フィフス・エレメント

2021年05月22日 土曜日

リュック・ベッソン監督・脚本、ブルース・ウィリス主演の1997年のフランス・アメリカ・イギリス映画「フィフス・エレメント(The Fifth Element)」

2263年。謎の生命体が地球の全ての生命体を殺そうと迫って来た。
統一宇宙連邦は成す術がなかったが、アドバイザーのコーネリアス神父によるとモンドシャワン人が残した4つの石と5番目の要素が世界を救うらしく、4つの石を持つモンドシャワン人を呼ぶがマンガロワ人に襲撃されてしまう。
死んでしまったモンドシャワン人の手の細胞を再生するとリールーという女性が誕生。
リールーは研究所から逃げ出し、元軍人のタクシー運転手コーベン・ダラスのタクシーに乗り込む。
事情を知らないコーベン・ダラスだったがリールーを助け、コーネリアス神父の下に送る。
4つの石の行方を捜す統一宇宙連邦は、モンドシャワン人がフロストン・パラダイスでコンサートを開く歌手ディーヴァ・プラヴァラグナに4つの石を預けた事を知り、元軍人のコーベン・ダラスに4つの石を持ち帰る任務を与えた。
フロストン・パラダイスにはリールーを連れたコーベン・ダラス以外にも、コーネリアス神父や石を狙う武器商人ゾーグやその傭兵マンガロワ人達が集まって来た。

リュック・ベッソンって、この映画の当時の記憶だと、「グラン・ブルー」でアート系。「ニキータ」「レオン」でハードボイルドな映画で当たって、フランスの新進気鋭の映画監督としてもてはやされていたけれど、この映画辺りから多くの人が「あれっ?」という感じになり始めた様な気がしている。
その後はリュック・ベッソンと言えば、見た目は派手だけれど脚本が悪く、矛盾が沢山とか、説明が無くて意味不明とか、リュック・ベッソンが関わるとアレになってしまうとか結構ボロクソに言われる様な印象。
で、その本来のリュック・ベッソンが正面に出始めた、気付かれ始めたと思うこの「フィフス・エレメント」は、全編に渡っておもしろそうな要素が一杯なのに、全編に渡っておもしろくもないという不思議な映画。

SFのバンド・デシネをそのまま映像化した様な超高層ビル群とその間を飛んでいる大量の空飛ぶ自動車。
ジャン=ポール・ゴルチエがデザインした独特なサイケデリックな衣装。
数百年に渡る石を巡る話。
冴えない中年タクシー運転手が世界を救う。
濃い役者の面々。
等本来ならワクワクしたり、おもしろくなるであろう要素が一杯なのに、ずっと話は盛り上がらないまま。

何でかな?と考えていたけれど、やっぱりリュック・ベッソンが脚本・監督と全部自分の好き放題なだけあって、本人自身は物凄く理解してやっているだろう事が見ているこっちには全くの説明不足だからか。
謎の生命体ミスター・シャドーは全てに死をもたらすっぽいのだけれど、何故地球を目指しているのか?とか、そもそも何で死をもたらしているのか?とか目的が良く分からない上に、ミスター・シャドー自体はただじっとしているだけで怖さが全く無い。
これが周囲の惑星を破壊して進んでいるとかだったら分かるのに、そこの恐怖の存在が全く描かれないので敵としての恐怖が全く無く、そもそもコーネリアス神父の説明だけで存在や怖さを出している時点でリュック・ベッソンだけが納得して見ている方にはそうなの?状態。

このミスター・シャドーを倒す4つの石も、ただの石が何で強大な敵を倒せるの?とか、モンドシャワン人とミスター・シャドーの関係は何で、何故モンドシャワン人自身がミスター・シャドーを倒さないの?とか、何故モンドシャワン人は石を地球人に与えていて、だけど昔に持ち帰ったのに又地球人に渡そうとしているの?とか、全く説明も無いし、意味も不明。
ここの過去の地球の石の話は全くいらない。

モンドシャワン人の手からミラ・ジョヴォヴィッチが出て来るのも意味が良く分からず、モンドシャワン人って細胞を再生したら全員からミラ・ジョヴォヴィッチが出て来るの?

ブルース・ウィリスは元軍人という設定はある程度活かされているけれど、タクシー運転手である意味は最初のカーチェイスだけ。
超高層ビル群も初めの掴みだけで、いまいちおもしろくないカーチェイスだけの為に使われて、正直この町を活かせてはない。

敵であるはずのゲイリー・オールドマンはブルース・ウィリスと顔を合わせる事なく勝手にいなくなって終わりだし、そもそも何でゲイリー・オールドマンはミスター・シャドーと繋がっているの?
ゲイリー・オールドマンは全生命が死んで何の得があるの?何が目的?

途中から急に主人公パーティーに参加したクリス・タッカーって全然必要ないじゃん。
何の目的で出して来たの?

4つの石だから、バラバラに違う勢力が手に入れて石を巡る争いになるかと思いきや常に4つまとめてで、石を巡る戦いは終盤にだけの物足りなさ。

結局全ての部分で描きが足りなく、盛り上げる要素は一杯あるのに盛り上がらないまま。
しかも、笑いの要素があちこちにあるのに常におすべり続けているし。

あと、わたしの中で不思議な事が起きたのは、何故かミラ・ジョヴォヴィッチの声が愛河里花子の声で再生され、クリス・タッカーの声が山寺宏一で再生されていた。
「フィフス・エレメント」は何度もテレビで放送されていたので、それを見ていたせいだと思うけれど、確かにミラ・ジョヴォヴィッチの謎の宇宙語の声は愛河里花子の声と似ている。

この映画、つまらない訳ではないのだけれど、常におもしろくはないまま。
おもしろくなる要素は一杯なのに、リュック・ベッソンの何時もの自分の中では整合性を持って完成しているけれど傍から見ると何のこっちゃ?な脚本で台無しにしている、何時ものリュック・ベッソン映画。
要素的には色々と勿体ない気がするので、この権利を何処かが買って、リュック・ベッソンには一切関わらせずに完全に一から再構築して連続ドラマ化して欲しいなぁ…。

☆☆★★★

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