アバター
2016年08月01日 月曜日ジェームズ・キャメロン製作・監督・脚本、サム・ワーシントン主演の2009年のアメリカ・イギリス映画「アバター(Avatar)」。
元々は3D用の映画として作られたけれど、わたしは3D視聴環境は無いので2Dで見た。
西暦2154年。人類はナヴィという知的生命体が住む森に覆われたパンドラという星に到達し、パンドラには希少鉱物が埋蔵されている事を知り、RDA社が開発しようとしていた。
しかし、ナヴィ達との交渉は上手く行かず、地球人とナヴィのDNAから作り出したナヴィの外見をした人体であるアバターを作り出し、それに地球人の意識を乗り移しナヴィとの交渉を行なおうとしていた。
元海兵隊員のジェイク・サリーは、その計画を行なっていた一員の兄が急死した事により、兄の替わりとしてアバターに乗り移る要員としてパンドラにやって来た。
ジェイク・サリーはアバターを操りナヴィと接触を図り、ナヴィ達の中で暮らして行く内にやがてナヴィ達に共感して行く事となるが、RDA社は鉱物の採掘を始める為に強硬手段に出ようとしていた事を知り、ナヴィ達に肩入れして行く。
この映画がかつて大ヒットを超える超ヒットした事を知っていたので、相当な期待を持って見たんだけれど、これがその期待を遥かに下回り、非常につまらなかった。
理由としては、何処も彼処も既視感を感じてしまう余りに在り来たりで適当な設定や話や展開。それにSFではあるものの、そのSF要素は少しで大部分がわたしが好きじゃないCGバリバリのファンタジーだった事。
この映画が超ヒットしたので、何かしら新しいモノやこれまで見た事のない意外性があるのだろうと思っていたのに、話は王道というよりも悪い意味でベタ過ぎて、どの展開も「はいはい…」になってしまった。
アバターに乗り移って敵に潜入するけれど、やがて共感して彼らの為に戦うなんて、アバターが出て来た瞬間に思った事がそのまま真っ直ぐ進むだけで、面白味なんてありゃしない。
始めは元海兵隊なので強硬派側だった主人公が、アバターの状態で偶々一人でナヴィ達の中に取り残され、襲われた主人公を助けるのが族長の娘で、始めはお互いに観察と情報を引き出す為に付き合っていたのが徐々に信頼に変わり、それが愛情になり、ナヴィ達も自分達の文化の中で生きて行きたいだけなので主人公がナヴィ達に協力する…と言う展開って、どれもこれも驚く程在り来たりで、今時こんな意外性の全く無い展開だけを続けるの?と驚いた。
主人公とネイティリが徐々に惹かれ合い、遂にセックス?をした途端、地球人達が攻めて来るという展開なんて、映画演出初歩の教科書に載っている様な事をそのまましたので、余りにしょうも無く、そこら辺でもう呆れた。
シガニー・ウィーバーも「ここで撃たれるんだな…」と思ったら、やっぱり撃たれたというこれまた在り来たりな展開だし。
特に、終盤でのナヴィ側がドンドン窮地に陥った展開中に、「この窮地で、どうしようもないとなると、まさかデウス・エクス・マキナ出して来ないよね…」と思っていたら、そのまさかが的中し、しょうもないお手軽な逆襲に呆れ返った。欧米のSFで多い、終盤の「ここからどうするの!?」と言う所でデウス・エクス・マキナにしてしまうって盛り上がりに欠けるわ、都合が良過ぎるわ、しょうもないわで本当に大嫌い。
その後も、一番悪い敵が上手い事生き残り主人公と肉弾戦を始めると言う、これまたハリウッドのB級アクション映画の最終盤の定番をやってしまうのだからしょうもない。もう見飽きた上に、どちらもCGでCGの背景でやっているモノだから、盛り上がらない事。
異文化交流をする異邦人という部分や、足が不自由な本来の自分と自由に動けるアバターとの現実感のずれを詳しく描くための余りに典型的な展開と人物なのかな?と思ったけれど、そのどちらも物凄くあっさりで物足りない。
