トリフィドの日

2014年09月17日 水曜日

ジョン・ウィンダムの1951年のSF小説「トリフィドの日(The Day of the Triffids)」。
読んだのはハヤカワ・SF・シリーズ、所謂銀背版。

何時しか世界中に発生した、土の中から自ら出て根っこで自由に歩き、触手の様な刺毛で動物や人を襲う植物トリフィドは危険ではあったが、人々は植物油が取れる為に人工栽培していた。
緑色の流星雨が地球に流れたある日、それを見ていた人達の視力が失われた。その時、目に負った事故で病院に入院していたビル・メイスンは目覚めて周囲の異変に気付き、目の包帯を取って見ると世界は崩壊していた。彼は崩壊した街へと繰り出し何とか生き残ろうとするが、トリフィドが人間を襲っている事も知ったのだった。

テレビで「パニック・イン・ロンドン 人類SOS!襲いかかる肉食植物」という二部構成のドラマの原作が、この「トリフィドの日」という事だったので、「まず原作を読んでから。」と思い読んだ。
題名やトリフィドの扱いを見ると、「人間対動き回る植物」が主軸になって来るのかと思いきや、主軸は視力を無くした人がほとんどになってしまい、崩壊した世界の中で目の見える人々はどう生き残るかの方。トリフィドはオマケ位の扱い。トリフィドは全然話に噛み合って来なく、終盤まで登場や活躍らしい活躍も無い。最終盤になってやってトリフィドの存在が活きて来るのだけれど、基本的にノロノロと近寄って来るだけなので、緊迫感や恐怖は出て来ない。何より、自分で歩く2m越えの巨大な植物が町中を動いているというのを想像すると、どうしても滑稽にしか思えず、恐怖よりも笑ってしまう。トリフィドの描写的には足の生えたウツボカズラなんだけれど、わたし的には根っこが足になった巨大な大根や人参みたいな植物を想像してしまい、より滑稽になってしまった。

トリフィドの存在が微妙なんだけれど、それ以外にもこの小説は色々と微妙と言うか、乗って行けない要素ばかり。
ただ、第一章は抜群におもしろい。「病院で目が覚めると自分が知らない内に世界は終わっていた…。」というのは、結構以前からスティーブン・キングだったり、ゾンビモノ、特にバイオハザードモノで使われる事が多い導入で、それこそ映画「バイオハザード」の一作目の終わりと二作目の始まりや、映画「「28日後…」」、テレビドラマにもなった「ウォーキング・デッド」なんてそのまま使っているし、これが元祖になるのかな?と思いつつも、やっぱりこの掴みは最高にワクワクする。何か何時もとは違う周囲の様子を感じながら、見えないという不安であれこれ思案して包帯を取るなんて、これからの物語の始まりとしては非常に良い。
しかし、第二章からいきなり盛り下がり、つまらなくなる。第二章はどっかの会社に謎の男が来て、「良い油がある」だの、トリフィドが何処で見つかり、どういう人物や経路を経てイギリスにやって来ただの、その後の話に直接関係無い説明を延々とし、第一章の流れを見事に一気にぶった切ってしまう。わたしはこの二章で気が付くと寝落ちしていた事数回。行き成り第二章でつまづくとは思ってもみなかった。
その後も、ロンドンでこれからどうして行くか、ロンドンの外に出ても特にどうかしましたという話にもならないままグダグダし、この中盤が結末へのフリとしては長過ぎて効果的な構成とは全然言えない。

