スター・トレック(1979年)

2025年12月12日 金曜日

ロバート・ワイズ監督、ジーン・ロッデンベリー製作、ウィリアム・シャトナー主演の1979年のアメリカ映画「スター・トレックStar Trek: The Motion Picture)」
テレビドラマ「宇宙大作戦」のその後を映画で描いた続編。

天体程の大きさのある巨大な何かが地球へと迫っていた。
それを調査して止める為に大規模な改修が終わろうとしていたU.S.S.エンタープライズが任務に赴く事となり、提督となっていたジェームズ・T・カークが名乗り出て再び艦長として指揮を執る事となった。
その為、エンタープライズの艦長として出航するはずだったウィラード・デッカーはカークに副長に任命されてしまった。
モンゴメリー・スコット、ウフーラ、ヒカル・スールー、パヴェル・チェコフらはそのままエンタープライズに残っていたが、カークはレナード・マッコイを呼び戻し、謎の物体に興味を持ったスポックもエンタープライズへとやって来て、謎の物体の調査へと赴く事となった。

インターネットで色々調べていたら、Youtubeで「宇宙大作戦(TOS)」の映画が無料で公開しているという情報を見つけ、わたしは「宇宙大作戦」は全話見て、その後に映画を見ようと思ったら何故かAmazon プライムビデオでは「スタートレックIV 故郷への長い道」だけが配信していたのでそれを見ただけだったので、これは好機と思って見てみた。

スタートレックシリーズのその後への影響とかの部分で見るとおもしろい部分はあったけれど、一作の映画としてだとおもしろくはなかった。

このYoutubeの配信だと始まってから一・二分間は画面真っ黒で音楽が流れているだけが続いたので「何か壊れてる?」と思ったら、そこからオープニングクレジットが始まって「??」ではあり、更にそのオープニングクレジットの音楽が「新スタートレック」のメインタイトルでお馴染みの曲で戸惑ってしまった。
「新スタートレック」からスタートレックに入って、最近も「新スタートレック」をシーズン1から見ていた身としては、この音楽は「新スタートレック」なので、「宇宙大作戦」で「新スタートレック」の曲だと思ってしまったので変な感じ。
続編の映画なのでエンタープライズを新たにするのは分かるけれど音楽まで変えてしまったのは当時の「宇宙大作戦」を見ていた人からするとどうだったのだろう?
やっぱり「宇宙大作戦」はあの「♪ア~ア~~アアアアア~」の曲じゃないの?
それに、この映画の音楽を新たなテレビドラマの「新スタートレック」にそのまま持って来る使い回しだったのもどうなんだろうと思ってしまった。

で、映画が始まってからも初めに額に飛び出た筋のあるクリンゴン人が登場したけれど、「新スタートレック」以降で馴染んでいるわたしはやっとお馴染みのクリンゴンが初登場と思う一方で、やっぱり当時の「宇宙大作戦」を見ていた人からすると「宇宙大作戦」の時とは見た目が全然違うクリンゴン人はどう思ったのだろう?
制作側は大分思い切った事をしたので、これは後々各シリーズでネタになっているし。
それにこの時のクリンゴンの額は背骨みたいな感じで「新スタートレック」の時のクリンゴンともちょっと違っている。

その後の映画の前半は状況説明とお馴染みの各登場人物のエンタープライズへの集結と再紹介を結構ゆったりして見せているので結構間延びしながら進んでしまう。
ここは当時の「宇宙大作戦」打ち切り終了から再放送で人気が出て、ドラマ終了から十年も経って映画で続編が作られたという経緯で見たら感動的でおもしろいんだろうけれど、わたしは2020年代に「宇宙大作戦」を見てから二年位立ってからの映画なので、そこの感動は薄くなってはいた。
ここら辺の再集結もカークがエンタープライズに戻って来て興奮していたけれど何でエンタープライズから降りたのかとか、二度と船には乗らないと言っていたマッコイを呼び戻す理由が弱かったり、戻って来たスポックとの再会の時のスポックの反応の弱さがおもしろくなってはいないとか、どれも描きが弱い感じなのでいまいち乗って行けず。
カークとスポックとマッコイの三人が話し合う場面でやっと「宇宙大作戦」っぽくなったけれど、感情を抑える修行をしていたからとは言え、スポックの反応が弱いのでそんなにおもしろくならず。
そう言えば「宇宙大作戦」ってこのカークとスポック、カークとマッコイの漫才的やり取りで、このトリオ漫才がおもしろかったのにと思い出した。
特に用事もないドクターがブリッジにしらっとやって来てはカークに文句たれるとかも「宇宙大作戦」。