異文化交流という部分では、ナヴィの体でナヴィ達に交じり暮らして行っているのに、結局重要な部分では英語で喋り、各部族をまとめているのはナヴィの皮を被った欧米人という、まあ欧米的な帰着。映画上、英語で喋らないと字幕入れないといけないし、主人公が一番盛り上げないといけないという物語的な約束はあるにしろ、異文化交流を描いているのに結局は欧米的な大きな笠をドンと被した感じに違和感。
それに、これはわたしが日本語しか喋れないからなんだろうし、ナヴィを演じているのが欧米人だから仕方ないのはあるけれど、ナヴィと言う全くの異種族で体の大きさも声帯も舌も違うはずなのに、ナヴィ達の喋る英語が如何にも欧米人が異国語訛りのある英語を話している感じしかしないのも非常に安っぽい。ナヴィ達の言葉も何処か欧米やアフリカの言語っぽい感じはするけれど、これも結局欧米人が作ったSFの限界なのかも。
現実感のずれというのも非常にあっさり。
足の動かせない不自由さにイライラし、相手を一切理解しないという余りに典型化され過ぎたゴリゴリの強行的態度の企業や傭兵達の行動にイライラし、そんな中でアバターに移れば自由で気持ち良い生活を味わえるという描写があればナヴィ側に肩入れするのもよく分かるのに、そんな描写は少なく、主人公がネイティリに惚れたがほとんどで、主人公が純粋と言えば良いのだろうけれど、見ていると非常にアホっぽいだけ。
主人公の足の設定を入れるなら、もっと効果的に使えばいいのに…と思ってしまった。
それにネイティリが主人公の本来の地球人の姿を始めて見た時の反応も一瞬でその姿を受け入れたかの様な反応しかなく、全くしっくり来なかった。
始めから主人公とはナヴィの姿で出会い、そのナヴィの姿で一緒に行動していたのに、始めて見た肌の色が青くなく、小さく、足が不自由で、パンドラでは呼吸をしただけで死にかける主人公を見て、特に何も思わないって不自然過ぎ。その後で、今までのナヴィの姿と本当は異種族の地球人だという事を改めて認識した主人公へのズレや想いが描かれるのかと思いきや何も無しで、結局この違い過ぎる二人がどうなったのかは一切出て来ないし。
そもそも、この2009年の時点で別の体に乗り移るという題材自体古臭い気もするけれど、この技術が相当適当。
何でアバターと同じ遺伝子を持っている人じゃないと動かせないのかの説明は無く、単に足が不自由な主人公がアバターに乗り移る事によって現実の自分よりも自由に動けるアバターの方に気持ちが入ってしまうという事をする為の理由として、主人公じゃないといけないのでDNAが同じじゃないと駄目…という展開の為だけの御都合設定。
それに、アバターへは何かの電波的なモノを飛ばして外部から操っていないといけないと思うのに、そうでも無い様な感じで、序盤で主人公を見失った時は受信先であるアバターを電波や何やららで簡単に見つけられるかと思いきや、その様な手段も取っていないので、どうやってアバターに意識を送っているのかは完全ブラックボックスで都合の良いだけ。
その他の設定も適当で、地球人が知らないナヴィという種族や、まだまだよく分かっていないパンドラ星なのに、とにかく現地人を殺してまででも鉱物資源を取るんだ!という展開が適当。
今まで地球人が全く別の知的生命体と百種位と出会い、地球以外の未知の知的生命体や動植物を相当知っていての今回のパンドラ星やナヴィなら、この適当で強行的な態度も分かるけれど、パンドラ星もナヴィもまだよく分かっていないらしい状態でこの状況ってありえないじゃん。
今でも動物でさえ虐待や酷い状況に追い込めば相当な批判が出て大企業でも相当厳しいのに、ましてや言葉を話し、意思疎通も取れる知的生命体なのに、アメリカの開拓時代のネイティブ・アメリカンや近年のアラブ周辺の人々の比喩とは言え、SFでやるならこの状況の説得力って無いよな。
この状況ならバンバン科学者や研究者が押し寄せ、報道関係も相当やって来ているはずなのに、その影は一切無く、何処まで権限があるのか分からない企業が全てを仕切っている状況になんかなるのか?
