ゴッドファーザー PART II

2011年10月20日 木曜日

前作「ゴッドファーザー」に続き「ゴッドファーザー PART II(The Godfather Part II)」を見た。

一作目以上に重く、じっくりとマイケルとその父親ヴィトを描いた、一作目以上に小説的な映画。
より非情に、より感情が見えなくなって行ったマイケルをアル・パチーノが、ただ寡黙に、しかしその目は、演技は雄弁に物語り、恐ろしさと孤独さがより深くなっている。微笑みさえない、瞬きしない目力のアル・パチーノは怖すぎる。
一作目でマーロン・ブランドが演じていた父親のヴィトの若い頃をロバート・デ・ニーロが演じ、初めの出て来た時はマーロン・ブランドとそれ程似ていないと思ったら、喋るとその話し方や高いかすれ声で本当にドン・ヴィトの若い時にしか見えない。歳を取ってからの演技派は分かるけれど、30歳位のこの時にすでにこれ程の演技は流石としか言い様が無い。
話以上にこの二人の演技対決の部分があるけれど、役所上お互いに顔を合わす訳ではないので、互いがそれぞれを完璧に演じて、その二人によってこの映画の柱が作られている。この二人の顔を合わす事無い、合わす事が出来ない父と子の葛藤の物語が、その時代が交互に現れ、それがより大河小説を読んでいる様な感覚にさせられる。

アル・パチーノやロバート・デュヴァルは前作から二年しか経っていないけれど、その老けたという歳の取り方の役作りなのか演技なのか、一作目よりも見慣れた最近の面影が見えて来て、妙な安心感を感じた。

前作が1940年代中盤から後半にかけての一時代だったけれど、今回はその十年後位の1958年と1910~1920年代の二時代なので、前作からの時代の移り変わり、自動車や服装、髪型等の特徴ある変化が目に付き、この二作目を見てその時代を映している雰囲気は良く出来ているし、一作目も良く出来ていたのだなと改めて感心。

話的には、一作目の描き切れていないそれからと過去をこれまた丹念に描いているのだが、何故そうなるのか分かり難い部分も多かった。親切丁寧に説明する映画じゃないので、裏切りや疑心だけで突っ走って行くのが見ていてマフィア的なやり方という事だけど、そこら辺はなかなか付いて行くのが大変。
欲しい物を手に入れる為、自分を裏切る者には一作目以上に徹底して容赦しない、強いるマイケルがどんどん堕ちて行くのが怖さと恐ろしさと哀しさに溢れている。何を守りたくて人を殺すのか、父親、その子供が同じ様に落ちて行き、煉獄の様な繰り返しから逃れられずにいる、それが一作目以上に怖い映画。

☆☆☆★★

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