いつか晴れた日に

2012年05月30日 水曜日

ジェーン・オースティン の「分別と多感」をアン・リーが映画化した「いつか晴れた日に(Sense and Sensibility)」。

主が死に、残された遺産は息子が継ぎ、妻や娘達は少しのお金だけで追い出される様に新たな生活を始める。
こういう20世紀以前の西欧の貴族的恋愛小説って、この浮世離れした生活になんら実感が湧かない上に、「ふ~ん…。」と思うだけで興味も湧かないし、出て来た登場人物達が各人きっちりと恋に落ちたり、恋敵になったりと悪い意味で登場人物の無駄の無さだったり、話に詩を混ぜ込んで来る上流階級的お洒落感とか、ハーレクイーン等の現代に続く様な女性好みの恋愛話に加え、男性は調子の良い駄目な奴ばかりで、女性は一途で振り回されるばかりのメロドラマとか、一向に興味を見出す要素が無い。
こけた所を偶然助けた男性に惚れてしまうなんて、19世紀の小説が原作とは言え、余りに簡単、1995年の映画でも古典を直球でしてしまう事に失笑。急に意中の人が遠くへ出て行く事になり、家族で揉めて各人が次々に自分の部屋、三部屋の扉の向こうで泣いている場面は、別に面白場面でもないのに何か笑ってしまった。
姉妹は自分達が貧乏だという事を事あるごとに言うのだけれど、それは落ちぶれた貴族が生活を極端に変えられない事の悩みであって、見ていても生活は全く持って豪奢だし、必死に働く事も無く読書だのピクニックだの恋愛だので日々を過ごしていて、彼女達の貧乏と言う意味が上流階級の大金持ちでは無いという事が早い段階で分かると、何時の間にかこの家族が泥をすする位までの落ち込みを願い始めていた。しかし、結局まあるく収まりましたで終わるので、まあつまらない。そこが無くても「はい、はい。良かったねぇ…。」と細い目でシラッと見ているだけ。

役者陣は話的になのか、誰もいまいちパッとしない中、話の中心が彼女というのもあるけれど、ケイト・ウィンスレットだけが輝いていた感じ。確かに綺麗なのだけれど、雨の中たたずむケイト・ウィンスレットはクエンティン・タランティーノそっくり。更にThe Internet Movie Databaseに載っているDVDのパッケージの表紙の画のケイト・ウィンスレットが物凄く不細工。
ヒュー・グラントって何で人気があるのか分からないのは、人気作を見た事が無いからなんだけれど、このヒュー・グラントって見た目がさっぱり冴えない感じで、人は良さそうだけれど男前って感じでも無く、ボーっとした坊ちゃんの感じは良く出ている。
ブランドン大佐の役者どっかで見た事ある悪顔と思ったら、「ダイ・ハード」の強盗集団のリーダー役だったアラン・リックマンか。今だと「ハリー・ポッター」シリーズのセブルス・スネイプ役として有名なんだろうけれど、「ハリー・ポッター」シリーズ見た事無いし、「ダイ・ハード」での彼は強烈な印象を残しているから、こっち。これでは影のある静かな男を演じてして、挙げたどの役とも違う見た目。
あと、「Dr.HOUSE」のハウス役でお馴染みのヒュー・ローリーが出ているのだけれど、あの無造作なハウスが、きっちりとした英国紳士な出で立ちにくすぐったい違和感。

こういうのっぺりとした展開で、都合が良く収まる恋愛話って何らおもしろくもない。文芸作品と言われる映画って、まあおもしろいと思った映画に出会わない。

☆★★★★

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