リディック: ギャラクシー・バトル

2015年12月02日 水曜日

デヴィッド・トゥーヒー監督・脚本、ヴィン・ディーゼル製作・主演の2013年の映画「リディック: ギャラクシー・バトル(Riddick)」。
映画「ピッチブラック」、映画「リディック」に続くリディック・シリーズ三作目。

前作「リディック」でネクロモンガーの頭であるロード・マーシャルを倒し、ネクロモンガーの頭となったリディックだったが、結局は部下達に裏切られ、名も知れぬ惑星で殺されかけて置き去りにされてしまう。
その惑星で生き延びていたリディックは、その星から出る為に賞金首である自分を出しに賞金稼ぎを呼び寄せ船を奪おうとする。

一作目が化け物の住む暗闇の星での生き残り合戦だったのが、二作目では宇宙中を支配しようとするネクロモンガーと対峙するリディックを主人公に、ネクロモンガーだの、アンダーバースだの、エレメンタル族だのと急に色々なスペースオペラ的SFガジェットを出して方向転換を図り、壮大な雰囲気はタップリあるのに説明不足過ぎて奥行きも感じられず非常にこじんまりしてしまった中途半端な映画になり、それでもまだ作られたこの三作目は、二作目がお金をかけたのに結局一作目の方が評価が高かったからか、一作目の様な周りを化け物に囲まれた中から脱出するという良く言えば原点回帰な映画に、悪く言えばまた一作目の焼き直しをお手軽にした様な映画になってしまっていて、この映画自体もグダグダした微妙な出来だし、シリーズ通してもグダグダした事になってしまっている。

映画の序盤で二作目からの直接的な続編である事を見せていて、しかも邦題が「リディック: ギャラクシー・バトル」なんだから、二作目の路線でのネクロモンガー辺りを更に掘り下げるスペースオペラかと思いきや、序盤は荒野の惑星でのリディックの野生による生き残り術と狼っぽい動物との行動を延々と描き、次はリディックを捕まえに来た賞金稼ぎをリディックが逆に狩って行く展開になり、最終的に暗闇の中で周囲を囲む怪物から逃げるという一作目の小規模な使い回しで、展開にまとまりは無いし、二作目の続編である意味も全然無い続編。
二作目もネクロモンガーとの対決にはならずに遠回りして関係無い話を描いていたけれど、今作でも結局何を見せたいのかはっきりせず、監督が思い付いた色々な事を継ぎ足し合わして一本の映画にしてしまった感が凄い。
序盤はリディックの葛藤もよく分からないし、修行の様なロードムービーが展開されている割に最後はサソリの様な生物をあっさり簡単に仕留めてしまい、何処でリディックに共感を得たり、盛り上がりを見せているのか分からない展開。
中盤からは急にリディックが登場しなくなり、賞金稼ぎ達の揉め事が中心になり、リディックはこれまで主人公だったはずが何も言わず次々と静かに賞金稼ぎを殺して行くという恐ろしい怪物になってしまい、誰が主人公で何を見せているのかも分からない展開になってしまう。
最終的に前半であれだけ用意周到に挑んだサソリの様な生物がワラワラと凄い数が現れて序盤の対決が一気にしょうも無くなってしまう大安売りをしたり、リディックの孤独な戦いから凶悪犯リディックを見せる急激な変更をしたと思ったら、今度はモンスター映画に変貌してしまい、脚本のあっちこっち行って定まらない中途半端な展開の連続で、結局何を見せたいのかが分からないままのグダグダした脚本。
始まりにネクロモンガーを出して来たのに終盤になってもそれは一切関係無く、ただリディックが惑星から脱出するだけで終わってしまう広がりも何も無いこじんまりし過ぎた展開もつまらない。

それに演出も下手。
常人である賞金稼ぎが周囲の何処にサソリの様な生物がいるかも分からない闇の中に一人で置き去りになる場面では、終始賞金稼ぎばかりを映して、闇の中に何かいるようだ…という恐怖を煽る様な暗闇の周囲を見せるカットが一切無いまま。
今回も二作目同様、リディックの夜目が効く設定を活かしてはいるけれど、その場面自体が少なく、通常の人間が暗闇を見ている時の描写も無いので、「普通の人間にとっては暗闇は怖い!でも、リディックは大丈夫!」というリディックの特殊能力を見せる為の対比にすらなっておらず、この場面を入れる意味も全く効果的になっていない。

それに加えて問題は、邦題。
二作目の原題が「The Chronicles of Riddick」だったにも関わらず、勝手に邦題を「リディック」に短縮してしまった為、三作目の原題が「Riddick」と思慮も無い二作目の邦題を付けた配給会社を嘲笑う様な題名にしたので、更に頭の悪い「リディック: ギャラクシー・バトル」という全然内容とも関係無い酷い邦題を付けてしまっている。
内容的には二作目の方がおっさんが一対一で殴り合って宇宙の支配者を決めるという「ギャラクシー・バトル」だけれどまだ「ギャラクシー・バトル」だったのに、この三作目はリディックが賞金稼ぎ達をいじめるだけの内容で、「ギャラクシー・バトル」でも何でもないのに「リディック: ギャラクシー・バトル」と邦題を付けてしまう配給会社のお座なりな仕事っぷり。
こんな邦題付けたプレシディオという配給会社は何を考えていたんだか…。

この映画、「リディック」であれだけ中途半端で説明不足ではあったけれど大作風のスペースオペラを見せた後で、これだけこじんまりした小作に戻ってよく企画が通ったなぁ。
そもそも一作目「ピッチブラック」が2000年公開でそこそこヒットし、二作目「リディック」が2004年公開で結構大作だったにも関わらずギリギリな興行成績だったのが、それからほぼ10年後に二作目の三分の一位の予算で更に続編が作られたのが意図不明。
まだ、連続テレビドラマとしてリディックの活躍を見せる中での数多くある中の一話としてのこの話ならまだ分かるけれど、映画のリディック・シリーズとしての三作目だとしたら迷走、予算削減、結局デヴィッド・トゥーヒーの下手さばかりが目に付いてしまう。
ヴィン・ディーゼルの極悪非道な犯罪者であるけれどアンチヒーローでもあるリディックという人物が良いだけに、このデヴィッド・トゥーヒーに一切関わらせずに二作目以降作れば、もっとおもしろいシリーズになっていたに違いないと思うばかり。
テレビドラマの様な連続モノにすれば、新時代の「コブラ」になっていたのにと思うばかり。

☆★★★★
 
 
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