スター・トレック(2009年)
2016年07月24日 日曜日J・J・エイブラムス製作・監督、クリス・パイン主演の2009年のアメリカ映画「スター・トレック(Star Trek)」。
元々連続テレビドラマだったスタートレックシリーズの劇場版で、登場人物や舞台設定はテレビドラマの一作目「宇宙大作戦(Star Trek)」とほぼ同じだが、「宇宙大作戦」とは並行世界的別シリーズであり、直接これまでのどのシリーズとも関係の無い映画シリーズの一作目。
バルカン星からの救助要請が届き、惑星連邦の宇宙艦隊が発進。
人手が足りなかったのか、まだ正式な士官となっていない宇宙艦隊アカデミーの候補生達も招集された。
その中に試験で不正を行なった為停学になっていたジェームズ・T・カークもレナード・マッコイのおかげで処女航海となる新型艦エンタープライズに乗り込む事が出来た。
バルカン星を襲っていたのは、かつてジェームズ・T・カークの父親が乗っていた艦を襲った謎のロミュラン船だった。
わたしはこれまでテレビドラマ版のスタートレックシリーズを結構見て来たので、「スター・トレック」と付けばスタートレックらしさを期待するし、新たなリブートとしても期待するけれど、この映画はスタートレックとしては全然駄目だし、宇宙モノの映画としても非常に微妙で、結局スター・ウォーズをやりたかったJ・J・エイブラムスがスタートレックで宇宙モノアクション映画をやってしまって、しかもJ・J・エイブラムスの毎度の見た目は派手だけれど思い返せば中身がスカスカしているというのの上に、毎度のレンズフレアがキラキラで眩しくて見辛いという、J・J・エイブラムス菌がスタートレックを侵食しまくって、スタートレックとスター・ウォーズの間の何かになってしまっている映画になっていた。
スタートレックとしての話をすると色々あるので、まず単に映画としての文句。
まず、前半が余りに王道と言えば良いけれど、ベタ過ぎて今更感のある青春モノ展開から一転、宇宙での敵との話は平行世界とタイムスリップと言う非常にややこしい話で落差があり過ぎ。
序盤はジェームズ・T・カークがどんな人物かを見せるのだけれど、これがまだ小学生前半位の子供の時から自動車をぶっ飛ばしているとか、何のコメディ映画だよ…と行き成り現実味の無い場面から始まる。
その後はニヨータ・ウフーラに声かけてバーで喧嘩になったり、ジェームズ・T・カークが寝た相手のルームメイトがニヨータ・ウフーラで、それによってニヨータ・ウフーラとの確執を描くとか非常に安っぽい展開の連続。
しかし、この序盤のジェームズ・T・カークとニヨータ・ウフーラの関係性だと絶対後半で確執から理解とかの展開になるかと思うのに、二人の間に特に何も無いままでお座なり。
一方でスポックとニヨータ・ウフーラがくっ付いていたという振りも何も展開で何これ?
結局ニヨータ・ウフーラで何をしたかったのか分からない、意味の無い序盤の展開。
それにあれだけ前半で描いていたジェームズ・T・カークとレナード・マッコイのやり取りは中盤以降何時の間にか無くなってしまっているし、序盤のジェームズ・T・カークと喧嘩になったクルーとの顛末も何かに発展するのかと思いきや何も無いし。
人間関係を色々つまみ食い的に描くだけ描いておいて、投げっ放しジャーマンで後は知りません…の尻切れトンボの展開の多さはどうにかならんかったのか?
中盤からは謎のロミュラン人達との戦いになるのだけれど、これが24世紀からの未来人で過去改変とか、何で一作目でわざわざややこしい設定を持ち出して来たのか、非常に疑問。
普通にジェームズ・T・カークの艦長就任でのアクション冒険譚にした方が全然良かったと思うのだけれど?
このSF部分がおもしろかったら別に良いのに、このSF部分のタイムスリップも粗い。
人工的に作り出したブラックホールに落ち込んで過去に行ったという事らしけれど、流石に今時のSFでブラックホールでタイムスリップって余りに安いでしょ。
確かテレビドラマ版のスタートレックシリーズでもここまで粗くはないはずで、ブラックホールは単に物凄い重力場で、タイムスリップするならタキオンとか時空連続体とかがストートレック的にもSFの物語的にも必要じゃあないの?
そう言えばロミュランって、自分達のロミュラン・ウォーバードとかの宇宙船って動力源は人工ブラックホールだったから、よっぽどバルカンのスポックよりもブラックホールの扱いには慣れているはずなのに、24世紀のロミュラン人って何してたんだろうか?
