パリの恋人

2012年07月23日 月曜日

オードリー・ヘプバーン主演のミュージカル映画「パリの恋人(Funny Face)」。

始まりは、色が白い壁に原色の扉があり、何も無い広い場所にポツンポツンと机を配置してあり、舞台劇のセットの様な作りでシュールな雰囲気が良いと思ったら、編集長の部屋は思いっ切り1950年代の室内セットで、その前の部屋との違いの落差に「あれ?」と思う。更に、皆のわざとらしい大袈裟な演技に「??」になり、編集長が突然「世界中をピンクにするの!」と叫び、歌い出すという完全頭がイカれた発言と行動で「なんだこりゃ?」になり、その後ミュージカルと分かりガックリ。
フランスに来て嬉しがっているとは言え、大声で歌いながら歩き回る人には、まず近寄ったらダメ。
フランスのバーで延々と奇妙な、馬鹿みたいな踊りを踊り続けるオードリー・ヘプバーンは何だろう?「うわっ!ヘプバーン壊れた!」としか思えない。
この映画、変な場面ばかりで、脚本は崩壊している。写真の撮影班が特に許可も取っていないのに、行き成り見知らぬ本屋にやって来て、店員が「出てけ!」と言っているのに勝手に店を荒し、写真を撮って勝手に去って行く。更に、一人残こり後片付けを手伝う60近い逆三角形の顔した気味悪い写真家のおっさんが、まだ若い初心そうなオードリー・ヘプバーンに行き成りキスするのに、オードリー・ヘプバーンはちょっと困るだけ。この時点でオードリー・ヘプバーンはおっさん好きの腰軽女になってしまい、奥手な文学少女の設定は崩壊している。しかも、オードリー・ヘプバーンがフレッド・アステアを好きになるのは、歌って踊って愛を語るだから位しか理由が見当たらない。だとすると、彼等は通常の世界の中で急に歌って踊っている事になるはずで、だとしたら周りが一切それについて言及しないこの世界は一体何なんだ?
フレッド・アステアがパリの教授に嫉妬するのも行き成りで、何か教授が嫌らしい行動を見せた訳でも無いのに文句言っていると急にその通りになるし。しかも、初めにオードリー・ヘプバーンは、見ず知らずのフレッド・アステアに行き成りキスされても全く拒否反応を示さなかったのに、その教授がちょっと迫ったら物凄く拒否反応を示すし。
展開もオードリー・ヘプバーンが登場した時点で全て分かってしまう。導入はファッション雑誌の話で、登場したオードリー・ヘプバーンは分かりやすい地味な服装の文学女性となれば、どうせその美しさを見込まれモデルとして成功する話なんだろと丸分かり。しかも駄目なのは、綺麗に化粧して豪華な衣装着たオードリー・ヘプバーンは、作り物のモデル感ばかりでそんなに魅力的でも無く、初めの頃の素朴な方が色気があるし、そちらの方が全然魅力的なのが致命的。

それと、パリのバーでの場面は録音が悪く、音が物凄く籠っているし、教会の外の場面は画面全体に紗をかけたと言うより、露出を上げ過ぎたかの様で見難い。

この映画の原題でもある「Funny Face」が一つの題材でもあるのだけれど、ファニー・フェイスって本来の意味は「個性的で魅力的な顔」でオードリー・ヘプバーンの事なのだけれど、どうも「面白(ファニー)顔(フェイス)」という印象が強いので、一番の面白顔は、シワシワで変な顔の顔形のフレッド・アステアの事。フレッド・アステアが桂歌丸に見えてしかたない。

ミュージカル映画の馬鹿らしさで全く好みじゃないけれど、それでもこの映画のミュージカル場面は地味。始めの雑誌社でのミュージカル場面は先鋭的で、歌の内容のカットを短く、小気味良く挟んで来る映像的なおもしろさもあり、引きは強いのに、大きな仕掛けや映像的演出があるのはその初め位で、それ以外は狭い所で2・3人位で歌い、ちょっと踊る位。最初にあった今でも目を引く映像的な演出も全く無くなり、至って普通に、そのままに歌と踊りを撮っているだけ。しかもどの歌も印象に残らない薄さ。始まりでガッと掴んではいるけれど、それ以降はグングンしょっぱくなって行く。
恋愛映画としても、60前の見た目はもう老年のおじいさんと、20代半ばの女性の恋愛、それもそういった年齢差から来る齟齬とか、乗り越えなきゃいけない障害とかも一切無い、単なる成功物語の恋愛映画なので、クソつまんない。
映像的なおもしろさは始まりの少しだけで、話はしょっぱい、オードリー・ヘプバーンの魅力がドンドン落ちて行くと、まあ駄目な、つまらない映画。

☆★★★★

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