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猿の惑星: 創世記

2017年04月03日 月曜日

ルパート・ワイアット監督、ジェームズ・フランコ主演の2011年のアメリカ映画「猿の惑星: 創世記Rise of the Planet of the Apes)」。
この映画まで六作の映画猿の惑星シリーズがあるが、どれとも関係の無い、新たなリブート映画。

ジェネシス社に勤める化学者のウィル・ロッドマンは父親のアルツハイマー病を治す為にも遺伝子治療薬を開発していた。
ウィルはチンパンジーに新薬を投与した所、飛躍的な知能の発達が認められたが、チンパンジーは暴れ出し射殺されてしまう。そのチンパンジーは妊娠しており、子供を守ろうとして暴れていたのだった。
ウィルはそのチンパンジーの子供を引取り、シーザーと名付けて自宅で育てるが、シーザーは母親に投与された薬の影響で非常に賢い事が分かり、人間の言葉や行動を理解し手話で会話出来る様にまでなった。
アルツハイマー病が進行する父親がいたたまれなくなったウィルはシーザーへの効果を見て父親にも新薬を投与するとアルツハイマー病が完治した。しかし、時間が経つに連れ、父親の体内で薬に対抗する免疫が出来、父親は元に戻ってしまう。
その父親が隣人との問題になったのを見かけたシーザーは隣人を襲ってしまい、保護施設へと連れて行かれてしまう。
そこでシーザーは初めて自分以外のチンパンジー達と出会い、施設での虐待もあって、チンパンジー達をまとめて施設からの脱出を考え始める。

わたしはこれまで、この映画以前の1968年の一作目「猿の惑星」からの五作目「最後の猿の惑星」までのシリーズは見たし、2001年の「PLANET OF THE APES/猿の惑星」も見たしで、この映画までの猿の惑星シリーズは見ていた。
だからと言ってこの映画猿の惑星シリーズが好きな訳でもなく、始めのシリーズが一作目の驚きや上手さがあったのに二作目から既に微妙な感じから続編が進むに連れてドンドンと完全な駄作まで行った事や、「PLANET OF THE APES/猿の惑星」がそれまでのシリーズを踏襲しながらも何か別の事をやろうとしていたけれど映画としては微妙だった事を考えても、それでもこの「猿の惑星: 創世記」は相当違和感があったし、微妙過ぎるし、つまらなかった。

その理由の一番は、この映画内容をリブートの一作目に持って来た事。
これまでの映画でもそうだけれど、「猿の惑星」って、その題名通り猿が支配しており、人間と猿の立場が入れ替わったという部分がおもしろい所であり、それが特徴だったはずなのに、この映画はそれが無く、そこへ至るまでの前日譚で終わってしまう。
要するに一番の見せ所の本編よりも先に前日譚をやってしまっているので、「猿の惑星」になっていない。
例えば、スター・ウォーズをエピソード4からエピソード6までやらずにエピソード1から始めた感じ。この例えだと「ファントム・メナス」自体が微妙な映画になってしまっていたので、あくまでそれまで語られた話があった前提の前日譚から見ても盛り上がりに欠けるでしょ…と言う意味だけれど、この「猿の惑星: 創世記」でも猿が支配した世界を見せてからの前日譚ならすんなり入って来るのに、「猿達がちょっとだけ蜂起しました…」と言うのを見せられても何にもおもしろくなく、「はぁ、そうですか…」で終わってしまう。

それに映画としても非常に微妙。
映画前半は主役がウィルで、何故ウィルが新薬を開発し、何故シーザーを育てたのかという事をじっくり描いていると言えば聞こえはいいけれど、わたしは見ている途中で「今何の映画見ているんだっけ…?」状態に陥ってしまった。
ウィルがシーザーや猿達の放棄に深く関わり、人間と猿達の懸け橋になる様な役ならこれだけ描くのは分かるけれど、ウィルは後半はほぼ活躍無しで、シーザーとの関係も架け橋にも決定的な断絶の理由にもならないので、まあ必要が無くなってしまうし、前半の描きもいらない事に気付く。
中盤からは何時の間にかシーザーが主人公だし、それだったら前半のどうにもならない人間ドラマはサラッと描いて、もっとシーザーに時間を割いた方が良いし。

このシーザーに関しても、わたしは萎える要素だった。
始めの子供の時のシーザーは確かにCGでアニメーションっぽさがあり、映像的に違和感があったし、大人になってからもCG動物特有の動かし過ぎでアニメーションっぽくなっている動きや重量感が無く、作り物の映像を合成した感はあったけれど、あの如何にもハリウッド俳優的な大袈裟な表情をしてしまうチンパンジーには萎え萎え…。
知能を持った人間に近いチンパンジーと言う記号としてだけしか見れず、まあ嘘臭い。
それに、喋ってしまうのは、もう呆れた。
声帯や口周りの機能を無視して、賢くなっただけで喋れちゃうのは完全ファンタジー。
この新薬をペンギンに投与して育てれば喋り出し、「新人!」とか、「隊長、ルナコーンがこう言ってるんス!」とか言い出して、口からバズーカを吐き出すんだろうなぁ。この映画は猿だから「ワシのすんばらしぃおケツを掻くのだ」と言わなかっただけ良かったのか?