それに、ネロ達とスポックの25年の差も非常にご都合的な脚本だし。
ジェームズ・T・カーク達のアカデミーからの流れを見せてしまったので色々と脚本が無茶苦茶で強引。
新型艦エンタープライズの処女航海の艦長がベテランのクリストファー・パイクなのは分かるけれど、それ以外のブリッジの重要な持ち場のクルー達のほとんどがアカデミーを出てもいない新人ばかりって有り得ないじゃん。
1960年代に作られたTOSだって、カーク船長はアカデミー卒業してから色んな船で任官して、9・10年経って、それでも異例の速さで大佐になってからエンタープライズの艦長になっているのに。
ジェームズ・T・カークが規則を破って無茶苦茶して、そもそも艦長になる資格もないのに勝手に艦長になって惑星連邦の重要構成員であるバルカンは助ける事が出来はしなかったけれど、地球を救ったのでアカデミーを卒業もしていない候補生が全然任官期間も無いのに行き成り大佐に飛び級昇進して最新艦の艦長になるなんてあり得なさ過ぎる。
指揮系統や階級も無茶苦茶で、艦長のクリストファー・パイクがいなくなって代わりに副長のスポックが艦長代理になるのは当たり前なんだけれど、そのスポックが艦長代理を辞任したら普通は次に階級の高いクルーが艦長代理になるはずじゃないの?
誰かは分かんないけれど、大尉なのでヒカル・スールーとか?
なのに、そもそも乗船自体許可されていなかった、まだアカデミーの候補生で停学中のジェームズ・T・カークが艦長に納まるって有り得ない。
何で周りのクルーが何も言わないのかが不思議。
モンゴメリー・スコットも突然やって来て、当たり前の様に機関部で何か弄っているけれど、それまで左遷させられていたのに何で最新鋭のエンタープライズの機関を分かっているの?
機関部にあれだけ人いたから、普通はその人達でするじゃん。
それにあれだけ人いたのに、モンゴメリー・スコットが機関部にいる時は彼以外誰もいないって、皆何してんの?
ここら辺のジェームズ・T・カークが艦長になるという前提がある為、それに当てはめる為だけの無茶苦茶な指揮権の適当さったらない。
変なコメディ要素も全然いらない。
パヴェル・チェコフがロシア訛り強過ぎてコンピューターが音声認識ないとか、ジェームズ・T・カークとモンゴメリー・スコットがエンタープライズに転送した時、ジェームズ・T・カークは普通に転送され、モンゴメリー・スコットは液体の入ったパイプの中とか、特に笑いもいらない内容で笑いを取る必要ってあるの?
で、これが全然おもしろくないという…。
普通結構危機迫る話だとコメディ・リリーフって一人いれば十分なのにパヴェル・チェコフとモンゴメリー・スコットの陽気な感じってそっくりじゃん。
しかも、先にパヴェル・チェコフの転送上手ネタを一回しておいて、終盤でモンゴメリー・スコットも転送上手というのを見せるけれど、何で二人も同じ様な人物にする必要あるの?
また、主人公であるジェームズ・T・カークやスポックの人物描写も結構グダグダ。
ジェームズ・T・カークが余りにちゃらいというのはあるけれど、本来なら「ちゃらいけれど凄い。だから艦長にもなる」という部分見せないといけないのに、終始規則はお構いなしで自分の主張が正しいと他人の意見は聞かず、特に艦長になる為にスポックの痛い所を罵って挑発し、上手い事艦長の椅子に納まる所なんて優秀な正義の艦長じゃあなくて、あくどい策略家にしか見えず、「そのやり口のお前こそがロミュランか!?」と思ってしまったし。
スポックも、スポックと言えば論理的で冷静という印象があり、そこを押し出して行くのかと思ったら、やたらと挑発的で、逆に挑発されると爆発して暴力を振るう、かと思ったら直ぐ冷静になるしで感情面の起伏が地球人以上に激しく、一作目でバルカン人としてのスポックの人物設定を定着させる前に壊しているって致命的なんじゃないの?
