新・猿の惑星

2015年08月10日 月曜日

ドン・テイラー監督、ロディ・マクドウォール主演の1971年の映画「新・猿の惑星(Escape from the Planet of the Apes)」。
映画「続・猿の惑星」の直接の続編で、猿の惑星シリーズの三作目。

アメリカの海岸近くに着陸した宇宙船らしき物体から降り立ったのはコーネリアス、ジーラ、マイロの三匹だった。マイロは死んでしまうがコーネリアスとジーラは人間社会で受け入れられて暮らし始める。だが、オットー・ハスライン博士は将来猿達が人間を駆逐する事を知り、脅威として排除しようとする。

前作「続・猿の惑星」で最終的に地球が消滅してしまったので、今度は猿が人間の支配する世界に来たらという話に変更して続けられているけれど、まあ酷い。

導入からして無茶苦茶。
「続・猿の惑星」でゴリラが禁止地帯に侵攻したから、コーネリアス、ジーラ、マイロが墜落した宇宙船で脱出したので地球の爆発から逃れ、1970年代の地球にやって来たという、もう舞台設定の為だけに無理矢理こねくり回したクソみたいな説明。
一作目や二作目で出て来た宇宙船は黒焦げでほぼ大破していたのに、マイロ博士が直したのか、新たに作り直したのかの説明も無い。未来の猿達にそれだけの技術力ってあったっけ?という疑問も無視。地球が消し飛ぶ程の爆発に耐え、時間移動にも耐える宇宙船?という疑問がまずあるけれど、そこも描かれず。
それに、地球が爆発したら何故かジョージ・テイラーが出発した数年後にタイムトラベル出来る余りの都合良さ。

この酷く都合が良過ぎる設定だけでなく、やって来たコーネリアス達に対する人間の反応も酷い。
正体不明の宇宙船らしき物からほぼ人間型の猿っぽい生き物が降りて来ているのだから、普通だったら「大変だ!宇宙人だ!」になるはずが、軍人は何故か「猿?」と思い、猿として扱っている。直立二足歩行して服も来ているのに何故猿扱いなのかがさっぱり分からない。
その後も、コーネリアス達はこれまでの映画描かれた様に「未来から来た」と言うけれど、現代の人間としては「テイラー大佐の宇宙船が猿達が支配している全く別の惑星に到達し、そこからコーネリアス達がやって来た」と思うのが普通なんじゃないの?地球の爆発と共に宇宙船の中の時計が戻って1970年代になったと言うけれど、何処かに西暦の絶対的基準点が存在していて、そこから電波や何かが出ていて時計が進んだり戻ったりする訳?

猿達の進化は、犬や猫等のペットが伝染病で絶滅してしまい、替わりに猿をペットとして使い始め200年程で人間程になったと言うけれど、200年程度、もしくは1000数百年程度で声帯や骨格が急激に変化してしまうのもアレだけれど、もしかしてゴリラも同じ様に人間の側で使っていたという事なんだろうか?チンパンジーでさえ相当な力があるのに、ゴリラを人間の側で使うなんて危なっかしくて仕方ないでしょ。やっぱり、この世界の人間は馬鹿しかいないんだろう。

ルイス・ディクソン博士側の人は良い人として描かれるけれど、政府側の人間達と言うか、オットー・ハスライン博士はコーネリアスとジーラに対する恐怖なのか、宗教から来る嫌悪感なのか分からないけれど、偏執的な排除思考が異常。コーネリアスとジーラの話から将来猿が人間を駆逐する事を知るけれど、数百年後の起こるかもしれない事をそんなに執拗に気にするので彼に何かあるのかと思ったのに、そこが描かれないのでその執拗さが全然分からない。地球が爆発したのは原爆で、人間が衰退したのは人間同士で戦い合っていたからと知ったのに、そこは別に気にもしないの?
またジーラの子供を産ませず二人は去勢しようとするけれど、彼等は喋れるんだから、二人が人間のした事を話せばほとんどの人達の政治生命に関わるのにそこに気付きもしない。だったら、事故に見せかけて殺害した方が安全じゃん。

その他の展開も、コーネリアスとジーラを宇宙人として扱う人が一切出て来なかったり、彼等を人間として扱うのか猿なのかのやり合いも無いし、悪役にする為だけで動機が曖昧なオットー・ハスライン博士や、お盆を引っくり返しただけなのに死んでしまいコーネリアスとジーラが逃亡者になってしまうとか、脚本も雑。

この映画、一作目の「猿の支配する世界での人間」の反対の「人間が支配する世界での猿」をしたかったのは分かるけれど、それをする為のあらゆる設定や反応が無茶。「続・猿の惑星」も続編にする為に無茶してグダグダになっていたけれど、これも対して変わらず、設定だけならこっちの方が酷い出来。
それに今までは人間の愚かさや野蛮さを比喩的に描いて来た話が、原因がよく分からない一人の偏執狂によって単に善良な異邦人が追いかけ回されるだけの話になってしまっていて、実際「猿の惑星」でもないし、「猿の惑星」的な話でもない。しかし、これ以降の続編を考えると、その偏執狂が将来を考えて行動していた先見の明ある賢い人で、ルイス・ディクソン博士達は人間並びに進化した猿達が憎しみ合い、殺し合う事の一原因を作り出した酷い人物達とも取れてしまう。まあ、結局一作目への大筋を通して行く為にグダグダした起点を作ってしまった力技の続編という事か。

☆★★★★
 
 
関連:続・猿の惑星
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   最後の猿の惑星

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