宇宙戦争

2016年07月21日 木曜日

スティーヴン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演の2005年のアメリカ映画「宇宙戦争(War of the Worlds)」。
原作はH・G・ウェルズのSF小説「宇宙戦争」。

港湾労働者のレイ・フェリエは離婚した妻から息子と娘を預かった日、町に何度も雷が落ちたのを見た。その雷が落ちた現場へ行くと、突如地面から巨大な三本足の機械が現れ、光線を発し人々を消し去り、町を破壊して行った。
レイ・フェリエは息子と娘を連れ、謎の巨大機械から逃げ出した。

この映画って、原作のH・G・ウェルズの「宇宙戦争」を知っているか、いないかで評価は全然違うだろうなぁ。
これって原作の原題「The War of the Worlds」も微妙ではあるけれど、それの邦題「宇宙戦争」は更に微妙で、そこの「宇宙戦争」という題名で何も知らずに見てしまうと全然「宇宙戦争」ではないので、何だこの映画?になってしまうんだろうな。
わたしは読んだ事もないのに、「火星人がトライポッドで攻めて来る」とか、オチも知っていたので最後の呆気無い幕切れも別に問題は無かったし、これだけ有名な原作なだけに、それを現代的にパニック映画として映像的に見せる映画として作り上げているので、その部分では非常に好印象。
この映画は突如日常に凶悪に破壊を続ける巨大な異質な物が現れる、日本的に言えば「ゴジラ」を一人の普通の人目線で描いた訳であって、決して「宇宙戦争」じゃあないんだから。この「宇宙戦争」って邦題付けた人は功罪の罪の方が大き過ぎる。

で、この映画の見所はやっぱりパニック映画として異星人の襲撃をツボを押させて描いている所。
普通の人の日常に起こった災害的襲撃を、トライポッドの出現から、それからの逃避行を一気に見せてしまう。
話は非常に分かりやすいけれど、トライポッドの圧倒的な存在感とその見せ方は流石のスティーヴン・スピルバーグ。
特にトム・クルーズ一家が船に乗ろうとして振り返った所に、暗闇の中から光を放って現れたトライポッドなんてしびれる美しさ。夜に白い光なので、白黒映画時代のSF映画への敬意とも取れる場面だし。

ただ、以前に初めてこの映画見た時は巻き込まれのパニック映画として一気に引き付けられたし、映像もしびれたのに、改めて見てみるとトム・クルーズを中心とした人間模様の話は何のこっちゃでつまらないし、SFとしても21世紀の映画なのにお粗末な部分が多過ぎ、粗ばかり目立っている様に感じてしまった。
トム・クルーズ親子が逃げ惑うという部分はパニック映画や恐怖映画として良く出来ているにも関わらず、それ以外の親子を描く部分は息子との確執がある中で、何だかよく分からない理由で息子がどっか行ってしまい、でも先に母親の家に行っていました…って、何を描きたかったのがか全然分からないお座なり過ぎる描き方で「これ何なん?」。別に劇中で結果的に親子の関係が改善したという訳でもないし、明らかに途中で息子の話を投げ出しているよね?

一番意味が分からないのが終盤に突如出て来るティム・ロビンスとの一件。
この頭のおかしくなってしまったティム・ロビンスとのやり取りで何がしたかったのかがさっぱり分かんない。トム・クルーズがティム・ロビンスを殺してしまった様な表現があるけれど、これで何を見せたかったのかも分からない。何をしても娘を守るという事なのかもしれないけれど、その割に娘との深い絆が生まれたかというのは見えて来なかったし、単に父親が一人でバタバタしているだけにしか見えなかったし。
ここが最後にかけての盛り上げる部分で一気に盛り下げ、見ている方に「だから何?」と思わせるという部分を急に入れて来て、この脚本って何だ?

