世にも怪奇な物語

2012年12月11日 火曜日

エドガー・アラン・ポーの小説を原作に、ピーター・フォンダアラン・ドロンブリジット・バルドーテレンス・スタンプ等の俳優が共演した1967年のフランス・イタリア映画「世にも怪奇な物語(Histoires extraordinaires)」。

出演者も監督も違う、三話から成るオムニバス形式の映画。

一話目「黒馬の哭く館」。
貴族の令嬢ジェーン・フォンダは好き勝手に暮らしていたけれど、一人の貴族に惹かれるが彼は彼女を拒否。その怒りで彼女は彼の馬小屋に火を付ける。それでその貴族は死んでしまい、彼の持ち馬だった黒い馬が彼女の元へとやって来る。

そんだけの話で別に奇妙でも何でも無い。ジェーン・フォンダの葛藤を静かに描き過ぎで、小説なら読んで納得するはずだろうけれど、映像的には地味だし退屈な展開。掴みの一話目からとても大した事無い話なので、いきなりこれでつまずく。
違和感があるのは、時代ははっきりしないけれど中世っぽさがある時代なのに、髪型や化粧や衣装がばっちり1960年代。ジェーン・フォンダの珍奇な衣装は、最早意味が分からない。

二話目「影を殺した男」。
アラン・ドロンの告白。彼は幼い時に同姓同名の少年と出会い、好奇心と苛立ちから彼を殺そうとして学校を追い出される。その後も時々同じ名前の彼が現れる。

微妙なのは、アラン・ドロンの異常性が話の主題なのに、途中女性との賭けカードゲームを延々と見せ続ける所。別にそんな場面重要でも無いのに、これがこの話で一番長い場面で、これを見せ続けられても…という退屈さで、その後のオチまでが持たない。
それに倒れた同じ名前の男の仮面を上げて顔確認するのだけれど、倒れた顔なのでこれがアラン・ドロンなのかどうか判断が付かなかった。仮面を取ったら自分だったという大事な部分が、「ん?」とつまずいて、非常に勿体無い。
結局のオチがどうにも微妙な感じで、カード勝負までの前半は良いのに見終わるとグダッとした印象。

三話目「悪魔の首飾り」

落ちぶれた俳優がイタリアに映画を撮影にやって来る。

この映画の中でも、一番どうでもいい。意味有り気な台詞回しや、仕草。思わせ振りな構図や演出。正常になる為にクスリをやっていると言う俳優。自分に酔い、延々と一人舞台で自分語りをするテレンス・スタンプ。福音書を西部劇に等々、監督フェデリコ・フェリーニが好き放題していて、「前衛的でしょ!芸術的でしょ!」と大声で叫びまくりで、この話見ていても画面上の全てを流してしまい、「あ~あ…。はいはい…。」と非常にどうでもいい感ばかり。このどうでもいい感は半端無い。
念願のフェラーリを手に入れぶっ飛ばす場面は、運転しているテレンス・スタンプは完全セットで前から煙焚いて風で送っているというしょっぱ過ぎる別撮りで、しかも実際の風景もまるで疾走感が無く、しょうもないコメディ。

別にまとめようという意思が誰も無いのだろうけれど、出演も別、監督も別で、話も特に繋がりが無い三話をバラバラと見せられても一つの映画としてだから何だ?という話。話として奇妙なのは二話目位で、後は「ふ~ん…。」位の感想。一番奇妙なのは、このまとまりの無い三話を一つにして何も思わなかったのかの製作陣。それとも、まとめるのは不可能だからこのままで…という事だったのだろうか?

☆★★★★

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