クレオパトラ
2012年03月06日 火曜日作品の内容よりも、1963年当時4400万ドルという莫大な製作費をかけた割に興行収入がそれ程だったので20世紀フォックスを潰しかけ、「史上空前の失敗作」と揶揄されて、むしろそちらの方で有名な映画「クレオパトラ(Cleopatra) 」。
確か以前この映画を見終わった時も思ったのだけれど、内容にではなく、4時間立て続けに見た事への満足感だけで終わってしまう。
確かに莫大な費用をかけ、見た目はトンデモなく豪華。特に屋外場面での人、物資投入は半端無い。今ならCGで済ませてしまう、建物や兵士、船等は実際の物を使用し、奥行きと映像の現実味、厚さは半端無い。ただ、室内のセットは豪華な事は豪華だけれど、現代の作り物感、セット感は否めない所。正直、室内の壁やら置物等は結構馬鹿げていて、古代のエジプトやローマと言うより1960年代のアメリカの現代美術館。それに衣装も、男性は鎧や肩掛けの布でそれなりにローマっぽいのだけれど、女性の服はエジプトっぽさが無く、ザックリ開いた胸元や腰の部分が極端に狭まったのは50年代風のお洒落着。そして違和感以上に爆笑してしまった場面は、ローマにやって来るクレオパトラサーカス団の御一行。長い尺取って、このしょっぱい場面を見せられるとニタニタする以外ない。
やっぱりこの映画が退屈と感じるのは、盛り上がりに欠けた単調な展開と、同じ様な事の繰り返し、それ程魅力的でもない人物ばかりだから。これ程大きな歴史のうねりの割に、前半はクレオパトラとユリウス・カエサルの二人の会話劇が中心で、後半のマルクス・アントニウスとの会話もそうなのだけれど、めりはりの無いグダグダした安っぽい会話で、盛り上がらないソープ・オペラを見ているかの様。これが何回も繰り返され、段々と見る気が削がれて行く。カエサルが駄目になったからすぐさまアントニウスに乗り換えるクレオパトラは、その権力欲や王朝の生き残りの起因が何なのかが分かり辛く、王であるクレオパトラと言うより、上昇志向の強い腰軽ビッチに思えて来る。男性陣は権力欲とクレオパトラに対する性欲ばかりで、指導者として良くやって行けてるなという描かれ方だし、権力と人間関係を描いたと言うよりは、50年代風の恋愛メロドラマにしてしまった感じ。
エリザベス・テイラーは「私は女王よ!」感は抜群で見た目は良いし、演技はそれなりなんだけれど、脚本がおもしろくないのでそれ程輝きが無い。それにエリザベス・テイラーは、この映画の撮影開始直後にジフテリアを発症し気管切開をして、その傷跡がはっきりと残っているので物凄く痛々しいし、女王としてどうなの感はある。
見た目の豪華さを求め、確かにそこは凄いけれど、それ以外の内容がそれに追い着いていない感じはあり、実際これだけの大作なのに1964年の第36回アカデミー賞では作品賞や主演男優賞等9部門にノミネートはされているけれど、監督賞・主演女優賞・脚本賞にはノミネートされず、受賞したのは撮影賞・美術賞・衣裳デザイン賞・視覚効果賞だった。それに初めは前後編の6時間予定だったという、公開版でも見るのはしんどいのに更なる長時間の大作で、どうしても展開的に緩慢になるし、大河として見せるのにそれ程必要は無いと思える場面もあり、どうしても集中力は続かない。大女優エリザベス・テイラーが主演のクレオパトラで、1960年代ハリウッド黄金時代の超大作映画だからこんな感じになった、成らざるを得なかったのだと思うけれど、もう少し何とかならんかったのかとも思う。扱う題材から来る時間的な規模は、今だとテレビドラマでじっくりとするんだろうけれど、公開当時これをまんじりともせず劇場で4時間見ていたと思うと、そこも何か凄いなぁ。
☆☆★★★