SFの部分でもいまいちな事が多く、原作では普通に宇宙からトライポッドが落ちて来るのに、この映画では何故ずっと地面に埋まっていたという設定にしたのだろうか?地中で数百年以上経っても劣化しない金属なんだろうが、トライポッドのあちこちに土が詰まって壊れそうだし、何よりも「今の最新兵器を地中に埋めておいて、数百年、数千年後に使おう!」なんて余りにも頭悪過ぎじゃん。この異星人って、数百年でも全く技術革新や改良される事もない、全てが全く停滞した社会や文化という事が言いたかったのだろうか?
それに、シールドがあれば無敵なトライポッドだけれど、突如何の理由かも分からないままシールドが消え、ミサイルランチャー4・5発であっさり倒されてしまう、これまたアホさったらない。異星人は機械の不調でシールドが無くなってしまう様な事故が起こる可能性も考えないでトライポッド作っていたのだろうか?
まあ、地球と言う異星に素っ裸でやって来て、特に調査もしないまま流れ出ている水飲んだりする余りにも不用心で頭の悪い異星人だから、しょうがないと言えばしょうがないけれど、こんな馬鹿みたいな設定にしてしまう脚本家が頭悪いだろ。
その他にも、あれだけ跡形も無く町を破壊している一方で、狭い廃墟かもしれない家の地下を一件一件目視で確認いていたりと、やっている事が余りにもチグハグだし、そもそも人間を捕まえていたのは何故か?とか、あの血管の様な植物の様なモノは何?とか、色々見せている割りに投げっ放しジャーマンで説明放棄しているので、見ている方を馬鹿にして煙に巻いた感じがしてしまう。
オチに関しては、H・G・ウェルズの「宇宙戦争」のオチを知っていたので、それをより現代的に再現しているので全然問題は無いけれど、それによってこの異星人のアホさがより際立ってしまっているので、そこでは問題ありかな。

それに何よりトム・クルーズの配役が悪過ぎる。
一応港湾労働者的にだらしのなく、喋り方もぶっきら棒にしてはいるけれど、全然港湾労働者には見えず、終始やっぱり精悍な若々しいヒーロー面で、この主人公役はトム・クルーズじゃあない方が全然良いとばかり思ってしまう。主人公の役の設定はティム・ロビンスの方が似合っているだろ。
トム・クルーズがこの時43歳なんだけれど、見た目が若々しいので30代前半でも全然行け、その若さでこの時23歳のジャスティン・チャットウィン演じる息子とは親子に全然見えないし、この時11歳のダコタ・ファニング演じる娘は11歳よりも幼い様な行動なので、息子との歳の差を感じてしまうし、この家族の家族感の無さったらない。有名で人を呼べるトム・クルーズに、この時期の大物俳優や監督達に持て囃されていたダコタ・ファニングをはめ込んだ、配役が先行したとしか思えない配役のあってなさ。
あと、ダコタ・ファニングは初めは流石にちやほやされただけの演技を見せて良い感じだったのに、話が進む毎にギャーギャー騒ぎ立てまくるので、ドンドンうっとおしくなって行き、娘を助ける父親という構図に余計な苛立ちを与えてしまっている。

この映画での一番の批判点は何より、異星人がタコ型じゃあないという事。
「宇宙戦争」と言えば、サンリオSF文庫の背表紙でお馴染みのタコ型火星人じゃん。この映画での異星人は、映画「インデペンデンス・デイ」の異星人みたいな頭部に三本足の異星人。タコ型異星人じゃあなければ別に「宇宙戦争」を原作にしなくてもいいじゃん。

この映画、H・G・ウェルズの「宇宙戦争」をある程度知っていれば、それを映像化して、悲惨な災害に巻き込まれるパニック映画として作り上げ、まあ見事な映像で非常に素晴らしくはあるものの、見ている方に疑問と突っ込みばかりを入れさせてしまう酷く適当な設定や、そこから何も生み出さない無理矢理ねじ込んだティム・ロビンスの話とか、適当に描いておいて後は投げ出したままという息子の話とか、脚本が酷過ぎる。
始めに見た時はおもしろい映画だったのに、改めて見たら映像以外は全然つまらなく思えてしまった。

☆☆★★★

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