七人の侍
2017年08月12日 土曜日黒澤明監督・脚本、三船敏郎、志村喬主演の1954年の日本映画「七人の侍」。
野武士達に村を狙われた百姓達が窮地を脱するべく侍を雇って戦わせようとする。
ただ百姓達は雇える金も無く、飯を喰わせるという条件だけで侍を探すが見つかる訳もなかった。
百姓達が偶然出会った人助けをする浪人を説得し、その浪人が村で戦うのに必要な七人の侍を見付け出し、村へと向かう事となった。
以前と言っても二十年以上前だと思うけれど、わたしは一度この「七人の侍」を見たのだけれども、その時は終盤の切り合い場面位しか覚えておらず、それでも興奮したのを憶えていた。
しかし今改めて見るとその戦いの場面は素晴らしいけれど、この映画が単なる娯楽時代劇ではなく哲学的な、生きる事を考えてしまう映画だった事も改めて知ったし、登場人物が立ちまくりだわ、人物を非常に丁寧に描いているわで、やっぱり脚本も素晴らしい映画だった。
侍を集める所から百姓達のただ生きるという事さえ苦しみだという事から丁寧に描き、七人の侍がそれぞれの強烈な個性を出し、村にやって来てからの戦の準備と実際の戦いで起こる諸問題と、戦いでの人の生き死にと、まあ見事な描写と積み上げて積み上げての構成が見事。
登場人物達皆が非常に際立った個性を見せ、その個性があるからこそ、その人物に共感し、思い入れを持って見る事が出来るという仕掛けだし、脚本に加えて各役者の個性が強いので皆が活き活きと生きている感じがたまらない。
三船敏郎の菊千代は厳つい見た目とは違いはっちゃけて可愛い人物を全身で出しているけれども哀しさも持った人物で、まあ魅了的。そう言えば、「用心棒」や「椿三十郎」で登場する実は本名が分からず適当に名前を付けた浪人の元祖がここで見れるのも楽しい所。
志村喬の島田勘兵衛はにこやかで優しい人物だけれど、戦になれば非情だし、弓を射る場面は余りにカッコ良い。
それに志村喬を見ていると、台詞以上に顔で語り、彼が演じる島田勘兵衛は自分が活きる場所を見付け様と戦っているけれど、どうも死に場所を見付け様ともしている感じを思ってしまったし。
稲葉義男の片山五郎兵衛は穏やかで、島田勘兵衛とすぐさま意気投合し話が通じ合うのもワクワクさせる。
加東大介の七郎次は島田勘兵衛に付いて来る理由は分かるけれど、もう少し背景や活躍が見たかった。特に槍使いの見せ場が欲しかったし。
千秋実はやっぱり良い役者。林田平八のムードメーカー感はほっこりするし、早々と退場してしまうけれど強く印象に残る。
そして、一番の美味しい役なのは宮口精二の久蔵。
宮口精二って男前ではないし、背も高く無いし、見た目は強くも見えないのに登場からの剣士っぷりと、途中途中で見せる強さとカッコ良さには痺れた。
あの、闇夜の中をかけて行き、実際何をして来たのかを描かず、朝もやの中を悠然と歩いて来る場面の興奮よ。
この久蔵を見ていると、最近の時代劇の身長180cmで男前とか嘘臭さしかない侍や剣士の作り物は見てられず、身長160cmもない宮口精二が当時の本当の侍や剣士の姿を見せてくれている気がしてならなかった。
岡本勝四郎役の木村功は役得の感じがするけれど、おぼこい未熟な侍にはぴったり。
それに与平役の左卜全って、「老人と子供のポルカ」の時でもおじいちゃんだけれど、それより16年前のこの時もおじいちゃん。左卜全って、生まれた時からおじいちゃんじゃあないのかと思えてしまう。
左卜全のしょぼくれ顔は天下一品。
まあこれだけの役者がこれだけの役を演じるのだから、そりゃあ濃いし、そりゃあ役者を見るだけでも、役を見るだけでもおもしろい。
その登場人物達が多くは語らずに行動や顔の表情で人物の背景を思わせるんだからたまらない。
人物だけでなく構成も見事。
酷く暗い百姓達の侍探しから、侍が一人一人集まって行くワクワクする展開に変わり、結構ほのぼのした村での戦いの準備から実際の戦いへの緊迫感へと実際の戦いまでの積み上げも上手いし、実際に戦いが始まってから終わりまでは一時間位もあるのに一切飽きさせず、緊迫感を持ったままで一気に見せるし、本当に脚本が素晴らしい。
どれだけ重要人物でもあっても急にあっさり死んでしまうし、その後の周囲の哀しみとかも非常にあっさりだったりと、この終わらせ方も下手にお涙頂戴にしないで良い。
それに脚本の構成だけでなく、話自体は困窮した百姓が侍を雇って野武士を倒すというだけの話ではあるけれど、そこには百姓として生きて行かなくてはならない辛さや、侍の無為な人生等を端々に描き込み、「生きる」って何だろう?と考えさせる題材を見せるのも素晴らしい部分。
百姓も侍も単なる弱者強者ではなく、誰もが強さ弱さと狡さや虚しさを持っていると物事を一面的に描かない姿勢が単なる娯楽時代劇にはしていない。
百姓は弱く侍が守るという一般的な価値観から脱する為に百姓は実は強いという事を描いてはいるけれど、今見ると百姓の行動って物凄く普通の人間の行動だと思う。生きる為に必死なんだからそりゃそうだろうという行動だし、寧ろ侍達の方が特殊。自分の生きる場所を見付け出したいが為に何の見返りも無く関係も無い人の為に戦うという行動や、それによって死んでしまう事とか、普通ではないよな。
この映画は見る人の現状によって見方も違うだろうと思う。
家族を持って生きている人だと百姓側の目線で、最後の「勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない」と言う台詞も、そりゃそうだろうとなって結構娯楽映画になるだろうけれど、島田勘兵衛の様に独り身で思い返しても仕方の無い生き方をしていると最後の台詞も辛いよなぁ。命を懸けて生き場所を見付けるはずが、結局はそんな生き場所でもなく、充実した死に場所でも無かったとなるとただただ虚しさしか残らず、これって社会に馴染めなかった人々や想いが叶わなかった人を描いた映画でもあったのか。
加えて見事なのが映像。
どこを切り取っても一枚の写真として綺麗だし、何処もが見せ場。
役者の存在感だけでなく景色の決まり方で見事な画面になっているし、人物の前に物を映し込んだり、ワンカットでカメラを移動させたりと構図と動きの強さったらない。
最後の雨の中の戦いなんて、まあ見事としか言いようがない迫力と現実味と汚さの素晴らしさ。
まず一回目は話を見て、二回目は画面の作り方を見るだけでも楽しさと成程さに溢れていると思う。
この映画、人物の立て方、役者の存在感、脚本の構成、画面の構成と全ての要素が見事に絡み合って非常に素晴らしい映画になっている。
3時間40分弱もあるのに全くダレる事も無く、一気に見れてしまう。しかも笑いと哀しみと興奮と虚無感と様々な感情が湧き起こされるという凄い映画。
☆☆☆☆☆