長に預けて鍛えてもらう事となった。
スンの下で鍛えられて強くなったチャオ・チーハオ。
しかし、近く開かれる武術大会で優勝すれば武術界で権力を握れる為、他の流派に嫌がらせや攻撃を仕掛けている百勝武館から尚武国術館も嫌がらせを受けており、チャオ・チーハオも目を付けられていた。
師匠に目をかけられているチャオ・チーハオが気に食わない兄弟子は百勝武館と繋がり、チャオ・チーハオは両手を潰されてしまう。
それでも戦おうとするチャオ・チーハオは両手を治して武術大会に挑んだ。
何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、配信が終わりそうだったので見てみた映画。
序盤で悪い武術館が権力を握ろうと暗躍しており、それに対して主人公が立ち向かうのであろう事が示唆されているのに話の展開が遅くて結構退屈してしまったけれど、中盤辺りで敵側が急に日本から武芸者を呼び出したり、主人公が熱した炭?に手を突っ込む修行を始めた所で「これ、何かと似ている!」と気付き、そう言えばジミー・ウォングの映画「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」とそっくりな話で「何だこれ?」となりつつも、結局常に間延びしたままで特におもしろくはないままで終わってしまった。
展開は主人公が悪い武術館と戦うのは分かり切った話なのに、まあ回りくどい。
主人公側の武術館は嫌がらせを受けても何故か師匠が待て!で止めて何もせず、自分の弟子が殺されても何故か待て!で一切何もしない。
こういう理由があって復讐は待てと言う話もしないので、ずっと不可解。
一方の悪い武術館側の話の分量が多く、常に悪い武術館が暗躍している話ばかりで主人公の出番自体が少なく、見ているとこれは誰が主人公で何を見せたいのだろうと思えて来てしまった。
回りくどい割に何の意味があるのか分からないのは数多く、初めにある主人公が今の師匠から新たな師匠の所へ行く展開上の一手間もいらない気がするし、主人公が師匠から奥義を授かったけれど結局その奥義がどんなモノなのかがよく分からず、これは兄弟子が嫉妬するという展開を作り出す為だけに必要だったみたいで奥義自体は扱いが雑で全然出て来ないし、主人公の両手が潰されたけれど直ぐに治ってしまうので復活の苦悩もほとんど無いし、敵方の頭が前半分剥げていた雇われ拳士はあれだけ主人公と対立していたにも関わらず急に心変わりして主人公を助けたり、もっと説明して欲しい事ばかり。
特に奥義がよく分からず、主人公に奥義書を渡すけれど、主人公はそれ以前は書物を読んで学んでいる場面があったのに奥義書を読んで学んだという場面は無いし、焼けた炭?に手を入れる修行をしていたけれど、この修行が何の目的で行っていて、それがどうなるのか、結局奥義を習得したのかの説明が一切無く、この奥義が何なのかもよく分からず。
終盤に武術大会で戦った時に突然両手が真っ赤に輝いたのだけれど、これが奥義?
赤く光ったけれど、それは何故?何が切っ掛け?光ったらどうなるの?等についての説明は一切無し。
最後に日本人空手家と戦った時も両手が赤く光ったけれど、その時は相手を強く押し、相手が強烈に壁に叩き付けられていて、こんな強く押す効果なんて武術大会の時はあったっけ?だし、もう訳は分からない。
回りくどい割にあっさりしている所もあり、主人公が修行を始めましたからの次の場面で既に一年が経っていて、どういった修行をしたのか見せる気がないし、頭が前半分剥げていた雇われ拳士は自分はあれだけ酷い事をして来たのに仲間が酷い事をしたのを見て直ぐに寝返ったり、多分面倒臭い事は省きましたというだけなんだろうなぁ。
見ていたら「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」と同じ様な展開になったけれど、どうやら「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」が当たった事でその二番煎じと言うか、思いっきりそこから頂いた映画らしく、主人公のロー・リエは「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」で最後に戦っていた日本人空手家役をしていたし、この映画で日本人空手家役だったチャオ・シュンは「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」で初めに出て来た柔道家だったし、この映画のスン役の鶴田浩二に似たファン・ミェンは「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」でも主人公の師匠役だったりと同じ人が出ていたと知って、より「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」感が強いし、わざわざ同じ役者を使わなくてもとも思った。
「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」からそのまま頂いたので主人公に奥義の要素が入ったのかと思うけれど、それを全然活かそうともしなかったのは思い付きのパクリの結果なのか。
