ボディ・スナッチャー/恐怖の街

2016年07月30日 土曜日

ドン・シーゲル監督、ケヴィン・マッカーシー主演の1956年のアメリカ映画「ボディ・スナッチャー/恐怖の街(Invasion of the Body Snatchers)」。
ジャック・フィニイのSF小説「盗まれた街」が原作。

サンタ・ミラで開業医をしているマイルズ・ベネルは学会に行っており、一カ月ぶりに町に戻って来た。
彼は町では周囲の人間がいつもと見た目は同じだが何かが違うと言う人々が増えている事を知る。
ある夜、マイルズ・ベネルが友人に呼ばれて彼の家に行くと死体があるがその男は特徴が無く、徐々に友人へと変化して行っている事に気付いた。

以前、同じくジャック・フィニイの「盗まれた街」を原作とした映画「インベージョン」を見た時に、「盗まれた街」も読んだけれど、映画「インベージョン」が全然「盗まれた街」とは別物だったが、この映画「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」は「盗まれた街」に非常に近い。
主人公が医者で、小さな町の変化に徐々に気付いて行き、謎の植物の侵略を阻止しようとする部分等。

ただその分、この映画「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」も「盗まれた街」と同じで、様々な部分が曖昧なままで進み、展開は盛り上がりに欠け、非常につまらなかった。
サスペンスとして微妙なのは、人々が「あれは別人だ。見た目は同じでも違う。感情が無い」とは言っているものの、その感情が無い描写がほぼ無く、逆に乗っ取られた人が笑ったり、ほくそ笑んだりと感情が普通に出ているので、演出が酷い部分。もっと無感情さを見せないと意味分からないじゃん。
これに関しては「盗まれた街」も同じ様に「感情が無い」とは言うけれど、その具体的な描写が無いのでこの映画の問題と言うよりも原作の問題かとも思う。

この周囲の人々に対する違和感で恐怖を盛り上げるのかと思いきや、大分早い段階で本人に変化して行く人間の様な何かをあっさり見せてしまうので、サスペンスとして、まあ盛り上がらない。
一応、その謎の人間もどきを見た人達が妄想を見てしまったのでは?というミスリードも入る事には入るけれど、そこも引っ張らずに直ぐに敵がわんさか出て来るので押しは弱いし、ことごとくサスペンスやホラーとしての展開や演出を外しまくっている。

それに問題なのは、侵略者?達の設定や行動が適当過ぎる事。
侵略者?達は自分でさやを持って行動しているけれど、一番初めはどうやったの?とか、眠ったら本人の記憶を吸い取って入れ替わるらしいけれど、その後の本人はどうなるのかは一切描かれないし、主人公の相手役の女性を見ていると眠った瞬間に意識が入れ替わったみたいな描写をしているけれど、それだったら何で本人とそっくりの人間もどきを作り出している必要があるの?だし、主人公は侵略者?達からしたら相当な危険分子なのに何で殺そうとしたり、身動きを取れない様に縛ったりしないのか?とか、ここら辺のSF部分だけでなく、普通の行動としてもやたらと適当で見ていても「???」ばかり。

「盗まれた街」では結局何でか?を主人公の想像だけで納得させる形だったけれど、この映画では侵略者?達が全部台詞で自ら説明してしまうというしょっぱさもあるし、脚本がつまらない。

ただ意外だったのは、この時代の映画で主人公とその彼の意中の女性の二人共離婚していたり、二人の関係を描いておいて結局女性は助からないとか、最終的に果たして人間は助かるのか?という含みを持たせた続編もありそうな結末だった事。そこの部分では結構先鋭的だとは思う。

この映画、1956年のSF映画としても非常につまらない。元々の原作小説が微妙な事もあるにはしろ、それでもサスペンスとしては盛り上げる要素をさっさと流して描写も演出も不十分で全然怖さが無いし、原作小説でも思った「もっと、おもしろくなるんじゃないの?」という疑念ばかり。

☆★★★★
 
 
関連:盗まれた街
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