サウンド・オブ・ミュージック
2013年01月08日 火曜日ロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演の1965年のミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)」。
自由奔放な見習い修道女のマリアは、家庭教師として子供七人のトラップ大佐の家のへとやって来る。やがて大佐と恋に落ち、結婚。しかし、オーストリアはナチスに占領され、楽しかった生活が変わる事になる。
この映画は、つくづく「ミュージカルじゃあなければ良かったのに…。」と言う思いばかり。
展開は、妻を亡くし、軍隊式に子供達を育て、不和ばかりな家庭に新たに奔放な女性がやって来、歌によって皆の心が通じ合い、やがて二人は結婚。普通なら、子供達と仲良くなり、父親と子供達も仲良くなり、マリアと大佐も仲良くなってめでたしめでたしで終わってしまう所を、結婚後の展開、国自体が変わってしまい家にいられなくなってしまう波乱の様子も描き、話的には中々おもしろい。
恋愛部分は、自由奔放な女性が年上の男前で、金持ちで、社会的地位も高い手の届かない相手と、始めは価値観が合わずに対立するが、やがてお互いが気になり始め、上手く行くと思ったら別れてしまうけれどやっぱり上手く行き、敵わない様な恋敵もおりと、非常に王道。ベタ。しかし、子供達との関係や、結婚後の顛末も描かれるのは単に恋愛映画だけをしていない部分で良い所でもある。ただ、主人公のマリアは始めの自分の気持ちを歌ってしまうミュージカルの連続でイライラ。大佐は子供を犬扱いの鬼畜なのに、良い人のへの転身が早過ぎたり、男爵夫人と婚約までして気を持たせておきながらやっぱりマリアが好きと言い、亡くした妻への葛藤など皆無で、この脅迫症的なのに優柔不断で時々見せる他人への思いやりの無さのある奇妙な人物に、どうにも身が入って行かない。「男爵夫人がんばれ!」とか、「そんなに良い人で別れず、もっとキッーとなれ!」とかばかり思ってしまった。
この映画で何より重要な要素は歌なはずなのに、ミュージカルしてしまった事でこれがぶれてしまっている。歌を歌う事でマリアと子供達の心を繋ぎ、子供達と大佐の心を繋ぎ、マリアと大佐を繋ぎ、オーストリアの人々も繋いでいるのに、始めの段階で会話の途中から行き成り歌になり人物が自分の感情を歌で全部言ってしまうと言うミュージカルのファンタジーを前面に持って来ているので、この場面の歌は劇中でも歌として歌っているのか、突っ込むなのミュージカルのお約束なのか戸惑ってしまう。それに、ミュージカルになると微妙な表情や感情はどっかに行ってしまい、全てを歌で歌ってしまうしょっぱさにグッタリしてしまう。ミュージカルになると結構時間を取るので、物語の展開の速度がダレてしまうのもある。
ミュージカルにしてしまった事で嘘臭さが出てしまうのはしょうがないにしろ、それでも描かれ方が不十分な所も。大佐の元妻との関係や想いが一切出て来ないのも不自然だし、マリアの背景、何で修道女になりたいのか、何でそんなに歌が上手くエンターテイメント性溢れる踊りの演出を付けられるのかとか、人物を描くにしては不十分で、ハテナが多い。ミュージカル場面を無くし、人物をもっとちゃんと描いた方が良いのにと思ってしまった。
あと、笑かしにかかっているのか、真面目にやっているのか分からない部分が何ヶ所も。軍隊式の子供達は酷いと思わせたいのか、ギャグなのか。大佐の子供は七人もいて妻は亡くなり…って性的に無茶苦茶だったからと言うのは邪推し過ぎで、単にドレミファソラシが七音だから七人なのか。修道院で歌ってはいけないと言った途端に修道女達が歌い出し、話の整合性がミュージカルのせいで崩壊するし。修道院の長が神と男性を同時に愛せると言うのは、キリスト教的皮肉なのかもよく分からないし。修道院は避難所じゃないと言っておきながら、最後は避難所になっているし。
役者は、主人公のジュリー・アンドリュースが登場しても「全然綺麗じゃない…。」と思っていたら、美貌も富もある男爵夫人ではなく、綺麗でも無く、何も持っていないけれど、その人自身の個性に惚れてしまうという事を描く為の配役なのかという事が分かり納得。ただ、ジュリー・アンドリュースはこの時30歳なのに少女っぽい役なので、物凄い違和感。この妙に無理して若さを出しているおばちゃん何だろう?と言う違和感はそこ。
トラップ大佐のクリストファー・プラマーは奇妙。あれ程堅物で、威圧的で、表情が無かった人なのに、途端に優しい感じになり、歌まで歌って気持ち悪さと笑ってしまう感じで、こちらも違和感。その分、クリストファー・プラマーが台本通りに演じているって事なんだろうけれど。
流石に歌は素晴らしい。「ザ・サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)」「もうすぐ17歳(Sixteen Going on Seventeen)」「私のお気に入り(My Favorite Things)」「ドレミのうた(Do-Re-Mi)」「ひとりぼっちの山羊飼い(Lonely Goatherd)」「エーデルワイス(Edelweiss)」等何処かで聞いた事のある有名曲ばかり。「私のお気に入り(My Favorite Things)」は物凄い好きな曲。なんだけれど、80’POPSもそうだけれど、歌だけなら良いのに映像を見てしまうと…。あと「ドレミのうた」の場面は恥ずかしさとキツさでスキップしてしまった。
この映画の舞台がオーストリアなので景色は美しい。切り立った山並みはもちろん、街中の歴史ある建物や彫刻、湖の中にある城、崖の上の教会等、見ているとオーストリアって凄い国だ。
そしてセットも凄い。家の中は高い天井で、中央に広間があり二階に渡る階段と廊下が囲む西部劇の宿屋式だけれど、終盤の修道院の墓地のセットとか、トンデモない大きさと作り込みで作られていて、そこに驚き。気になったのは、修道院の中庭ってセットなのだかろうか?照明の具合を見ているとセットっぽくもあるけれど、本当の修道院っぽくもあるし。ただ、全編に渡り照明は外でさえ如何にも1960年代な光をガンガンに当て、画面がノッペリしてしまう物で、そこは時代性だけれど勿体無い。
気になったのは、やっぱり英語。皆オーストリアンなのに英語で喋るのに、マリアはフロイライン・マリア。それにこの映画、実在の人物マリア・フォン・トラップの自伝を基に作られたミュージカルの映画化だけれど、結構史実と違う事も多いらしい。その中でもちょっと笑ってしまったのは、実際にはマリアは勝ち気で癇癪持ちで、彼女を夫がなだめ、夫の死後マリアでは子供達をまとめ切れず楽団が解散してしまったらしい事。まあ、映画がファンタジーとしても、現実との差はおもしろい所。
あと、序盤でマリアがベッドの掛布団めくったら、絶対馬の首が出て来ると思ってしまった。
この映画、ミュージカルじゃあなければ歌を歌う事が押し出され、話的にも非常に良い流れで行き、人物も物語ももっと深く描けたのにと残念。序盤で、マリアが単に頭が壊れてしまったうっとおしい人でしかなく、掴み損ねたのは大きい。ファンタジー的ほんわか感から、戦争による暗い影が忍び、果たして山の向こうに安堵はあるのか分からない山越えで終わってしまう展開が中々良い分、やっぱりミュージカルの嘘臭さが足を引っ張ってしまう。
☆☆☆★★