それにこの映画の一番の御都合的で強引なのが新薬。
新薬を打って賢くなった母親から速攻で子供に遺伝して賢くなるのか?という疑問もあるし、シーザーは先天的に賢く産まれ、十年位も人間と一緒に暮らして、様々な知識や技術を教えてもらったからあれだけ賢いのは分かるにしても、他のチンパンジー達が改良版の新薬で一気に賢くなるって都合良過ぎ。
賢くなったから始めて見た人工物でもすんなり対応出来るって、最早新薬は超能力の域にまで行ってるし。
新薬もそれまで液体で注射で投与されていたはずなのに改良版は行き成り理由もなくガス状になっており、作った本人であるウィルも「まだ実験段階で何が起こるか分からない」的な事も言っていたのに、ちょっとした間違いで簡単に流出してしまうガス状にしている意味が分からないし、やっぱりの展開でガスが漏れて人間が絶滅に瀕するとか、もうギャグ染みていたし。
これって、本来なら液状の方が良いんだけれど、それだとシーザーが大量に研究所から新薬を盗み出し注射という絶対に他のチンパンジーが嫌がる事を一頭一頭嫌がりもせずに打って行かないといけないという、どう考えても実現できない展開なので、お手軽にガスにしちゃっただけだしなぁ。
見映えと驚異の説得力の為だけだけれど、どんだけサンフランシスコに猿がいるんだという事もあるし。
この終盤の展開、それまである程度はじっくり描いていただけに、急に展開の都合を優先し出し、展開が突っ込み所多過ぎだし何より脚本が荒い。
一番引っ掛かるのは、新薬も何も投与もされていないサーカスにいただけのオランウータンがシーザー並みに物事を理解している程賢い事だったけれど。

気になったのは過去の映画シリーズとの関係性も。
わたしはこの映画が過去の映画と繋がっているのかいないのかも知らないまま見ていたけれど、一番製作年が近い「PLANET OF THE APES/猿の惑星」だと落ちの地球部分での話へ繋げるならまだ繋げられるかもしれないけれど、この「猿の惑星: 創世記」内でイカルス号が火星に着いたどうのこうの…という話が出て来たので、「確か一作目の『猿の惑星』でも宇宙船から始まったけれど、確か1970年代位に打ち上げられて、恒星間航行でウラシマ効果で数百年経っていたという事は光速近くは速度が出ていたはずだから、話的には繋がらんのじゃないの?」と思い、「結局何処にも繋がらずに前日譚だけしか見せないって微妙…」と思ってしまう事にもなった。
見終わった後気になったので調べてみたら、どうやらこの「猿の惑星: 創世記」はこれから始まって他の映画とは関係無い一作目になっている事を知った。
だったら、一作目の「猿の惑星」の宇宙船もイカルス号という名前でこの映画でもイカルス号と出して来たのはオマージュなんだろうが、「わざと関連付いている様に思わせ、一作目と繋がる様に思わせておきながら繋がっていないなんてややこしい事すんな!」と思ってしまった。

この映画、「猿の惑星」を期待して見ると本当にガッカリする。「猿の惑星」にもならない前日譚だけだから。
「猿の惑星」の本編が先にあって、この前日譚ならまだありだけれど、その本編となる話はこれまでのどの映画とも繋がりが無いので、まあ消化不良なだけ。
映画としても途中で主人公がこっそり変わってしまい、結局ウィルはいらん子になってしまうし、ウィルを使ってのシーザーとの関係が人間対猿にまで深く追求していないので、やっぱりウィルの描き方が問題。

どうでもいいことでちょっと思ってしまったのは、SF小説の「猿の惑星」が日本人と欧米人の比喩なんて話もあるけれど、始めの映画猿の惑星シリーズでも人種差別の比喩的な部分はあるんじゃないかなと思うし、この「猿の惑星: 創世記」でのシーザー達の扱われ方が黒人奴隷や第二次世界大戦時のユダヤ人の比喩の様な感じもしたけれど、2011年という製作時期を考えると、これって賢いと思っていた人間達が撒いた知識や武器によって未開人が世界の見方が変わり、教えた方に逆に手を上げて戦う事になるって、アメリカの中東政策とかに関する皮肉や比喩が混じっているのだろうか?とも思ってしまった。

☆☆★★★

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