カプリコン・1

2015年08月08日 土曜日

ピーター・ハイアムズ監督・脚本、エリオット・グールド主演の1977年のアメリカ・イギリス合作映画「カプリコン・1(Capricorn One)」。

有人探査宇宙船カプリコン1号が火星へ向けて打ち上げの準備に入っていた。乗組員達も乗り込んで準備をしていたが、後数分で打ち上がる段になって緊急事態として乗組員全員が連れ出され、飛行機で見知らぬ倉庫へと連れて来られる。そこには火星に似せた再現セットと着陸船が置かれ、乗組員達に「ここで火星に行っている事にして欲しい」と頼み込まれた。

有人火星探査だったはずが、生命維持装置の不具合が見つかり、現在の状況では到底火星までは到達できない事が分かったが、アメリカ議会で金のかかり過ぎる宇宙開発が問題視されて、計画の中止を恐れた一部の人間が計画を続行させる為に有人火星探査をでっち上げるという話で、アポロ計画にまつわる陰謀論を題材にし、それを火星有人探査で描いた映画。

序盤から前半の、見ている方も宇宙船の乗組員と同じく何が何だか分からないまま連れ出され、宇宙開発を終わらせない為のある部分では納得出来るでっち上げに参加しても良いのかどうか?という展開は非常におもしろい。乗組員の混乱と葛藤、この陰謀に気付いた人達の失踪、それに気付いた新聞記者の捜査と、「どうなるの?」のサスペンスとして上出来。
ただ、中盤で乗組員達が逃げ出した後からが急激につまらなくなる。これまで流れる様に展開して来たのに、乗組員達は荒野を歩き回り、事件を追う新聞記者はもっちゃりした捜査で中々核心を付いて来ない回りくどい展開になり、中盤で一気に流れが滞ってしまった。これまで主役だった三人の乗組員達は物語の展開に寄与しなくなり、脇役だった新聞記者が主人公になってしまい、前後半で物語で誰を見せるかがガラッと変わってしまうので非常に違和感がある。
で、最終的には見せ場が少ないと思ったのか、乗組員の一人が農薬散布用の飛行にしがみ付き、ヘリコプターとの空中での追い駆け合いになって、今までして来たサスペンスとは全く違うアクション映画になってしまうし。

それに、前半の火星関係の話も、でっち上げに持って行く為に結構強引だったりする。
ロケットからの通信は地球上の乗組員がいる倉庫から発信されているのだけれど、それに気付いたのはNASAの一人のオペレーターだけだったので消されてしまったけれど、こんな歴史に残る事なんだからアポロ計画の時と同じく世界中のアマチュア無線家が聞いているはずで、彼らは直ぐ宇宙から通信が来ていない事位分かるだろうに、もしかしてそのアマチュア無線家全員を殺したりしていたと言う事?時代的にソ連だって絶対監視しているはずなのに、ソ連が「でっち上げだ!」と騒いだらソ連も消し去るつもりだったの?
何故か、火星着陸時の偽装映像はNASAが受信したと同時期に映像を生中継し、重力の弱い所を手動でスローモーションにしてその場で誤魔化していたりと、そんな危ない事しなくても先に録画して効果や編集をしておいて流せば良いだけじゃないの?
宇宙船内の映像見たら服とかどうみても重力あるじゃんとか、よくそれで騙せると思っているなぁとか、元々も三人をちゃんと帰還させる予定だったけれど、長期間に渡る飛行なのに船内の記録映像や火星の記録映像、写真や、何より火星の砂とか岩とかも絶対必要なのに、それはどうやって誤魔化す気だったの?とか、結構あちこち温い事ばかり。話を先行させる為に細かい部分が荒い。流石にこの程度ででっち上げが出来るなら、ソ連やその他の国々でも太陽系内の惑星に人間を幾らでも送り込んでいるという話になるだろ。
何より、火星に行くロケットの外観がほぼ月に行くロケットと大差なく、長期間の居住空間や水や空気の収容場所が全然見当たらなかったり、火星着陸船が月面着陸船と似ているけれど、大気もあり重力も月よりも数倍ある火星からそんな推進力の無さそうな着陸船で脱出出来るの?とか、地球と火星の往復が260日程度ってどんだけ高速な宇宙船なんだ?とか、宇宙船関係が大分適当。ほぼ月に行って帰って来る感覚でしか描かれていない。これはこの映画が火星として描いてはいるけれどアポロ計画での怪しさの比喩にする為とは言え、ほぼ月へ行くのと同じ感覚で描かれており、SFとしては結構酷い。

あと、前半部分ではサスペンスとしての展開の早さを求めているので人物描写が犠牲になっているのも良くない。
始め三人の乗組員は早い段階で結構人物が立っていると思ったけれど、監禁されてからのそれぞれの葛藤が少な過ぎ、何処を向いてどうしたいのかがはっきりせず、どんどん個性が消え去って行く。後半の逃亡劇なんて大して盛り上がらないし退屈するしで、そこを削って前半での三人の葛藤に時間を割いて、それをもっと見たかった。
乗組員達が協力するする理由も、家族が狙われているという理由があるにしろ、それも「宇宙飛行士が強要された嘘を暴露し、その宇宙飛行士の家族が謎の死を遂げていた」のだったら、単に嘘だけでも相当な事件なのに、そこに殺人まで行った事が分かれば大勢の人の人生が終わるって事にすら気付かず従っているのも変だし。

この監督ピーター・ハイアムズの他の映画見た事あるかな?と、このブログを調べてみたら、「ダウト ~偽りの代償~」も見ていたのだけれど、「ダウト ~偽りの代償~」もこの「カプリコン・1」と同じ様な、「前半と後半で主人公が変わってしまう」「証拠の扱いが雑」「中盤以降の展開に意外性がない」「映像的に地味だと思ったのか、カーチェイス(エアプレーンチェイス)を入れて来る」と何か似た様な事していた。もうこの監督の志向なんだろう。

この映画、始めは特殊な環境下での陰謀論というサスペンスとして非常におもしろい題材と展開だったのに、中盤以降の退屈さのせいで前半部分の粗も気になり始め、最終的に緩くて退屈なサスペンス映画になってしまった感ばかり。もっと前半部分にお金かけて、設定や後半部分をもっと煮詰めたら非常に良い映画になったはずだろうに…。

☆☆☆★★

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