少林寺VS忍者

2026年08月15日 土曜日

ラウ・カーリョン監督、リュー・チャーフィー主演の1978年の香港映画「少林寺VS忍者(中華丈夫 Heroes of the East)」。

大家の息子アタオは日本人の許嫁の弓子と結婚した。
結婚生活は初めは上手く行っていたが、弓子は空手や柔道を会得しており、その練習に励み出すがアタオは中国武術を学んでおり二人の間でどちらの武術が優れているかで揉め始めてしまい、アタオに勝てないと思った弓子は怒って実家に戻ってしまった。
弓子に何とか戻って来てもらいたいアタオは使用人の入れ知恵で弓子への挑発として挑戦状を書いて送った。
この挑戦状を見た弓子の幼馴染の武野三蔵は日本の武道への挑戦だと言い、仲間を引き連れてアタオと戦いに来た。

何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、リュー・チャーフィーの映画も見ようと思って見た映画。

多分、企画としては1970年代に香港映画に多く出ていた倉田保昭がいて、だったら中国拳法と日本の色んな武道の対決映画作ったらおもしろそうじゃん?の発想から出て来て作られたんじゃないだろうかと思う映画で、その後半の対決部分は結構見応えもあっておもしろかったんだけれども、前半部分の夫婦喧嘩の部分も結構おもしろくて、そっちの前半部分が好みの映画ではあった。

主人公の家が何をしている家なのか分からず、何で香港?上海?の家の息子と日本の家の娘が許嫁になっているのかもさっぱり分からないのだけれど、その二人がほとんど会ってもいないのに結婚させられるという昔の家モノか、少女漫画の様な設定から始まり、中国と日本の文化の違いが揉める原因になったりとカンフー映画かと思いきや結構文化的な内容になっていて、この意外さに興味を引かれた。
中国では白は不吉な色、死に装束だから結婚式では着ないとか、正座して食事するのは罪人だとか、所変われば習慣も変わるのは当然な事をちゃんと見せていて「へ~」と思わせるし、日本での映画公開も見据えてかお互いに分かる様にそれぞれの文化の紹介もしている感じがあり、非常に気を使っている感じがした。
ただ、誰も弓子に中国側のしきたりの説明をしないのは何故なんだろう。
弓子が言葉が通じないならこの展開は分かるけれど、中国語ペラペラだし、誰か教えてあげてよと。
日本の一団もそうだったけれど、日本の剣士も負けたから自分の刀を差しだして受け取らなかったら侮辱だなんて、そんな仕来たり全世界共通だと思っているのか主人公に言わないし、皆まず説明しろと。
わたしもこんな仕来たり初めて見たけれどある事なんだろうか。

主人公と弓子が付き合いもほとんど無いのに結婚して、でもイチャイチャし始めると徐々に弓子の異常性が出て来て、まあ、空手や柔道を会得している良家の娘っていたのかどうかはさて置き、弓子が一人で訓練していたのはお転婆な感じがあって良かったものの、そこから不満が外にこぼれ出てしまって庭の壁や置物を壊し始めると弓子はお転婆とかではなく危ない人では?と思い始めてしまう。
更には弓子は何故か謎の忍術なるモノまで習得しており、主人公に勝てないので忍術による暗殺まで仕掛けて来る始末。
初めは付き合いも無かった新婚の若い夫婦の難しさや文化の違いがあって揉め、お互いの武術の違いが若さからなのかお互いに引けず揉めるという、カンフー映画なんだけれども文化の違う夫婦モノとしておもしろく見ていたのが弓子が危ない人に思えてしまうとちょっとサイコスリラーっぽく思えてしまった。

主人公は結構弓子を誘ったりと受け入れたりもしていたのに弓子は一切を拒否するし、何でここまで頑ななのかがさっぱり分からなかったけれど、まあ、ここで拒否しないと後半の展開にならないからなんだろうなぁ。
後半を見ているとしたかったのは後半のカンフー対武道の方で、前半の夫婦喧嘩は後半の為の振りでしかなかったんだと思った。
実際、話の導入はこの夫婦関係の話だったのに、最後は日本の一団と主人公が分かり合えたので良かったね!で終わってしまい、主人公と弓子との仲直りやその後の生活は一切描いていないし、何時の間にか弓子は主人公側に戻っていて、あれだけ拒否して揉めたのに弓子の心変わりが一切描かれていなかったし。