主人公のカークは地上勤務になったけれどその権力を使ってエンタープライズに異様な執着を見せる様な、まるで駄々っ子の様な人間になってしまっていて、何でこんなその後のカークにしたんだろう?と思ってしまった。
本来ならそんな自分勝手なカークと、艦長だったはずが突然副長に降格されてしまったウィラード・デッカーとの対立に、そこにマッコイも入って来てカークに説教してどうにかなりそうだったのけれど、対立も話的には盛り上がりに欠け、二人の理解や和解も大してないままで思わってしまい、カークが提督になって人間的に成長したとかも無く、まるでカークが更年期になって精神的に不安的になっているだけみたいだった。
ウィラード・デッカーとアイリーアの関係と言うかウィラード・デッカーのアイリーアへの思いも薄くて最後の行動もいまいちピンと来ないままだしで、おもしろくなりそうな感じではあったのに全部描きが弱かったり少なかったりで物足りず。
ヴィジャーに関する調査や分析も結局スポックが精神融合という魔法で全部説明してしまう「宇宙大作戦」の悪い部分があったり、ヴィジャーの行動原理とかも何だか有耶無耶な感じだったりとそこも描きが微妙だったし。

序盤で、映画になってドラマよりもお金をかける事が出来、エンタープライズもよりお金をかけて作ったからか、長い間シャトルポッドで行ったり来たりしてエンタープライズを長く見せていたけれど、ここで思ったのがエンタープライズとシャトルポッドの寸尺が変な気がするだった。
エンタープライズが小さ過ぎる様な気がしたけれど、見慣れた「新スタートレック」のギャラクシー級のDのエンタープライズが大きいからで、後から調べて初代のエンタープライズってDの半分位の大きさなのかと知って、映画のこの寸尺なのかと思った。

ここでもエンタープライズをずっと見ているという場面だったけれど、その後も登場人物達が外の何かをずっと眺めているという場面が何度も登場して、これが非常に間延びしていた。
これって当時は「スター・ウォーズ」が当たってそっちの早い宇宙戦の映画に向いていたけれど、「スター・ウォーズ」とは違うという方向性で「2001年宇宙の旅」の様な方向性にしたんだろうか?
話もヴィジャーが人工知能や謎の地球外生命体や進化とかだったし。
ヴィジャーの外側の宇宙船もやたらと長く見せていたけれど、お金をかけての大画面での映画だから特撮や視覚効果を見せるという意味もあったのかな?
この場面はちょっと「インデペンデンス・デイ」を思い出してしまったけれど長々とだったので間延び感が否めなかった。
アイリーアがアンドロイドとして戻って来てからのこれは一体何なのだ?で「宇宙大作戦」のSF的おもしろさが出て来たのに、それ以降のヴィジャー内部が間延びし過ぎていたので結構飽きてしまった。

エンタープライズが新たになっていたけれど制服も新しくなっていて、でも相変わらず寝間着感は強い。
「宇宙大作戦」から続く、この寝間着感は何なのだろう?
それに「宇宙大作戦」でもそれ以降でも続く、赤・青・黄の制服ではなく灰色や白色って、当時のSFの雰囲気では制服はこういう感じが正解だったのだろうか?
でも、半袖の制服って何故?
艦内は常に暑いから初めから半袖制服を作ったの?

あと気になったのがカークが結構老けていた事。
「宇宙大作戦」から十年後に作られた映画なので、そりゃあウィリアム・シャトナーも老けるんだけれど、「宇宙大作戦」でのカークの輝きから大分減った様に思えてしまった。
スポック役のレナード・ニモイは「宇宙大作戦」の時から何歳なのか分からない見た目でこの映画でも変わらない感じだったし、マッコイ役のデフォレスト・ケリーは「宇宙大作戦」の時から四十代後半なのにおじいさんにしか見えなかったし、ミスター・カトウ役のジョージ・タケイチェコフ役のウォルター・ケーニッグも「宇宙大作戦」からあんまり変わっていない感じだっただけにカークの老けた感じがカークだけが歳を取った感じになってしまっていた気がしてしまった。
映画の中でも言っていたけれど「宇宙大作戦」の五年の調査から二・三年後ではあるので、それだとカークの老け感はよっぽど提督や地上勤務があってなかったのだろうなぁと思ってしまった。
提督になって地上勤務ばかりで疲れた感じが出ていると言えば良い風なんだけれど。
チャーリーに関しては「宇宙大作戦」での渋いけれど優しいおじさん前期チャーリーから、この映画から呑気なおじいさんの後期チャーリーになっていて、最早別人なのでそういう者として見てはいた。

登場で嬉しくなったのがジーン・ロッデンベリーの妻メイジェル・バレット演じるクリスティン・チャペルで、「宇宙大作戦」ではマッコイに付く看護師だったのがこの映画ではエンタープライの医師になっていた。
「宇宙大作戦」では本当に脇役扱いだったのに映画にもちゃんと登場したのが嬉しいんだけれど、しかし何故かその場所にいるのにほとんど画面に映らないというのは何でなんだったのだろう?

