めぐり逢えたら

2012年05月31日 木曜日

トム・ハンクスメグ・ライアン共演の映画「めぐり逢えたら(Sleepless in Seattle)」。

「めぐり逢えたら良いねぇ…。」で、都合良く巡り会うまでを延々と描く映画。
この映画「メッセージ・イン・ア・ボトル」と似ている。と言うか、「メッセージ・イン・ア・ボトル」の原作の小説が1998年の作だから、「メッセージ・イン・ア・ボトル」がこの映画と似ていると言った方が正しいか。「メッセージ・イン・ア・ボトル」は妻を亡くした男性がその思いを記した手紙を新聞の記事で紹介された事で有名になり、彼に興味が出た女性新聞記者が彼に近づこうとするけれど、こちらはラジオで妻を亡くした思いを話して有名になり、同じ様に女性記者が近づこうとする。しかもケビン・コスナーは船大工で、トム・ハンクスは建築家と、どちらも建築関係。この映画は別に建築家でなくとも支障の無い、添え物の設定だけれど。
そして、こっちは展開的につまらない。一時間経っても一向に二人は出会う事は無いし、一時間半以上経っても何かの関係が始まる訳でも無いし、何にも話が進まず、グダグダしているだけ。二人の出会いから、それがどうなるかがおもしろい所じゃないのか?引っ張るけれど何がしたいのかさっぱり分からない脚本。
人物描写が浅いからなのか、いまいち分かり難い所がある。メグ・ライアンが婚約までして上手く行っている様に見える彼がいるのに、理由もはっきりしない不満を抱えていて、何だか良く分からないまま別れてしまうし。ビル・プルマンがやたらアレルギー持ちだからか?二人の関係は展開上の噛ませ犬でしかない。メグ・ライアンがこの人が好き!という動機で行動していると言うよりは、運命的な恋がしたい!と恋に恋したいからの行動なので、見ていてうっとおしいし、真面目で、良い人で、死んだ妻の事を思い続けているけれど一歩を踏み出そうとしているトム・ハンクスとはくっ付くな!と大いに思ってしまう。
終盤でいきなり「ホーム・アローン2」になってちょっと笑ってしまい、そこまでしてめぐり逢わす、そこ以降はだいぶ力技。強引。

あれ程精神科医とかを邪魔臭がっていたのに、ラジオであっさり自分の気持ちをベラベラ喋ってしまうのは、時間の経過が人を変えるという事か。
トム・ハンクスが彼のファンから送られて来る手紙に対して息子に「本当の付き合いは直接会って…。」と言う場面があるけれど、この五年後に「ユー・ガット・メール」で直接会わず盛り上がる恋をやっているだろう!と誰も突っ込むはず。しかも相手は同じメグ・ライアンだし。

このトム・ハンクスは何だか若々しい。おじさんと言うか、年齢以上に老けて見える近年のトム・ハンクスを見慣れていると壮年まで行かない青年の彼は何だかむず痒い違和感。
このメグ・ライアンは全然可愛らしくない。まだ32歳で若いはずなのにおばさん臭く、お獅子や、ネクロマンサーみたいな顔してる。時々キーファー・サザーランドに見えるし。メグ・ライアンはここら辺の1990年代は良く見たし、良く聞いた女優だったけれど、最近見ないと思ったら、日本では劇場公開されない映画ばかりになっていて、時代の流れを感じてしまった…。

演出は独り想いにふける時、メロウな、スタンダードな有名曲・歌がかかる演出は古臭いし、何だかちょっぴり恥ずかしい。

トム・ハンクスとメグ・ライアンが共演しているから期待はして見たのだけれど、二人の間に特に何かが起こる訳でも無く、最後の最後に都合良く締める為だけに引っ張っている映画と言っても良い映画で、何ら弾けない、おもしろい展開が起こらない映画だった。

☆★★★★

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