その後半の戦いは、まず導入が何だかよく分からず強引。
突然出て来た倉田保昭と弓子が幼馴染って、弓子は二十代前半位?昔ではあるので十代後半?に見えるのに、倉田保昭はおじさんで関係性がよく分からない。
そして、倉田保昭は何故か中国語も達者で、弓子への手紙を勝手に自分、自分達への挑戦だと思ってしまう。
ここら辺は倉田保昭は弓子が好きだったので弓子に自分の方が強いんだぞ、そんな夫には負けない、だから俺を好けという嫌らしい下心が満載という事なんだとは思う。
で、倉田保昭と関係性がよく分からないそれぞれ違う武道の達人らしき人達を引き連れて紋付き袴で船に乗って中国まで行ってしまう。

そこからは主人公の武術と日本の各武道との対決になるんだけれど、違う武道に対してそれに対抗出来る武術を使って戦って行くのは見栄えも変わっておもしろかった。
刀、空手、柔道は分かるけれど、釵とかヌンチャクとかトンファーは日本の武道の印象が無く、釵はエレクトラかティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズのラファエロの様なアメリカの忍者っぽい人の武器の印象だし、ヌンチャクやトンファーはカンフー映画の印象だし。
どうやら釵、ヌンチャク、トンファーは琉球古武術の物で、それがカンフー映画で使われて、そこからアメリカとかに行ったからの印象なのかと思う。

一応全員武術や格闘で戦って来たのに最後の倉田保昭が忍術で腰砕け。
忍術と言われてしまうと冗談みたい。
忍術は一応暗殺術の様にはなっていたので、まあ有りなのかとは思ったけれど、暗殺術なのでそれまで皆が正々堂々と正面からぶつかっての戦いだったのに倉田保昭は常に姑息に思えてしまった。
主人公を如何に騙すかから始まり、分が悪くなると逃げ出して自分が有利になる場所や仕掛けを用意した場所まで追い掛けさせて、常に自分が有利に、姑息に戦える様にしていて、最後の倉田保昭が急にしょっぱくなってしまっていた。
それに蟹形拳って何だよ。
横歩きで蟹の爪を素早く動かす様な動きが滑稽で更にしょっぱが増して笑ってしまった。
倉田保昭が主人公を倒したと思い、勝ったぞ!となっていたけれど、主人公は一人で別の六人を毎日違う武術で相手して勝っているのに最後だけ姑息な倉田保昭が勝ったから俺達の勝ちだ!になるって、やっぱりこの倉田保昭の役の小ささ、しょっぱさったらない。
最終的にお互いに分かり合えて良かったねで終わってはいたけれど、倉田保昭の役の動機、行動、結論が悪い敵役ではなくて、終始せせこましい小物だったので対決の話の尻すぼみ感は強かった。

それと、この日本人の一団、行き成り主人公の家の前の道で剣を振り回して戦うって、まあ近所迷惑。
まずは迷惑になるので人の来ない場所で勝負しましょうじゃん。

この映画、様々な中国武術と日本の武道を見せて戦わせるという意図では結構おもしろかったし、話はそこよりも前半の文化や価値観が合わない若夫婦の関係をカンフー映画として見せるのがおもしろかったのだけれど、そこが結局武術対決への振りでしかなく、最後はあんなに揉めた夫婦が元の鞘に収まってどうなりましたも描かずに終わってしまった事で酷い尻切れトンボ感しかなくて、見終わるとやりたい事をしたので本来の話の筋なんてどうでもよくなってしまった等閑な脚本の悪さを感じた映画の印象となってしまいました。

☆☆★★★

空とぶギロチン

2026年08月07日 金曜日

ホー・メンホア監督、チェン・カンタイ主演の1975年の香港映画「空とぶギロチン(血滴子 The Flying Guillotine)」

清の皇帝雍正帝は反乱分子を力でねじ伏せていたが、それに意見した家臣を気に入らず処刑させようとした。
しかし、処刑すれば皇帝に対する反感が更に起こるので暗殺した方がいいと家臣に忠告され、雍正帝は部下のシン・カンに暗殺を指示した。
シン・カンは暗殺用武器である血滴子を開発。
血滴子は離れた所から相手の頭に投げ付け、内側に出る刃で首を刈ってしまう武器だった。
血滴子を気に入った雍正帝はシン・カンに十二人の男を選ばせて暗殺部隊を作り、血滴子の使い方の訓練をさせた。
血滴子の使い方を学んだ部隊は家臣の暗殺を行うが、暗殺された家臣は忠臣と名高い人々ばかりで暗殺部隊の中でも疑問に思う者が出始めた。
暗殺部隊にいた内通者によってその事は雍正帝に伝えられ、暗殺部隊の同じ部隊の仲間によって一人が殺されてしまう。
次は自分かもしれないと感じた部隊の一人マー・トンは部隊から逃げ出すが、部隊はマー・トンを追い掛ける事となる。

