ザ・シューター/極大射程

2014年08月13日 水曜日

アントワーン・フークア監督、マーク・ウォールバーグ主演の2006年の映画「ザ・シューター/極大射程(Shooter)」。
スティーヴン・ハンターの小説「極大射程」が原作。

ボブ・リー・スワガーは海兵隊の狙撃手だったが、アフリカでの作戦で敵に攻撃を受け、そのまま作戦本部からも見捨てられ、相棒は攻撃で死亡してしまった。何とか生き残りったボブ・リー・スワガーだったが、そのまま除隊し、山奥で隠遁生活を送っていた。そんな彼の元にアイザック・ジョンソン大佐という男が訪ねてき、大統領暗殺計画が発覚したのでそれを阻止する為に優秀な狙撃手の力を貸して欲しいと協力され、それを受け入れたボブ・リー・スワガーだったが自分がその狙撃犯とされ追われる事になる。

話的には、無実なのに権力者に犯人に仕立てられてしまい、自分の無実を証明する為に捜査機関に追われながらも必死に犯人を追い詰めるという「逃亡者」の展開。ただ、この主人公ボブ・リー・スワガーは凄腕の狙撃手であり、海兵隊で攻撃と生き残る術を熟知しているので最強で、彼なら何とか出来るだろうという希望を抱かせるけれど、一方の捜査機関でボブ・リー・スワガーの事を信じて協力しようとするのが新人FBI捜査官となっていて、この新人捜査官のひ弱さでどうにもならないという緊張感が出ておもしろい対比になっている。またこの新人捜査官を演じるマイケル・ペーニャが小太りで見た感じが本当に頼りないというのも上手い配役。
構成も、始まりの見た目には派手だけれど、撃っている狙撃手と目標までの距離や風向きを伝える相棒のゾクゾクする掴みが素晴らしく、これが主人公の抱える心の問題の原因でもあり、巻き込まれる事になった事件の原因でもありと上手く使っている。一方の新人捜査官の主人公がボブ・リー・スワガーを疑問に思う動機も、暗殺犯に偶然出会ってしまい殺されるかと思ったら叩きのめされ、「自分はやっていない」と言われ、まだ新人なのでとにかくなやる気と見返す気持ちが混じって一人張り切るという納得するモノ。
その後の主人公と新人捜査官が合流し、逆転の攻撃に出る辺りなんか非常に映像的にも派手だしおもしろい。そして、主人公は別に真実を公表したいという正義感に溢れているのではなく、何とか敵を見返したいと気持ちだけだったのにそれも敵わず、ハードボイルドな復讐に出るのも中々おもしろい展開。主人公が愛国心でくすぐられて、まんまと権力者に利用され、その後も政府や権力は彼を助けず、最後まで政府は彼を救えず、結局助けてくれるのは個人と自分自身の力という見事なハードボイルド的な流れも良い。
気になるのは、散々「ボブ・リー・スワガーが暗殺犯」と各方面で報道していたけれど、ボブ・リー・スワガーの銃では撃てない事が証拠となって釈放されたけれど、この事件の世間での扱いはどういう事になったのだろう?アフリカでの虐殺は罪に問えないので隠したままなのか?それだったら上院議員が殺されたのはどういう決着をつけたのか?とか、主人公以外の部分の後記が出て来ないので結構モヤモヤする。

主人公が無敵過ぎるのは、狙撃手としての凄さを映像的に見せるのそんなに気にならないのだけれど、主人公周りの協力者が強いのは気になった。新人捜査官はまだ新人なのに、上司や先輩達が全く気付かない事をバンバン気付いて一人で捜査したり、主人公と合流後、主人公までとは行かないけれど驚くべき狙撃の腕を見せたり、亡くなった相棒の奥さんは自分の夫が死んだ事に関して主人公を一切責めないし、敵はただただ悪く、FBIはアホで主人公の協力者は強いって、余りに分かり易過ぎる構図になってしまっているのはどうかな?とは思った。

不思議なのは邦題。元々スティーヴン・ハンターの小説のボブ・リー・スワガー三部作の一作目「Point of Impact」の邦題が「極大射程」なので「極大射程」は分かるけれど、この映画の原題は「Shooter」なのに何で邦題は「ザ・シューター」と定冠詞を付けたのだろうか?外国映画の邦題の付け方って、「原題に定冠詞が付くと邦題では定冠詞を省く」「複数形だと単数形にしてしまう」といった訳の分からない事するくせに、原題に定冠詞が付いていないのにわざわざ邦題で定冠詞付けてしまう意味って何?

この映画、結構ベタな設定なんだけれど、各話や設定を上手い事繋げて転がしており、そんなに上手い展開でもないけれど、主人公の狙撃能力や戦闘能力、生き残り能力でワクワク感があるし、見せ場もあるし中々におもしろくなっている。ただ、始まりの様な緊迫する狙撃場面が中盤や後半にもう少し欲しかった所。

☆☆☆☆★

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