ハート・ロッカー

2013年04月06日 土曜日

キャスリン・ビグロー製作・監督、ジェレミー・レナー主演の2008年の映画「ハート・ロッカー(The Hurt Locker)」。2010年の第82回アカデミー賞では作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、編集賞、音響効果賞、録音賞を受賞。

2004年のイラクでのアメリカ軍の爆発物処理班の活動と日常を、非常に淡々と描いて行く。爆弾処理で失敗し死亡した兵隊の後任として、新たな処理人ジェレミー・レナーが来るが、彼がは無謀に処理を進める人物で、チームの不協和音的存在となる。

話は同じ爆発物処理班の同僚ジェレミー・レナー、アンソニー・マッキーブライアン・ジェラティの三人が中心となり、ほぼこの三人だけで話が進んで行く。話も何か大きな芯になる様な話も無く、町に仕掛けられた爆弾の解除、基地での日常をそのまま見せる感じ。しかし、ちゃんと展開には様々な事が起こり、爆弾処理は毎回変わった状況のモノを、普段の生活も微妙な関係性や人物の感情を見せる。それが盛り上がらない訳ではなく、町中に仕掛けられた爆弾の解除は、簡単な材料で作られた爆弾だけれど始めの解除の失敗を見せているので常に緊張感があり、しかも目の前にある爆弾だけでなく、その起動スイッチを周りの住宅にいる誰かが持っていて押そうとしているという二重の仕掛けになっていて、サスペンスとして非常に手に汗握りおもしろい。それを音楽は少なく、長い間を持たせる事によって、更に見ている方が喰い付く様な演出と編集で見せる。
特に砂漠での襲撃からのスナイプ戦は圧巻。人物がほとんど動かず、長過ぎる程のタップリとした間を取っているにも関わらず、こちらも画面の人物の様に片時も目を離せない緊張感と興奮。どう見ても銃器はアメリカ軍側の方が良さそうに見えるのに中々当たらなかったり、逆に向こう側の命中率が凄過ぎるのは気になったけれど。

しかし、その演出や編集、淡々と何かの主張を大きく見せる訳ではない脚本は上手いのだけれど、むしろそれがこの映画の大きな欠点でもあったりする。
兵士達を追う様なドキュメンタリー的映像ではあるのだけど、常に手持ちカメラで寄ったり、振ったりを早く繰り返すと言う、最近のTVドラマのサスペンスでも良く見る様な手法で、これが非常に見難いし、疲れる。戦場という事で、わざと見ている方の注意が一点に集中しない様にしていたり、疲弊させる様にしているなら見事な演出意図だけれど、そうじゃなく、緊迫感を出す為だけなら非常にうっとおしい。劇場の大きなスクリーンならまだましかもしれないけれど、TVの画面の大きさだと近いのに動きが大き過ぎて、目があっちゃこっちゃ行って物凄く疲れた。
それに、戦場での爆弾処理班の日々の暮らしを見せる展開だけで、あえて多くを説明しないしないのがこの映画の良さではあるけれど、説明不足の感は強い。そもそも爆弾を爆破じゃなく、なぜ解除するのか、何故そこにそんな風に爆弾が仕掛けられ、何の目的があるのか、爆弾を仕掛けた相手は今爆弾を解除しているのを見ているのに、それを眺めているだけで爆破出来るのに何故爆破させないのかとか、説明不足というより、始めから説明が無いので話の展開の都合の為の部分が大きい様な気がして来た。
映画のほとんどで何かを主張する訳でも無く進んで行くけれど、最終盤になると急に主張が強くなり、今までの淡々と見せていた分、その映画の急激な方向性の変化にちょっと残念な感じも。

映画としては、ドキュメンタリー風で主張が抑えられてはいるけれど、始めの文章に帰着して、戦場の爆弾処理班という結構特殊な人々の、戦争での爆弾処理にしか興味や生きている意味を見出せないという更に特殊な人を見せているので、大きな関心はあるけれど見ていても常に共感は少なく、アメリカ人以外だと兵士達の感情を含め共感性と言う部分では中々難しい映画だと思った。
ただ、戦争モノとしてはこれだけの間を持って描いているけれど非常に見せて離さないし、緊張感や興奮は圧倒的。

☆☆☆☆★

« | »

Trackback URL

Leave a Reply