アニー・ホール

2012年05月08日 火曜日

ウディ・アレン監督・脚本・主演の1977年の映画「アニー・ホール(Annie Hall)」。

話的には面倒臭い男の、面倒臭い恋愛話。
ウディ・アレンは見た目は冴えず、理屈っぽく、嫌事を平気に口にするし、精力旺盛で、移り気で捻くれているのだけれど、登場人物としては飛び抜けて良い人物設定で、非常におもしろい。お洒落な恋愛映画が苦手でも、この映画はそんな恋愛映画とも一味も二味も違い、この駄目な男感、鬱屈した男感を楽しめたら、爆笑するのとは違うコメディにニヤニヤしまくり。ウディ・アレンが理屈馬鹿で小賢しく、映画の登場人物としては魅力あふれる人物なのだけれど、そんな人物がやたらと美人にモテるのはやり過ぎ。見ていたら、ダイアン・キートンとキスしたいから配役したんじゃないのかしら?と思えて来るし。ウディ・アレンが作った劇中劇の感想でもあった様に「現実の生活では難しいから、芸術の中だけでも完璧にしたい。」というそのモノ。まあ他でも、役が言っているのか、ウディ・アレン自身の吐露なのか分からない台詞があるし。
展開や演出でも、どうでも良い話をポンポン続ける一方、行き成りバッサリと次に行く展開や、幼少期の頃を見せているのに普通な子供達に未来である現在の自分を語らせたり、喋っている事と思っている本心の別の事を字幕で出したり、行き成り観客に語りかけたり、過去の記憶の映像に現在の自分達が割り込んだりとメタフィクションをしたり、結構実験的で、「成程ね~。」と感心しながら見ていた。台詞は何処までが台本で、何処までがアドリブなのか分からない様な、何か重大な事言っている様で、どうでも良い事をのべつ幕無しに話していて、「だから何だ?」でもあるけれど、それが物凄くすんなり入って来て、何とも言えない人間関係と映画の雰囲気が出来上がっている。ここら辺はウディ・アレンの見た目の個性と、演出等の作りの上手さか。
演技的にもウディ・アレンも、ダイアン・キートンも、何処までが演技か分からない様な自然な感じ。普通とは違う感じは目立つけれど、自然な、普通な感じって、何処まで見ている方が寄れるかもあるんだろうなぁ。

この映画、理屈馬鹿だけれどガンガン攻める男の恋愛話で、人物も話も演出も構成も偏屈で、それこそウディ・アレンそのモノなんだろうなと思え、そこが楽しめると非常に関心を持って見られ、これだけ劇中で喋りまくっているのに何だかはっきりとは言い表せないおもしろさや楽しさが溢れる映画。

☆☆☆☆★

« | »

Trackback URL

Leave a Reply