太陽の季節

2012年10月14日 日曜日

鷲と鷹」に続き、石原裕次郎と長門裕之が共演した1956年の映画「太陽の季節」。

金持ちの高校生の無軌道な青春を描いた映画らしいけれど、まあつまらない。
まず長門裕之等の役は設定としては高校生で、少し若いけれどおっさんにしか見えない。長門裕之はこの時点で22歳だけれど、30過ぎの普通の社会人としか見えず、わざわざ高校生と言わないと一番大事な設定さえ忘れてしまう。
それに主役である長門裕之と南田洋子の演技が共にぶっきら棒と言うか、棒読みと言うかで、非常にしょっぱい。話もそうだれど、演技も素っ気無く、盛り上がりなんて皆無。南田洋子は若いはずなのに、喋るとまるでおばあさん。ただ、途中長門裕之が「ザッツ・オール」と言ったのには笑ってしまった。ピカデリー梅田
話も金持ちがナンパしたり、クラブでデートしたりで、「だから何?」の連続。話は元々まとまりや締まり、盛り上げとか関係無いのだろうけれど、それを今見せられても何も響かない。
最後も都合良過ぎる突然の不幸で、哀しいでしょと騒ぎ立て、お手軽不幸に呆れる。

ボクシング場面もそれまでは出来る雰囲気を出しているのに、実際に試合になるとただじゃれ合うだけの酷過ぎる場面。しかもこの酷い場面がやたら長い。

音楽も行き成り「証城寺の狸囃子」がかかったり、場面と何の関係があるのか分からないスパニッシュ・ギターとか、何がしたいのか分からない音楽の演出も酷い。

バンマスで一瞬出て来た外国人風の顔をした人、一瞬で岡田眞澄と分かり、この出方は一体何だろうと思った。

無軌道な若者の青春映画って、特におもしろくも、興味も引かない日常をのっぺりと描くけれど、これもそういった典型的な映画。この時代の文化的、風俗的な興味も、話が退屈過ぎるので、どうでも良くなって来る。
この映画、当時は社会的にも話題になったそうだけれど、1950年代のおっさんの様に振る舞う、見た目もおっさんな金持ちの高校生なんて、今見ても何ら面白味や興味は無い、時代性しかない水モノ映画。

★★★★★

« | »

Trackback URL

Leave a Reply