パリで一緒に

2012年07月25日 水曜日

麗しのサブリナ」に続き、オードリー・ヘプバーンウィリアム・ホールデンが共演した映画「パリで一緒に(Paris When It Sizzles)」。

映画の脚本家のウィリアム・ホールデンのタイピストとしてやって来たオードリー・ヘプバーンが、共に二人で話しながら脚本を徐々に作り上げ、その話している脚本の内容を劇中劇でオードリー・ヘプバーンとウィリアム・ホールデンが実際にその役として演じながら話が進んで行く。
脚本製作をしながら、その内容を映像で実際に見せて行くという二重構造で、更に映画の中の脚本の中の映画という三重構造は非常におもしろい。しかし、この劇中劇がそれ自体で一つの独立した映画としても通用する位なら成立するけれど、展開はあっちこちに行っては修正を繰り返し支離滅裂になり、あくまでこの映画の劇中劇としてしか存在しておらず、つまりこの劇中劇が大しておもしろくないので、段々とどうでも良くなって行く。コメディなのだろうけれど、つまらな過ぎる。知らない男女、しかも結構歳行ってる二人で盛り上がった何のこっちゃな妄想話を聞かされた所で、「そ、そう…。」としか思わないのと似ている。
恋愛部分も、またもやオードリー・ヘプバーンは、彼氏がいるのに今出会った見知らぬ脚本家に行き成りキスされても、全く嫌がる反応もしない腰軽ビッチな女。そして、若く美しい女性が老年の男性に惚れると言う、何時ものおっさんの妄想みたいな展開。この映画は、おっさんが自分のしたい事を脚本に書き、実際にそれを演じているという形なので、まさにおっさんの妄想を表した、そのままな映画。
ウィリアム・ホールデンみたいな老年がやたらネチネチ寄って来ては触りまくり、キスしまくりで気持ち悪く、何でこんな男に惚れるのかはさっぱり分からない。何でオードリー・ヘプバーンって、こういう淑女に見えて軽過ぎる役柄ばかりなんだろう?

オードリー・ヘプバーンは何時もの様に綺麗なのだけれど、コメディという演出の付け方なのか、演技は大袈裟でわざとらしい。「あれっ?オードリー・ヘプバーンってこんな演技下手だったけ?」と思える位。他の映画ではそうではないから、監督の演出の悪さか。
何よりウィリアム・ホールデンが気持ち悪い。実際の年齢は46歳のなのに60過ぎの老年にしか見えず、そんなおじいさんに見える人が物凄い遊び人で、常に酒を飲み、意味も無い事をベラベラ喋りながらオードリー・ヘプバーンに擦り寄り、ベタベタ触りまくり、勝手にキスをしたりという役柄的にも相当気持ち悪いけれど、半袖シャツを着ているけれど、腕毛ふさふさ、胸毛は首元、鎖骨の辺りまでふさふさでウィリアム・ホールデン自体が気持ち悪い。髭を剃る場面があるけれど、「全然伸びてない髭剃る前に、その腕毛と胸毛を剃れ!」と突っ込んでしまう。
トニー・カーティスが、トニー・カーティス演じる役で出て来るというくすぐりがあるけれど、トニー・カーティスを知らないし、彼の映画見た事ないから、全く何とも思わない。

オープニングタイトルが、役者が登場したら名前の字幕が入り、そのまま題名に行くって、TVドラマの始まりみたい。それはこの映画の劇中劇への振りでもある上手さがある。
しかし、役者への演出は大袈裟でわざとらしいし、劇中劇との差を出す為とは言え、ホテルの場面の演出が長めのカットと単調な構図で飽きてしまう。しかも、セットで撮っているのに、シット・コム的な一面からの撮影で長回しと、舞台劇中継みたい。その一番の話の中心になるホテルの一室が、天井がやたら高く、実際は天井が無い思いっ切りセットなセットで、劇中劇もあるのに現実であるはずの基本の部分が作り物の嘘臭さしかないのが、更にこの映画をしょっぱくしている部分。
それに一時停止した映像が常に左右に微妙に揺れていて気持ち悪い。

オードリー・ヘプバーンの映画って、やたらと相手の男優の配役が失敗な事が多いけれど、これもそう。ウィリアム・ホールデンがおじいさんで、相手役としては完全に駄目。役柄的にもっと若くないと成立しない役なのに、こんな老年に見えるウィリアム・ホールデンで全く合っていない。この映画見ているとウィリアム・ホールデンが気持ち悪くてゲロ吐きそう。
設定は良いのに、ウィリアム・ホールデンの気持ち悪さと、この映画が脚本製作を扱っているのに劇中劇の脚本がおもしろくなく、更にこの映画の脚本自体も全くおもしろくないという二重構造で、非常につまらない映画になってしまっている。いや、クソつまらない。

☆★★★★

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