テイキング・ライブス

2014年08月27日 水曜日

D・J・カルーソー監督、アンジェリーナ・ジョリー主演の2004年の映画「テイキング・ライブス(Taking Lives)」。
マイケル・パイの小説「人生を盗む男」が原作。

1980年代に一人の少年が偶然出会った少年を事故に見せかけて殺してしまう。それから20数年経った現在、モントリオールで白骨死体が発掘され、地元警察の要請でFBI捜査官のイリアナ・スコットがやって来る。イリアナ・スコットは新たに起こった白骨死体と同じ手口の犯行を目撃したと言うジェームズ・コスタに協力を仰ぎ、犯人を捕まえようとする。

猟奇殺人をプロファイリングで追う女性捜査官という、多分2004年時点でも使い擦られた題材な上、話は怪しい奴がやっぱり怪しく、全てを観察し、全てを見抜いている風な主人公は実は間抜け…という、何ら驚きや良い意味での爽快さが無く、見進めて行くとドンドン尻すぼみ。
犯人が数年で別人に成り変わってしまうという「テイキング・ライブス」という題名通りの話なんだけれど、その狙った相手にだって親戚・友人・知人・仕事関係の相手がいて、その人の顔を知った人がいるはずなのに、それをどうしてかわして来たかとかは一切分からず非常に都合良く進んでしまう。そこら辺をもっと描かないと犯人の特性の説得力が全然足りていない。それに犯人の成り変わりも次々と成り変わる訳ではないので題材を活かし切れていない感は強い。キーファー・サザーランドが登場すると如何にも怪しいけれど、そっちは全然関係の無い、所謂ミスリードの話なのにそっちで延々と話を引っ張り、後で思うのはミスリードと言うよりは水増し感。主軸のサスペンスの方が分かりやすくてミステリーにはなっていないので、結局見せたいのは犯人を追い詰めるアンジェリーナ・ジョリーかな?と思うけれど、始めは賢く見抜く捜査官だったのが後半になると単なる間抜けだった事が分かって行くにつれ、最早コメディ染みて来るし、何だかなぁ…。やたらと乳を放り出すアンジェリーナ・ジョリーも何を見せたいんだと…。
一方でアンジェリーナ・ジョリーやイーサン・ホークの演技が良いので、脚本の展開のいまいち感が倍増してしまう。

この映画、折角の設定を活かし切れておらず、サスペンスとしてのミスリードが単なる水増しで、主人公が馬鹿だったという事がボロボロ分かって行く展開に見て行く内にドンドンつまらなくなって行く。アンジェリーナ・ジョリーも映画「トゥームレイダー」が当たって、「でも、こんなサスペンスも出来るんですよ!」を主張している感が強くて、結局そこをしたいが為に作った映画なんじゃないかと穿ってしまった。

☆☆★★★

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