ある公爵夫人の生涯

2012年06月02日 土曜日

デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュの伝記小説を映画化した「ある公爵夫人の生涯(The Duchess)」。

若く美しい良いとこの女性が公爵に嫁ぎ、周りの人からは好かれるけれど、夫の公爵は相手にせず、男子を産めない事もあり、夫婦の関係は冷え切って行く話。
本人が書いた話が基だから、この公爵夫人が先見の明があり、非常に有能で、本当の愛を求める悲劇のヒロインというのは、余りに綺麗に描かれ過ぎの感がある。始めは現代的な強い女性な感じだったのに、結局酷い仕打ちをして来た夫にちょっと優しい言葉かけられたら気を取り直すって、駄目な男と別れられない駄目女の典型の様な女性になってしまうし、実際のジョージアナはギャンブル好きで晩年は借金まみれだったそうだし。
それに、公爵が何事も興味無い無能な支配者という、公爵夫人はこの人をこう見ていましたという事しか分からない様な一方的な描かれ方もどうなのだろう?どちらも一面的な描かれ方なので、話も薄い感じになってしまっている。この公爵目線からの、不倫と浪費の新妻を描くと大分違った話になるはず。

日本の貴族社会もそうなんだけれど、特にヨーロッパの貴族社会のトンデモない豪奢さと浮世離れ感を見ても、馬鹿馬鹿しさと、お前らの仕組みは大成功だったねと、シラッ~としか見れない。身分や権威、世間への見栄えだけがあれば良く、そこに個人は必要無いという、昔の、そして今も続くこのしょうもない社会制度は、一度出来上がるとどうしようも無い怖さが見えて来る。

映画「いつか晴れた日に」でも思ったけれど、イギリスの貴族の挨拶は基本的にお辞儀で、握手はしないモノなのか。結構日本的だし、海外では日本のお辞儀をネタにする事があるけれど、滑稽の誇張と、丁寧過ぎて昔の貴族かよという意味合いもあるのか?
あと、日本の支配者層の武士はちょんまげによって、皆同じ禿げ頭にする事によってはげを気にさせない様にしたけれど、ヨーロッパの貴族は皆カツラを被る事によってはげを気にさせない様にしている違いは興味深い所。

時代劇なのだけれども、政治のドロドロした陰謀でも、チャンチャンバラバラの活劇でも無い、女性の恋愛の悩みの時代劇で、特に豪華なファンタジー以上に身近さの無い貴族の恋愛話って、何ら興味の行く所でも無いので、非常につまんない。

☆☆★★★

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