最後の猿の惑星

2015年08月12日 水曜日

J・リー・トンプソン監督、ロディ・マクドウォール主演の1973年の映画「最後の猿の惑星(Battle for the Planet of the Apes)」。
映画「猿の惑星・征服」の直接の続編で、猿の惑星シリーズの五作目。

前作「猿の惑星・征服」で猿達の人間に対する蜂起を契機に核戦争となり都市は崩壊。少数の人間と猿達がシーザーの元で暮らしていた。
シーザーは未来から来た自分の両親を知らずに生きて来たが、核爆弾が落とされた都市の地下の資料保管庫に両親の記録が残っている事を知り、向かう。しかし、その崩壊した都市の地下には人間達が住んでおり、再び猿達が征服しに来たと思いシーザー達を攻撃する。

新・猿の惑星」から一作目の「猿の惑星」とは違う時間軸を進んで来た話もこれでお終い。しかし、まとめとしては結構中途半端で、「新・猿の惑星」から続く蛇足的な話には変わりはないし、やっぱり「新・猿の惑星」以降の設定の強引さや適当さは否めない。

「猿の惑星・征服」から20~30年後の世界なのに、それまで喋れもしなかった猿達が全員喋っている。声帯が数十年で変化して喋れる様になったなんて強引。
それにシーザー達の村は木をそのまま使った様な家や建物ばかりで、板を作ったり石やセメントも使わず、何で技術がそこまで退化しているのかが分からない。ここら辺は本来なら戦争から100年位経った後の話にすればまだ分かるのに、シーザーを主役にしたいが為に猿達の急激な進化と技術の退化が起こる事になってしまってグチャグチャしてしまっている。
それに、ゴリラ達は「人間を殺せ!」とあからさまに言っている狂暴で危険な存在なのに、そのゴリラ達をどうやってシーザー達は何十年も抑え続けられて来たのかは一切描かれず、よくこの小さくて不安定な社会を維持出来て来れたなぁ?と疑問ばかり。
一作目の「猿の惑星」では何百年もかけて「猿は猿を殺さない」という信仰が出来上がったのに、この映画ではシーザー一匹の宣言だけでこの掟が数十年守られて来た事に違和感しか無い。実際のチンパンジーはチンパンジー同士で殺し合うし、むしろゴリラの方が争わない印象が強いのに、まだ最近知恵を付け始めた猿達が「猿は猿を殺さない」をどうして守っているのかが不思議で、人間との戦争が起きたとは言え、シーザーの様にそれまで人間から優しくされて家族の様に扱われて来た猿だっているはずなのに、一匹も人間側に付かず、猿同士で争う事もなかった事が不自然過ぎるし、戦争中や戦後の食糧難で猿同士で争いも無かったというのは余りにご都合主義。まあ、ご都合主義はこのシリーズ全体に溢れてはいるけれど。
一方の都市の地下にいる人間達も不思議で、放射能の汚染が酷く、実際体に害が出ているにも関わらず何で数十年も地下で暮らしているのかが分からない。結構な量になるであろう食料は数十年もどうやって調達しているのかも分からないし、水源は何処で、その水は放射能に汚染されていないのか?汚染された水を飲んでいるので体に害が出ているのか?だったら何で何十年も生きていられるのか?等々も描かれず、やっぱり疑問ばかり。

話も、まだ序盤はゴリラの反乱が起きそうな中、シーザー達が都市に行くという所辺りまではおもしろくは見れるのに、それ以降はやっぱりゴリラが反乱を起こし、首謀者を殺してお終い。シーザーが両親を知って、それが何に影響するのかと思いきや、単に都市の人間達を引き連れて来てしまっただけだし、人間と猿達がある程度上手く共存していたのがより同等の立場で共存する様になりました…という、どうにも微妙な変化しか起こらず、つまらない。
「新・猿の惑星」以降、猿側の話を中心に描き始めたので人間の描きが薄いのは今回もで、どうしてか分からないけれど人間達がシーザーを王とする社会で普通に暮らしていたり、ゴリラにあからさまに迫害されているのに抵抗もしない等、猿側に人間性を持たせ過ぎて逆に人間から人間性を奪ってしまっている。「猿の惑星・征服」の逆を描きたかったのはまだ分かるけれど、それにしても展開の都合だけしかないこの人間達の人格の無さはどうにかならんかったのか。

それにやっぱり世界の小ささ、狭さは製作費が少なかっただろうとは言え、どうにかならんかったのか。シーザーの元にいる百人程度の猿と人がまるで世界の全てで、都市の人間達も数十人程度の規模。この両者が戦った所でこの小競り合いをどう見ろというんだ。村の生活感の無い小ささ。都市の地下は同じ様な所をグルグルしているだけだし、世界の奥行きが全然無い。
そもそもシーザーが猿達を率いた事によって一つの都市で猿達の反乱が起き、それも人間を許す方向にシーザーが行ったにも関わらず、何故か世界中で核戦争にまで発展する展開が分からない。喋りもせず、知能も高くなかった猿達がどうやってかシーザーの蜂起を世界中で知り、組織的に蜂起し、それに対して数的に多いはずの人間は武器や軍隊を持って全く制圧する事が出来ずに、「とにかくぶっ殺せ!」で核爆弾をあらゆる都市に落としまくったって事?
本来なら数千年後の猿が支配する惑星に持って行けば一作目に繋げる事も出来たのに、猿の支配をシーザーでやってしまったが為に無茶苦茶な設定になってしまったんだろう。

この映画、一作目の「猿の惑星」が衝撃的なSF作だったが為に、二作目以降、特に三作目「新・猿の惑星」以降の蛇足的な続編を作る為に無理矢理設定や話をこねくり回してしまったので、結局最終話も「だから、どうした!?」的な描く必要も無い様なモノになってしまったんだろう。
まだ、人間と猿が上手く共存している社会を描き、そこから「実は昔はこんな事があって…」と描き、共存している中でも人間と猿間の疑心暗鬼や対立が存在していて、やっぱり未来に対する不安要素が残っている…という話になるんだったら分かるのに、上手く共存している社会はほぼ描かれないし、都市の人々を追い払ったけれどその後どうなったの?に答えは無いのに人間と猿が共存していたとか、何処に関しても爪の甘過ぎる中途半端な話。
前作「猿の惑星・征服」も今作も監督がJ・リー・トンプソンだけれど、この人の映画「ナバロンの要塞」も見たけれど、どれもおもしろくなりそうな設定なのに話が緩慢で盛り上がらず、見た後の時間の無駄感は凄い。この人「ロマンシング・アドベンチャー/キング・ソロモンの秘宝」も監督しているのか。

☆★★★★
 
 
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