それに、乗り切れない一番の理由は主人公とそのヒロインの割り切りっぷりかも。主人公は視力を失った人達に対し、「これから先はどうしようもない。ただ苦痛を先延ばししているだけだ。彼らに何かしても無意味だ。」と、早い段階から助けようとはしない非情っぷり。また、視力を失った父親を助けようとロンドンに出て来たジョセラ・プレイトンと共に彼女の家に行くと、父親はトリフィドにすでに殺されていたのを見て、彼女に「視力を失った状態よりもトリフィドに殺された方がいい。」と平然と言い、彼女もそれに同意してしまう。また、主人公は無人の店から物を拝借する度に一々少し悩むのに、道端にいる視力を失った人々や転がっている死体に対しては特に感想を持たず、これって世界が崩壊したからと言うよりも、元々情や共感性が欠如しているという事にしか思えないし、ジョン・ウィンダムの人間の感情の描写が下手クソさなんじゃないと思い、全然付いて行けない。まだ人々がゾンビみたいに意思疎通が出来なかったり、相手が暴れるならこの対応は分かるのに、目が見えないというだけで見捨てる感覚がさっぱり分からず、どうしても引っ掛かる。これは当時の障害者に対する態度的な部分もあるのだろうか?何より、三十歳代前後の主人公と行動を共にする事になるのが、若くて綺麗な良い所出だけれど先鋭的なお嬢さんというのが、如何にも安っぽいパルプ雑誌風で辟易するのだけれど。
他の人も、まずはロンドンから離れる算段をしていて、ただでさえ人手が必要で脱出が緊急の事案なのに、急に「我々は人間という種を残さなくてはならない!子供を産まなくてはならない!」という人類主義を主張し出してる所で、「ん?」と思ってしまうのに、この主張にあっさり主人公と彼女が同意するのだから付いて行けない。また、ロンドンに残り、視力を失った人々に食料を与えようとしている人々は目の見える人達を暴力的に拉致監禁し、監視を付けて作業を強要するという全く意味不明な一団にしてしまっているもよく分からない所。普通は人道的な行為をする人は人道的な対応をしようとするはずだし、手伝わせるなら情に訴えるモンじゃないの?しかも、その一団の指導者は、その後無理矢理協力させられた主人公と仲良く行動を共にして、その方法に関して議論したりするのだから、何か展開が行き当たりばったりに思えてしまった。

そして、これは60年前以上に書いたジョン・ウィンダムのせいなのか、翻訳家の峯岸久の翻訳が日本で出版した1963年という時代の古さから来るモノなのか、文章が全然入って来ない。主人公の考えている事を比喩等を使ってやたらと回りくどく書いたり、どうでもいい描写に文章を割く割りに知りたい所の描写が少なかったりする。「それがそうなったのは…」とか、指示語や彼・彼女という代名詞が多く、英語的にはIt・He・Sheで普通の文章なんだろうけれど、日本語だと何が何なのかに把握に時間がかかり、回りくどいだけに感じてしまう。それに加え描写自体が足りない事が多く、途中に人々が謎の病気でお腹が痛いからどうにかなって死んでしまうのだけれど、このどうにかなっての病気の進行中の表情や体の変化とかの描写がほとんど無く、読んでいると「お腹痛くなって苦しくなり、暫くすると死んじゃった…」位の物凄くあっさりした印象しか受けず、この描き方で何を思わせたいのかもよく分からない。この謎の病気も一時期急に出て来て、その後はパタリと全く出て来なくなり、何がしたかったのか不明。結局都合良く人を殺す為の急な言い訳の導入でしかない。
二人の人物が会話をお互いに交わしている台詞の文章の途中にも、具体的な返答を書かずに「あいまいに答えた。」的な文章で何と言ったかを書かず誤魔化していたり、それなのにすぐの次の会話ではちゃんと台詞で応答しているのだからクラクラして来る。
描写の問題だと、心象は描くけれど見た物の描写はお座なりなので、全体的に文章を読んでいてもさっぱり町並みや主人公の見ている景色が頭に出て来ない。イギリス映画で同じく世界の崩壊を描いた「28日後…」だったり、モンティ・パイソンを見ていたから、ロンドンの町並みや片田舎の景色は何とか頭に浮かばせたけれど、読んでいる限りではジョン・ウィンダムはイギリスを知っているイギリス人向けにしか書いていないので、ただでさえ描写が少ないのに映像が見えて来ないのはつらい。

この小説、物語の方向性や言いたい事は分かるけれど、物語の構成と見せる部分の配分、文章の描写の配分が不味過ぎて、読み進めるのが疲れて来る。どうでもいい様な顛末やその後の捜索等を延々と描き、おもしろくなりそうな終盤の定住の部分を物凄くあっさり描いたり、第一章が素晴らしいだけに残念感は一杯。
ブライアン・オールディスがこの小説に対し「cosy catastrophe(心地よい破滅モノ・ぬるま湯の破滅モノ)」と内容の部分で揶揄したそうだけれど、構成の部分でぬるい感じは否めない。

☆★★★★
 
 
関連:パニック・イン・ロンドン 人類SOS!襲いかかる肉食植物

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