復活の日

2014年12月14日 日曜日

深作欣二監督、草刈正雄主演の1980年のSF映画「復活の日」。
小松左京の同名の小説「復活の日」が原作。

細菌兵器が意図せず拡散してしまい、世界中で死亡者が続出。ただ、その細菌は氷点下では増殖せず、南極基地にいる一部の人々だけが生き残った。

原作小説読んだ事ないけれど、この映画は構成が不味過ぎて、非常につまんない。
潜水艦内部の場面から始まるけれど、大して動きも無く、説明場面としても不十分な上、その次に「人類は死滅した」と字幕で全部の説明を済ましてしまうという、映画としての見せ方、長編映画の掴みとして全然駄目な所から始まってしまう。その後も始まって30分位は説明場面が延々と続き、そこの話がつまらないので掴みで飽きてしまう。
そこから各人物の背景を描くのだけれど、それってその人が何かしらをして、その人物にまず興味を持たせてからでないと、単に興味無い人のそれまでを見てもつまらないだけ。南極の基地の人達が話の中心になるのだから、その人達視点で描けばいいのに、下手に大作感を出す為にアメリカ政府を出して来たり(ただそれも数人で言い合っているだけ)、その後の話に関係無い人々の行動を見せたりと無駄ばかり。色んな人の状況を見せる群像劇と言えば聞こえはいいけれど、話があっちゃこっちゃに行って散漫なだけ。「結局あの人は何だったの?」ばかりな人が多過ぎ。始まってから散漫な説明が1時間以上も続き、早送りでも真剣に見ていなかった。後半の話は結構おもしろいのに、前半の退屈さで駄目にしている感じ。小説ではなく映画なんだから、後半だけに絞って見せた方が良かったんじゃないかと思える。
その後半も終盤はいまいちよく分からず。活躍する様な感じだったのに、物凄くあっさり退場してしまったカーター少佐とか、ウイルスによってほぼ死滅したのに、そこに更に核ミサイルをぶち込むのは何の比喩?とか、草刈正雄がフラフラにながら歩き続けるけれど、別に自動車や自転車が消滅した訳でもないのに徒歩を選び、徒歩だと少し急いだ所で明日や明後日に付く訳でも無いのに、真面に歩けなくなる位急いで歩くって放射能にやられて頭が馬鹿になったの?とか、意味が分からず「なんじゃ、こりゃ?」。

それに大作映画っぽい作りなのに、物凄くこじんまりした感も。世界中の人々が死んでいるとは言っているけれど、単に死者~名と字幕で表示するだけなので説得力なんて微塵も無く、前半の世界の崩壊の安っぽい作り物感で、物凄いあれれ感ばかり。
それに、やたらと外国人がその状況に絶望し自殺しまくるのだけれど、日本人達は自殺せず生きているのもピンと来ない。アメリカの少年まで自殺するのに、自殺と言えばその印象が強い日本人に自殺する人物がいないのも不思議。

おもしろいのは、序盤に日本が絶滅している様子をみたアメリカ人兵士が「これで日本もスモッグを追い払えたな」と皮肉を言っている事。今なら「中国からPM2.5が!」と騒ぐけれど、昔の日本も大して変わらない似た感じで、結局は発展途上国は発展の為なら気にしないし、そこがSFのイジリ要素でもあった訳か。

人類が極端に減った為に、女性個人の意思は関係無く子供を産むという話は、同じ世界が崩壊するジョン・ウィンダムのSF小説「トリフィドの日」そのまま。多数の大義だと思っているモノの前には個人の意思は重要ではないというのは、如何にも昔のSF。昔のSFって、個人の感情の乏しさが全然ピンと来ない。

カメラの画作りも何か変。大してカット割らずに続けて見せるのは、この当時からの日本的な演出だろうけれど、しゃっべている人物が後ろ向いていたり、正面の顔が見えなかったり、話と同じで誰の何を見せたいのかがいまいちハッキリしない。

この映画、結局何を描きたいのか、何を見せたいのかが分からない。絶滅しかけた少数の人類を描きたいなら前半はいらないし、そこが退屈なので後に続かないし、後半に特に関係して来ない日本の崩壊の話やアメリカ大統領を長く描く割りに、後半の重要人物であるカーター少佐や潜水艦艦長とかの背景は全然描かれないし。草刈正雄とカーター少佐に絞って描けば結構おもしろい映画になったはずと思ってしまった。結局お金をかけて作った角川映画だからこんな不味い構成になってしまったのだろうなぁとしか思わず。

☆★★★★

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