オール・アバウト・マイ・マザー

2012年08月24日 金曜日

ペドロ・アルモドバル監督の映画「オール・アバウト・マイ・マザー(Todo sobre mi madre)」。

息子を亡くした女性が彼の父親を探す内に、役者の付き人になり、新たな息子を手に入れる。

これ話も大しておもしろくはないけれど、ペドロ・アルモドバルがやりたい事をする為に強引過ぎる偶然や、都合良過ぎる設定を使いまくり、見ていても呆れ返って来る。
主人公マヌエラの人物設定が非常に都合良過ぎ。元役者で、元売春婦で、看護師で移植コーディネーターって、話を展開させるが為だけに必要な事を無理矢理を詰め込んだ都合良過ぎな過去の設定。
これだけでなく、マヌエラはたまたま楽屋に入ったら、突然現れた見知らぬ人のはずなのに追い出されもせず、手伝いをし、女優の付き人になってしまうし、芝居を見ていたというマヌエラに行き成り代演をさせたり、たまたま知り合ったシスターが自分の元夫の子を宿していたり、誕生日に死んでしまう息子とか、エイズを抑制してしまう子供とか、ただ話をお手軽に劇的にさせる為だけに偶然を使いまくり、見ていても馬鹿らしくなり白けてしまいっ放し。
始まりから、高校生位の息子なのに母親にベッタリで、二人で演劇見に行くとか、このマザコン的な気持ち悪さから感じていたけれど、人を描くと言うよりも、描きたい事の為に人物が配置されている感が物凄い強いので、ずっと違和感を感じていた。

また演出も違和感を感じる所が多数。
鉛筆で文字を書いているのだけれど、行き成り透明な板の上で鉛筆で書いていて、鉛筆の先が画面のこちら側を向いているというカットが入って来る。何目線のカットで、何の意味があるカットなのかさっぱり分からない。
また、良く「カメラへ人物が近づいて来てそのままレンズを隠し真っ暗にして、人物の背中の真っ暗な所からカメラから離れて行く」というカットを意識させず、繋がっている様に見せる編集方法があるけれど、この映画ではその前半の人物がカメラを真っ暗に隠すという事はするのに、その後のカットは普通に始まり、これまたこの演出の意味が分からない。息子の事故場面も、事故にどうあったのか分かり難いし、バルセロナへ落ち込んだ気持ちで来た時には後ろで哀しい歌がかかったりと非常に安っぽく感じる演出だし、演出が時々微妙を落ちて、非常にしょっぱい。
あと気になったのは、声の音声。録音の問題なのか、何だか妙に前に出て来て、アフレコ的な聞こえ方になっていたので、物凄く違和感を感じた。

セシリア・ロスは舞台劇をしていたという設定だからにしては、演技が大袈裟。一人だけ演技が浮いている様な時も。
ペネロペ・クルスはまだ20代だからか、若くて素朴な感じ。
アグラードを演じていたアントニア・サン・フアンは、化粧のせいなのか、元からなのか、特に片目が充血している時は、顔に生気が無く、ゾンビみたいで怖い。この人男性かと思ったら、女性。それがこの映画での一番の驚き。

話は展開の為に都合の良過ぎる事ばかりで、全く持って白けまくり。本当に脚本の持って行き方が馬鹿馬鹿しい。これだけ意図的な偶然を使い、悲劇と言われても、一向に何も感じないし、シラッ~としかしない。

☆★★★★

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