何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて見た映画。

血滴子というぶっ飛んだ設定の武器が中心の話なのでトンデモな映画かと思いきや、血滴子はトンデモではあるものの話自体は血滴子が作られる理由や、それを扱う部隊、その中で疑心暗鬼になって来る数人から内輪揉めになって行き、逃げ出した主人公の逃避行を結構じっくりと描いていて、物語としてはしっかりとした見れる映画だったのが意外だった。

この映画のそもそもの発想や企画は血滴子を思い付いた所からなんだろうけれど、でもこの血滴子って見ていても直ぐにこれは必要無いと思ってしまう位無茶な物。
結構重そうな大型金属帽子の様な物を遠くから投げ、それを対象相手の頭に上手くすっぽりと被せ、血滴子の中から下に枠が下りて、その枠から刃が出て首を刈っ切るんだけれど、どう考えてもそんなに上手く頭に被せられないだろう武器で、これなら弓矢とか吹き矢の方が手軽だし命中率も良いだろうし、携帯性や隠匿性も絶対良い。
血滴子は暗殺の為の武器なのに皆大きめの風呂敷に入れて持ち歩いているので直ぐに誰が殺したかも分かりそうなモノ。

まあ、血滴子をそういう物として受け入れて見たら後は結構真面目な話で、初めは皇帝に見初められて悪者を成敗するんだと思っていた若者達が希望に満ちて仲間と共に修行に励んでいたものの、いざ実際に相手を殺してしまうと相手は忠臣なのに皇帝は何をしているのだろう?と疑問を持ち始め、更には人殺しはしたくないと情緒不安定になった仲間が他の仲間に殺されてしまって自分達の立場を理解し、そこから逃げ出そうとする主人公の行動も分かるモノだし、更には主人公が逃亡中に出会った女性と子供を儲けて農民として生きて行こうとすると追手がやって来てかつての仲間と戦わなくてはならなくなるという哀しい逃亡劇になって行き、これがしっかりしているので見れる内容。
一方で、確かにこの時代の香港映画だから仕方ないのかもしれないけれど各人物の心理描写が少ないので何を思っているのかがいまいち分かり難く、そこがもっと描かれていると大分おもしろい映画になったんじゃないかなと思う。

ただ、よくよく考えると主人公は部隊の仲間の内、仲の良かった二人以外は皆殺しにしているので、人殺しは嫌だで逃げ出したのに仲間を殺しまくってはいて、ここら辺の対比や想いがほとんど描かれていないのも分かり難い感じにはなっていた。

カンフー映画として見ると、血滴子が見た目も使い方も殺し方も強いので武器の無いカンフー場面になるとその対比で弱く感じられてしまい、しかも何だか全体的にカンフーがもっさりとした感じで温くておもしろくはなく感じてしまった。
血滴子を投げ合って戦った後にカンフーだとそりゃあ尻すぼみな感じにはなってしまう。

この映画、血滴子という強烈な存在で目を引くけれど、話自体は真面目な疑心暗鬼からの内輪揉めによる逃亡劇を描いていて、この時代の活劇を主とした香港映画としたら物語としてはおもしろいと思う映画でした。
香港では当時、この血滴子がやっぱり話題になった様で、この続編やこの映画を製作したショウ・ブラザーズではない他会社が血滴子で映画を作り、あのジミー・ウォングも「片腕ドラゴン」の続編として「片腕カンフー対空とぶギロチン」を作っており、その続編や関連作を見てみたいと思ったのだけれどAmazon プライムビデオではないみたいなのでガッカリ。

☆☆☆★★

24 シーズン4

2026年07月18日 土曜日

シーズン3に続けて見始めた「24 -TWENTY FOUR-」のシーズン4.

以前に一度見てはいたのだけれど覚えているのは一部の登場人物位で、覚えていない登場人物も多かったし、話の展開は全く覚えていなかったので新鮮に楽しめた。

「24」にしては珍しくシーズン3の最後はクリフハンガーになっておらず最終回でも良さそうな終わり方だったけれど、シーズン4はまるで第二章の様な感じで始まって行く。
シーズン3は評判も視聴者数も余り良くはなかったからなのか、新たなシーズンでは登場人物が総とっかえになっており、序盤で残留はジャック・バウアーとクロエ・オブライエン位。
新しい登場人物のオードリー・レインズやその父親のジェームズ・ヘラー国防長官やカーティス・マニングはその後も登場していたので覚えていたけれど、支部長のエリン・ドリスコルとか全然覚えていなかった。
でも、これも中盤から終盤辺りになるとこれまでのお馴染みの面々が登場して話を回し始めるので結構見慣れた光景にはなっていた。