おもしろかったのは一番最後の主人公が敵を強く押す場面で、押された敵が壁に当たるとその壁の表面が割れるという仕掛けを見せていて、これって漫画だと「童夢」で有名になったけれど、それ以前に実写で叩き付けられて壁割れをしていて、見ていて「おっ!」となった。
この映画、「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」の様な展開の二番煎じで、「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」と同じく敵側の話が多いので主人公が薄くなり、「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」よりも説明不足で登場人物が多くて回りくどい話はおもしろくはなく、戦いもいまいちで、全体的に退屈した映画でした。
☆★★★★
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2026年08月28日 金曜日
ラウ・カーリョン監督、シャオ・ホウ主演の1980年の香港映画「新・少林寺三十六房(少林搭棚大師 Return to the 36th Chamber)」。
幼い頃から武術を学び、自分の力に自惚れて周りと騒ぎばかり起こしているフォン・サイヨは、たまたま出会ったサンダ和尚を逆恨みし、サンダ和尚を匿っていると思い込んで武官達の下へ乗り込んで騒ぎを起こしてしまう。
このままではサイヨの身や家に危険が及ぶと思ったサイヨの母親はサイヨを兄弟と共に少林寺のサンダ和尚に預け、匿ってもらう事にした。
少林寺の三十六房で修行する事となったサイヨだったが、修行を真面目に取り組まず寺の外へと抜け出して提督府の祭りを見に行き、少林寺を脅威と考えて対処したい提督に利用されて大騒動となる。
何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、リュー・チャーフィーの映画を見たので、一作目の「少林寺三十六房」。二作目の「続・少林寺三十六房」と続けて見た。
何時の時代でもの勝手な邦題で三部作の様になってはいるけれど、二作目もリュー・チャーフィーは一作目の主人公サンダ和尚は演じていなかったし、この映画も原題からして別に続編でもなく、しかもリュー・チャーフィーが主役でもない映画で、あくまでリュー・チャーフィーがサンダ和尚を演じていて少林寺の三十六房が出て来るというだけの関係性。
まあ、そこはいいとしてもこの映画は主役が全く良くないし、脚本も適当でつまらなかった。
主人公は既に拳法を学んで強いという設定で、それに慢心して誰に対しても何事に対しても常に挑発的、攻撃的で突っかかって行き、それによって揉め事を起こし、しかもそれを全く反省せずに更に揉め事を起こしているばかりなので、見ていても、まあうざい。
こういう主人公で少林寺で修行となれば、出来ない事が出て来て挫折したり、悩んだり、何かを感じて成長する話になるかと思いきやそういう事は全くなく、主人公が修行をさぼってサンダ和尚に怒られてサンダ和尚と僧達に打ち負かされるけれど主人公は特に何も思わないし、変化も無いという事を繰り返すだけで、主人公は変わらずさぼるし、騒ぎを起こし続けるだけ。
これを見て何が楽しいんだ?という展開で、こんな周りに迷惑をかけ続けるだけの主人公で最後はどうするんだ?と思ったら、ズルしてサンダ和尚に怒られてお終い。
こういう主人公でのコメディなんだろうが、主人公は周りの人々に迷惑かけようが、近い人々が傷付こうが最後まで反省する事も成長する事も無いままって、これの何がおもしろいんだろうか?
主人公はどうしようもないのだけれど、主人公を演じているシャオ・ホウは体はムキムキで引き締まっているし、体の動きは機敏で動きだけなら非常に良い。
ただ、こんな主人公なのでクンフー場面でも主人公に身が入って行かずに流し見になってしまうので勿体無かった。
一方のリュー・チャーフィーは、一作目のその後のサンダ和尚の様な感じで、眼力鋭く、全てを分かった感じの佇まいは非常に良いのだけれど完全に脇役なので出番も少なく、拳法を見せる場面も少なくてリュー・チャーフィーを見るには物足りない。
でも、最後の方で短めの三節棍の様な武器を使っており、ここら辺は一作目を抑えて来ている感じがあった。
三十六房は相変わらず無茶な修行をしてはいたけれど、両脇の壁を登るとか、水の中の丸太を持ち上げるとか、余り突飛でもなくなり、一作目がやり過ぎではっちゃけていただけに回を増す毎に尻すぼみで普通の修行になってしまう感じは否めなかった。
話は、主人公が自分勝手に考えて、身勝手に行動して行って周りが迷惑を被るというだけなのでおもしろくはないし、広東会館があれだけ狙われて揉めたのに母親のあの対応だけで済んで終わったの?とか、最後も提督とあれだけ揉めて戦いにまでなったら少林寺もそうだし、主人公の家に何らかの罰があったり処刑されたりするだろうに特に何もなく終わるし、初めはあれだけ主人公と共に見せていた主人公の兄弟達も少林寺に入るとぱったりと出番が無くなって、そう言えばいたなぁ…となってしまう人物になり、脚本がその場その場で書きなぐったかの様な適当さで見ていてもどうでもよくなってしまった。
この映画、リュー・チャーフィーが「少林寺三十六房」以来サンダ和尚を演じているからシリーズ作みたいにはなっているけれど、リュー・チャーフィーは主役でもないし、そもそもリュー・チャーフィーの登場自体は少なく、主人公は見ていてもいらつくだけの自分勝手な馬鹿が何も学ばないので、シリーズではないけれど三作の中では一番つまらなかった映画でした。