敵のネロもどうやら鉱夫らしく、船も採掘船なのに、どうやって船を改造して戦闘に耐える位強力にしたのか?とか、あの老齢の科学者スポックでさえ扱いが難しかった赤色物質を25年で鉱夫達がどうやって自由に扱える様になったのかとかも全然描いていないし。
あと、何故か機関部が物凄い安っぽい。
ブリッジやその周辺は非常に未来っぽいSF感があって良いのに、機関部はどっかの実際の工場の施設にコンソールを設置しただけの様な安っぽさ。
機関部だけ見ると、ファンフィルムみたい。
で、スタートレックとしての文句。
わたしはスタートレックシリーズは、「新スタートレック(スタートレック:ザ・ネクスト・ジェネレーション【TNG】)」はシーズン7まで大体見たはずだし、「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン(DS9)」「スタートレック:ヴォイジャー(VOY)」はほぼ全話見たし、「スタートレック:エンタープライズ(ENT)」は地上波でシーズン1しかしていなかったので余り見ておらず、この映画の基となっている一番初めの「宇宙大作戦(TOS)」はCSで少し見ただけなので一番TOSは思い入れが無く、エンタープライズの艦長と言えばピッカリピカードことジャン=リュック・ピカードで、この映画に対してもオリジナル云々かんぬんは言えないけれど、それでも「スター・トレック」と題名付けている以上スタートレックじゃあないといけないのに、色々とスタートレックじゃあない。
これまでのスタートレックの映画もそうだったんだけれど、映画になるとテレビドラマ版のおもしろさが鳴りを潜めてしまう事があり、テレビドラマの題名でも表している「スターをトレック」という「宇宙の謎々を解明して行くSFアイデアストーリー」が薄くなってしまっていて、やたらと画面的に派手なアクションを押し出していて、SFとしてのスタートレックじゃあなく、今までに無かったアクション映画としてのスタートレックにしてるなぁ…。
スタートレックの人間のアクション場面なんて、最強の戦闘民族であるクリンゴン人でさえバトラフをもっちゃりと振りかざしてグダッとした戦いで、スタートレックはそれで十分ではあるのに、まあこの時代の大作映画としては仕方ないとは言え、やたらと激しいアクション場面を多くして、宇宙船での敵とのやたらと近い位置での戦闘とか、スター・ウォーズを意識してるなぁ…と非常に思った。
だったらそれはそれでも良いんだけれど、じゃあそれをスタートレックでやらなくても…とどうしても思ってしまう。
どうやら監督のJ・J・エイブラムスはスタートレックよりも全然スター・ウォーズのファンらしく、この「スタートレック」を見ていても、「J・J・エイブラムスはスター・ウォーズが好きなんだろうな…」とばかり思ってしまった。
特に終盤で若スポックが老スポックの宇宙船に乗って敵方の宇宙船の中心部目掛けて飛んで撃つなんて、完全にデス・スターを破壊しに行くXウィングのルーク・スカイウォーカーやミレニアム・ファルコンのハン・ソロじゃん。
J・J・エイブラムスがこれだけアクションモノのスタートレックにしてしまったけれど、だったらスタートレックじゃあなくスター・ウォーズでそれすればいいじゃんと思ったら、この映画と続編の「スター・トレック イントゥ・ダークネス」から本当に「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の製作・監督・脚本に行ってしまったのか。
しかも、「スター・トレック イントゥ・ダークネス」の続編「スター・トレック BEYOND」は「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」が忙しいので監督しません!と放り投げてしまい、見事にスタートレックを手土産にスター・ウォーズへの踏み台として上手く使った事。
J・J・エイブラムスって、デカくぶち上げておいて掴みは良いのに、見て行く内に何だかスカスカしておもしろくない様な…?と思う監督。
老スポックが乗っていた宇宙船なんかもスタートレックっぽくなく、着陸時は本体が横になっているのに飛行時は縦になる所なんか、どちらかと言うとスター・ウォーズ的な感じがしたんだけれど、調べてみたらこのJellyfishと呼ばれる宇宙船を始めにデザインしたRyan Churchという人はスター・ウォーズのプリクエル三部作の二作でもコンセプト・デザインをしていたそう。
その割に今までのスタートレックから色々拝借している感じで既視感もある。
例えば、始めの大規模な戦闘で妻を助けるなんて、DS9の第1話の「聖なる神殿の謎」がウルフ359の戦いでの戦闘場面から始まり、それで後のDS9の司令官ベンジャミン・シスコが妻を失い男手で息子を育てるのと似ているし、ロミュラン船が連邦の星々を破壊し地球を目指して進攻するのをエンタープライズが単独で止めようとするのなんて、正に上記のウルフ359の戦いだし、映画「スタートレック ファーストコンタクト」でもボーグが地球を目指し、更には過去に戻っての歴史改変もしたしで、何かこそっと使い回している感じがしてしまい、新しい映画シリーズなはずなのにやたらと既視感を感じてしまった。
それに、スタートレックなのにお馴染みの宇宙人達がほとんど出て来ず、TOSにも出て来たアンドリア人とか見かけなかったし、ロミュラン人は出て来るけれど、この映画でのロミュラン人は何でか皆禿げ頭でお馴染みのオカッパのロミュラン人ではないし、何より名前は登場するけれどクリンゴン人さえも出さないのは何で?
それに音も。
「スター・ウォーズ」の重要な一つの要素として、あの「これを聞けばスター・ウォーズと分かる」音達があり、スタートレックでもドラマではワープ時の亜空間侵入音や、コミュニケーター、フェイザー、ターボリフト、ドアの開閉音、転送の音等様々な「これを聞けばスタートレックと分かる」音達があったにも関わらず、それらがあんまり使われていない。
例えば、スター・ウォーズの新作で登場人物がライトセーバーを出し時に『ブオン』って音がしなかったら、ファンぶち切れない?
