アデル/ファラオと復活の秘薬
2012年12月13日 木曜日リュック・ベッソン製作・監督・脚本の2010年のフランス映画「アデル/ファラオと復活の秘薬(Les aventures extraordinaires d’Adèle Blanc-Sec)」。ジャック・タルディ(Jacques Tardi)によるバンド・デシネ(フランス語圏の漫画)「Les Aventures extraordinaires d’Adèle Blanc-Sec」シリーズを原作としている。
このシリーズは元々は1976年に「Sud-Ouest」と言う地方紙で連載されていた「Adèle et la Bête」から始まり、その後1985年まで数年に1冊のアルバムとしてJacques Tardiが脚本・作画をし、六冊出されていた様だ。1994年・1998年・2007年にもJacques Tardiによって出され、このシリーズは全九冊だけれど現在もJacques Tardiは存命なので、まだこれからも続くかもしれない。
どうやらこの映画ははっきりと原作通りではないようだけれど、翼竜が卵から孵化する一作目の「Adèle et la Bête」と、エジプトのミイラの話の四作目「Momies en Folie」を基に合わせた話の様。
冒険家でジャーナリストのアデルは、植物状態の妹を蘇らす為にエジプトで医師のミイラを盗み出す。一方、フランスでは翼竜が卵から孵化し、騒ぎになっていた。
何と言っても構成が全く良くない。普通この手の映画って、始まりで観客を掴む為に一件派手な場面を見せてから本題の事件の振りを見せるのに、導入で翼竜の孵化を見せて、アデルの冒険、そしてまたフランスでの翼竜の一件と、誰が主人公で、何を中心に見せたいのか分かり難い流れをぶった切る構成で、主人公であるアデルが全然前に出て来ない。しかも、アデルがフランスに戻って来てからは、知り合いの教授を脱獄させるドタバタと翼竜を巡るドタバタという急なコメディで非常にダレる上、これが大して面白く無い。更にしかも、翼竜の話は特に何かに発展する訳でも無いのに結構続き、その為序盤で盗んで来たミイラは忘れられ、終盤になってやっとそっちの話が動き出す。更に更にしかも、冒険のスペクタクルは序盤の一件だけで、登場人物も多彩で出来事も色々あったのに、後は話も映像的にもドンドン盛り下がり「妹が蘇りました。めでたし、めでたし。」という尻つぼみのままシラッと終わってしまう。
この構成の拙さは何かと言えば、やっぱりリュック・ベッソンのせいだろう。原作があるとは言え、何と言っても製作・監督・脚本と何でも出来てしまう権限がリュック・ベッソンにある事で、ただただ心配だったけれど、それが大当たり。始まって直ぐ、全てを誰かの説明台詞で全部説明してしてしまう何ともしょっぱい、安い演出で、そこから「あれ、もしかして…。」という思いはすでに始まっていた。エジプトに行けば、如何にもセット、大道具な機械式の忍者屋敷みたいな仕掛けがタップリで安っぽい。ただ、20世紀初頭のフランスの雰囲気は良い。「フィフス・エレメント」の時もそうだったけれど、リュック・ベッソンってバンド・デシネ的世界観を映像化するのは非常に上手いし、雰囲気も良いのに、その世界で話を展開させると本当にどうしようも無くなる。どうやら原作の「Adèle et la Bête」は翼竜を巡る犯罪モノらしく、「Momies en Folie」でもミイラが蘇る訳でも無い様だし、導入は原作を基に、後はほとんどリュック・ベッソンの勝手な話の様だ。主題に絡んで来ない翼竜の復活や、蘇ったミイラがフランス語喋ったり、面倒臭い所は全て魔法の様なモノで特に説明しないお座なりな脚本の駄目さ加減は、やっぱりリュック・ベッソンが脚本書いてしまったからか…。リュック・ベッソンは製作と美術関係だけにして、話に口出しすべきじゃあないと強く思う。やっぱり「リュック・ベッソンが口出すと、ろくな映画にならない」というのは現在でも。
これの原作を調べてみていて、カルトとか犯罪を絡めての結構大人向けのバンド・デシネでおもしろそうなのに、リュック・ベッソンが脚本を書くとお座なりな、子供騙しなファミリームービーに成り下がってしまった感じで、残念過ぎる。この映画を期に、「Les Aventures extraordinaires d’Adèle Blanc-Sec」の日本語翻訳版が出てもよさそうな感じなのに、逆にこの映画のせいでそれもないまま終わってしまったのか。
これは絶対にリュック・ベッソンを外し、もっと原作に近い形で再製作すべき。
☆★★★★