盗まれた街

2012年05月01日 火曜日

映画「インベージョン」を見たので、その原作ジャック・フィニイ著「盗まれた街(The Body Snatchers)」を早速読んでみた。

家族・友人・知人が外見は変わらないのに「何かが違う…。」と感じる人が現れ、やがてそれが町中に蔓延して行くという、静かな侵略モノSFの名作だそうだ。…名作らしいのだが、全然おもしろくはなかった。それは非常な不明瞭さと、展開の悪さから来るモノ。「何かが違う…。」と人々が言い、主人公もそう感じるのだけれど、それが何から来るモノなのかがさっぱり描写が無い。何が違うのか、何を持って別人なのか知らせないと読者にその不安感が伝わらないのに、誰もが「何かが違う…。」だけで何なのかははっきりせず、「目の奥の光が…。」とか、「感情はあるけれど、感情が無い。」とか、抽象過ぎて具体的に何が違うのかさっぱり分からないまま。別人と感じる人の正体が分かっても、急に何時もと違う表情になったとは言うが、具体的にどの様な表情に変貌したかはやっぱり描かれず、読んでる方としてはだから何が違うのかはさっぱり分からないまま。その変化の描写はなおざりなのに、この不思議な全ての現象の説明はわざわざ向こうからやって来て全てを説明してしまう親切さ。最終的な結論も全部主人公がきっちりと説明付けてまとめるし。導入で「この物語は説明が付かない事が沢山ある。」と強く念押ししているのに、実際読んでみるとほとんど分かってしまうという無駄で、台無しな振り。現象で良く分からないのは「変換後に元の人体は何故塵と化すのか?」というの事に説明が一切無い位。
それと展開の拙さで読む速度や、のめり込み度が一向に上がらない。「隣人が別人に…。」という恐ろしさを徐々に掻き立て、話が加速して行くのかと思いきや、何か新たな事実が分かり恐ろしさを見せると、登場人物達がそれについて長々と議論したり、主人公が一人で考え初めたり、全く別の日常の出来事が描かれたりし初め、恐怖感やそこからの疾走感がブツ切りにされ、台無し。また、その台詞や描写が、同じ事を少し違う感じでもう一回言ったり、関係ありそうだけれど関係無い話の様な気もする話を始めたり、非常に回りくどい。何だか、中編、もしくは短編を無理矢理長編に引き伸ばした感があり、読後も全然長編を読み終えた濃さが無い。それでこの「盗まれた街」が四度も映画化されたのが何となく分かった。長編小説を映画化すると描き切れない部分が多く、筋を追って駆け足感が出たりするけれど、この「盗まれた街」なら根幹の「隣人が別人に思えてからの、侵略が分かって来る」部分を使い、後の部分はまあどうにでも出来てしまうから。それだけ、それ以外の部分のどうでも良い感じは強い。主人公が寝巻にスリッパ履きで、同じく寝間着姿の意中の女性を抱え、夜更けの誰もいない町中を歩きながら「ひゃっほう!」と喜びはしゃいでいる場面を読んでいて、「一体これ何?」と読むのを止めそうになってしまった。

全体的に流れが物凄く悪く、恐怖感の煽りはいまいちだし、結局は相手が熱心ではなく諦めが早かったから救われたなんて、肩透かしは半端無い。同じ題材でフィリップ・K・ディックも「おとうさんみたいなもの(サンリオSF)・父さんに似たもの(早川SF)・父さんもどき(河出文庫)」と邦題が幾つもある短編を書いているけれど、こちらの方が良くまとまっているし、別人かもしれないという怖さや後味の悪さがあり、こちらの方が印象に残る。

この「盗まれた街」で興味が行ったのは二つ。
時代が1950年代なので電話は交換台を呼び出し、主人公が医者なのもあり、緊急時に呼び出してもらえる様に外出時も行き先を告げているのだけれど、それも取次ぎが自動式になり、生活から人間性が失われて行っていると思う場面が出て来る。しかし、交換台自体が馴染みのある制度でも無いし、個人の行動をわざわざ他人に教えるたり、他人の家に簡単に電話が繋げたりするのが人間性と言われても、いまいちピンと来ない。
それと、「宇宙種子」と掲載した新聞記者の話。科学者が「宇宙から飛来した種子の”可能性”がある。」と言ったのを勝手に「宇宙種子!」と新聞に載っけたと言う話だけれど、これって、目撃されるUFOの中で宇宙から来た宇宙船だと主張する物のほとんどが円盤型である理由とそっくり。飛行機の運転中に未確認飛行物体を見た人に新聞記者が話を聞きに行き、その物体の動きがまるでソーサー(受け皿)が水切りの石の様に飛んで行ったと言ったのを、勝手に「フライング・ソーサー(空飛ぶ円盤)」と掲載した為に、その後の謎の飛行物体は円盤型ばかりになってしまったという話とそっくり。多分ジャック・フィニイはこの話からこの一ネタ入れたのだろうと思われる。まあ、この話も本編では付け足しでしかないのだけれど。

SFとしてはアイデアを活かし切れていない感じが強く、サスペンスとしてはもっちゃりし過ぎ。長編なのに短編的で映画にしやすい題材なので、五度目の映画化もあるんじゃないかと思える。

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