シラノ・ド・ベルジュラック

2012年06月23日 土曜日

エドモン・ロスタンの戯曲を映画化した1990年の映画「シラノ・ド・ベルジュラック(Cyrano de Bergerac)」。

始まってから劇場で、「この劇は見る価値が無い!」とか、「鼻がデカい!」とか、延々どうでも良い会話劇が繰り広げられ、その時点で見る気を無くす。ただでさえ、中世貴族のどうでも良い見栄のゴタゴタと恋愛劇で、別に引きは無いのにその上だ。主人公のシラノ・ド・ベルジュラックは延々とどうでも良い事をくっちゃべりながら動き回り、ただ騒々しい、ただうっとおしいだけで、始まって30分持たなかった。台詞が舞台劇染みているのは原作小説があるからしかたないとして、動きの演出が完全に舞台劇の様なわざとらしい動き回り方で、白ける白ける。舞台装置や小道具、衣装等が良く出来ている分、演技・演出のわざとらしが際立ってしょっぱく見せてしまう。
戦争で食べ物が無く、皆痩せこけているというのを、目の下や頬を黒く塗り表していたのは、流石にコント。
しかも、途中に緊急地震速報が入り、それが思いっ切り字幕に被り、しばらく何言っているか分からない。

話も男達の葛藤は分かるけれど、二人から愛される女性は良いとこの御嬢さんではあるけれど、気付かな過ぎの間抜けっぷりはコメディ。哀しい恋愛と言うよりは、鈍感な女性に翻弄され続けた笑うに笑えないお話。

あと、音楽がダニー・エルフマンみたい。戦闘場面は「バットマン」のスコアみたい。

西欧の貴族の恋愛小説が原作の映画って、どれもこれも全く持ってつまらない。興味が無い題材な上に、自分に酔った詩で語る人間ばっかり出て来ると更に。会話劇なのに、その台詞回しに一切面白味を感じないと致命的。詩を語るのは、その当時のフランス上流階級だから成り立つけれど、今日本語字幕で見るとただただ陳腐。「だから?」ではなく、「どうでも良い…。」になるともはや真面に見やしない。

☆★★★★

« | »

Trackback URL

Leave a Reply