妖星ゴラス

2021年08月04日 水曜日

本多猪四郎監督、円谷英二特技監督、池部良主演の1962年の日本映画「妖星ゴラス」

1979年。土星探査を行う為に宇宙に飛び立った隼号は、ゴラスと名付けられた謎の星の調査へと向かい、ゴラスの引力圏から抜け出せずにゴラスに衝突した。
隼号からの情報でゴラスはこのままだと地球に衝突する事が分かる。
この危機に直面した世界各国は国連科学会議で南極に原子力を利用した推進装置を作り、地球の軌道を変えてゴラスから逃れるという計画を決定する。
世界各国が協力し南極に大規模な推進装置が完成し、地球が動き出したがゴラスは地球へと近づいていた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので見てみた映画。

大きな隕石が地球にぶつかりそうで絶体絶命!という映画は一時期アメリカ映画で流行っていたけれど、それを既に1962年にやっていて、そこに政治と科学との関係も見せるし、結構製作費をかけて人も集めて大きなセットも組んだり、ミニチュア等の特撮で見せてもいて、この当時として大分意欲作だし、先見の明はあるし、こんなSF映画を出来ているという良さもありで楽しい映画。

ただSFとなると結構ぶっ飛んでいて、トンデモ感はある。
1962年から約二十年後の1980年前後で既に土星まで二十日弱で行けてしまう宇宙船が開発されており、しかも宇宙空間の宇宙船内は地球上と変わらない動きが出来ている、どうやら人工重力も開発されている様な超技術が当たり前。

南極に原子力を使った推進装置を作って地球を動かすなんて流石に荒唐無稽だし、無理だろとは思うものの、そういうSFとしてはまあ許容範囲なのかなと思ったけれど、放射能に関しては計画段階で一瞬触れたものの「大丈夫」で全くの無視。
何でだろ?
まだ原子爆弾を落とされた記憶も新しい1962年って、既に科学の進歩性の前にはそういった問題は無視という感じになっていたのだろうか?
単にここで放射能問題を出すと地球を動かせたは良いけれど放射能を地球にばらまき散らして住む事が出来なくなったというオチにしかならないからなのかな?
1962年でもこれってやり過ぎ感や子供だまし感ってなかったのだろうか?

トンデモない超技術があるのに1980年前後の世界はほとんど1960年代と変わらず、終盤になって行き成りテレビ電話が出て来るものの、超技術があるのにその他の恩恵は一切見られない、全く未来感の無い世界。
1980年代以降のSF映画って、如何に世界観を見せるかという部分でも勝負している感じがしたけれど、この時代ってまだそこは重要でもなかったのかしらん?

隼号はゴラスの引力圏から抜け出せずに真反対に噴射を続けて燃料が無くなるという失敗をしていたけれど、今見るからスイングバイ的にゴラスの引力を使って抜け出す方法もあるんじゃないの?と思うのだけれど。
それにしても宇宙関係の物にはやぶさと名付けるのって不吉過ぎるよなぁ。

終盤になって突然、何の前振りも無く、見た目は巨大なセイウチだけれど血液から爬虫類だという怪獣マグマが南極に出現するのは謎過ぎる。
映画が宇宙での宇宙船の場面はあるものの、製作陣の誰かが地味だと感じたのか、急に怪獣を入れて来たけれど、これいる?
結局だから何?でしかない怪獣だし。

それ以上にこの映画で一番の謎は、「俺ら宇宙のパイロット」と言う題名の歌を歌う場面がある所。
鳳号の乗組員達がヘリコプターで移動している時にフルコーラス歌い、乗組員達が出発前にキャバレーで歌って踊っていたけれど、何でフルコーラスも見せ、二度もやる必要があるの?

おもしろかったのは、地球の滅亡の危機が迫っているのに皆に危機感が無い所。
世界中の科学者が地球にゴラスがぶつかると言っているのに政治家や国会は金を出すのを渋るし、タクシー運転手は新聞は騒ぐのは何時もの事と全然気にしていないし、町の人々も普通に暮らしていて、これって当時の人々の普通な感覚だったのだろうか?
ゴラスが接近しても人々が逃げ惑ったり恐怖を感じたりの場面も無く町破壊の場面になるのは特撮を見せたいのは分かるけれど、この題材でパニック映画に持って行かない不思議さが一杯。

最後も、東京が水没してしまった様子を東京タワーから眺め、「新しい東京を作るんだ!」と希望的に終わるのもよく分からない感覚。
あの水没だと相当な人々が死んでいるはずだし、あそこまでだと再起不能な感じしかしないのに皆が希望的って、戦争の焼け野原から復興した自信や記憶から来ているのか。
それと、東京全体が水没している中をどうにかして東京タワーまでわざわざやって来て、水没して死滅した東京を眺める感覚もよく分からない。

変に希望的で終わったけれど、北極で同じ様な推進装置をまだ作っておらず、今からさて作りましょうかという時点で地球は元の軌道に戻れなさそうだし、土星も輪がゴラスに吸い取られてしまい、地球の月も引き込まれて消滅しているので、地球が元の軌道に戻った所で今までの太陽系の各惑星の関係が崩壊していて地球は前と同じ軌道になるはずもなく、地球の気温や海の満ち引きとかも大きく変わってしまって人間は真面に暮らせずに数十年もかからずに絶滅してしまうのだろうなぁ…と思うと全然希望的ではないお終いに感じてしまった。

役者は、映画「ゴジラ」の芹沢博士役の平田昭彦。
特撮映画に多く出ていた佐原健二。
志村喬。
水戸黄門の西村晃。
「ウルトラマン」のイデ隊員役の二瓶正也等、見た事がある人が多く出ていて、当時やその後のオールスター映画の様な感じ。

あと気になったのは、音楽が映画「ゴジラ」っぽかった所。
同じ本多猪四郎、円谷特撮というのが関係あるのかないのか。

この映画、多分この当時としては結構ハードSF映画で、当時の技術を詰め込んだ大作特撮映画だったと思われ、その今から見た当時の部分ではおもしろく見れたけれど、今真面にSF映画としてみると流石にきつくはあり、地球滅亡という題材なのにのんきな感じがしないでもない家族向けの特撮映画の枠にすっぽり入る映画。

☆☆☆★★

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