吸血鬼ドラキュラ

2014年11月14日 金曜日

テレンス・フィッシャー監督、ピーター・カッシングクリストファー・リー共演の1958年の映画「吸血鬼ドラキュラ(Horror of Dracula)」。

ジョナサン・ハーカーは司書としてドラキュラ伯爵に雇われるが、実は吸血鬼であるドラキュラ伯爵を倒そうとしていた。ドラキュラ伯爵の手下の女性吸血鬼を倒したが逆に殺されてしまい、ドラキュラ伯爵は復讐としてジョナサン・ハーカーの婚約者を襲った。ジョナサン・ハーカーの友人だったヴァン・ヘルシングはジョナサン・ハーカーの婚約者に彼の死を伝えようとするが彼女の異変に気付き、彼女の家族をドラキュラ伯爵から救おうとする。

クリストファー・リーのドラキュラは初めて見るはずだけれど、クリストファー・リーと言えばスター・ウォーズ・シリーズのドゥークー伯爵ではなく、何故かドラキュラの印象が強かった。そのクリストファー・リーが初めてドラキュラ伯爵を演じた映画で、eiga
フランケンシュタイン」でボリス・カーロフが演じたフランケンシュタインの怪物と並ぶ名モンスターとしても有名で、映画の歴史に残る映画と言われてはいるけれど、実際に見てみたらホラー映画としては全然怖さが無いし、話は似た様な展開が続き、間延びして退屈だしでつまらなかった。

始めはドラキュラ伯爵の司書としてドラキュラ伯爵に近付いたジョナサン・ハーカーの話なんだけれど、ここがいまいち分からない事が多くて行き成りつまずいた。ジョナサン・ハーカーは結構吸血鬼の事を知っていて、ドラキュラ伯爵を退治しに行っているのに不用心過ぎだし、ドラキュラ伯爵に圧倒されたのか特にも何もされていないのに抵抗もしないし、そもそもジョナサン・ハーカーは何でドラキュラ伯爵を倒そうとしているのかもよく分からないままだし、ジョナサン・ハーカーはドラキュラ伯爵に対抗するには全然やる気が感じられなく「何だ、こいつは?」と疑問ばかり。ヴァン・ヘルシングの動機の為だけのこのジョナサン・ハーカーの一連の話なので全然必要性も感じられない。
更にこの部分では演出や脚本の下手さなのか、ジョナサン・ハーカーが女性吸血鬼に首筋噛まれそうになって突き放したら、突然ドラキュラ伯爵が現れ、ジョナサン・ハーカーに更に襲いかかろうとしている女性吸血鬼を突き飛ばし、ジョナサン・ハーカーも突き飛ばして女性吸血鬼と距離を取って女性吸血鬼を抱えて出て行くので、ドラキュラ伯爵は見た目にはジョナサン・ハーカーを助けようとしている良い人物にしか見えない。しかもジョナサン・ハーカーが女性吸血鬼に首筋を噛まれたカットが無いので、噛まれる寸前で回避したと思っていたら実際には噛まれていたというよく分からない展開になってしまっていて編集が下手だし、噛まれていた所でドラキュラ伯爵が女性吸血鬼を連れ去る意味も全く分からないし、この序盤のジョナサン・ハーカーの話はドラキュラ伯爵の顔見せだとは分かるけれど、酷い出来。それに、杭を刺されて死んだはずの女性吸血鬼役の役者が息をしていて胸がゆっくり動いているし、脈がピクピクしているのも見えているしで、何で撮り直ししなかったのかと思える「これ、駄目じゃん!」な場面で一気に萎えたし。
その後はヴァン・ヘルシングが主人公になってドラキュラ伯爵の登場は極端に減って見せ場も減るし、ヴァン・ヘルシングがドラキュラ伯爵に対抗してはいるけれど、常にドラキュラ伯爵が先手を打ち、ヴァン・ヘルシングはやらっれぱなしなのに真面目な顔で色んな事説教垂れているので間抜けに見えるし、ドラキュラ伯爵が先手を打っている割にドラキュラ伯爵の見せ場がほとんど無いままやられてしまうので拍子抜けだし、全然おもしろくもない。
怖さってのは話や演出からは見て取れず、要はクリストファー・リーとヴァン・ヘルシングの友人の婚約者の顔が怖いという顔芸。

この映画でのドラキュラ伯爵は、確かにヴァン・ヘルシングが言う様に生きている人間の血を吸って来る危険な怪物として排除するべきなんだろうけれど、特に人間以上の力は見せず、光に弱く、何でか知らないけれどニンニクに弱く、血を吸わずにはいられず、狙う人間は復讐の為と、人間以上に厄介な弱さと生物的なしょうがなさと当然の行動ばかりで恐怖の象徴はならず、寧ろ可哀そうな生き物にしか思えないのも痛い。更に十字架を恐れるって、当時の社会におけるキリスト教信者側の異端者の排除の正当性の隠喩とも取れて、更にドラキュラ伯爵が不憫な感じがしてしまうのも脚本と演出の問題かも。

それと、時代だからしょうがないのかもしれないけれど、場面の繋ぎは暗転からのフェードインばかりで退屈。音楽は弦楽器が常に鳴っていて、大した場面でもないの変に盛り上げ、音楽の演出が過剰過ぎるのも頂けない。音楽が恐怖映画なのにメロドラマっぽく聞こえてしまう。

良いのは役者で、クリストファー・リーのドラキュラは後年のドラキュラに影響を与えまくっているのはこれでよく分かるし、ピーター・カッシングのヴァン・ヘルシングもギスギスした厳つさがあって良い。役者は良いのに脚本や演出がいまいち過ぎて、その上各人物の見せ場も少ないので、役者の個性以上のモノが見えて来ないのが勿体無い。

この映画、後年のドラキュラ映画だけなく、その他の吸血鬼全般への影響力が恐ろしく強い20世紀のドラキュラの始祖だという事や、これが当時の最先端だったのは分かるけれど、「何?その展開?」と思える不味い脚本と怖さの無い演出で、今見ると映画としてはおもしろくない。ドラキュラ映画なら、この映画よりも36年前のまだまだ映画の歴史でも初期の「吸血鬼ノスフェラトゥ」の方が全然怖いし、映像的にも見入るしで、この映画は映画黄金期の終盤に量産されたB級映画の臭いばかりして全然駄目だった。

☆★★★★

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