話の方はシーズン3は初めに犯人が誰なのかを出して目的とその為の手段も出していて今までとは違う展開にしていたけれど、このシーズン4は以前の徐々に出して行く方向に戻していた。
国防長官の誘拐はあるのもののこれが序章でしかない感じであちこちに話を振り、お馴染みの犯人側の一家の内情をじっくりと描き、やっぱりジャック・バウアーが暴走して行く。
この序盤の国防長官の誘拐の展開を全く覚えておらず、新たに見ている感じではあったけれど、ここはあんまりおもしろくなかった。
ジャック・バウアーがCTUに復帰して犯人を追い出す為の話を描かないといけない分、国防長官側の話の展開が遅くて少々退屈だった。

その後の原子力発電所を乗っ取った辺りから何時もの「24」っぽくなり、毎度の手がかりを追ってジャック・バウアーが走り回って相手が死亡したりで手がかりが無くなって次に行くの繰り返しになって行き、そこに登場人物を新たにしたのにトニー・アルメイダやミシェル・デスラーが戻って来るし、序盤でCTUを追い出されたクロエ・オブライエンも戻って来て、人もこれまでの「24」に戻って行く。
ただ、シーズン3でした、ミシェル・デスラーが人質になりトニー・アルメイダが独断で動き出す展開をシーズン4では立場が逆転した時にどうするのかとか、クロエ・オブライエンの謎の現場での銃撃戦とかもあり、より展開させていておもしろくはなっていた。

シーズン3が始まりや序盤は抜群におもしろかった分なのか、中盤終盤がいまいちだったりもしたのに、その次のシーズン4はその逆で、序盤がいまいちだった分なのか中盤以降はおもしろく、見終わると満足感が高かった。
このシーズンの最後も続く気満々ではあるものの、最後としては良い感じだったし。

1話目は、ジャック・バウアーはCTUから出て国防総省で働いており、どのシーズンでもお馴染みの女性関係の話から始まる。
1話目ではシーズン3のその後も言及されていて、キンバリー・バウアーとチェイス・エドモンズは一緒に暮らしているらしく、やっぱりCTUを離れると幸せになり、CTUにいる限りは不幸は続くみたい。
キムはシーズン1・2とウザい人物で、シーズン3でもCTUで働きだして序盤はその何かをすると面倒とウザさをまき散らす人物だったのに、それも中盤以降は鳴りを潜めてしまって確かにもうこれ以上いる必要も無い人物ではあったし、チェイス・エドモンズも初めはジャック・バウアーの弟子の様な相棒として序盤は上手く機能していたのに中盤以降から登場さえ少なくなり、存在が薄くなってしまっていたので降板は仕方なかったか。

7話目の最後にトニー・アルメイダが登場。
しかも、窮地に陥ったジャック・バウアーを救う為の登場と華々しく出て来、それからジャック・バウアーと嫌々ながらも行動を共にするし、実はシーズン3以降腐った生活をしていたとかトニー・アルメイダが厚くなって行くのが見ていて楽しい。
ただ、シーズン3でトニー・アルメイダはミシェル・デスラーを助け出す為に命令を無視して行動して捕まって何とか無罪にはなったけれど、じゃあ同じくシーズン3で刑務所の囚人や看守達が無茶苦茶になってまでラモン・サラザールを脱獄させて国家の敵になったと言っていたジャック・バウアーは何のお咎めも無かったのだろうか?と思ってしまう。

10話目では、カーティス・マニングが裏切り者だった元恋人マリアン・テイラーが情報を引き出せると言うのでオフィスに連れて行くと見事に敵に射殺される。
これは「24」お馴染みの、情報を持っていて引き出せる人物を外のオフィスに連れ出すと殺される展開で笑ってしまった。
部屋に入る前にカーティス・マニングにちゃんと「これは罠だ。」と言わせているし、製作側も大分狙って作っている感じ。

11話目で原子力発電所のメルトダウンを回避出来、こちらも「24」お馴染みの丁度半分辺りでこれまでの話が終わる変わり目になっていて、これもニヤニヤしてしまった。
トニー・アルメイダがCTUに復帰するのだけれど、ジャック・バウアーもそんなに簡単にCTUに復帰して良いモノなんだろうか。
特にトニー・アルメイダは刑務所に入っていたみたいだし、元CTUを仕切っていたとは言え、一応身辺調査とかしないものなのかしらん。