この政府よりも力を持った大企業という設定は、SFでも今だと1980~1990年代を感じてしまう古臭さ。
話の結末にしたって、戦う前の中盤辺りからずっと、「この会社の今の部隊を全て倒した所で、大損害を受け、何も得た物が無いと分かったこんな会社なら更に大部隊を送って来るだろうし、何だったら森を焼き尽くす爆弾を上空から落としたり、細菌兵器でナヴィだけを死滅させるかもしれないから、戦って勝つだけ更に窮地に立たされるんじゃないの?」と思っていたけれど、「部隊を全て倒したので、もう安全。めでたし、めでたし。」で終わってしまい、何じゃこりゃ?な酷くお伽話染みたお手軽な結末で、これまた呆れてしまった。
この映画の当時の超ヒットの理由としては、奥行きを見せる3Dでの映像美だったんだろうけれど、この映画を2Dで見たからか映像的にもしょうもなかった。
3Dでは奥行きを感じたのだろうけれど、2Dだと前面の人物と背景が分離している様に感じられてしまい、見ているとCGキャラクターが書き割りの前で動いている様な迫力の無さ。
それに導入は「エイリアン2」のパワーローダー的パワードスーツやヘリコプターとか、そこにシガニー・ウィーバーも出て来て、どんだけ「エイリアン2」なんだよと思えるけれど非常にSFだったのに、映画のほとんどは実写が出て来ず、人物はナヴィだけで、そのナヴィがファンタジー的CGの森の中での場面ばっかりなので別におもしろくもなかった。
わたしはどうにも昔からCGばかりのファンタジーが駄目で、そこに実際の人間が全く出て来ないとなると、わたしにとっては最早何も見るべき所が無くなるので、まあ興味が無くなってしまう。
延々とムービーが続くゲームを無理矢理やらされている感覚に陥り、「さっさとわたしに操作させろ!」と思ってしまった。
あと気になったのは、科学技術の古臭さ。
アバターはほぼ魔法でファンタジーなブラックボックスな技術なんだけれど、それ以外のパワードスーツや銃器、コンピューターや施設機材等々、この時代は今から2154年と150年弱も未来なはずなのに、数十年先の近未来的なガジェットばかりで、150年先なのに技術相当遅れていないか?と思うのだけれど。
今の時代だから蒸気機関で動いているスチームパンクが成立するのに、蒸気機関が時代遅れになった時期にスチームパンクをやっている映画を100年後に見た感じと言ったらいいのだろうか?ここら辺の作り込みもいい加減な感じがするんだよなぁ。
それにこの映画でのパワードスーツが非常にカッコ悪い。別に工業機械ではなく兵器専用らしいので、どんな姿にしてもいいのに、何であんなダサい感じにしてしまったのだろうか?
まあこっちが先だけれど、あの飛行機からのパワードスーツの着地は「タイタンフォール、スタンバイ」だな。
役者はほぼCGアニメーション映画なので目立っていないのはしょうがないけれど、主人公役のサム・ワーシントンって、本当に印象に残らなかったなぁ。だからこその空っぽな現実での存在としての配役なんだろうか?
マイルズ・クオリッチ役のスティーヴン・ラングは、この映画よりも先にテレビドラマの「Terra Nova ~未来創世記」を見ていたので、似た様な役で笑ってしまった。この人ってこんな役が多いのか?それともこの映画以降多くなったのか?にしても、この大佐役の如何にもな典型さは安っぽい役だよなぁ。
それとスティーヴン・ラングに続いて笑ってしまったのは、ヘリコプターのパイロット役だったミシェル・ロドリゲス。ミシェル・ロドリゲスも、こういう兵士系の役が多く、強面だけれど本当は仲間思いの良い奴という役ばっかりの様な印象。それこそ、「エイリアン2」で大型武器を使い、最後は手榴弾でエイリアンを道連れにしたジェニット・バスケスを思い浮かべてしまった。
ネイティリ役はゾーイ・サルダナなんだけれど、ゾーイ・サルダナ自身は当然一切出て来ていないのに、このネイティリって見た事あるよなぁ…と思い、ネイティリを演じていたのがゾーイ・サルダナと後から知り、物凄く納得。それにしても上手くゾーイ・サルダナ風にCGを作る事。
この映画、やっぱり3Dで見るべきだったのだろうな。2Dだと通常のCGアニメーションよりもノッペリしている気がしてしまったし、終始ジェダイの出て来ない、宇宙戦の無い、少ししか冗談言わないジャー・ジャー・ビンクスが主人公の「スター・ウォーズ」を見ている感じに襲われた。「ナヴィ」と言うのも、ジャー・ジャー・ビンクスのグンガン族の星がナブーという事もあったのかしれない。
それに、果たして3Dの奥行きのある映像で見た所で、この映画の演出としては典型的というよりも凡庸で、わたしが近年大嫌いなお約束演出や展開を繰り返すこの映画をおもしろく見れたのか?というのもある。
ジェームズ・キャメロンって、かつては「ターミネーター」「エイリアン2」「アビス」とか、上手い設定でグッと掴む上手い展開や演出の映画を撮る監督という印象だったけれど、「アビス」頃から始まった如何に驚く映像を見せるかの志向が徐々に大部分を占め、「タイタニック」辺りからは映像は凄いけれど話や展開はつまんないという印象になってしまっているけれど、この「アバター」ではその映像での驚きもないとなると、残されたのは在り来たりな演出と展開しかなくて、ド派手な映像でブチ上げて金を稼ぐ映画を作る監督という印象しかなくなってしまった。
☆★★★★