カークが新しくなったエンタープライズに来て直ぐに機関室に行って機関室内を歩いて周ったり、二階部分から降りて来たりしていたけれど、そう言えばこれって「新スタートレック」の一話目でもジャン=リュック・ピカードが同じ様に機関室歩き回っていたし、確か「スタートレック:ヴォイジャー」でもキャスリン・ジェインウェイが歩き回っていた様な記憶があって、確かに内部を見せる紹介にも良いしでここからの引用や伝統になったのかな?
それに、エンタープライズ内の通路も、「宇宙大作戦」ではセット内に壁を作った位の物だったのが宇宙船っぽい通路になっていて、これも後の「新スタートレック」のエンタープライズDに繋がる感じで、そこでちょっと喜んでしまった。
あと、「宇宙大作戦」でお馴染みの、こちらには何にも無いのにハッタリを吹っかけて上手く行ってしまうカークの交渉術も、これこれ!と言う感じで喜んでしまった。

この映画、低予算ドラマで結局打ち切られた「宇宙大作戦」が再放送から人気が出て、宇宙SF映画の流行の波に乗って映画で復活して、新たなエンタープライズに皆が再集結してという流れがあるのは分かりはするけれど当時に見てないので大して感動が無く、何だか老けてしまって輝きが減ってしまい妙に駄々っ子の様なカークの魅力が無かったし、スポックも余りに素っ気なさ過ぎでカークとの漫才も不発だったと思うし、SF的なおもしろさも出しては来たけれど描きが足りないのに間延びしていて、いまいちさばかりが目に付いてしまいました。
 
☆★★★★
 
 
関連:宇宙大作戦 シーズン123
   スタートレックIV 故郷への長い道

24のシーズン2を再び見始める。

2025年12月09日 火曜日

Amazon プライムビデオを検索していたら「24 -TWENTY FOUR-」がまた配信されていたので今度こそ最後まで見てみようと思て見始めた。

「24」を初めて見た時は多分地上波?で放送した時で、おもしろくてはまってしまい、その後はレンタルDVDで見たと思うのだけれど、結局何処まで見たのかな?と思ってこのブログを調べてみたら2010年にシーズン7まで見ていて、もうちょっとで見終わる中途半端な所で終わってしまっていた。
それもあって以前Amazon プライムビデオで配信しているのを知って、再びシーズン1から見直し始めたんだけれど、これも途中で配信が終わってしまったので結局シーズン2を見終わった所で終わってしまっていた

今回多分十月頃に再配信が始まったので、これで最後までを見終わろうと「24」を見始めた。
ただ、シーズン1は何だかんだでもう3・4回は見てしまい、大体は覚えているので今回はシーズン2からにした。
前見たのが2021年からだから五年振りで、通算三回目かな?

そのシーズン2は、ロサンゼルスでテロリストが核爆弾を今日爆発させるという情報が入っての阻止話。
シーズン1以上に大きな話になり、ジャック・バウアーは何時も通りあちこち走り回って現場で銃をぶっ放しているけれど、デイビッド・パーマーは大統領になっているのでそこの陰謀話も大きく展開していて更におもしろくなっている。
ただ、結構覚えていない事が多かった。
ワーナー一家の真犯人は覚えていたけれど皆の展開を覚えていなかったし、中盤で核爆弾の話が終わって戦争回避の話になるとか、思い出してもそうだったけな?な感じで、なのでまた楽しめはしてしまった。
だけれど、改めて見ると後半や終盤の展開が荒い気もしてしまった。

おもしろいのはシーズン1からの2で各人の立場や関係性が変わっている事。
ジャック・バウアーは失意の中でCTUにはまだいるけれど出てはおらず、でもやっぱり戻って来て走り回るし、トニー・アルメイダの事は全面的に信用しているけれど中盤では展開として必要があるから見事に対立もするし、シーズン1では相棒の様だったニーナ・マイヤーズは復讐の気持ちを抑えながら全く信用していないし、娘のキンバリーはシーズン1以上に気になって仕方ないけれど一話と最終話以外では全く顔を合わせていなかったり。
デイビッド・パーマーの方は周りは信用していいのかどうかの人ばかりで、そこにシェリー・パーマーが出て来て、これまでも信用していいのか?な関係だったのが一気に信用ならない人物になっていたり、更にはマイク・ノヴィックまで信用ならない人物になったりとシーズン1から2で特にジャック・バウアーとデイビッド・パーマーの愛憎関係がおもしろ過ぎ。

