バトルランナー
2026年06月24日 水曜日ポール・マイケル・グレイザー監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の1987年のアメリカ映画「バトルランナー(The Running Man)」
2017年。政府による管理社会となったアメリカ。
警察官のベン・リチャーズは食料を求める武器も持っていない市民達の射殺命令を拒否して強制労働所へ収容されてしまうが仲間達と共に強制労働所で暴動を起こして脱走した。
ベン・リチャーズは弟のアパートへと向かうと弟は引っ越しており、そこにはテレビ局ICSの局員アンバー・メンデスが住んでおり、彼女を使って国外逃亡しようとするが捕まってしまう。
ICSで放送されている人気テレビ番組「ザ・ランニング・マン」の司会者デーモン・キリアンは視聴率が伸び悩んでいる事を危惧していたが、ベン・リチャーズの脱走の報道を見てベン・リチャーズを「ザ・ランニング・マン」の新たなランナーにしようとする。
ベン・リチャーズは脱走に協力した仲間と、更にはICSのやり方に疑問を持ってICSを調べていた所を見つかってしまったアンバー・メンデスと共に「ザ・ランニング・マン」に強制的にランナーとして出演されられる事となり、武器を持ってランナーを殺しに襲って来るストーカーから逃げ、戦う事となってしまった。
YouTube公式の映画チャンネルを見てみたら、何時からか「バトルランナー」が配信されており、昔は週末の夜にテレビの地上波で何度も放送されていて見ていたはずと思い、その懐かしさで改めて見てみたら、映画自体は1980年代のB級感が凄い映画でそれなりではあるんだけれど、扱っている内容が今見ると色々と考えさせられてしまって、何だか勝手に深い映画に感じてしまった。
映画自体は、まあ1980年代の雑多なSFアクション映画。
時代設定は映画公開時の三十年後の2017年なのにSFとしては製作費が少なかったからなのか未来感を出す事を諦めていて、人々の髪形や服装が1980年代そのままで未来感は全然無い。
これは今見ているからそう思うのか、この当時だとまだ未来感はあったのか?がよく分からないし、2017年以前にわたしが見た時はどう思っていたのかは思い出せないので、このSF感はどうなのだろう?
映画の乗りも細かい事はいいからアーノルド・シュワルツェネッガーが次々と襲って来る敵を倒して行くだけではあるんだけれど、ここら辺の潔さはB級としてはおもしろかった。
アーノルド・シュワルツェネッガー側は皆武器を何も持たないのに、ストーカーはそれぞれが独特な武器を持ち、各ストーカー自体も人物が濃くて各人物は良く立っている。
この各敵が独自の武器を持って一人一人襲って来るとか、ちょっと「ロックマン」、アメリカだから「Mega Man」っぽさがあって、まるでビデオゲームの実写化の様でこの乗りは楽しかった。
一方で、テレビが非常に力を持ち、全ての娯楽の頂点で、かつ政府によって仕立てられた犯罪者を使って殺人ゲームを番組として見せるという、とても皮肉的な内容を扱ってはいるのだけれど、人気俳優アーノルド・シュワルツェネッガーのアクション映画と言う部分に引っ張られているので、皮肉的でも散漫になっている感じがして、もっとおもしろくなりそうなのに何だかいまいち。
これは映画の監督経験が余り無かったポール・マイケル・グレイザーの力不足と役不足なのかなぁ?と思うのは、撮影開始後に急にポール・マイケル・グレイザーに交代になっていて練りが足りなかっただろうし、アーノルド・シュワルツェネッガーがポール・マイケル・グレイザーの手腕を批判していたりしているから。
それこそ、「トータル・リコール」の監督だった変な悪趣味さを出すポール・バーホーベンとか、映画内の話で1997年にロサンゼルスで大地震があったと言っていたので、ジョン・カーペンターとかが監督したら、この設定や方向性とかが合っている感じがして、もっとおもしろくなっていた様な気がしてしまった。
そのテレビや番組や観客の描き方を見ていたら今でも通ずる様な話だったので色々と考えてしまった。
この映画では、多分当時のテレビ番組の力の大きさや影響力の危なさを皮肉的な笑いの方向も入れつつ描いているのだろうけれど、これが今ではインターネットやSNSになっていて、そこに重ね合わせて見てしまって余り楽しく笑える感じでもなかった。
この映画や古いSFでの未来の社会は権力が極端に集中したディストピアとして描く事が多かったし、その方が言いたい事が分かりやすくなるからなんだろう設定ではあるけれど、実際の現実は何でも分散しつつも集中する分かり難いディストピアになってしまっていて、でもやっている事は大して変わっていなくて、テレビは今でも犯罪者で視聴率を稼ごうとしているし、インターネットでは更に過激に悪者だと思った相手を事実でなくとも、捏造でも構わないから攻撃しまくる観覧の観客がストーカーとして参加する「ザ・ランニング・マン」を観客個人個人が放送している様な世界になっていると思ってしまうとこの映画を見ていて段々とげっそりしてしまった。
しかも、映画でもそれまで殺せ!と熱狂していた観客が急に掌を返してアーノルド・シュワルツェネッガーを応援する様な事も現実にも多々あるし、映画では映像が偽造されたモノでそれが暴かれてはいて、その後の観客や視聴者達がどうおもったのかははっきりはさせていなかったので分からないけれど、現実では捏造偽造で嘘でしたと分かっても、いや違う、間違ってはいないで一度持った信仰を絶対捨てない人もいるしで、このぐっちょりとした現実のディストピア感の方が映画よりも怖くなってしまって映画の楽しさよりも怖さや不安の方が大きくなってしまった。
あと、判断が付かなかったのが終わり方。
アーノルド・シュワルツェネッガーとヒロインの急なキス場面になり、そこに如何にも80’sなロックバラード、パワーバラードがかかって終わって行き、これって今見ると完全に笑かしにかかって来ている様にしか思えない演出なんだけれど、この映画の製作側はやっぱり主人公とヒロインのキスは必要で、そこに良い音楽かけて最高の終わりだ!と本気で良いと思って作っていたのだろうか?
これは、この映画の公開当時に見た感想でないと分からないか。
それと判断が付かなかったのが、途中に出て来た小ネタ台詞のスポック。
地下組織でジョークで若い相手にスポックと言ったら「スポックって誰?」というやり取りがあったのだけれど、これってこの世界では「宇宙大作戦」の開けて包括的ではあった世界観が良くないから情報規制されてしまったのか、この映画の時代設定が2017年なので、もうそんな古いテレビドラマの登場人物なんて若者は知らないという事だったのかしらん。
この映画の公開当時ではまだ「宇宙大作戦」後のスタートレックの映画が公開されていた時期だったのに、この当時の若者はこの映画みたいに「スポックって誰?」という感じだったのだろうか?
でも、多分アメリカなら今でもスポックは通じるんじゃあなかろうか?
そう言えば、主人公を偽造映像で殺した様にしていたジェシー・ベンチュラ演じるストーカーのキャプテン・フリーダムって、結局本物の主人公とは戦わず、その後も登場せずだったけれど、それまで何度もCMでも登場させていたのに何も無しって、この役や展開も一体何だったのだろう?
この映画、アーノルド・シュワルツェネッガーが出演していないと何ともおもしろくはないB級SFアクション映画で、その80年代感を今楽しむには良いのかもしれないんだけれど、わたしには扱っている内容が現在の現実をディストピアとして強く認識してしまったので、見終わると何だか滅入ってしまった楽しくはない映画になってしまいました。
☆☆☆★★