☆★★★★
関連:少林寺三十六房
続・少林寺三十六房
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2026年08月25日 火曜日
ラウ・カーリョン監督、リュー・チャーフィー主演の1980年の香港映画「続・少林寺三十六房(少林搭棚大師【少林寺三十六房續集】Return to the 36th Chamber)」。
僧侶に化けて怪しい薬を売ったり、お布施を集めて回る様な生活をしていたチェンチェ。
彼の兄が働いている染物工場では工場主が満州人を雇って従業員達を厳しく監視し、賃金を下げた。
それに反発した兄や従業員達を鎮める為に暴力を使って暴行した事にチェンチェは腹を立て、少林寺のサンダ和尚に化けて染物工場に乗り込み、従業員達の賃金を元に戻す様に説得しに行った。
初めは染物工場の人々に拳法の達人サンダ和尚だと信じさせていたが、クンフーが出来ない事がばれてしまい返り討ちにあってしまう。
兄や従業員達を救いたいと思ったチェンチェは拳法を習う為に少林寺に忍び込もうとする。
何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、リュー・チャーフィーの映画を見たので、以前一作目の「少林寺三十六房」は見たけれど改めて見直してから見た続編。
一作目ではリューからサンダとなった主人公が終盤に急に町の人々を集めて仲間にして戦い、最後はサンダが作った新たな少林寺三十六房でその仲間達が修行を始めた所で終わったので、その続編となれば修行を終えた仲間達を引き連れたサンダが活躍したり、もしくは仲間を主役にした話になるのかと思って期待して見たら全然違った。
確かに少林寺三十六房の話だし、構成も初めは少林寺に行って修行する理由から、中盤は修行。最後に習った拳法を使った復讐と一作目と同じ様な流れなんだけれども、勝手な邦題「続・少林寺三十六房」や原題にも「少林寺三十六房續集」と付いてはいるのに一作目からの完全な続編でもなく、あくまで少林寺三十六房を扱った別の話。
一作目とは全く関係無い町の人が工場主から酷い目に合っているので、それを解決する為に主人公が少林寺に行くという話で、一作目とは無関係。
一作目が清による支配が厳しくなった中で清の役人に対する抵抗で少林寺に行った事を思うと、この続編は導入が非常にこじんまりしてしまっていて、見ていても余り盛り上がらないので乗りが悪かった。
修行も一作目は大分弾けた無茶苦茶な修行ばかりで笑ってしまったけれど、それに比べるとこちらも修行はこじんまりしていて、修行での盛り上がりも大分落ちてしまっていた。
一作目は真正面から修行しているのを見せていたけれど、この続編では主人公は少林寺に何とか紛れ込んだ立場なので正式な修行がさせてもらえず、ずっと足場組みをさせられて、それが修行になっていたという、ちょっと捻った展開なので、やり過ぎな修行を各種取り揃えて見せていた一作目に比べるとどうしても弱かった。
ただ、逆に終盤の復讐の戦いはこちらの方がおもしろく、一作目はあれだけ色んな修行をしたのにその技を余り見せなかったけれど、この続編では敵の棒を上手く操って敵の手足を竹の紐で結び付けて身動き出来ないようにしたり、足場の悪い所でも主人公は自由に動けたりとずっと足場組みをしていた修行の成果が役だった事をはっきりと出していて、こちらの方が見せ方としては良かった。
竹紐で次々と縛って行くのはおもしろい発明の功夫。
でも、主人公はほとんど拳法の修行はしておらず、人との実戦的な訓練もしていなかったのに、敵の拳を受けたり、自ら拳法を上手く繰り出せたのはどうなの?とは思ったけれど。
おもしろかったのはリュー・チャーフィーの主人公の役柄で、これまで見たリュー・チャーフィーの映画ではリュー・チャーフィーは真面目な役ばかりだったので、この映画の道化的な感じの役が新鮮だった。
こういう悪ふざける役も中々良い。
リュー・チャーフィーは一作目とは別人を演じているので当然サンダ和尚は別の人が演じていたけれど、わたしはてっきりサンダ和尚もリュー・チャーフィーが演じ、だからちゃんと続編になっていたり、サンダ和尚と主人公がそっくりなので目をかけて気にしたという事になるのかのと思っていた。
結局サンダ和尚は上手い事紛れ込んだ主人公にちょっと興味を引かれて目をかけたという理由だった様で、その主人公のズルした立場に周りの修行者が何も言わないは色々と省いた感じはした。
一作目を見ていなくても分かる内容ではあるけれどサンダ和尚や少林寺三十六房についての説明がほとんど無いので、一作目を見ていないとここら辺が分からないのは結構不親切かと思った。
この映画、続編なのに一作目の話とはほぼ関係が無く、リュー・チャーフィーが少林寺に行って房で修行する所と、全体の構成が大体同じ事位しか似ておらず、しかも一作目の方が話も修行も派手でおもしろかった分、二作目になって全体的に萎んでしまった感が強くなり、リュー・チャーフィーの人間的な役柄と最後の竹紐拳が見所位だったかなぁと思った映画でした。
☆☆★★★
関連:少林寺三十六房
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