サブウェイ123 激突

2015年07月28日 火曜日

トニー・スコット製作・監督、デンゼル・ワシントンジョン・トラボルタ共演の2009年の映画「サブウェイ123 激突(The Taking of Pelham 1 2 3)」。
ジョン・ゴーディの小説「サブウェイ・パニック」が原作で、1974年の映画「サブウェイ・パニック」のリメイク。

ニューヨーク地下鉄運行司令所で指令員をしていたウォルター・ガーバーが不審な車両を見つける。その車両では男達が乗客を人質を取り、ライダーと名乗る男がウォルター・ガーバーに身代金を要求して来た。ウォルター・ガーバーは犯人との交渉役となり、相手の情報を引き出したり、自分の痛い過去を引き出されもしながら何とか人質の命を救おうとする。

1974年の「サブウェイ・パニック」が非常におもしろく、良く出来た映画だったのでこの映画も期待して見たけれど、大きく期待外れに終わってしまった。「サブウェイ・パニック」を見てからだと特に。
一番の問題点はジョン・トラボルタ。
「サブウェイ・パニック」ではロバート・ショウ演じる主犯が非常に物静かで、人質や誰も傷付けないまま大金をせしめようとしているというロバート・ショウの雰囲気からも知的な感じで進んでいたのに対して、この映画はその主犯役をジョン・トラボルタが演じてしまった為に全てが台無し。ジョン・トラボルタは単発に髭面と、何時もとは少し違う見た目にはしているけれど、もう見飽きた取り留めの無い話をやたらと続け、すぐ激高して簡単に人を殺してしまうという何時ものサイコパスなチンピラ役でしかなく、折角デンゼル・ワシントンが抑えた会話劇にしているにも関わらず、ジョン・トラボルタのせいで安っぽいB級サスペンスにしかなっていない。
ジョン・トラボルタって単に演じれる役の幅が狭過ぎるのもあるのかもしれず、多分ジョン・トラボルタをこの映画に悪役として配役した時点でこんな役になってしまっている、成らざるをえないのかもしれないけれど、「サブウェイ・パニック」のロバート・ショウを見てしまうと、完全に配役が失敗していると思わざるを得ない。
だって、ジョン・トラボルタの役は序盤から見た目も行動もヤバいゴロツキでしなかないのに、彼の正体が実は元マンハッタンの凄腕の投資家だったとかって、もう説得力も何もありゃしないじゃん。

それに脚本も酷いのが、この主犯ライダーの動機や行動理由がさっぱり見えて来ず、その他諸々の背景も非常にあやふやでしかいない事。
ライダーはやたらと政府や組織に対して嫌悪感を出して来るけれど、だからの犯罪なのかと思ったら目的は金だし、大金をせしめて好きな暮らしをするのが目的で用意周到に準備を進めて行き抜く事が大事なはずなのに、所々で自分が死んでも構わないと思っている、寧ろ死ぬ事を望んでいる様な諦めを見せてしまい、この役がブレてしまって何だか訳の分からない人物になってしまっている。
「サブウェイ・パニック」ではロバート・ショウが常に冷静だったので、中々動かない状況に焦りを感じた仲間が暴走しようとするのを止めようとする事によって、ロバート・ショウの人物像や仲間との関係性、ジリジリとした待っている人質犯の緊張感も出してした上手い設定だったのが、この映画ではジョン・トラボルタが先走って暴走し、それに対しての仲間の反応は描かれず、ジョン・トラボルタが一人で怒って暴れているだけで間抜けだし、他の仲間が一体何者で、どんな理由でこの計画に参加し、何を思っているのかも描かれないので仲間の存在が非常に薄いまま。

一方のデンゼル・ワシントンは、犯罪捜査に関係していない普通の人を流石に上手く演じてはいるけれど、途中に出て来る賄賂貰った疑惑の話のせいで何だか微妙な役になってしまっていて、やっぱり脚本の微妙さを感じてしまう。
その負い目は要は最後の主犯を一人で追い掛ける動機であり、単なる正義だけの人では無いというのを見せる為なんだろうけれど、この話が出て来る事によって折角の犯人との交渉劇がどちらに話を振りたいのかが曖昧になるし、そもそもこの賄賂の告白って、人質を殺させない為のライダーが望む嘘だったのか事実だったのかも最後まで全くはっきりしないし、この賄賂疑惑によって「地下鉄がいい」と言っていたデンゼル・ワシントンがどうなるのか、どうなってしまったかも描かれないままで、物凄い消化不良。
「サブウェイ・パニック」でウォルター・マッソーが演じていたガーバーは交通局警察本部長だったので交渉も上手いというのがあったけれど、この映画のウォルター・ガーバーは何で犯人が喋った単語から人物を割り出そうとするようなプロファイラーみたいな事をするのか?出来たのか?とかの疑問もあるし、賄賂疑惑からの最後のジョン・マクレーンみたいな追跡まで出してしまうし、ウォルター・ガーバーが万能なので折角徐々に有能さを見せ始めていたカモネッティ警部補や警察の出番が減って脇役が目立たないし。
「サブウェイ・パニック」では犯人達が逃げ出した後にも捜査が続くという最後の一捻りある展開がおもしろかっただけに、ハリウッドのアクション映画の定型である最後の主演二人の対決も安っぽく思えたし。

脇役で言えば、市長も変な感じ。初めは「だったら何で市長やっているの?」としか思えない適当な人物だったのが終盤では結構活躍してしまい、終盤を描くなら序盤の人物像はいらないし、やっぱりぶれている。

人質となった乗客の描きも微妙で、「犯人に立ち向かえ。」とそそのかした母親が、目の前でその人が殺されてもその後の彼女の反応は描かないし、スーツの男は何かある様な感じなのに単に助かった時の冗談を言う要員だけでしかないし、パソコンで映像を送っていた女の子がもっと活躍するのかと思ったら単なるアホの子だったし。

この映画で一番嫌いだったのが、デンゼル・ワシントンが犯人に金を届けるので自分の命がどうなるのか分からないから最後かもしれないと奥さんに電話したら、「帰りに牛乳買って来て」と言う話になる場面。これって、最後の場面でデンゼル・ワシントンが牛乳持って家に帰って来るのは完全に見え見え。本来ならもっと緊迫や哀しさを出す電話の場面なのに、全然違う話を出す感動の最後の場面に向けてのやり口が大嫌いだった。

こういういまいちな脚本は、脚本担当のブライアン・ヘルゲランドのせいだろうけれど、このブライアン・ヘルゲランドって、あの映画「ポストマン」の脚本を書いている一方で、「L.A.コンフィデンシャル」や「ミスティック・リバー」の脚本も書いているので、出来不出来の差が激し過ぎるんだろうな。

あと、この邦題「サブウェイ123 激突」の「激突」って全然いらないよなぁ。何でわざわざ付け足したんだろう?

この映画、脚本も出来が余りよくないと思うけれど、やはり一番の欠点は主犯役をジョン・トラボルタにしてしまった事。デンゼル・ワシントンは良いからジョン・トラボルタでなければもっと違う、もっとおもしろい映画になっていた様な気はする。

☆☆★★★
 
 
関連:サブウェイ・パニック

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