パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

2014年11月13日 木曜日

クリス・コロンバス製作・監督、ローガン・ラーマン主演の2010年のファンタジー映画「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々(Percy Jackson & the Olympians: The Lightning Thief)」。
リック・リオーダンの児童文学「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」の第一巻「盗まれた雷撃」が原作。

ゼウスの稲妻を盗まれ、その犯人はポセイドンの子だと思われ、二週間後までに稲妻が返却されないとゼウスがポセイドンに対して戦争を起こすと宣言。そのポセイドンの子は、ポセイドンと人間の間に生まれた事を知らないまま生きて来た高校生パーシー・ジャクソンだった。パーシー・ジャクソンはある日突然化け物に襲われ、同級生のグローバー・アンダーウッドに連れられて逃げると、そこにはパーシー・ジャクソンと同じ様な神々と人間の間に生まれた子供達が大勢おり、その中で知り合ったアナベス・チェイスとグローバー・アンダーウッドと共に、冥界に連れ去られた母親を助ける為奔走するのだった。

元々は「ティーン位が主人公のファンタジー映画」位の知識だったので、まあ好みじゃない種類の映画だとはある程度覚悟していたけれど、原作が児童文学原作な上、様々な部分がわたしの嫌いな要素ばかりで、本当にどうでもいい映画だった。主人公は難読症を持っており、母親とどうしようもない継父と暮らしているという悩みを持っており、そこへ突然自分の父親が神様だと知り、自分は何の努力も無しに急に強い力を発揮し、世界の運命を左右する非常に特別な存在になるという、児童文学とは言え、流石に21世紀にこんな定型でしかない、擦り倒された話には辟易する。

それに馬鹿馬鹿しいのは、ギリシア神話の要素で成り立っているのにアメリカ感しかない事。ギリシア神話の神々が登場するのに舞台が何でアメリカなのかの理由は一切無し。ギリシアの神々がアメリカでやたらと子供を作っているけれど、ギリシア周辺だとアメリカ以上にやりまくってトンデモない数の半神達がいるって事なんだろうか?ギリシアの神々なんだから神々役もギリシアやその周辺の国々の役者を配役すればいいのに、ゼウスがショーン・ビーン、ポセイドンはケヴィン・マクキッド、ハデスはスティーヴ・クーガンと何故かイギリス人ばかり(ケヴィン・マクキッドはスコットランド人)。なので、全然ギリシア神話ぽくなく、むしろ北欧神話っぽい雰囲気になってしまっていて、配役自体が失敗している。
それに気になるのは、始めから登場しているパーシー・ジャクソンの友達グローバー・アンダーウッド。神々の子供達はほとんどが白人で、アジア系やラテン系が余り目立っている訳でもなく、アフリカ系も少ないのに、グローバー・アンダーウッドは黒人。しかも役所としては、他の神々の子供は神の息子・娘として出ているのに、グローバー・アンダーウッドは上半身人間で下半身はヤギというサテュロスであり、パーシー・ジャクソンを守る為の半人前の守護者という立場。他の神々の子供達は人間の見た目なのに、黒人のグローバー・アンダーウッドはキリスト教では悪魔扱いの見た目で、しかもパーシー・ジャクソンを守る為だけの存在。自分の責務に忠実で、ご主人様の為に冥界に自ら残るし、何この完全に一段下の扱われ方は?原作小説だとグローバー・アンダーウッドは白人らしいけれど、何で映画では黒人にしたのだろう?映画だから色んな人種を…という事なんだろうけれど、逆に差別的な扱いになっていない?黒人が見たら相当差別的って思うんじゃないの?これって、ギリシアが奴隷制度の下に発展していたという暗喩か何かなのか?

あと、神々が適当に快楽を求めて色んな人間とセックスしまくって子供出来てもその後は知らん振りなのに、その子供達はそんな無責任過ぎる親の神々を憎んだり、これ以上悩みを抱えた子供を増やさない為に神々をぶっ殺しに行く…という様な感じも無く、すんなり自分の境遇を受け入れているのも不思議。ルークが神々に対し反旗を翻そうとするのはてっきりそこら辺が原因だと思ったのに、単なる支配欲という、今時の悪役でもそれだけだと薄っぺら過ぎる、それこそ単なる定型でしかない悪役で逆に驚いてしまった。ゼウスが子供達に会う事を禁止したのだけれど、その理由って、要は「大統領や大臣は奥さん以外とセックスしまくっても構わないし、外国で好き勝手やって相手に子供作らせても問題無し!でも、子供に会いに行ったら駄目だし、支援も駄目。だって国家の重要な仕事や責任があるじゃない!」って事でしょ。好き放題のギリシア神話の神々と言えども流石に酷い。こんな理由でパーシー・ジャクソンが納得するって、アホ過ぎるのか、もしくは神々の魔法に騙されているとしか思えない。神々の子供達は見た所ティーン位で、その時期ってそこら辺って物凄く敏感じゃないの?結局は大人が書いた子供向けでしかないし、子供は純粋で真っ直ぐという幻想しか持てない大人の馬鹿さ加減しか見えて来ない。

空飛んだりするのはスーパーマンやアイアンマンから影響を受けているのだろうし、ゼウスの稲妻って光る剣みたいな上、ビリビリと電光を放射するって「スター・ウォーズ」のライトセイバーだし、シスの暗黒卿のフォース・ライトニングじゃん。そこら辺も全く新鮮味が無いというよりも既視感ばかりだし、アクションも安っぽい。
ラスベガスに着いた時、エルヴィス・プレスリーの「A Little Less Conversation(JXL Radio editremix)」が流れて「2010年の映画なのに、これ流してしまうのか…」と余りに捻りも何も無い演出に驚いてしまったけれど、その後すぐにレディー・ガガの「ポーカー・フェイス」も流してしまい、音楽の演出が最悪過ぎる。

それとどうしても気になるのは真珠。パーシー・ジャクソン達が冥界から戻る為に必要な真珠を集めるのだけれど、その真珠は何故か緑色で透明っぽい。真珠って普通は白色じゃないの?アメリカでは「真珠と言えば、緑!」なのだろうか?普通、あれを見たらエメラルドと思うけれど、丸けりゃ何でも真珠なのかしら?

脇役には、ゼウスにショーン・ビーン、ケンタウロスのケイローンはピアース・ブロスナン、メドゥーサはユマ・サーマンと有名な顔が出演してるけれど、その配役に特に引っ掛かりもしないのは何なのだろう?「うわ…、出ちゃってるよ…」感ばかり。ショーン・ビーンが出ているので「絶対ゼウスは殺されるはず!」と思っていたら、そんな事も無いし、特に活躍も無いし、何でのショーン・ビーンなのだろうか?

この映画、子供向け・ティーン向けファンタジー映画とは分かっていたとは言え、非常につまらなかった。児童文学が原作で子供向けファンタジー映画なのだからおっさんが見てもつまらないのは当たり前なんだろうけれど、それにしてもおもしろく引っ掛かる要素がほぼ無いので見続けるのがきつかった。大人向けなら神々と人間の対立でおもしろそうになるのに、設定グチャグチャ、話は真っ直ぐでしかないので、そりゃあつまんない、退屈な映画にしかならないよなぁ。

★★★★★

« | »

Trackback URL

Leave a Reply