12話目でエリン・ドリスコルが退場するのだけれど、それまでの支部長のエリン・ドリスコルは話の構成上ジャック・バウアーと対立する為に仕方ないとは言え、見ている側からすればジャック・バウアーが正しいのが分かっているのでエリン・ドリスコルはただジャック・バウアーが嫌いで反発していて、それによって無能さを醸し出しているだけの人物になってしまっていて、これまでの支部長も嫌な奴だったりして来たけれどエリン・ドリスコルはただただ周囲に振り回されて、それを上手くやりくり出来ずに周りの言い成りになっている感じで、エリン・ドリスコルの無能感が凄くなってしまっていた。
エリン・ドリスコルの娘の話やその結末を見て思い出したのが、確か以前にこのシーズン4を見た時もエリン・ドリスコルの娘の話っている?と思った事。
エリン・ドリスコルはこんな大変な事情があるんです…は分かるものの、これがおもしろい展開を見せる訳でもなく、この結末は何…?だし、結局初めからエリン・ドリスコルを退場させる為の振りの為だけだったのかと思ってしまった。
そして、代わりにやって来た支部長がミシェル・デスラーという事はミシェル・デスラーを如何に出すかの為の撒き餌がエリン・ドリスコルだったという事にしか思えない。
このミシェル・デスラーが支部長として再登場する展開は全然覚えておらず、おおっ!とはなったけれど。

13話目でジャック・バウアーとポール・レインズがスポーツ用品店に立て籠って戦うのだけれど、わたしの記憶ではこの二人は何処かのビル内、多分EMP兵器があった所で立て籠ってじっくりと話し合う場面があった様に思っていたのだけれど全然違った。
これはまた違うシーズンの回なんだろうか?

15話目で急にビル・ブキャナンが本部からやって来て、ビル・ブキャナンの初登場ってこんなシレッとした感じだったのかと意外だった。
でも、ビル・ブキャナンをこの時点で登場させたというのは何故だったのだろう?
これ以前の方がCTUは忙しそうだったし、ミシェル・デスラーもいたのに。
後から実は以前ミシェル・デスラーとビル・ブキャナンが付き合っていた話が出て来るのだけれど、この話全然覚えておらず、えっー!ってなってしまった。
トニー・アルメイダがちょっと嫉妬するというのを入れたいが為に入れた話にしか思えず、この過去必要だった?と思ってしまった。

16話目の最後にチャールズ・ローガンが初登場して、おっ!となった。
この時の副大統領だったとは覚えていなかった。

17話目からはマイク・ノビックが再登場して来て、これまで薄かった大統領側の話が濃くなって行く。
この後からチャールズ・ローガンが大統領になっての話になって行くけれど、確か初めて見た時はマイク・ノビックが再登場して、実は権力に捕らわれた曲者だった事に注意が行っていたはずだけれど、この後のチャールズ・ローガンを知っていると、やっぱりチャールズ・ローガンは曲者だし、歴代大統領の中でも随一の食わせ者なので見ていてニヤニヤしてしまう。

19話目の終盤でデイビッド・パーマーが登場。
チャールズ・ローガンが決断力が無さ過ぎてデイビッド・パーマーの力を借りるという展開だけれど、まあデイビッド・パーマーがカッコ良くなる持って行き方。
それもあるけれど、この回では何故かクロエ・オブライエンが情報提供者の家に行く現場捜査官になり、そして案の定やって来た殺し屋に命を狙われるという、あからさまに盛り上げる為の展開で笑ってしまった。
しかも、最後はクロエ・オブライエンはライフルを撃ちまくって殺し屋を殺してしまい、更に笑ってしまう展開。

23話目で人質になったトニー・アルメイダを使ってミシェル・デスラーを操るというシーズン3の終盤の展開とは逆の立場を出して来て、最初はまた同じ様な展開か…とは思ったものの、ミシェル・デスラーがちゃんと皆に言って皆で対処する展開にしており、シーズン3を使いつつも新たな見せ方になっていて良く出来ていた。
このミシェル・デスラーの対応を見るとミシェル・デスラーの方が指揮官としては絶対優秀だとは思う。

24話目では序盤でマルワンとの決着がついて、ミサイルも撃ち落とし、更に事後のほっとした場面も入れて、今までの感じとも違う締めを入れて来てこれは好きだったのだけれど、そこから残り三十分で更にジャック・バウアーに危機が訪れて二転三転して行く展開は中々しびれた。
で、最後にジャック・バウアーがあの緑の上着を着て、サングラスかけて、肩掛け鞄をして歩いて行くのも最終話として抜群に良かった。

