Dr.パルナサスの鏡

2013年10月27日 日曜日

テリー・ギリアム製作・監督・脚本、ヒース・レジャージョニー・デップジュード・ロウコリン・ファレル主演の2009年の映画「Dr.パルナサスの鏡(The Imaginarium of Doctor Parnassus)」。

悪魔との勝負で永遠の命を手に入れたパルナサス博士は、現代のイギリスで小劇団を率いて旅をしていた。その途中で一団は首を吊っていた男を助ける。彼は記憶を無くしており、パルナサス博士の鏡の世界へと行く事になる。

薬物の併用摂取で撮影中に死亡した主演のヒース・レジャーに替わり、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが彼の代役として映画を完成させた曰くのある映画。
中身は小汚いゴシック調の時代がかった装飾と悪夢的な童話の様な世界で彩られ、まさにテリー・ギリアム映画。その雰囲気は非常に良い感じで、各登場人物間の人間関係の話も分かるけれど、何とも掴み所無い話がヌメッとずっと続き、徐々に退屈して来る。掴みの鏡の中の世界は良かったのに、それ以降のトニー・シェパードとアントンとヴァレンティナの三角関係とか、悪魔との回想も締まりが無く、ダラッと流れてしまい減り張りを入れているはずなのに減り張りが無い。その後の、中盤以降の鏡の中の世界はテリー・ギリアムの好き放題で取り留めも無くなり、凄い雑多で締まりの無い感じに。
テリー・ギリアムのモンティ・パイソン時代のアニメーションはシュールで意味不明だけれど、物凄く小気味が良く、先鋭的で、何より腹がよじれる程笑いがあったのに、歳を取ってからの長編映画になると自分のやりたい事をそのままCGで際限無く詰め込んでしまい、それが笑いや感心に繋がらず物凄い独り善がり感が出てしまい、観客置いてけ堀でテリー・ギリアム独走状態の悪い方向に行ってしまっている。鏡の中の世界だけでなく、物語のほとんどがテリー・ギリアムの自分の夢の世界を映像化した感じで、自分の夢は意味不明だったり繋がりが無くても視覚だけでなく五感で体験するから非常に身に迫り、意味のあるモノだけれど、他人にとってはその体験性が無いただの意味不明な話になってしまうので全く共感出来ず、この映画は他人の夢の話を聞かされてもつまらないのと似ている。ヒース・レジャーが別人になったりするのは完全に苦肉の策で、「鏡の中の世界だから何でも良くて、説明不要!」という割り切り感が許されるのはテリー・ギリアムだからで、その他の監督だったらぼろクソに言われるだろうなぁ。
基本的に美術や雰囲気は「空飛ぶモンティ・パイソン」と変わってなく、特にジュード・ロウの部分なんて完全にモンティ・パイソン。突然意味不明な登場や、歌って踊る警官とか、爆発して終わりとかはモンティ・パイソンのスケッチだし、更に丘陵地の木や雲の形なんて、如何にもテリー・ギリアムのアニメーションの世界。ここだけは笑った。

パルナサス博士はクリストファー・プラマー、悪魔のニックはトム・ウェイツ、パルナサス博士の元で働く鎧の格好のアントンはアンドリュー・ガーフィールド、同じくパルナサス博士の元で働くパーシーは「オースティン・パワーズ」のミニ・ミーでお馴染みヴァーン・トロイヤーと、登場人物は少ないけれど有名な役者が揃っている。各登場人物は濃く、揃ってはいるけれど話がつまらないので、それも活きない。

この映画、テリー・ギリアムが好き放題しているので、鏡の中の世界は支離滅裂なのに説明不足、見ていてもテリー・ギリアムが満足すれば良いだけかの印象なので非常にオナニー染みている。主軸の話は退屈な三角関係が何時の間にか親子の話にすり替わり、散漫と言うか、観客へ見せるまとまりや構成なんて無い、投げっ放しで煙に巻いただけで、感想としては「好きな事出来て良かったね。おじいちゃん!」としか言い様が無い。

☆★★★★

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