この「スター・トレック」では、フェイザー銃が本来ならビームの様に「シュー」と出る所が、謎の弾をみたいなのを発射して全然別物だし、音も全然違う。
始まりで、「Star Trek」と題名が出た時には流石にドラマと同じく「宇宙、それは人類に残された最後の開拓地である。(Space, the Final Frontier.)」と言うナレーションは無いにしても、あの主題曲を編曲した音楽を使うかと思いきや、何も無しで始まった時点で覚悟はしていたけれどなぁ…。
再びだけれど、もし、スター・ウォーズの新作で、始まりにあの「♪ジャ~ン」というお馴染みのテーマ曲が流れなかったらファンぶち切れれない?
それをやってしまっているのと同じ。
しかし、ナレーションとその主題曲が一番最後に流れ、まあ、この映画自体がジェームズ・T・カーク指揮下のエンタープライズの前日譚だから最後に流して、これから始まりますよ!は正解なんだろうけれど、それまでがスタートレック感が無いので、最後に持って来た所は「これを出しておけばトレッキー共は喜ぶだろ!」と言う穿った感じまでしてしまったし。
あと、見ているとTOS時代の23世紀なのにTNG以降の24世紀っぽさが随所にあった。
ターボリフトはTOSだともっと現在のエレベーター的な箱だったのに、この映画でのUSSケルヴィンのターボリフトの中はアミアミで赤色なので全然惑星連邦っぽくなく、DS9のターボリフトと言うかカーデシアっぽい感じ?
USSケルヴィンでジェームズ・T・カークを身ごもった母親がいたけれど、この家族が乗船しているのって物凄くTNGのエンタープライズDっぽいし。
シャトルもTNGだともっと箱型で、この映画のシャトルはDS9以降のシャトルと似ている感じ。
でも、ちゃんとTOS基準で女性乗組員は皆ミニスカートなのには笑ったけれど。
それに、ドラマ版を見ていたから気になった事。
ニヨータ・ウフーラがカーデシア・サンライズというカクテル?酒?を注文していたけれど、カーデシアってTNGで初登場したはずだからTOS時代の23世紀ではまだ惑星連邦は未接触だったのかと思ったら、既に接触済みだったんだな。
キャスティングに関しては、同名人物でも最早これまでの「宇宙大作戦」とは別物なので良いのだろうけれど、クリス・パインのジェームズ・T・カークは役柄的にまだ駆け出しの士官なのでピッタリと言っちゃあピッタリだけれど、この生意気な若者感が主人公としてしっくり来ないし、した事が上手くはまっているから良いけれど、エンタープライズの艦長としての偉大な感じをこれから描くとしても、見ていてイラッとするからなぁ。
それでもクリス・パインを見て老スポックが「ジェームズ・T・カーク!」と気付くのは無理がある。
クリス・パインとウィリアム・シャトナーって全然似てないでしょ。
スポック役のザカリー・クイントは新生スポックとしてはまだこれからにしろ、ザカリー・クイントのぬぼっとした感じがレナード・ニモイとの尖った見た目のスポックとは大分違うので違和感。
一応はレナード・ニモイのスポックの若い同一人物なんだから、レナード・ニモイに近付け様と痩せようとは思わなかったのかしらん。
それよりも気になるのはザカリー・クイントの髭の濃さ。
オカッパよりも、尖がった耳よりも、口回りからあごにかけての青白さばかりに目が行った。
この映画、スタートレック関係無しに宇宙モノSFとしてもジェームズ・T・カークが船長になるという前提の為に展開してしまう酷くご都合主義な脚本に、一作目でまだ定着していない登場人物の未来とか並行世界とか出してグニャグニャした感じでいまいち過ぎるし、スタートレックとして見たら「これじゃない!」感満載で、全然つまらなかった。
それにドラマであったテラン帝国の鏡像世界の様に本線があっての時々の並行世界なら物凄いおもしろいのに、この本編となる映画シリーズが一作目で既にこれまでのドラマシリーズの並行世界というのも一気に興味が無くなる所なんだよなぁ。
最近は映画だと結局は短編でしかない感じがして、特にこれまでテレビドラマで大河になっているスタートレックを今更映画シリーズで続けられてもなぁ…と思うし。
これはもう、2017年から始まると予定されている新しいテレビシリーズに期待したい所なんだけれど、このドラマはこの映画シリーズとは関係は無いらしいけれど、これまでのドラマそのままの世界なのかもよく分かんないし、どうなんだろうねぇ。
☆★★★★
関連:スター・トレック イントゥ・ダークネス
スター・トレック BEYOND