ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月

2012年07月03日 火曜日

ブリジット・ジョーンズの日記」の続編「ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月(Bridget Jones: The Edge of Reason)」。

前作見たので、この続編を見たけれど、前回の良さは消え失せ、より悪い所が増幅しているだけ。
始まりは、前作そのままで、でもお互いを何とも思っていなかった二人が、けなしていたダサいセーターがお揃いという違いを見せ、続編の掴みの構成としては良いけれど、その後すぐにサウンド・オブ・ミュージックのパロディで一気に興醒め。その後も豚とか、クラゲとか、スキーとか、ドタバタコメディが過ぎて、急にお子様向けな映画に変わっていて、何か喋ると周りが引くという、女性の本音の部分のコメディは減少。何だか、アメリカ映画、近々に「ナッティ・プロフェッサー」を続けて見たので、エディ・マーフィーのはしゃいで外しまくっているドタバタコメディを見ているかの様。監督が変わったからか、音楽の使い方が1990年代のアメリカのコメディ映画みたいで、古臭いし、非常にしょっぱい。
それに前作では、日記がブリジット・ジョーンズの本音の部分の独白になっている重要な要素だったのに、今回はそれは単なる状況説明の為のナレーションで、機能的に格落ち。最早「ブリジット・ジョーンズの日記」でも無い。
前回のブリジット・ジョーンズはモテようと何とか努力しようとするけれど、やっぱり自堕落で、自動的にモテてしまうお手軽設定だったけれど、今回は自分の駄目さを分かっていて、自己嫌悪でジタバタし、まだ人間模様としてはおもしろいけれど、自ら大した事無いと認めているからこそそんなにモテモテな事の理由がいるのに、やっぱりそこは描かれず。ブリジット・ジョーンズがモテれば良いだけで、これに出て来る男性の想いなんて必要無いと、前作からも続いて放棄。「好きに理由は無い!」だったら、「この密室は魔法でどうにもなりました。」位の都合の良さだけ。
やっぱり女性の理想を描いた話は変わらず、「太っていてもありのままの君が良い!」で、「目の前で屁をこいても、何だったら糞を捻り出しても、それが自然なありのままの君だから良いんだ!」とまで言い出すんじゃないかと思ってもみたり。自分がそんなに良い女じゃない事を理解していて、愛されたいのに浮気は当然だったりするのは、単にヒュー・グラントとの絡みを作る為だけの無理矢理な持って行き様。前半もまあおもしろくないが、後半のタイへの取材は何のこっちゃ。

レネー・ゼルウィガーは前作よりも、幸せ太りという事なのか、よりぽっちゃりして、冴えなさ加減は抜群。でも、話の流れ的に彼女の魅力は前作以下。

前作では、まだイギリスっぽい洒落た恋愛コメディをしていたのに、今回はハリウッドコメディ、しかも子供騙し的で外しまくって、ギャーギャー騒いでいるだけのしょうも無いコメディへと崩壊。前作では開き直って何もしないけれど幸運が転がり込んで来るブリジット・ジョーンズが、今回は自分を理解して自己嫌悪に陥るけれど、やっぱり努力はせず、まだ前作よりは良い人物になっているのに、話がしょうも無過ぎてそれも台無し。
前作はまだ、Chick litを映像化した映画だったけれど、今回はブリジット・ジョーンズの日記の日記すらどうでもいい扱いになり、恋の揉め事も身を潜め、古臭い単なるドタバタコメディへと堕ちてしまった。

★★★★★

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