ワイルドガン

2021年06月06日 日曜日

ジョン・カサー監督、キーファー・サザーランド主演の2015年の映画「ワイルドガン(Forsaken)」

戦争後も放浪していたジョン・ヘンリー・クレイトンは十年振りに実家へと帰って来た。
彼の父親から母親の死を聞かされ落ち込んだが、ジョン・ヘンリーは母の遺言で家の近くを畑にする為に開墾し始めた。
母は父親と二人でと言っていたが、牧師である父親と戦争で人を殺したジョン・ヘンリーの間には隔たりがあり、子供の時に事故で亡くした弟の事でも隔たりがあった。
町では鉄道が通る事になり、地元の有力者ジェームズ・マッカーディが用心棒を雇い、村の人々を脅して土地を買収していた。
ジョン・ヘンリーは銃を持たず、二度と人殺しはしないと誓っていたが、ジェームズ・マッカーディをよく思わない父親が狙われた事で再び銃を取ろうとするのだった。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので見てみたシリーズプラス、「24」を見ていてのキーファー・サザーランド出演作という事で見てみた。

キーファー・サザーランド出演と西部劇位の前知識で見始めると、オープニング・クレジットでキーファー・サザーランドの父親ドナルド・サザーランドの名前が出て来て興奮。
しかも、映画の導入からキーファーが息子役で、ドナルドが父親役と役柄上も親子でこれだけで興奮。
映画は二人の会話が多いけれど、何処までが役柄上の台詞で、何処までが本当の親子としての会話の部分があるか?と考えながら見ると物凄い見入るし、楽しい。
実際にドナルドはキーファーが子供の時に離婚して、キーファーは母親と暮らしていた経緯があり、その後キーファーは父親と同じ役者になったとなると、実際の親子関係は知らないけれど、この二人に実際の親子関係を見てしまって、この役柄上の親子の疎遠や理解が響きまくる。
この設定の親子は、この二人が演じる事に相当意味があるし、必要以上に意味が出て来て、配役の妙。
終盤の父親の「自分と同じ血が流れている」と言う台詞は、そりゃそうじゃん!!と突っ込んでしまいたくなるけれど重みや意味性が深くなるし、最終的に親子が理解しながらも離れ離れになるしかない哀しさも深くなる。

この親子の物語やキーファー・サザーランドの虐げられながらも我慢したり、戻って来てみると結婚していた元彼女との関係とか、人間ドラマとしておもしろかったが、西部劇としては非常に典型。
かつては凄腕だったらしいガンマンが主人公で、今は銃をもっておらず、地上げで殺される人まで出て来て、それに対抗している父親がいるとなれば、最終的に主人公が切れて銃をぶっ放して皆殺しになるというのは早い段階で見えてしまう。
確かに父親が襲われた事で吹っ切れてしまい、冷静な判断と銃の技術を持った無敵のジャック・バウアーになって一気に敵を倒して行く所はおもしろかったのだけれど、どうしてもそれまでじっくりと人間ドラマで攻め続けていた分だけ浮いてしまう。
この映画は字幕版で見たのだけれど、見終わった後に日本語吹き替え版でも見たら、キーファー・サザーランドの吹き替えは当然小山力也で物凄いジャック・バウアー感。
原語のキーファー・サザーランドは抑えた感じの声だったけれど、小山力也だとどうしてもジャック・バウアーにしか見えない。

そう言えば、キーファー・サザーランドの演技で、一点見詰めから急に横に視線を逸らしてからまた相手を見る顔の動きをしていたけれど、これジャック・バウアーでもよく見たなぁ。

役者陣は、悪い地上げ屋にブライアン・コックス
主人公の元恋人にデミ・ムーアが出ており、オープニング・クレジットで名前が出て来て、オッとなった。
ブライアン・コックスはブライアン・コックスなんだけれど、デミ・ムーアは役作りもあるのだろうけれど歳を取ってからはほぼ見ていないのでデミ・ムーアと言わなければ分からなかった。
あと、敵の用心棒役のマイケル・ウィンコットは雰囲気番長ではあるものの、役が非常に立っていて、あれだけ主人公と最後に一騎打ちの伏線を張りながら一騎打ちしないというのも良かった。

場所も、針葉樹?が多くて、草原が広がっており、よく見る荒野や砂漠の西部劇とは違う感じなのも親子の物語に合っていた。

この映画、正にキーファーとドナルドのサザーランド親子を見る映画。
父と息子のこの葛藤は何かたまらなく刺さる。
しかも、サザーランド親子だと全てにおいて意味深に思って見れてしまうのも良い。
ただ、西部劇としては典型的な展開でそれ程もでもない普通といった感じで、親子の物語だけで銃撃戦はいらなくもない気がしないでもなかった。

☆☆☆★★

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