1話目は、テリーを失った失意のジャック・バウアーを描いて、そこから再びCTUに戻って来る所から始まり、でも行き成り証言者を撃ち殺して潜入捜査再開とか、まあこれ以降のやり過ぎジャックが出ていて笑ってしまう。

4話の終わりで、CTU爆破にはニーナ・マイヤーズが関わっていた証拠としてニーナ・マイヤーズの写真で終わるのは物凄いクリフハンガー。
シーズン1の結末のその後のニーナ・マイヤーズがどうなったかをここまで全然描いて来ず、引っ張ってからの更にクリフハンガーで次回に続くは上手過ぎ。
そこからのジャック・バウアーとニーナ・マイヤーズの対面がおもしろくて、お互いを良く知っているのでジャックを翻弄しようするニーナに対して無茶をして更に上を行くジャックには笑ってしまった。

10話でその後時々登場して来るダニエル・デイ・キムが初登場。
流石に二十年以上前なので若い。
このシーズン2でも少し役の立った捜査官が登場したら直ぐに退場してしまう中で、ダニエル・デイ・キム演じるベイカーは時々登場して活躍するので印象に残っていたけれど、調べてみたらこのシーズン2と次の3だけの登場だったのか。

12話でサイエド・アリから爆弾の場所を聞き出す為に家族を人質に迫る展開になるけれど、これは荒過ぎ。
何処かの中東辺りの国にいる家族の居場所が一時間も経たずに分かって確保し、そこから子供を撃ったと見せかけて実は撃っていない騙しで白状させていたけれど、流石に向こうの人達との連携が凄過ぎるし、あの実は撃っていなかったという仕掛けもどうなっていたのかも何だか有耶無耶で次に行ってしまったしで、ここが見せ場としては分かるけれどの脚本としては酷く荒かった。

中盤を過ぎると急に何かありそうな新登場人物を立て続けに出して来て、やっぱり後半は別の話が新展開して行くシーズン1と同じ様な構成。
これは中ダレしないようにだろうし、新展開でおもしろいのだけれど、見ていると前半の事を忘れてしまい、感動のジョージ・メイソンも暫く話が進むとすっかり忘れてしまうので結構善し悪し。

20話でユスフ・アウダが役が立ち始めて来た所で死んじゃうけれど、ユスフってもっと活躍しても良かった様に思うし、後のシリーズで再登場とかもあったら良かったのにと思う勿体無さがあった人物。
この回ではリン・クレスギも微妙な感じで退場してしまうし、最終盤に向けての在庫整理みたいな感じがしてしまった。
更にこの回ではここに来てアーロン・ピアースが登場する。
アーロン・ピアースって登場が多いシーズンと数話だけのシーズンがあって、結構登場が疎らなのか。

21話ですっかり忘れていたシェリー・パーマーの再登場は上手い。
まさかのジャックとシェリーが顔を合わせる事になり、対立と交渉で、あのシェリーを言う事を聞かせるジャックの展開がおもしろ過ぎ。
でも、シェリーはパーマーに対する復讐と支援との愛憎入り混じるのが本音なのか、結局パーマーにどうならせようとしたのかよく分からない感じだった。

22話で何故かゲイリー・マシスンから逃げようとしないキムに、撃ち殺せと命じるジャックとか、この展開と結末の付け方は本当に何なのだろう?
キムはシーズン1からうざさ担当ではあったけれど、まだシーズン1では全体の話に絡めはしていたのに、このシーズン2では制作側もキムという登場人物を持て余していたのか、ずっと本編とは関係の無いどうでもいい話を続けており、これが本当にどうでもよく、キムが登場する度に間延びしてしまい、一気にさめてしまう。
今シーズンで一番憎むべき相手はキムだったなぁ。

最後の2・3話でも話が二転三転して、どうやって終わらすのかのワクワクを続けるのは流石ではあったけれど、アレックス・ヒューイットがシェリーを刺して逃げだすとか、そのアレックス・ヒューイットが死んじゃうとか、ピーター・キングスレーがやたらと感が良過ぎるとかは流石に展開の為の都合の良さは感じてしまってちょっと覚めてはしまった。

