ランボー

2016年08月02日 火曜日

テッド・コッチェフ監督、シルヴェスター・スタローン脚本・主演の1982年のアメリカ映画「ランボー(First Blood)」。
ディヴィッド・マレルの小説「一人だけの軍隊」が原作。

ベトナム帰還兵のジョン・ランボーは、偶然立ち寄った町で保安官のティーズルに問題を起こしそうと判断され、町の外まで連れ出されてしまう。しかし、ジョン・ランボーは反抗したので逮捕され、保安官事務所で突然暴れ出し脱走。山に逃げ込み、追い駆けて来る保安官達を次々と襲い、州警察が出動する。
そこにジョン・ランボーを鍛え上げたと言う大佐がやって来て、ジョン・ランボーを殺してでも捕まえようとする保安官や州警察を止め、説得を試みる。

わたしはランボーの映画シリーズはこれまで全く見た事はなく、ランボーの勝手な印象としては「ジャングルでゲリラやテロリストを銃で次々と撃ち殺して行く」というモノだったけれど、この一作目はその印象と全く違っていたし、尚且つ全くつまらない映画だった。

社会復帰出来ないベトナム帰還兵が横暴な保安官の扱いに対してキレるという内容ではあるけれど、確かに保安官は横暴で独善的ではあるものの、これまで見て来た映画やドラマで横暴な田舎の保安官や警察というのは散々見て来たし、現実でも一人を取り囲んでボコボコに殴る蹴るをする警察官達のニュース映像とかを見て来ているので、この保安官が大して悪者に見えないんだよな。
当時の社会では問題や犯罪を起こすベトナム帰還兵が多かったという話は知っているので、これだけ誰も彼もが顔見知りの小さな町に、堂々とベトナム帰還兵ですと言っている様なジョン・ランボーがやって来れば、そりゃあ保安官は追い出そうとするだろうし。
もし、ジョン・ランボーがやたらと反抗心が強く、直ぐに喧嘩を始めてしまう様な人物で、保安官がジョン・ランボーに目を付け、ジョン・ランボーが何か一悶着起こしたから追い出すという展開を描いていたんなら、まだこの人物の行動に現実味はあるかもしれないし、そんな事を見せておけばジョン・ランボーの行動に理屈や説得力が付くと思うのだけれど、この映画では序盤でのジョン・ランボーに関する説明が行動に関する振りが無いので、ジョン・ランボーの行動に一切付いて行けず。
ジョン・ランボーは町から追い出されても町に戻って来ようとするのだけれど、この行動がさっぱり分からない。
ジョン・ランボーは特に行く当ても無い様で、町に戻れば絶対問題が起きると分かってながら、何で町に戻ろうとしたのかしらん?
いちゃもんに近い保安官の行動に反抗してなら、始めから問題起こす気満々のヤバい奴じゃん。
逮捕されても何も弁解もせず、ただ黙って子供染みたちょっとした抵抗を繰り返したら、突然ベトナム戦争での怖い思い出が蘇って保安官達をボコボコにして保安官事務所から逃げ出せば、そりゃあ保安官達も訳の分からない奴が暴れ出したんだから必死に追い駆けるじゃん。保安官からしたら、何も言わずに急に暴れ出したヤバい奴でしかないし。
その後も次々と保安官達を襲い始め、争いたくはないと言いながら投降もせず、ご丁寧な仕掛けを施して保安官達を行動不能にするけれど、そんな事すれば更に大規模な人数で追い駆けて来るのは分かり切った事なのに、ほっといてくれなんて言って、ジョン・ランボーってアホ過ぎる。死人も出ているのにあれで本気で追い駆けて来ないと思ったの?
それとも州警察や州兵が大勢来たら、何百人でも怪我を負わせる気で、そうすれば自分を追い駆けて来ないと思ってたの?
それより、さっさと山を移動して逃げ出せばいいのに、山に籠って何がしたかったの?
言い訳も説明も無く、次々と保安官を襲って行くジョン・ランボーは完全にホラーだったし、森の中で多数の追手を次々といとも簡単に倒して行き、その後町で大暴れって、「プレデター」「プレデター2」の総集編の感覚で見ていたし。

まだ町民がいるかもしれない建物爆破したり、やたら銃撃したりしている所なんて完全なテロリスト、殺人狂にしか見えず、このジョン・ランボーを主人公として何を共感すれと言うんだろうか?

それまで何を思って、何をしたくて行動しているのかが一切描かれないジョン・ランボーが、最後に自分から全てを説明してしまい、その安っぽい展開に辟易したけれど、「戦争が自分を壊した。元の社会に戻れない → 山に籠る → 町を破壊する → 保安官を付け狙う」という考えが全然分からない。
ベトナム戦争と小さな田舎町や保安官との間に何の関係が?保安官にいちゃもん付けられたから暴れたというだけの話じゃん。
町を歩いていたらチンピラに因縁付けられたと言って喧嘩したり、盗んだバイクで走り出したり、夜の校舎の窓ガラスを壊してまわったけれど生い立ちが不幸だからなんだ!と主張する自分勝手な馬鹿なガキの不良やチンピラと大して変わらないじゃん。
それを青春だ!とか、社会問題提議だ!とか言われても、「はあ、そうですか…」で終わってしまうんだよなぁ。
ベトナム戦争後の兵士を描くのに、小さな田舎町で暴れまくる必要性って何だ?
よっぽど、小さな犯罪を繰り返したり、意味も無く喧嘩を繰り返して、ただ堕ちて行ってしまう帰還兵のぼんやりとした告白なら分かるけれど、ジョン・ランボーの「どう?俺って強いだろ?凄いだろ?」のアクション場面を見せてだと、何のこっちゃな話。

なので、この映画での一番の見所は保安官助手?のミッチ役の役者を見て、暫く「見た事あるよな、この人。誰だっけ?…あ、ホレイショじゃん!」と思った所から、この役者が「CSI:マイアミ」のホレイショ・ケイン役でお馴染みデヴィッド・カルーソだと気付き、そこからは何時このミッチがサングラスをかけ、サングラスを外し、サングラスをかけるのかばかりが気になり、シルヴェスター・スタローンも映画の話や展開も興味が無くなってしまった。因みに当然ミッチはサングラスは一切かけないのだけれど。

この映画、アクション映画としても、社会派映画としても非常に中途半端な上、主人公ジョン・ランボーは共感どころか考えている事さえも見えて来ないので、頭のおかしい元軍人が暴れているだけという非常にしょうも無い映画だった。
山に籠って追撃者を次々と罠にかけ、町を破壊しまくる様な特殊過ぎる行動を理由も無しに続けるジョン・ランボーはぶっ飛び過ぎていて、これで「ベトナム帰還兵は苦悩を抱えているんです!」と言われても、こんな特殊過ぎるベトナム帰還兵で問題提起している時点で現実問題と重ね合せる事が難しいし、ベトナム戦争どうのこうのよりはジョン・ランボーの元々の特殊さ、異常さばかりが前に出てしまっているので特異な人物だけでしかなく、見ていても逆にベトナム帰還兵はこんなに頭がおかしく危険なんです!といじり倒している様にしか思えなかった。

☆★★★★

« | »

Trackback URL

Leave a Reply