ただ、見終わって思ったのが結構都合の良い展開も多かったし、やっぱりあれはどうなったの?という事もあったという事。
マルワンはギリギリの所で逃げ過ぎで、何度マルワンを追い詰めてからの逃亡という展開をしたのだろう?
全部話の展開上、都合良く成らざるを得ないんだろうけれど、マルワンの組織が余りにも手際と準備が良過ぎだし、組織の規模が大き過ぎとも思った。
それに一番の疑問は、人質交換でマルワン側に行ったベルースは結局どうなったのか分からない事。
後からもベルースの話は出て来なかったはずで、CTUの人々の気にしなさ過ぎもだし、脚本としても前半はあれだけ主要人物だったのにこの最後の扱いの悪さも酷い。
あと、終盤で出て来た女性の殺し屋が実はデイビッド・パーマーと握手での暗殺計画の実行犯だったとシーズン2の最後のクリフハンガーを引っ張り出して来たけれど、結局この暗殺計画や後ろにいた黒幕の話も曖昧なままで、ここでその話を何か出して説明するのかと思いきや特に何も無し。
単に引っ張り出して繋げただけなのか。
それにしても「24」はどう見てもか細い感じの女性の殺し屋が好きだよなぁ。
このシーズンでは二人も出して来たし。
終盤で中国を絡めて来たけれど、ここら辺の展開は後から思うと最後のジャック・バウアーの展開をしたいが為で結構強引かな。
あの技術者もそうだけれど、あれだけ用意周到で慎重なマルワンなのにやたらと外部の協力者に居場所を教え過ぎというのもあったし。

これでジャック・バウアーはドンドンと盲目的な任務執行者として危なくなって行き、何の身分も無くなり、一方でトニー・アルメイダとミシェル・デスラーは何やかんやあったけれど上手く納まりとめでたしめでたしではあるけれど、シーズン5ではやっぱりジャック・バウアーは戻って来るし、トニー・アルメイダとミシェル・デスラーはやっぱり残念な事になりつつもその更に先があったりでおもしろい事になるのは知っているので、この先を見る為のシーズン4としては中々楽しいシーズンでした。
 
 
関連:24 シーズン2
   24 シーズン3

五毒拳

2026年07月07日 火曜日

チャン・チェ監督・脚本、チャン・シェン主演の1978年の香港映画「五毒拳(五毒 The Five Venoms)」

ヤン・ドーは五毒拳を習う為に五毒門の師匠の下で三年間修業をしていた。
しかし、師匠は不治の病で自分の死が近づいている事を悟り、これまでの行って来た悪事を悔やみ、五毒門を終わらせる為、ヤン・ドーにこれまで育てた五人の弟子を見つけ出し、その中の良識ある一人と組んで兄弟子達を倒し、友人に預けた五毒門の秘宝を見つけ出して寄付せよと命じた。
ヤン・ドーは町に出て身分を隠しながら情報を集めていると、それぞれ二人ずつで組んだ兄弟子達も秘宝を狙っている事を知る。
秘宝の持ち主を見つけ出した兄弟子達は襲撃を仕掛けて家人を皆殺しにしてしまった事で警察の捜査が入り、目撃者の証言から犯人が分かって兄弟子達が捕らえられてしまう。

何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、その中で知ったチャン・チェの映画を続けて見てみた。
そのチャン・チェの映画の中では変わった映画と言うか、この映画自体が変わった構成の映画で、ずっと「これは何なのだろう?」と不思議なままで見ていた。

この映画がチャン・チェの映画だからなのか、当時の香港映画のいい加減さだからなのか、説明足らずと都合の良さがまず来て、そこで躓いた上に変な構成なので全然乗って行けず。

始まりから、五毒門は相当な悪党団だったらしく、世間では相当嫌われていて名前も偽名でないとやって行けないと言う話は出て来るのだけれど、実際に何をしたのかは全然描かれないし、言及もされず、一方で主人公の最後の弟子やヤモリ拳の四番弟子やガマ拳の五番弟子は気の良い人達なので、五毒門の何が悪いのかがさっぱり分からない。
師匠は死に際に「自分は悪い事をしたから弟子達を殺してしまえ!」と、まあ自分勝手過ぎるのでそういう人だったのかもとは思わせる様にはなっていたけれど。

最後の弟子は師匠に対して「五人の兄弟子の人相も世間名も分からないのにどうやって見付ければ?」と言っていたのに、次の場面ではその兄弟子五人と五毒門の宝もある町に全員集合って、まあ都合良過ぎ。
兄弟子達も宝の持ち主がはっきりと分かっていなかった様なのに随分前から正体を隠して警察になっていたり、ムカデ拳の一番弟子は自分の家があの町にあったの?と全員が揃う理由も都合が良過ぎ。
犯人を特定し難い目撃者の証言だけで犯人が誰なのか直ぐに分かったり、この映画の中盤はサスペンスや推理で進んで行くのに思い付いた設定をとにかくやる為だけであらゆる所が強引で都合が良過ぎなので付いて行けないし、そこがグダグダなのでサスペンスや推理モノとしてはおもしろくなくなってしまっていた。

