利休

2012年05月19日 土曜日

野上彌生子の小説「秀吉と利休」の映画化「利休」。

原作の題名通り、千利休と豊臣秀吉との何とも不思議な関係のお話。
茶の湯の、わび茶の千利休だから、構成的にも演出的にも抑えいるのだけれど、それが眠気を誘ってしまう。一場面一構図位のゆったりとしたカット割り。それも複数の人物がきっちり全身が入る様な引いた画が多く、あんまり面白味が無い。如何にも退屈してしまう邦画な演出。じっくりと描いていたはずなのに、余韻も残さずバンッとぶった切る終わりはどうしたらいいのか?
1989年の映画なので、時代劇なのに80~90年代臭さが一杯。演出も町の人間の噂話でその時の状況を説明するという演出も古臭い。ただ、豊臣秀吉周辺の人物が尾張弁で喋っていたのは、人物が見えて来て良い。それなのに、外国人は現代日本語で喋ってしまうので、折角方言も出て来たのに台無し。
一番この話に乗り込めないのは、千利休と豊臣秀吉の、余りに重宝され、政治的な部分もある関係が何故そうなったのかが一切描かれないので、いまいち二人の関係性が見えて来ず、お互いに対するこだわりや思いにも?が出てしまう。

茶の湯を扱っているからか、大名の食事場面が結構出て来て、毒見だの何だのではない、普通に物食べてる場面が物珍しく、関心を示しながら見ていた。

しかし、役者は流石に上手い。三國連太郎は、抑えた演技でどっしりと構え、利休そのものがわびさび。ただ、60過ぎてはいるけれど三國連太郎はまだまだギラギラ感が残っているので、さびた人の中に、まだ何か一物持っている人物に見えてしまう。
山崎努は奔放な為政者の、多くの人が思い描く様な豊臣秀吉を演じ、その人物の豪奢あって、利休との対比が自然に浮かび上がって来る。ただ、山崎努の歳取った豊臣秀吉が安っぽい年寄りの特殊メイクなのは何とかならんかったのか。それに常に目の下が黄色いのは、何か塗っているのか、特に説明も無いので気になって仕方無い。
石田三成が策士として暗躍するからか、演じる坂東八十助が眉毛無く、見た目からして如何にも悪い奴っていうのにはちょっと笑ってしまった。
山口小夜子の公家の様な化粧は非常に妖艶なのだけれど、岸田今日子は面白怖過ぎる。
織田信長の松本幸四郎が出て来た瞬間に「うわ、市川染五郎!」って思った程親子そっくり。

千利休、茶の湯を題材に描いているから常に抑え気味なのは分かるけれど、映画としては盛り上がりに欠け、それなりに退屈はする。しかし、集中力を持って見ていられるのは役者の力なのか。このまったりさ加減に疲れてしまうのは難点。

☆☆☆★★

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