そして、シーズン1に続き「24」の特徴にした、めでたしめでたしからの危機の展開でクリフハンガーが今回はパーマーで、やっぱりシーズン3を続けて見たくなっちゃう。
これって、今だとそのまま続きを連続で見れるけれど、当時のアメリカだと五か月後かぁ。
このクリフハンガーの結末ってどうだったっけなぁ?
シーズン3はジャックの弟子的なチェイスが出て来る事と敵がジョアキム・デ・アルメイダ演じるサラザールだった事位しか覚えていない。

このシーズンでずっとあった反パーマーの陰謀って結局黒幕って誰で、誰発信だったのかって後になって分かるんだっけも覚えていない。
パーマーを大統領から引きずり落そうとする核爆弾の方の話と、戦争で儲けようとしている人々の繋がりも繋がっていたのか繋がっていないのか何だかよく分からなかったし、石油で儲けようとしていた黒幕と政府関係者の繋がりはほとんど描かれていないし、副大統領のジム・プレスコットはパーマーに対する態度や引き下がり方を見ていると結構本気でパーマーがおかしくなっていると信じていた感じで陰謀の黒幕でもなさそうだし、NSA長官のロジャー・スタントンが後から嘘をついていたのも石油関係者と繋がっていたからなのか、単に拷問への復讐のつもりだったのかとか、何となくめでたしめでたしで終わったけれど、ここら辺の陰謀の説明が無いのでクリフハンガー以外が凄くモヤモヤしたままで終わってしまった。

ジョージ・メイソンが早い段階で被爆したのって、やっぱり演じるザンダー・バークレーがシーズン2の契約段階でのシーズン2まででの降板が決まっていたからだからだったんだろうか?
ジョージ・メイソンの減らず口の感じって良くて、後のCTUの部長ビル・ブキャナンって物分かりが良過ぎた印象で、それに比べてジョージ・メイソンの嫌な奴だけれど憎めない、善悪でもない感じが好きだったのになぁ。
「24」では何の前振りも無く突然退場してしまう人が多い中で、これだけ振って人物を見せてから、更に美味しい退場をお膳立てした役って珍しい。

序盤で出て来たCTUのプログラマーのポーラ・シェイファーってもっと何かありそうな感じで役を立てておきながら活躍もそれ程無いままで終わったのは何だったのだろう?
このコンピューターギークっぽい感じって後のクロエ・オブライエンっぽい感じで、クロエプロトタイプに思ってしまった。

ケイト・ワーナーってこんなに活躍していたのかと思ったけれど、実はシーズン2の全話に登場していたのか。

改めてシーズン2を何度目かで見てみて、まあ「24」って、そのシーズン内でも前半と後半だと違う話になって行くので後半になると前半の事を結構忘れてしまったりもするけれど、結構内容を憶えていないモノだと思った。
その分楽しめたし、これからのシーズンも初めて見る感じもありつつも、この人出て来たとか、この展開あったとかで楽しめるんだろうなぁ。
ただ、他にも見たいドラマがあるし、今回の「24」でも大体一日一話位でシーズン見切ったのが一か月以上かかったので、続けて次のシーズンとなると年末年始挟む事になって何やかんや見れずに間が空くだろうから続けてシーズン3を見始めるのを躊躇してしまうんだけれど、Amazon プライムビデオってこういう長編ドラマでも二三週間前位に急に終わると情報を出したりするので早めには見ておきたいしではあるしで、どうしようかとちょっと悩む所。

蛇鶴八拳

2025年11月23日 日曜日

チェン・チーホワ監督、ジャッキー・チェン主演の1978年の香港映画「蛇鶴八拳(蛇鶴八歩 Snake & Crane Arts Of Shaolin)」

少林寺八流派の師範達が集まって最強の拳法として蛇鶴八拳を作り出した。
蛇鶴八拳を伝承した者は技の極意を記した秘伝書と九龍令と言う矛が与えられて八流派の頂点に立ち、全ての門徒達を率いる事が出来るとされた。
しかし、蛇鶴八拳を作り出した八流派の師範達が突如として全員が失踪してしまった。
各八流派が秘伝書探しに躍起になっている所に秘伝書を持つシー・インフォンが現れた事で各八流派達がシー・インフォンを襲い始め、更には各八流派同志が対立し殺し合いを始めた。