始まりから師匠によるこの映画の目的をはっきりと打ち出していたので、てっきり最後の弟子が兄弟子達を見つけ出しながら宝を見つけ出す話になるのかと思っていたら、早い段階で宝の地図は見付けたのに、そこからは誰が殺人犯かの罪の擦り付け合いになり、思っていた展開と全然違っていて意外。
それがおもしろければいいのだけれど、そうでもなく、ずっと回りくどいやり取りで罪を擦り付け、一番弟子と二番弟子組が一方的に暗躍して五番弟子が酷い目に合う展開がずっと続いて段々と飽きて来ていた。
これだけ回りくどくしていたのに最後は一気に皆が集まって殴り合って殺し合って終わるので、それまでのサスペンスミステリーは何だったの?と思ってしまったし。

それにこの話の軸となっていたのが五毒門の宝を巡る争いだったのに、結局宝は全く出て来ず、宝が何だったのかも分からないまま。
話としては出す必要はないんだろうけれど、それにしても初めに宝の地図を出しているので、見ている方は「宝がどうなるの?」という楽しみがあったのに、これ以降は宝の話が関係無くなっちゃって、これも話を転がす為の導入の設定なだけで思い付いたけれど後はほったらかしにしている雑多な脚本という事か。

五毒門の五毒拳はそれぞれが違う性質や拳法を見せて、やたらと丈夫とか、重力無視して壁に立つとか派手さがあっておもしろかったのだけれど、役者は皆何か地味。
この五毒門の人達が元々映画のその他大勢だったり、スタントマンだった人達が、ゴールデン・ハーベストに押されて来たショウ・ブラザーズが次の主役級にと押し出したからなんだろうか。

この映画、原題が「五毒」なのでより五人の毒という意味で悪人同士の駆け引きややり合いを見せるという事なんだろうけれど、その五毒門の人達は初めに「五毒門は悪い」と言う話だけしか出て来ないので別に悪人には見えないままなので、あからさまに良い人側と悪い人側に分かれて良い人側が陰謀にやられて行く展開はそんなにはおもしろくなかったし、初めに素性も名前も分からない五毒拳の弟子達や宝を出していたので、ここら辺を巡る盛り上がる展開になるのかと思いきや、ずっとまったりとした陰謀推理モノに行ってしまうヘンテコな展開に段々と飽きて来て、でも結局殴り合いの殺し合いで終わって行く急な締めに、ずっと何だかなぁ…と思ってしまった映画でした。

☆☆★★★

少林寺列伝

2026年07月03日 金曜日

チャン・チェ監督・脚本、アレクサンダー・フー・シェン主演の1976年の香港映画「少林寺列伝(少林寺 Shaolin Temple)」

少林寺の門前にファン・シーユイ(方世玉)、フー・ホイチェン(胡恵乾)、ホン・シークァン(洪熙官)の三人が五日間座り込んで少林寺への入門の許しを待っていた。
少林寺の武術は門外不出だったが少林寺は清から目を付けられており、将来に武術を残す為により多くの後継者を育てるとして外からの修行者を取る事にした。
更には台湾からの明の武将達も少林寺にやって来て多くの人々が少林寺で武術を学び始めるが、やがて清の軍勢が少林寺へと迫って来た。

何度目かの昔の香港映画に興味が湧いた時期が来たので幾つか古い香港映画を見ていて、その中で知ったチャン・チェの映画を続けて見てみた。

この映画も以前見た同じチャン・チェが監督した「水滸伝」の様に人物が初めて登場すると映画内に多分役者名と役名が字幕が出て来るので、これも当時のショウ・ブラザーズのオールスター映画だと分かる映画で、これまでのショウ・ブラザーズの映画で見た事がある人達が多く登場しているので、そこでは楽しさがあったし、この映画の前に見た「嵐を呼ぶドラゴン」が少林寺の焼き討ちから始まり、しかも「嵐を呼ぶドラゴン」と同じくアレクサンダー・フー・シェンがこの映画でもファン・シーユイ(方世玉)を演じて、少林寺の外だと同じく白い服を着ていて、まるで「嵐を呼ぶドラゴン」の前日譚的で、そこでも楽しさがあった。
ただ、オールスター映画だからなのか、いまいち話の的が絞れず、人が多いからなのか結構間延びしたり散漫な感じで、話も延々修行ばかりで少林寺に修行に来た人々の背景が全然描かれないので修行話にも乗って行けずでいまいちだった。

