ダブルフェイス 秘めた女

2012年08月23日 木曜日

ソフィー・マルソーモニカ・ベルッチというヨーロッパ二大女優共演だけれど、共演部分はほとんど無く、しかも二人が同一人物を演じるという、一風も二風も変わった映画「ダブルフェイス 秘めた女(Ne te retourne pas)」。

夫が買って来たビデオカメラで家族を撮った映像を見ている内に、自分の家の細部に違和感を感じ始め、自分が思っている現実と現れている現実が違うと思い始めると、現実が変わり始める。

この手の違和感を描く映画は、大抵が周囲の環境や他人の反応が急に今までと違うという風に、分かり易く描き、見ている方もその違和感をはっきりと感じる事になるけれど、この映画の場合は、現実に違和感を感じているのは主人公だけで、現実自体も変化はしているけれど、その変化は主人公の中での精神や脳の変化が起こしている違和感なのか、それとも主人公は正しく本当に現実が変わってしまったのかが分からず、見ている方も混乱させる。その混乱する恐怖が、見ている方にもゾクゾクする怖さを持って迫って来る。見ている物なんて絶対的な存在ではなく、脳が作り出す間接的な存在という事を理解すると、この映画を見ていると自己が崩壊する様な危うさを感じてしまい、大変恐ろしくなりつつも、引き込まれて見てしまう。
その自分で感じているはずの現実と、気付いてみた実際の現実の乖離の表現が怖い。自分の知っている部屋とは違う家。毎日の道が知らない道。そして、自分自身さえも別人に変わって行く。この途中の、半分ソフィー・マルソー、半分モニカ・ベルッチになってしまうという、精神的にも怖いが、見た目的にも一番恐怖の場面。
確かに崩壊して行く日常をじっとり描き、見ている方までこの混乱と息苦しさに飲み込まれる、ズレを見せる映像は素晴らしい。ただ、体の変異が出て来てからは、どういった締めを持って来るのかという所に興味が行くんだけれど、そこは非常にあっさりとしている。ハリウッド映画なら、もっとどんでん返しの驚きを強調する所だけれど、これはフランス・イタリア映画で、ヨーロッパ映画、特にフランス映画の風潮なのかあっさりと、それ程捻りの無いオチを見せ、結構肩透かし。最後の締めの押しの部分を引いて、シラッと終えた感じ。なので、それまでの引っ張りが非常におもしろいのに対して、見終わった後の印象が物凄く薄い。
それに、どうも振りに対しての回収がいまいち上手く行っていない気が。そのオチだと、ソフィー・マルソーの部分が分かり難く、同時期の二重思考の完璧な組み立ては無理あり過ぎではと思ってしまう。

ちょっとした演出は上手く、始めに正解の現実を見せていないのに、部屋や写真で何かが違うというのを見せる。見慣れない洋服の中で、自分の服の匂いを嗅ぎ、自分の物と理解する所なんか、ウワッと突き刺さる。ただ、それも終盤になると、部屋が伸び縮みしたり、体の変化とか、それは一体何なのか分からず、必要以上の映像的効果を狙った様に思えてしまった。

ソフィー・マルソーもモニカ・ベルッチも、流石な女優。追い詰められ感と言い、困惑感と言い、表情が二人共素晴らしい。二人共40代半ばで、綺麗だけれど非常に濃く、役も、役者としても、人としても強い。
ソフィー・マルソーを見ていると、石野真子を思い出す。
モニカ・ベルッチは髪型や服装で、場面によっては前の場面と別人に見え、ただでさえ実際に人が変わるのに、彼女の変化に戸惑ってしまう。

訳の分からない謎の部分を映像的に見せ、映像で説明し、引っ張り、盛り上げ、食い入る様に見るのに、最終的にシュッと、フェードアウトして行く様な感じで終わってしまうのが、どうにも。確かに締めとしてはそれで良いのだけれど、それまでの謎部分をあんまり説明せず、「~だから、そうだったのです。」で終わられると、それまでの現実での実際の動きはどうなったのかが分からず、モヤモヤしたままで、非常に気持ちが悪い。

☆☆☆★★

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