Amazon プライムビデオでジャッキー・チェンの映画が多く配信終了になるので見ていない古い映画をと思い見た映画。

ジャッキー・チェン演じる秘伝書を持つ主人公が秘伝書を狙う様々な流派から次々と襲われて行くという分かりやすい設定から、その流派同志でも自分達が覇権を握ろうと戦い出すという構成がおもしろくなり、その登場人物達皆が結構個性が立ち、それぞれで秘伝書入手の為の策略を巡らせて、それぞれが対立協力しながら行動するという複雑な構成になっていて、この人は次はどうするの?でおもしろく見れてしまった。

主人公が初めに会った小僧とのバディモノになるのかと思いきや、その小僧も秘伝書を狙う流派の娘で対立したり、現れた武術者が主人公を助ける良い人かと思いきやちゃんと裏切って敵側に付いたり、初めは秘伝書狙いだったけれど負けたのであっさり手助けしつつも秘伝書狙う人とか、主人公を殺そうとまでした流派の頭領が最後は手助けしてくれた事で敵に勝てたりとか、この人間模様が結構良く出て来て見ていても飽きなかった。

ただ、流石に二時間弱の長さでは登場人物が多く、裏切ったり手助けしたりと繰り返すのでどの人も描きは物足りず、この人物の背景やここの関係性をもっと描くともっとおもしろくなるのに…という所が一杯。
これだけおもしろくなりそう、膨らみそうな要素を描くには流石に時間が足りていない。
見ながら「この八流派をきちんと全部出し、その各流派の中の人々も多く出して人間関係を描き、主人公を中心に流派同志の対立や徒党を描きつつ、全員が良い人でもあり悪い人もでありで描いて、主人公の恋愛にも発展しそうな男女関係も描いて、主人公が戦って行く話」を妄想してしまい、こうなると長編の連続ドラマ向きの題材で、やっぱりこれらの要素は映画一本では物足りなさがあった。

戦いはジャッキー・チェンの初期ではあるけれど各流派はそれぞれ違う拳法や武器を使って個性を出していたし、ジャッキー・チェンも後によく見る室内でそこら辺にある日用品を使って戦うのも出て来たしで中々おもしろかった。
特に最後の敵の首領の拳法が構えたまま動かず、動くと力強くてカッコ良過ぎ。
見ていても主人公のはずのジャッキー・チェンよりも首領のカム・コンの方が圧倒的に存在感があったし。
更にその最後の戦いは一対一の戦いのはずだったのに急に現れた笠の三人組との戦いになったけれど、この三人組がカッコ良過ぎ。
両端刃の槍で戦うのだけれど一々の決め姿と言い、槍での攻撃と言い、やっぱりジャッキー・チェンよりも見てしまった。

そう言えば、映画の始まりでジャッキー・チェンが何も無い所で武術披露していたけれど、あれは結局何だったのだろう?
別に蛇鶴八拳の習得とは関係無さそうだし、掴みの一幕だっただけ?
その場面を見たら、もしかしたらリー・リンチェイ(ジェット・リー)の映画「少林寺」でそれまでの話とは余り関係無く登場するリー・リンチェイの武術披露って、これに影響を受けていたんだろうか?なんて思った。

それと、ちょうどこの映画を見る前に見た映画「成龍拳」と同じ撮影地が多く登場していた。
道脇に何かの像が立っている寺?とか、師範が隠れていた滝のある場所とか、途中の茶屋は「成龍拳」でそのまま出て来ていたし、この映画の前に制作されたのが「成龍拳」なので、撮影費用もあってか一気に同じ場所で別の映画も撮影したのかしらん。

この映画、分かりやすい敵対構図から登場人物が多く登場して複雑な関係性になって行っておもしろい話ではあるんだけれど、如何せん決められた時間内では描きが薄くなってしまい、色々とおもしろくなる要素が沢山あった分だけ非常に勿体無い気がしてしまいました。