オールスター映画だからもっと各人物の紹介があってもよさそうなものの、主人公であるファン・シーユイ(方世玉)でさえ何故少林寺に来たのかも描かず延々と修行するだけなので目的不明で、何処に向かうのか分からない修行話はおもしろくはない。
中盤になって復讐だと言う話が出て来るのだけれど、この詳しい顛末は描かれず、復讐の為に木人巷を突破してまで少林寺から逃亡したのに外に出てからの復讐は描かれず、少林寺に居続けた人が何処からどうやって知ったのか分からない「復讐を果たした」と言う話をするだけで終わってしまう。
木人巷も突然出て来て、それまでに触れられる事も一切無く急過ぎて「??」になってしまったし。

他にも後から少林寺にやって来た人達も何があって、何が目的で少林寺で武術を学びたいのかが全然無いし、デビッド・チャンティ・ロンが演じる台湾からやって来た人達も何があって台湾からやって来たのかも、そもそもこの人達が何者なのかも描かないので、ずっとよく分からない人達が何の目的か分からないまま延々と修行をしているだけの話なので全然興味は湧かず話には乗って行けない。

他にも色々と出しておきながらほったらかしの事も多く、あれだけ意味有り気な感じで壁に向かって顔を見せずに座禅をしていた謎の僧は結局どうなったのかも無く、顔すら見せず仕舞いだったし、アレクサンダー・フー・シェンに拳法を堂々とこっそりと教えていた人は誰で、どうしてだったのかも無かったし、デビッド・チャンは井戸に毒が入れられた事を感づいていたのに内緒にしていたのは何故?とか、少林寺の僧達も一瞬で相手の特性を見抜いて修行をさせて、見ずとも感じて理解する位の感の鋭さなのに、直ぐ側にいて常に顔を会せている様な大師の裏切りに全く気付いていないとか、あちこちで説明不足と説明放棄が多くて脚本が継ぎ接ぎした様な雑多さ加減。

更にオールスター映画だからか、それぞれに見せ場を与える為に各人がそれぞれ違う修行をして行くけれど、結局高く飛べました、軽く飛べましたと似た様な能力の習得になっていたし、アレクサンダー・フー・シェンも飯炊きしていたけれど棒術はしないし、他の人と同じ様な拳法をしているしで修行の結果が微妙。
それに、あれだけ毎日毎日修行をしている少林寺の人々が刀や槍や弓を持った清の兵に対して素手で生身で戦いを挑むから、役名がある人達はそれなりに見せ場があるものの、他の人達は当然あっさりと殺されてしまって、あの修行の無駄感、間抜けさ感が凄かった。

その修行は見所ではあって、毎日飯炊きで棒で混ぜていると棒術が自然と身に付いているとか「ベスト・キッド」を思い浮かべてしまったし、足に重りを付けて跳び続けたり、尖った石に紙を敷いてその上を紙を破かずに歩くとかの漫画みたいな修行は「少林寺三十六房」だったり、木人巷や木の枝で接近戦の稽古をするのは「少林寺木人拳」を思い浮かべてしまったけれど、こういうのはこれ以前の香港映画では結構あった物なのか?どの映画が、どの映画に影響を与えているのかしらん?
修行は「少林寺三十六房」の方が主人公一人に絞って、更にやり過ぎだったので強かったけれど、木人巷はこちらの方が良かった。
「少林寺木人拳」は着ぐるみの中に人が入っていて、何じゃこりゃ?ではあったけれど、こちらは木が回転する仕掛けで、回転する腕の間をすり抜けるズルも出来つつも先に進むとそれも難しくなって行くのが実際にありそうな感じで良かった。

話がそうだから仕方無くはあるけれど、構成が一時間半位延々と修行をして実戦は残り三十分位になってから、しかも三十分位延々と戦い続けるのでめりはりが無くて、どっちも見ていると結構疲れて来る。
だからなのか、アレクサンダー・フー・シェンの役が結構道化役でもあって笑いが入る様にはなっていて、人物の特徴で飽きさせない様にはしていた。
このアレクサンダー・フー・シェンを見ていると、決して常に強くは無く、文句も言いつつ人を笑わせる様な人物なのでジャッキー・チェンを感じてしまった。
ただ、顔を見ていると、「24」を見続けているので、クロエ・オブライエン役のメアリー・リン・ライスカブを思い浮かべてしまった。

この映画、登場人物達の背景が全然描かれないので修行をする理由や目的が見えて来ずに何処に向かっているのか分からないままなので延々と続く修行話には身が入って行かなかったし、オールスター映画なので各人に見せ場が必要となったのか話は散漫になりがちで、最後の戦いも各人の見せ場の為に長くなって結構ダレてしまい、全体的に説明不足と各所の配分が悪くてもっとおもしろくなりそうなのにいまいち弾け切れない感じのままでした。

☆☆★★★