リディック

2015年12月01日 火曜日

デヴィッド・トゥーヒー監督・脚本、ヴィン・ディーゼル製作・主演の2004年の映画「リディック(The Chronicles of Riddick)」。
リディックシリーズ二作目で「ピッチブラック」の続編。

リディックは賞金稼ぎに命を狙われ、自分に賞金を懸けた依頼主を探す為にヘリオン第1惑星へと向かう。
依頼主はエレメンタル族のエアリオンで、彼女は宇宙中の星々を征服しているネクロモンガーの一団の首領であるロード・マーシャルを殺す事が出来ると予言されたフューリア人の生き残りであるリディックを探していたからだった。

前作「ピッチブラック」は大分昔に見た覚えがあるのだけれど、「何処かの惑星で夜でも目の効くリディックが怪物と戦う」位の憶えしかないまま、その続編を見てみた。

この映画、リディックはカッコ良いし、アクションは結構おもしろいし、セットや衣装等もお金をかけて豪華な感じだけれど、展開があんまりおもしろくない。
リディックは常に強く、銃でもナイフでも国士無双の強さを誇り、飛んだり跳ねたりのアクションも中々おもしろく飽きさせずに見せてはいるんだけれど、彼の特殊能力である夜目の効くのが大して効果を発揮しないまま。
前作は確か暗い野外での行動だったから、その能力が索敵に発揮されていたけれど、今作では野外も多くゴーグルを付けたり外したりはするものの暗視目線の場面が少なく、敵は見えないけれどリディックは見えて一方的に有利になるという状況がほとんど無いので話の主人公がリディックである必要もない感じ。

前作から話が続いているので前作を見ていないとよく分からない展開がある。
初めに強大な敵であるネクロモンガーやロード・マーシャルが示されているのに、そのままそこの話にはならず、何故かクリマトリマという監獄惑星に行ってしまう。
前作に登場したジャックという名前の少女を助けに行くらしく、急に囚人達との話になり、この一連の話は主軸とは関係無い脇道感が強くて流れがここで一気につまずく。
このジャックことキーラがネクロモンガーに捕まり、ロード・マーシャルとの対決への振りにはなっているのだけれど、キーラはクリマトリマで目の前に自由に出来る賞金稼ぎの宇宙船があるにも関わらず、何故か自分の意志でネクロモンガーの船に乗っているし、キーラをネクロモンガーにされてしまったので怒ったリディックとロード・マーシャルの行き成りの最終対決という展開も強引。
圧倒的な人員と戦力のネクロモンガーが無視され、最後だけ男のタイマン勝負で銀河の運命の決着が付く…って脚本が粗過ぎる。
もっと中盤の監獄の場面を少なくして、圧倒的なネクロモンガーをリディックがどうかわすかを描けば最終決戦まで盛り上がるのに、それを描かずスルッとリディックがネクロモンガーの最中心部に簡単に潜り込んでしまうので全然盛り上がりに欠ける。
こんな簡単に敵に潜入され、暗殺も簡単に出来てしまう位のアホさ加減でよく世界を支配出来ているなぁ。
被支配側の人間は簡単に服従してしまうし、ネクロモンガーに抵抗するのは犯罪者だけという緩々な設定も安っぽい。
それにリディックがロード・マーシャルを倒した後の展開って、一番強い頭を倒したより強い奴がその軍団を率いるって、頭の悪い不良やチンピラ軍団の抗争並みじゃん…。
これが宇宙の行方を決める壮大な話って言うんだから、小学生が考えた脚本かよ…と呆れてしまう。

セットや衣装等がお金をかけて作られ、そこでは物語に深みがあるのに、何だかよく分からないままのアンダー・バースという世界や、そこに行ったらしいロード・マーシャルはザ・フラッシュの様に残像を残しながら素早く動け、更には相手の魂を掴む事が出来る?という謎の能力や、見ている限りこの世界は地球にいた人間達が宇宙に広がっていったっぽいのに、体が透明化する謎のエレメンタル族とか出しておいて、それらの説明が無いとか、SFっぽくなく急にそこだけファンタジーっぽいガジェットだけを入れ込んでしまった適当なSF感の安っぽさがあるし、これらの設定が直接的に話には関係して来ないというのもいるんだかいらないんだかの余計なガジェットに思えてしまう。
ここら辺もただしたい事だけを考えもせずに詰め込んでおいた感じばかり。

この映画、お金をかけ、話を色々拡げた風だけれど非常にこじんまりし、大作SFなのに小作ファンタジーに思えてしまった。
リディックという人物設定にしろ、その他の設定も活かし切れず、もっとおもしろくなる要素が一杯あるのに、謎の能力者と無敵のリディックが喧嘩をするという所に収束してしまう壮大そうでこじんまりさせてしまう脚本の悪さに加え、アンダー・バースとか、ロード・マーシャルの謎の能力とアンダー・バースとの関係性とか、ロード・マーシャルの側にいた実はヒューリア人の生き残りとか等々、他の展開や設定も監督と脚本のデヴィッド・トゥーヒーのしたい事、思った事を入れ込んではいるけれど、それの観客に対する説明が少な過ぎで映画の展開に対する効果的な要素にはなっておらず、彼の独り善がり感ばかり、自分は分かっているから好き放題にやって観客を置いてけ堀にしているだけの感じが満載。
こんな程度なのに、更に続編が作られたのが不思議。

☆☆★★★
 
 
関連:ピッチブラック
   リディック: ギャラクシー・バトル

« | »

Trackback URL

Leave a Reply