☆☆☆★★

成龍拳

2025年11月18日 火曜日

ロー・ウェイ監督ジャッキー・チェン主演の1977年の香港映画「成龍拳(剣・花・煙雨江南 To Kill With Intrigue)」

江南地方の総督の息子シャオルイは互いに愛し合っていたチェンチェンを突然足蹴にして追い出してしまった。
その日は総督の誕生日で祝いが行われていたが、シャオルイは客人達も追い出してしまった。
怒った総督だったがシャオルイは人面桃蜂党が間もなく襲って来る事を伝える。
総督は十五年前に討伐した盗賊団人面桃蜂党が復讐に来る事を予想はしており、復讐にやって来た人面桃蜂党と家族で戦い、総督と妻は殺されシャオルイだけが生き残った。
人面桃蜂党を率いていたのは十五年前に殺された首領の娘ティンで、彼女は自分と同じ様な苦しみを味合わせる為にシャオルイを逃がさせた。
シャオルイは全てを失いチェンチェンの下に帰ろうとするが、チェンチェンを託した友人のジンチュンの家にはおらず、共に何処かに行ってしまっていた。
チェンチェンを探そうとしたシャオルイに突然襲撃をかけた者達が現れるが飛竜警備隊の隊長に救ってもらう。
隊長は飛竜警備隊が運搬していた宝石をジンチュンに盗まれてしまい、血雨党の人間を使ってジンチュンを捕まえようとしていた所、ジンチュンの家にいたシャオルイを間違って襲わせてしまった事を謝った。
シャオルイの扱いを巡って飛竜警備隊と血雨党が対立し、飛竜警備隊への恩を感じたシャオルイは飛竜警備隊と共に行動し血雨党と戦うが瀕死の重傷を負ってしまう。
そこに現れてシャオルイを救ったのはティンだった。

Amazon プライムビデオでジャッキー・チェンの映画が多く配信終了になるので見ていない古い映画をと思い見た映画。

ジャッキー・チェンのまだ初期の映画だからか後の笑いとカンフーの映画ではなく、結構暗めの武侠物。
色々とおもしろくなる要素は沢山あるけれど、どこまで最初から予定していたのか分からない様な常に展開があっちに行ったりこっちに行ったりで、分かる様で何か分からない感じの話が定まらないままで走ってしまったかの様な話。
シャオルイとティンとの愛憎入り混じった対立話になる感じで始まったものの、まだシャオルイを忘れられないチェンチェンと彼女を守ろうとするジンチュンを追い掛けて対立する事になるシャオルイを中心とした三角関係の話になるのかと思ったらそうにもならず、急に飛竜警備隊と血雨党の対立になり、何だこれは?と思っていたらティンが登場してシャオルイとの話になるのかと思いきやそれも中々進まずで、全部の展開がどうにもならなくて常にモヤモヤしたまま進んでしまう。
結局ジンチュンを一番悪い奴でまとめてしまうのだけれど、見ていても何だそれは…で結構ガックリ来てしまった。

各人の話が中々進まない上に各人のその時の気持ちの描写がほとんどないので折角の展開も活きて来ない。
ティンはシャオルイに惚れてしまったらしいけれど、そこは大して描かないので最後の自分の家に引き取っての修行と対決も盛り上がらないし、ジンチュンのシャオルイに対する思いやシャオルイのジンチュンに対する思いも全部曖昧なので全部の関係性が弱くて人間ドラマは盛り上がって行かない。

それに時々出て来る幻想的、超自然的要素も何だか分からない。
人面桃蜂党が初めて出て来た時はキョンシーモノかと思う様な超自然的恐怖演出だったのに、この時以降そんな超自然的恐怖要素が無く、そもそも出て来るのはティンだけで人面桃蜂党の戦闘員達が出て来なくなる。
ティンはやたらと強く、飛ぶ様な動きなんだけれど、これは単にティンが強いだけで跳躍力が凄いだけなのか、最後になってティンが急に言い出した「私の血を飲めば不死身になる」と言う所から何か神秘的な存在か力を持っていたのか結局ははっきりしないまま。

ジンチュンもよく分からないまま。
ジンチュンは血雨党の首領で江南地方の支配を企んでいたけれど、これもシャオルイに近付いたのは何かを企んでいたから?
けれどティンが総督や仲間を皆殺しにしたので、じゃあ良いかで飛竜警備隊の方に専念した?
飛竜警備隊に責任を取らせる為に宝石を盗んだのは分かるけれど、じゃあ何で飛竜警備隊に血雨党の手下を雇わせたの?
そもそも飛竜警備隊が血雨党を雇わずに自分達で追えばいいじゃんだし。

結局どの要素もおもしろくなりそうだから入れてみて、どっちに転ばせるか分からないままそのまま撮影を進めてしまったかの様な感じ。
人間関係や内容は二時間弱の映画ではなくて連続ドラマ向きの気がしてしまった。

この映画、ジャッキー・チェンの武侠物として見ればおもしろいのかもしれないし、所々の戦いもおもしろくはあるんだけれど、どの要素もどの人物もどっちにも転ばないまま話が進んで急に話が転んでしまうので物語として盛り上がりに欠け、折角の要素が勿体ないままで終わってしまった感じでした。

