用心棒

2017年08月13日 日曜日

黒澤明監督・脚本、三船敏郎主演の1961年の映画「用心棒」。

一人の浪人が宿場町に現れた。
その宿場町は跡目のいざこざで揉めた二人のヤクザの親分が対立しており、町が閑散としていた。
その状況を知った浪人はどちらにも自分を売り込み、ヤクザに互い同士で戦わせようと目論んだ。

黒澤明の映画でおもしろい映画は展開と登場人物の立て方が本当に見事。
この「用心棒」も、まあ展開はおもしろいわ、上手いわ、人物は立てまくるわで、見ていても途切れる事の無いハラハラとドキドキで目が離れず、登場人物達にニンマリしてしまう。

展開は非常に分かり易く、初めに対立している事を見せ、そこから三船敏郎がどう立ち回るのかで見せる。
この小さな町で二組のヤクザが対立しているというだけの簡単な構図なのに、そこからの転がし方が見事。
三船敏郎のどちら側にも押したり引いたりの交渉がヤクザの対立を加速させ、それによってコロコロと状況が変わり、その状況にどう三船敏郎が対応して行くかが目を離させない。
この単純な対立の中で微妙に変化する状況を捉えて、どうすればより対立するかを考え出すという展開が本当におもしろい。まるで密室劇の群像劇の様な緊迫感とワクワク感がある。

それに決して痛快娯楽でもないというのもおもしろい。
始めは三船敏郎が機知で悪者同士を戦わせるという知能戦で三船敏郎がヒーローとしての勧善懲悪モノの感じだし、その中で笑いも非常に多いコメディ要素の多い話で痛快娯楽時代劇の雰囲気なんだけれど、終盤になるとあちらこちらで死体が転がり、町もあちらこちらで家が焼け落ち、最後には悪人は全員死んでしまう結構陰惨な話で、三船敏郎は確かに悪者を全員倒しはしたけれど廃墟となった宿場町の中を「後は知らん」と何処かへ去って行く姿を見るとまるで死神の様な恐怖さえも感じ、見終わると痛快娯楽とゾッとする怖さと虚しさも感じてしまい、感情がゴチャゴチャにされる。
これがこの映画の魅力でもある。

登場人物達も魅力的に立つ。
もちろん、際立つのは三船敏郎。
始まりの「枝を投げて行き先を決める」という場面だけで、この浪人が当ても無く旅をしていて偶然足を向けたという人物設定を全く語らずに見せる脚本の上手さもあるけれど、三船敏郎の存在感の強さでこの役は全く過去が語られないのに見ている方は色々想像してしまうだけの奥行きを持たせてしまう。
それに三船敏郎の殺陣は一瞬で数人を叩き切るという息をのむ迫力とその後直ぐに後ろを向いて歩き出すという痺れる位のカッコ良さに加え、時々見せる子供の様な屈託の無い笑顔を見せて可愛さもあるという、男も惚れてしまう様な気持ち良いカッコ良さがある。
他の人物も、例えば三船敏郎に捕まって人質にされて人質交換要員となる二人の無宿者は一目で分かる西村晃と加藤武という元々濃い役者なのもあって、少ししか出て来ないのに見事に人物として立っているし、加東大介演じる亥之吉は強いけれどアホという設定が物語の展開を転がす要素にもなっており、無駄無く人物がいるというのも上手い。
ただ、仲代達矢の卯之助は三船敏郎の好敵手として、三船敏郎の浪人の存在が大き過ぎる事への対抗としてか、大分役柄に色々と重く乗せたのでやり過ぎな人物になっている感はあるんだけれど、それでも仲代達矢のギラギラした感じは印象が凄く強い。仲代達矢は歳を経る毎に眼力が物凄い事になって行ったけれど、その予兆は見て取れる。

この映画、簡単な二組の対立の間で上手い事立ち回るという脚本の展開の上手さ。三船敏郎の魅力。殺陣のカッコ良さ。特に一瞬で終わってしまう殺陣からのスッと立ち去る三船敏郎の後姿のカッコ良さ等々、まあ素晴らしい映画、見事な映画。
この「用心棒」はわたしが見て来た映画の中の上位五位だけでなく、上位三位に昔から入ってた映画。

☆☆☆☆☆
 
 
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