☆☆★★★

少林寺木人拳

2025年11月09日 日曜日

チェン・チーホワ監督、ジャッキー・チェン主演の1976年の香港映画「少林寺木人拳(少林木人巷 Shaolin Wooden Men)」

父親を謎の男に殺された聴唖の若者は復讐の為に少林寺に入り拳法を学ぼうとしていた。
二年経っても基本的な訓練しかない事に不満を持っていた時、洞窟に鎖で繋がれた男と出会い彼の世話をし始めた。
その世話に恩を感じた男は若者に拳法を教え、若者は更には尼僧からも違う拳法を習い強くなり、少林寺の試験である木の人形と戦う木人路を突破し父の仇を探しに少林寺から出て行った。
しかし、少林寺の洞窟から男が脱走。
男は仲間と合流し悪事を始め、それを知った少林寺の僧達が男を捕まえようとしていた。

Amazon プライムビデオでジャッキー・チェンの映画が多く配信終了になるので見ていない古い映画からと思い見た映画。

色んなおもしろい要素があるのに、全部がそれ程跳ね切らずに終わってしまった感じ。

初めの少林寺で中々拳法を教えてくれないという不満がありつつ、酒飲みの僧の酔拳の様な動きから自分で練習してみたり、鎖に繋がれたやたらと攻撃的な謎の男から攻撃的な拳法を学ぶ一方で、急所を狙わない拳法を教える尼が出て来たりと全く違う方向性の三人から拳法を学ぶという非常におもしろい展開になるのだけれど、ここの前半の部分がまったりしてあんまり波風立たないので見ていてもちょっと眠たくなってしまった。
全く違う拳法を三種類も学ぶのだけれどそれがどれも活きて来るとは言えず、基本は洞窟の男の拳法が話的にも軸となり、結局尼からの拳法は最後に見せるけれどそれ程活きず、この尼も結局何だったのか良く分からず。

話も訓練から木人までが短くて主人公が強くなって行く感じが薄く、邦題にも原題にもなっている木人は中盤の山場ではあるけれど通過点でしかなく、中盤以降は木人の事なんかはすっかり忘れてしまう位別の話になるし。
この木人は誰かが壁の後ろから鎖で引っ張って動かしている木の人形なんだろうけれど、どう見ても木の人形の中に人が入って動かしているとしか見えず、これが物凄く怖い。
勝手に想像してしまったのだけれど、まだ僧達が中に入っているなら試験の感じはあるけれどそんなに大勢僧がいなかったし、鎖と狭い石壁の通路なので木人に罪人を入れている感じがして、そう思ってしまって木人路が薄気味悪く怖くなってしまった。

木人からは急に主人公の親の仇を探す話になるんだけれど、それまでほぼ主人公を中心に主人公だけの話で展開していたのが急に登場人物達が増えるので話が散漫になってしまった感じがしてしまった。
店で町のチンピラが店の女の子にちょっかい出して主人公と喧嘩になる定番の展開から始まって、ここの店とチンピラ軍団との話や脱走した師匠の話が増えて急に主人公が脇役なってしまう。
途中で急に出て来る拳法の使い手も、その拳法から父親の仇では?と思わせておいて違うとかの一外しもいらない様な話だし、何でこの人がその拳法を使ったのかもよく分からない話のままで終わったし。

師匠と主人公の話も酷いのが、少林寺の僧と間違えて関係無い人を師匠が殺してしまい、それに怒った家族も子供も含めて皆殺しにしてしまったのに主人公は止める事も無く、特に何も感じていない様なままでそれでもまだ師匠に従う感じがあったのは一体どういう展開なんだ。
それに主人公の唖の設定もよく分からず、実は喋れるけれど父親の仇を見つけるまで喋らないぞというのは分かるようでよく分からない。
展開的に必要なのか分からないので、この唖設定って、ジャッキー・チェンが見初められて主演作を作ったいいけれど初主演作はお蔵入り。
大当たりした「ドラゴン怒りの鉄拳」の続編として作られた主演二作目の「レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳」も当たらずで、三作目になって「もうジャッキー・チェンは喋らせない方がいいだろ」でこういう設定になってしまったと妄想してしまう様なよく分からない、必要の無い唖設定に思ってしまった。

ただ、主人公に拳法を教えた師匠が父親の仇で戦う事となり、主人公を想った師匠が自ら死んで行く展開は結構好き。
何かちょっと「Gガンダム」っぽいなぁと思ってしまった。
でも、これを見せるなら途中の師匠の無意味な一家惨殺はいらない。

この映画、三人の師匠と三種の拳法や師匠と弟子の関係からの仇討の展開とか、非常におもしろくなる要素で出来ているのにいまいちおもしろくならなかった感じ。
この時間でまとめて描くには時間が足りなかったとは思うので、連続ドラマ向きの内容だった気がしました。

☆☆★★★